2023年  11月         

11月30日(木ようび)   はい、薬

 火曜日の東大病院の循環器内科診察で、医師から薦められたリハビリのサイトは『心臓リハビリテーション』だった。

 さすがに細かく分類されている。医療の世界も症状や治療法の拡大によって益々専門化しているが、患者のほうは、それに合わせて患う病気も特殊化細分化されていくわけではないから、対応するには苦労する。各病院では、独自のプログラムによるリハビリ法があると思う。

 デジタル目覚まし時計に温度湿度も表示されていて、この頃急に空気が乾燥してきている様子である。急いで加湿器の準備を始めた。最近は、無頓着にそのまま使い始めるとウィルス性の感染の心配が報告されているから、よく水で容器を洗って今日のところは陽に乾した。

 我が家の家族三人は比較的抗体の働きが強いと見えて、花粉症、コロナ、インフルエンザ等に煩わされることは無いのが幸い。テレビなどを観ていると、ちょっとした症状の異常にも、それに合わせた市販の治療薬がコマーシャルで流されている。

 ・耳が痒い
 ・目が疲れる
 ・ヒビ割れ
 ・シミだ、イボだ、シワだと言えば、はいどうぞと提供される。

 余りこういう薬に付き合っていたら、いいことは無いと思う。明日はもう師走。

 今日の川柳は、以前詠んだ作品

  医者が風邪ねぎを焦がして食っていた   三 竿   
  抗体グルグル巻きの大けが

11月29日(水ようび)   フレイル

 昨日、東大病院の循環器内科の医師から以下の提案があった。

 診察の始めに調子はどうかと言われて、「へとへと」と応え、最近の身体の弱り様をいくつか訴えた。その上で、フレイルのことを気にしている、と言うと、東大病院で心筋梗塞後などの患者さんのためのフレイル対応の科目があります・・・ ということで薦めてくれた。

  註:リンク先は、私がこれ、と想定したもの

 自転車こぎとかマシンを使いながら医師の指導で基礎代謝や体力もつくような指導をしていく。

 しかし、残念なことに通院ローテーションは最低で週一回、ちゃんと遣るのには週二か週三続けるのが良いという。遠く東大まで通うのは些か現実的ではない。

 そこで、私の住んでいる場所の近くの病院に同様なリハビリ施設をその場で調べてくれて、通う気があれば紹介状を書いてあげましょう、という。これも、松戸まで行くことにはなる。今回は噺だけで終わり、次回三か月後に診察した際に私の乗り気によって勧めることになった。

 少し前、一念発揮でウォーキングを続けようと決心したが、今では毎日ではなく一日おき程度になっている。この調子ではやがて元の木阿弥になってしまうかもしれない。きちんと指導する人の元で、おだてられたり談笑したり、或いは運よく若くて美人のインストラクターが付いてくれたりでもしたら、「ボク、頑張る」と希望の日々を送れることになるかもしれない。

 医療とか福祉に携わる人は、まじめに言うことを聞いて頑張る生徒さんには、職務以上の気の入れようで扱ってくれることは、幾度も入院経験のある私にはよく判って居る。

 動機としてはこれで良いのだ。2月まで、宮沢賢治張りに一人で頑張って行こう。ところで、カタカナ語に昨日は噛みついていたが、「フレイル」は、使える。

  今更にムキムキ爺は期待せぬ   三 竿   
  動機提供者は、ドナーてす

黒歴史資料:日付:11月29日
 昨日のDiaryは、書いている途中で日付が変わっていったが、書ききれなかったために、日を越して本日続けて、アップロードすることになった。

11月28日(火ようび)   第三者委員会

 昨夜のTBSの報道番組で、「旧ジャニーズ「性加害」問題」に対する検証を第三者委員会にかけて得た回答なるものを公表していた。

 メディアのあるべき姿から外れた報道姿勢、つまり見て見ぬふりをしてきた事への反省と、ジャーナリズムの使命を忘れて来たことへの反省ならびに今後への課題を受止めました、という公示みたいな噺を始めた。

 「何をけったいな」」と言いたくなった。

 こんなこと、人に相談したり、指摘してもらうとは何事ですか。局内で、必要な会議などを通して自分たちで計り、解決しなければいけないのではなかろうか。最近の日本は、政治の世界、行政の世界、在野の組織みんなこぞって、自力を失って行っている

 必要な会議はどのような内容で進めれば良いのか、その会議において組織をどう造り機能させるか、 ・・・ しかし、これをどう立ち上げるのかマネジメント部門も現場も判らない。そのために、外部の専門家に頼んでしまう。しかしこの「専門家」は、それぞれの現職人と同じ意識でいるとは限らない。

 具体的な解決法など私には発案できることは無いが、一つ思っていることがある。

 今、日本では本来日本人が長く使っていた日本語が、猛烈な勢いでカタカナ語に駆逐されている。特に経済・産業分野に激しい。英語などの外来語由来の新しい理論、或いは従来の英語に日本語を加えて意味や用法を取り込むことも行われている。

 後者の例としては、「バイアスをかける」などで日本語の文脈を広げていく。

 その坩堝の中で仕事をしている人たちには、こういう言葉はもはや必須の新語となっている。しかし、それらの言葉の多くは、日本語の成り立ちとして欠けている欠点がある。

 つまり、言葉が耳から目から入り感覚にストレートに響く日本語で理解していた日本人は、このカタカナ語を目にし、耳に聞いても、感覚の深いところまで理解が及ばないでいると思う(「バイアスをかける」がそうだとは言わない)。

 たとえば、「ガバナンス」、「コンプライアンス」、「リスクマネジメント」など、外国語由来の同一的類語に近いカタカナ語が最近はよく使われてきたが、それぞれが特に企業運営などの組織にとっての重要要素を意味する言葉であって、その筋の研究者、実践者などが厳しい研鑽と実績の末に打ち立てた理論を総括する言葉なのだ。

 日本に広まるに当たって、原語で刊行された書籍や論文等を読まないことには、深く意味を理解できない事になると思うが、それらの言葉の多くは要約されて一般企業トップ層や評論家が使い始め、メデイアに登場するという過程で流通していく。

 しかし、自分のビジネス活動で取り入れざるを得なくなった一般的人の中には、これらの言葉がまるでお題目か効能のようにしか響かない人がいると思う。

 その一部の人とは、頭が固くなっている人が多く、或いは場の空気を深く吸っている人同士との対話では単にこの言葉を使っていれば、対等に分かり合える同士になって居られると思うだろう。だから、マヂな状況でこんな言葉を飛び散らかしている商談とか会議などの場からは、きちんとした意義ある結論を出すことはできない。

 雰囲気が大事となり、「一つここは、専門家に・・・」 と成って結論的にはTBSの第三者委員会に問題解決を委ねるという仕儀となった。これが私の感想である。

 この現象は、テレビコマーシャルが箔をつけて広めている。こんなことで『変革』とか企業組織の改善なんてことは出来っこない。

 改めて・・・ 長い時間をかけて日本語が発展し拡張して行った事で、辞海の中に貯められた膨大な語彙は実に細やかに、思想や理論を含んだ言葉として日本人の知性と教養を高めてきた。使い分けも殊の外細かい。たとえば

 ・ 侵入
 ・ 挿入
 ・ 参入
 ・ 投入
 ・ 乱入
 ・ 注入
 ・ 入室
 ・ 入隊
 ・ 入団
 ・ 入会
 ・ 入滅
 ・ 入力
   嗚呼、限りがないほど様々な状況・特徴・使用・区分による使い分ける言葉が出来上がっている。

 しかし、これらの言葉がどんどん消えかけていく。これが日々の生活の中で、人の思考や行動の範囲までも狭められる危機と成っていくはずだ。じわじわと日本を覆っていく言葉の気候変動である。

 同様な感想を持つ人はまだ多くいると思うが、時世の流れは怖い。先細りしていくのみ。私は、先日一冊の本(「日暮硯」)を取り寄せて読みかけたが、余りにも読み辛かったがために、かなり早い段階で挫折してしまった。嘗ての日本人の、一定数以上が当時の書き物を読み聞き、その文章に近い言葉で会話していた。悔しい。

 栄光ある日本語は、之で良いのか。TBSの皆さん、どうお考えでありましょうか。

  人体は、米で拵えパンで肥え   三 竿   
  ニッポン刀土俵入り

11月27日(月ようび)   裸の王様

 半袖Tシャツ着て歩いていた次の日は、ダウンジャケットに襟巻巻いて首を丸めて歩いたり、気温の大波小波になんか弄ばれているようである。日本列島は南の太平洋の海水温と、北極圏の寒気団のぶち当たるところで、例えて言えば、自然界が年に二度、関が原の合戦みたいにヤーヤー鬨の声を挙げながらもみ合っている。

 気候が次第に大掛りでアグレッシヴな活動を示すようになって来てこれを「異常気象」とか言って騒いでいるようだが、出来ればなるべく悲痛にならずに愉しんで受け入れていても良いのではないか。危機感ばかり頭の中に湧いていても脳がへたるばかりだ。温暖化の原因がハッキリわかって居るのだから、人間の生活上の活動を早く切り替えて人類が手をつないで、執りかかれば済む話じゃないか。

 知恵と行動力によって、この惑星の王様になったくせに、頭の使い方が悪い。危機に対して解決方法もわかって居て、出来ない。他の動物は、身の過ごし方を少しづつ変えて対応している様子もあるのだ。

  人類は衣類を脱いで毛に戻ろう   三 竿   
  順応ミサイル

11月26日(日ようび)   外気温

 今日は一日、玄関ドアを開けて外に出る事すらしなかった。従ってとても寒かったようだが外気温は判らずじまいだった。日中も時々雨が降っていたという。出無精の私にとっても珍しいほど引き籠りをしていた。

 細君が昨日のすき焼きの材料を買う際、頭に今日の天気を記憶していたので(当たり前だ、おっぱいは記憶用には使えないない) ・・・ 今日の夕ご飯の材料まで買ってきていた。

 本日はカレイの煮つけ。夕方、細君が支度を始めたところで私が料理を引き受けた。水洗いをしてザルに入れて水を切り、鍋に水・砂糖・酒・味醂を入れて沸騰させ、切り身を入れる。身に厚みがあったので、外側の皮に包丁で×を入れる。灰汁が出たので掬いだして、その後に醤油を入れる。全部目分量で済ます。計量カップを使うのは、レシピに表示されているのを参考にして作るときに時々。むしろ、フリーハンドのほうが巧くできて美味い。

 生姜のスライスを入れてからスプーンで煮汁を掬って、こまめに5分以上身に万遍なくかける。二切れ分。その後、アルミホイルに所々切れ目を入れて落し蓋にして手頃なところで完成となり火を止める。

 私の作る煮魚は旨い。今回も旨かった。

  板前の上に細君の料理長   三 竿   
  外気ガス汚染

11月25日(土ようび)   すき焼き

 ロト7の末等1000円が当たった。この程度の当選金では、自分の財布に還元するより、ポンッと細君に渡して、使ってもらった方が有効だと思う。

 季節の旬の果物、肉料理などの総菜の購入の補助などに充ててもらえば、気分的にはプチ・贅沢な気分が家族三人で味わえる。少額積み立て計画で貯める気はない。パッパツと使い切ったほうがすっきりもするし。

 その千円は、本日牛肉に化けた。今夜はすき焼きとなった。いよいよ温まりながら家族で囲んで食べる冬の料理の王者の登場である。結構いい肉だった。夏のジャンボ宝くじの末等とか、私が前にあげてあったロト7がストックされていて、牛すき肉で2500円ほどが買えた。

 普段の食事量より多めに口から料理を食べた。喉に引っかかる事が増えて、次第に嫌な思いをすることが多くなって来ていたが ・・・

  すき焼きや家族の顔は似ていたり   乙三太
  牛肉中背やや蟹股

11月24日(金ようび)   狐狸庵閑話

 私は昭和の時代に活躍した著名な作家や事業家、或いは文化人が著した随筆本を読むのが性にあっている。その中でも食に対する珠玉の随筆がたくさんある。

 ・ 池波正太郎
 ・ 吉田健一
 ・ 檀一雄

 など、人間性も個性的なところがあって、随筆の内容からもその生き方が窺える。今読んでいる遠藤周作の『狐狸庵閑話』も同じことが言える。現在は出だしの数編を読み終えているところであるが、その中の一片が、私の遊び心に共通する精神性に触れる内容がある。今日はその中の一篇『師走』の一部を原文のまま載せてみた彼の旧制中学時代の噺である。

 【
  ・・・ たとえば私は学校に行くと教師が黒板にむかっている間、紙きれを出して「ディアナ・ダービン主演のオーケストラの少女という映画をみたか」と書き背後の席にまわすのである。やがて、「見た」「見ない」「見た」などと書いた先ほどの紙が私の手元に戻ってくる。

 私はまたそれに鉛筆を走らせる。「ディアナ・ダービンはなぜディアナ・ダービンと言うか、その理由を答えよ」

 そしてまた「わからん」「うるさい」「教えろ」くだらん」さまざまの返事がしるされて戻ってくる。私は教師のほうをうす目をあけてぼんやり眺めつつ、再び鉛筆を取って「ディアナ・ダービンは生まれた時からお尻の穴が大きかった。彼女の父はふかくこれを悲しみ、医者につれていったが医者も首をふった。近所の子は彼女のアダ名を大穴大便だいあなだいべん)とつけたのである。彼女が今や大尻おおけつ)とらの少女に出演したのもそのため也
 】

 この話は、前日学校から帰って縁側で長い時間かけて創り上げたとのことである。私もそれと似た状況下で、こういう面白い話を発想するのが好きなのだ。そして私が、ときに頭の中で泡が湧き出るようにして駄洒落を想いつくのはよくある事である。

 尚、本の帯に「虚実とりまぜた戯言に ・・・」とあるが、内容的にはまさに作り話に近い逸話だろうと察するところがあって、これが騙されてやろうというワクワク感を味わうことが多い。

 

  明るくて陽気な嘘は清涼剤  三 竿
  それは虚言のことだった。星のきれいな夜だった

11月23日(木ようび)   天変地異

 九州で本日の最高気温が夏日を超えた都市があった。来週には師走を迎えるというのに、沖縄で、ということなら有るかもねとなるが、チョッ待てよ!と声が出てしまう。

 日本はいよいよ亜熱帯に足を突っ込むことになったようだ。衣類をほぼ冬仕様に切り替えたばかりです吾は。朝晩には、エアコンで暖も入れて一週間は過ぎている。

 地域によっては水不足で、水ガメ用のダムが貯水量ゼロになっているわ、紅葉は遅れ、収穫最盛期のミカンの生育が小さくて減収の心配、熊の市街地への出没、そして北国ではドカ雪予想。季節感ぶっ壊れの異常気象 ・・・ 人間界でもまともでは考えられない政治家のクセして頓珍漢な不祥事、何百万円もホストにふんだくられる若い女、新しい文明の利器やシステムをすぐ悪用し、人を騙して儲ける守銭奴、「私人逮捕」劇を演出までして他人を犯罪者に仕立て上げる冷血 ・・・ 見渡せばはるか先まで並んでいる悪人どもの列。

 世界のあちこちから、入電される出来事にも歪な動機で起こる戦争やおかしな出来事が増えてきた。あちこち首を回して眺めているから、首筋が痛くなってきた。

  知らないを知らせてくれる世になった  三 竿
  鼠小僧は、亜熱帯に逃亡した

11月22日(水ようび)   Jアラート

 きのう深夜0時前、観ていたテレビが突然臨時ニュースに切り替わった。と同時に「Jアラート発令」の警報テレロツプがでかでかと表示された。全画面、ということでなく、画面の一部分にその時の放映されていた番組が映っていて、アナウンサー室からアナウンサーが北朝鮮のミサイル発射のニュースを伝えた。

 沖縄に発令された警告が、縁もゆかりもない地域まで全国一律で流されている。

 例えは悪いが、日光いろは坂で観光バスが道路から転落した交通事故を全国民に知らせるってことと同じ事だと思う。ごく狭いエリアの上空を超音速でミサイルが飛翔しているのを、もしかしたら該当地域に落下して被害が及ぶかもしれないから急いで頑丈な建物に被害しろ、と言われても、どうすればいいのだ。

 慌てて外に飛び出して、運悪く走ってきた車に撥ねられる確率の方が圧倒的に高い。こんな危ない警告及び避難指示を出す方がどうかしている。

 勿論、国会で馬鹿な議員たちが、実効性のない法律を作ったおかげで、国民にとって、団欒の邪魔でしかないものをテレビ局が扱っている。

 なんであんなに長く警報を表示し続けているのだろう。実質数分で、万一起こるかもしれないミサイルの墜落危機は無くなるのに。長すぎる

 更に「警報は解除されました」という表示テロップも10分以上は確実に映していた。世の中の劇場映画でもエンディングロールがああまで長いのはない。これは、テレビ局の怠慢かもしれない。

 日本で起きているこんなことが金正恩の耳に入ったら、報告を入れた側近に金一封を与えるほど彼は喜ぶに違いない。日本国民に政府はこんなことをしてまで北朝鮮を警戒させて、今後の外交がどうなるかぐらいの想像もできないのか。

  雁が飛ぶ すわドローンと逃げ惑う   三 竿
  世良公則 「あんたのアラート

11月21日(火ようび)    文化論

 NHKはドキュメンタリー番組が充実している。毎朝新聞のテレビ欄を見て、特に興味の薄いと思うものを除いて、録画撮りし、後でゆっくり観る。時には、字幕をかぶせておいて、大事な言葉とか聞き洩らした言葉を巻き戻してしっかり確認して観ることがある。

 本日見た作品は長い。サブタイトルを入れると、こんなタイトルになる。

世界サブカルチャー史 スピンオフ
思考のオルタナティブ
無と向き合う世界観 モリス・パーマン

 ちゃんと視聴者に通じるようにと、言葉を詰め込む為にすごい力を込めて創ったみたいだ。このシリーズ(サブカルチャー)は、これまでも何回も続いていて、日本における1960年代~1990年代までの時代区切りをして放映してきた。今回は、それまでの事例を超えたもっと深い根本的な視点から視た日本の伝統的な文化である「禅」の『無』をペースとした文化の諸世相やその変遷を総括して見ごたえのある作品になっていた。

 本日、私はすべてを総括して感想を描くことは出来ない。しかし、湧くようにして現れたある比喩をまとめ上げたので、それを記すにとに留め、後日想いついた機会に新たな内容を、出来れば幾度かに分けて書いていきたい。

 《 地球の海には、深層の海流と表層の海流がある。深層の海流は生命の生まれた太古から始まり、その後に気候変動や人間の文明を飲み込んで時々刻々と変化していく上層海流の重なった構造を成している。我々の社会に存在する文化も「これと同じ構造で二層の文化で成り立っているのだ。『メインカルチャー対サブカルチャー』として 

 ・・・ 登録決定 

 でも、この番組タイトルを私は気に入らない。しっかり亜米利加由来ともなりそうなカタカナ語多用なのだ。

  ナウいのがお古となってリバイバル   三 竿
  戦時下には町中に文化が流れていた

11月20日(月ようび)    良い事三つ






 昼間晴れていて、雲が湧き、夕方になってその雲が消えないで夕焼雲になって行くことがある。但し、上の二枚の写真は、上が2・3日前、下が昨日のもの。

 夕べはいつもより1時間以上前に寝て、今朝は睡眠が充分に取れた様子で、気分もいつもの状態に戻った。午前中は風もなく暖かそうだったので午後一で床屋に行った。少し風が出てきた。床屋では1時間ほど待たれたが、綺麗なマスク美人に刈ってもらった。

 嗚呼、幸せ。優しく気づかいの言葉もかけてくれたので、前回よりも値上げして、高値感があったが文句言う気にもならなかった。帰り道は、向かい風に遭遇。

 やっとこ、待ちに待たされていた『狐狸庵閑話』が届いていた。文章の巧い人の随筆は、内容の面白さだけでなく、読みながらその人の体験している生活の中に気持ちが入り込んでいる臨場感を味わえる。

 しばらく楽しい読書ができそう。

  日が変わりアグレッシヴな吾戻る   三 竿
  お呼びでない?狐狸庵また失礼しました

11月19日(日ようび)    具合が悪い


 夜10時、テレビで野球の日韓戦をやっていた。さよならヒットで日本が逆転して優勝した。

 勝ったことの喜びがあまり沸いてこない。朝から一日中、体調が悪くてリクライニング・シートに仮死状態みたいな気分で伏せていた。細君は、買い物があって家に居ない。突然言い出して出かけるのは毎度のことで、日頃からあまり口数が多くないので、今日のような具合の悪い日には気持ちが沈む。

 夜になっていくらか身体を動かす気になったが、気持ちはすっきりするところまで回復していない。

11月18日(土ようび)    池田創価学会


 創価学会の三代目会長、池田大作氏が亡くなった。享年95歳。

 えっ、まだ本当に生きていたの?という想いである。戦国時代の武田信玄は、死亡したことを公表してはならぬ、と言い残しているが、戦国の統領ともなれば、敵に知られることが不利益になる場合が多い。しかし、創価学会を大きく飛躍させた人物ともなれば、当人の意志というより、残された指導層には、このまま表だった場に出さないでいる、という建前で生存を装っていた方が都合が良いと考えて来たと、私は思っていた。

 池田大作氏は、長年に渡ってベッドの上に横たわるチューブ状態となった植物人間となっていたに違いないと思う。生かしておく価値があったから。

 色々癖のある人物でもあって、マスメディアに叩かれるところがあったが、様々な戦略を使って、次第に先鋒的な批判を抑え込んでいった。特に活字媒体、それも大手新聞社に対する巧妙な戦略は、絶大な効力を生んだ。

 機関紙の聖教新聞の購読者数は膨大であって、本来なら教団自前の輪転機を回して印刷して当たり前なところを、新聞社の輪転機の稼働していない空き時間に輪転機を回してもらうことで、夫々の新聞社を潤わせていた。こうして、活字系マスメディアを黙らせた。

 この方策を清しとせずの理念で、共産党は「赤旗」を今でも自前の輪転機で発行していると私は思っている。或いは、印刷委託を各新聞社から拒否されてきたかもしれない。私は、共産党の現在の政治姿勢を詳しく知らない部分があるが、今の野党各党を含めた共産党を取り巻く批判の根拠には、胸糞の悪い思いをしている。特に立憲民主党の母体団体の、野党連立阻止の圧力は如何なものか、と思っている。

 議員数では弱小でありながら、与党として幅を利かせている公明党対共産党の清らかさの違いを考えれば、共産党のほうが健全だと思う。

 世界的な視野で眺めて、いま、NATOの構成国には、かつてのワルシャワ条約機構構成国だった国家のいくつかが加入しているが、政治的に共産党としている党が存在しているか、無いかどちらだろう。左派系政党即共産党というわけでもないと思うのだが。この伝で行けば、今の日本の共産党は、決して本来の共産主義的イデオロギーが党の基本的基盤になっているとは思えない。まして、中国の支配にもロシアの指令で動いている気配もない。

 政党の名前を変えたい気があるとしたら、柔軟な発想と、国民に対する表だったキャンペーンでも掲げてこの国の重要な位置にを目指して、ぬえ)みたいな公明党と対峙して欲しい。私の願いである。しかし、亜米利加の実質属国というのが、日本共産党の最大の不幸なんだろう。

 感情も、エネルギーも随分投入して書いていた。

  大作は倒れたいざや釜を抜け   三 竿
  わたくし本日は大作勤務です

11月17日(金ようび)    郵政は劣勢

 事前の予報通り、朝目覚めた時は雨が降っていた。午後には止んで天気は回復すると言っていたが、晴れ間が開くことは無かった。気温も低かったので、散歩もしないで部屋で過ごした。

 配達されるはずのネット注文の本が届かない。「ゆうメール」で14日に発送したと先方から連絡が入っている。きっと郵便局の未配達箱の中に留め置かれているのだろう。郵便局に問い合わせする手段(照合番号など)が判らないから、発送先書店に連絡をして事の調査を頼んだ。あの組織はどこか欠陥があって、企業としての活力がない。配達員は今、土曜日は郵便配達をはないようだ。

 かつて私がまだ独身時代、ヘラブナ釣り同好会に所属した時の会長が、職場の中で「ブラザーシステム」とかの名前だったと思うが、不良職員に対する矯正教育みたいなことをしている話を聞いた。昔の国鉄の現場と同じような、効率の悪い組織だったのだろう。枝分かれした「かんぽ生命」で少し前に、職員へのノルマが問題になっている。

 郵政をぶっ壊した(とされる)小泉元総理に腰を上げてもらおうか。今はどうしているか知らないが、原発反対で騒いでいた事があった。

 

 今日の川柳は、自分が昔、時事川柳として詠んだもの

  小泉勝て自民敗けろの怪選挙   三 竿
  ヘルマン・劣勢

11月16日(木ようび)    冬眠前

 既に秋も深まった感のある日々となった。朝の起床時はエアコンの暖房が効いていないと掛布団を跳ね除けられない。すぐにベッドの上で下肢のストレッチをしてから起きる。その後、パジャマから部屋着に着替え、部屋をリビングモードにセットしてから、ゴミ出しの役目を済ませる。

 この動作を一気呵成に済ませないと、鈍行列車の進行並みにチンタラ進んでしまう。起きたばかりの体調に任せないで、気力で持っていかなければ時間があっという間に過ぎてしまう。体調は気力に引きずられる。

 昨日昼頃、薬が切れそうだが、まだ続けなければならないかどうか、自転車で駅近の皮膚科に行った。もう少しかかりそうで塗り薬を2本出してもらう。病名は水虫。指の間のじくじくでなく、爪が罹っている。

 そして今日、好い天気だったから、床屋に行くかどうか逡巡して時間を取ってしまい、後日に回すことにした。暖かい時間帯に外出しないと辛くなってくるので、次の機会が来たら迷っていられない。

 東北では熊が満足に栄養を貯めこめなくて冬眠できない様子で人里に出没している。

 「熊っちゃう」

  ぷーさんも爺さんも冬は嫌いだ   三 竿
  冬眠権運動という民主化運動

11月15日(水ようび)    宝塚歌劇団

 昔、『ダジャレ芸術協会』というタイトルの週刊誌投稿欄があった。私は、盛んに投稿を続け、真打の称号を取得している。ある時のお題で「ゴルフ」というのがあった。どなたかの作品で ・・・

 ピン奥正しく美しく

 創設以来100年以上経って、宝塚歌劇団がいま世間から非難のつぶてをぶつけられている。そして先日、幹部などが揃って記者の前に現れ、劇団員が自殺した事件を、第三者委員会に調査させた結果を発表した。

 酷い内容だった。調査姿勢そのものがいい加減だと判ってしまった。組織を守ろうとして、疑惑を否定していた。言った内容に対して、余計に炎上することが火を見るより明らかであった。自殺した被害者の遺族の言葉を否定している。

 「死人に口なし」と、平気で思っている。そして、これが通ると思っている。突破口を破って逃げ延びるとマヂに思っている。遺族に敵対するなんてとんでも無い事だ。矢張り、腐っている。

 この事件で、宝塚出身者の中から、堂々と反論したのは今のところ元団員の東小雪さん一人だけである。彼女が、あからさまにこの組織 --- 宝塚音楽学校 --- 内の因習を公表した事で、他の人が同調して手を挙げて並ぶことが出来なくなったかもしれない。これは仕方がない。当の東小雪さんは現在、LGBT活動家、文筆家、公認心理師として社会的な立場から発言すべき必然の上で声を上げたのだ。

 或いは、輝かしい宝塚出身の肩書のスター性を活かして今、活躍している人も多い。これはエンターテインメントの世界だけで活躍しているわけではないと思う。それらの人達は今、心が揺れているのではないだろうか。誰が宝塚歌劇団のこの醜聞に対して裁くことが出来るのだろうか。

 日本においては、上層部自体に根患がある事が多くて、自浄によって改まる事が少ないから、矢張り、同業芸能業界で連携した働きかけで「清く正しく美しく」立ち直らせられれば良いのだが、同じ穴のむじな)の弊害がでないとも限らない。この業界は連合組織が出来得ない所がある。

 ジャニーズ事務所の解体のこれまでの進捗状況を見ても、もやもやしている。

  宝塚 ドライフラワー永遠に   三 竿
  劇団火力発電所


11月14日(火ようび)    狐狸庵先生

 この頃の私は二つの癌に罹患する前よりも、身体のコントロールをし易くなったと思うようになった。心掛ければこうならない、或いはなるという意味で言えるのだ。

 下痢を起こすには、ラコールの点滴スピードを上げれば、終了した直後からてき面に下痢になる。ゆっくり点滴すれば正常に戻る。もう一つは、下肢のストレッチを怠れば、その日或いは翌日は動くのもおっくうになる。逆に、ある程度の散歩を足せば動きやすくなる。但し、この方は、散歩の距離は未だ伸びることない。いくらか足が軽く動くようになる。

 ぐずぐず深夜にラジオを聴いていると、寝不足感が残る。

 こういう感じで、身体反応は正直に運動量の過不足による影響が出る。精神面ではどうか。ぼんやりして一日微睡んだりぼんやりとりとめもないことを考えていると、それなりに気力が減退する。

 本を読めば、その集中度によって、良く頭に入ったり掴みどころがなくなってすぐ中断したくなる。興味がわかない本だったりすれば、集中そのものが出来ない。今ちょっとそんな状態で、新聞にしても取り寄せた本にしても、今一強い集中が持てないでいる。

 そんな状態になっているので、焦らず読書ペースを落している。塾本(古本)のネット市場から遠藤周作さんの『狐狸庵閑話』が、近々届く。先日のテレビで、彼が宗教に関心が強くて、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の関係性を含めた幾冊もの著作があるということで、ならばまずは、随筆から入ってみようと考えて、今の中東問題への理解の足しに出来れば幸いだと期待した。

 ネタニヤス首相のパレスチナ人への著しく激しい攻撃性について、これまであまり深く入れない状況のままで判断をすることが出来得ないでいる。宗教的信念から紐解く事は無理そうであるが、しかし、入り込んだからには、それならそれで、旧約聖書以降に三つに分かれていった宗教を其々個別にいくらかでも理解できれば、現代世界の様相を自分なりに判断できるかもしれない。

 日本のことは、あまり考えたところで希望が湧かないと思うので、中断乃至中止。

  日本を出よう難民の如くに   三 竿
  聖書旧跡一人旅

11月13日(月ようび)   鬱になりまして

 一日の寒い時間帯にエアコン暖房を点ける日が続くだろうか。上空に冷気が入って、日中でも空気が冷たい。もはや晩秋の気配である。

 映画・『ツレがうつになりまして』を録画してあって、日中観た。

 以前自分が30代の後半頃だったか、重い鬱病に罹った。コンビューターのハードディスクの記憶容量が無くなってトラブったらどうしようと気になりだして数日して、突然猛烈な不安感を味わい、以来うつ状態になった。どれくらいの期間苦しんだかははっきりと覚えいないが、その時の自分の精神的異常ははっきり意識している。

 映画では、主人公(堺雅人)の奥さん(宮崎あおい)が一生懸命寄り添い看病したことで、次第に快方に向かっていくのを描いていたが、私の場合、意地でも妻君には心配かけまいと一人でもがき苦しんでいた。

 その時のことを二度ほどこのDiaryに書いている。いま、書いた日付は覚えていない。自分史の一ページなので、もう一度読み返してみたい。

 折から消費税の導入に全国的に猛反対の嵐が起こり、ストライキが展開され、私は社長命令で参加して日比谷公園から、会場で宛がわれたプラカードを持って都心を練り歩いた。

 次第に心を覆い包んでいた霧が綻び、最後には晴天の如く晴れわたった心に戻って会社に戻り、社長に、「鬱病が治りました」と、報告した。心はかくもデリケートに人を支配する。

 映画では、治りが愚図愚図しながら次第に希望が持てる所まで至って終るが、私の体験に比べてまどろっこしかった。入り口と出口がハッキリ存在した鬱病だった。

  つらい鬱心の風邪というけれど   三 竿
  ♪ 晴れたみ空には鳴る

11月12日(日ようび)   迷い者

 本日も曇天なり、そして昨日以上に寒かった。夕方になってエアコンを暖房にして、今年初めての冬仕様になった。

 先週は、「〇〇と△△」・「〇〇に△△」・「〇〇の△△」の言葉を思い出して暇をつぶしてきた。当然ながら、其々後になって追加する言葉が出たが、きりがないので書き足しはしなかった。同類の言葉の成り立ちとしては、「子はかすがい」など「〇〇は△△」とか、更には、ずばり「こわっぱ役人」・「小姑」・「ぬるま湯」・「減らず口」・「ちょいワル親父」・「おとし前」・「小粋」・「味噌っかす」「カマトト」等ともなると、その言葉から意味が膨らんで独特な説得力で伝わってくるようなものもある。言葉通りに理解したのでは、誤解を生ず言葉。

 これらを思いつくままに羅列して来たが、大きく体系づけることができたら面白いが、暇つぶしの余興レベルな態度だから、これ以上深入りはしない。

 深入りしたくなるものに、国会議員の質の低下という問題があるが、指摘して正されていく効果があればよいが、むしろ絶望的な領域に成っている不祥事やスキャンダルは留まる事を知らない。神田憲次財務副大臣のスキャンダルは、もはやスケベ心とか口が滑ったとか、頭が悪いとかの世相の中から摘まみだされたこととは違った次元から正に、異次元からの迷い者の出現というしかない。

 役職起用にあたって身体検査がしてなかった、という不注意の問題ですらなく、こういう人間が、国政選挙で選ばれて出てきた深因をつついていかなければどう仕様もない。

  妻であり母であってもホスト推し   三 竿
  ♪ 空に滞納が ある限り

11月11日(土ようび)   テレビ漬け

 一日中曇天で、気温も低く寒かった。

 夕餉の後にDiaryを書くことが多いが、今夜はついテレビが面白くて時間をあまり宛てられなくなった。今9時半を過ぎているが、このあとも見過ごせない番組がある。これ以上Diaryに関わっているのは無理。

 書く内容をひねり出すにも、アドバル~ンに載せる川柳と駄洒落を創るのも、本日は無し。昼間も、暮れから正月にかけて試合がある『第102回高等学校サッカー選手権大会』の、東京都決勝など観ていて、テレビ漬けで過ごした。

11月10日(金ようび)   〇〇の△△

 巷の話をDiaryの中で書きたい気持ちはあるのだが、私の張ったアンテナに入ってくる話にろくなものしか無い。手慰みのつもりで始めた「〇〇に△△」も、続けたくなってくる。敢えてシリーズ化する気持ちはないが、今日はで行きたい。

 例によって、そのことばが、何らかの象徴的な状態・状況を表す言葉とする。

  下手の横好き  対岸の火事 他山の石  裸の王様  刎頸ふんけい)の友
  総領の甚六  蚊帳の外  阿吽の呼吸  糟糠そうこう)の妻  青天の霹靂
  ドーハの悲劇  烏の行水  有終の美  鶴の一声  胡麻の蠅  雀の涙
  仏の顔(も三度)  烏合の衆  弁慶の泣き所  籠の鳥  安物買いの銭失い
  便所の火事  引かれ者の小唄  火事場の馬鹿力  蚤の心臓 河童の川流れ
  ・・・


 便所の火事はヤケクソ。余り流通はしていないので参考ということで。

 いま東京の日の出時刻は6時を過ぎている。写真は、7時ごろの東の空

 




  あれのなに 総理のメガネの意味である   三 竿
  ささっ、便所は要らない、寛いで寛いで、

11月9日(木ようび)   〇〇に△△

 昨日挙げた東男と京女は、むしろ東男京女が正しいようだ。意味は、引っ付きが良いことの例え。

 よって今日は、〇〇に△△の慣用句とか対比する言葉を思いつくまま並べてみた。

  猫に小判  豚に真珠  猫にマタタビ  泣き面に蜂  月に群雲 花に風
  立て板に水  寝耳に水  掃き溜めに鶴  弱り目に祟り目  梅に鶯  闇夜に鴉
  渡りに舟  釈迦に説法  焼け石に水  鬼に金棒  


 15個で詰まった。まだあるはずだが、時間が掛かりそうだから終了。尚、今日も昨日の東男京女の間柄のように曖昧さが残る言葉で、「地獄に仏」と、「地獄で仏」か在った。長い歳月をかけて、誤用による拡散が生まれた、というケースなのかもしれない。

 貴重な文献を写本していくうちの、この手の写し違いはよくあるのと同じ。充分に日本語を習得しない間の外国人に、「僕が下さい」みたいな事が起こる。日本語は、助詞(「てにをは」)の使い方が複雑なので、当の日本人でも混乱する。

 この企画、あとは「〇〇の△△」がある。「山の頂」の類は該当しない。「対岸の火事」、「青天の霹靂」のように、比喩になっているのが条件。

  これも有り?僕をあなたは愛します   三 竿
  写本玉ホリデー

11月8日(水ようび)   〇〇と△△

 昨日たった一日、夏が戻ったが、今日はまたしのぎやすい秋日和になった。特に朝は空気が冷たく感じられた。

 さて、こんなコント噺がある ・・・ 「アリストテレス」 朝、突然頭に浮かんだ・

 ロバート。アリストテレスについてどんなことを知っているかね
 はい先生。アリスについては少し知っていますが、テレスは全く判りません

 ということで、〇〇と△△の慣用句とか対比する言葉を思いつくまま並べてみた。いくつ想いつくか。

  点と線  水と油  赤と黒  ボタンとリボン  ジュンとネネ  クリとリス  美女と野獣
  戦争と平和  老人と海  男と女  トムとジェリー  月とスッポン  天国と地獄
  花と蝶  ウサギと亀  元号と西暦  おすぎとピーコ  花と龍  東男と京女
  Jack and Betty


 そうだ、きっかけを想いだした。朝の情報番組で、日本に住んでいる外国人が役所で一番困る事の一つに、申請書類とか提出書類に元号を記載させられるのがあるという。

 「どうして西暦じゃダメなの」という不満があるとのこと。これで「〇〇と△△」を並べることを想いついた。

 〇〇に△△もやってもいいが、後日思い出したらチャレンジしよう。「猫に小判」、「泣き面に蜂」等

  君と僕愛し合ってるタチとネコ   三 竿
  元号優良児

11月7日(火ようび)   異常気象

 朝目が覚めた時、外が暴風雨状態だった。ピンチハンガーに掛けたバスタオルが、大揺れに揺れていて、何分か後にもう一度見たら、真ん中から畳まれて用をなさない状態になっていた。ガラス窓に水滴が降り注いでいた。南風がもろに吹いている。

 2・3時間後には雨風は止んで天気は回復していった。

 天気予報では次第に暑さが戻ってくると言っていて、その通りに成った。日本のある場所では、29℃台を記録して、100年ぶり位の記録となったようだ。地球の大気は、こういう現し方で、温暖化の影響を見せてきた。そのうち、木星のような渦を巻いて荒れ狂う分厚い雲に覆われっぱなしの惑星に成って仕舞うのだろうか。

 録画してあったNHKのドキュメント番組で、ここ100年間の大気汚染の記録を観たが、経済優先のあまり、人類は反省はするものの、きっちり心を入れ替えれない愚かさを未だに続けていると思う。

 日本の場合、エネルギー政策の現状は、相変わらず電力会社のエゴで原発から自然エネルギーへの変革が阻害されている。

  うららとか爽やかなどが死語になる   三 竿
  幕末・反省の大獄

11月6日(月ようび)   マタギ三話

 熊が冬眠間近につき、熊を捕獲するマタギに関する三話

 其一
 熊は蜂の巣を見つけてはその巣を襲い、中にある蜂蜜を手にこすりつけて舐めていた。蜂にとってはまさに天敵。その熊の毛皮は黒ずくめだから、人が山に入る時は黒い衣装を着る事は、危険だという。蜂の各個体には黒い姿で動く者は天敵の熊である、とDNAに記憶されているという。

 私も鮎釣りで茨城県の久慈川で、たまたま黒のウェットスーツを履いていたとき何度も飛来してまとわりつかれた経験がある。

 また、東北地方の山の隠れ湯の宿では、マタギが仕留めた熊を仕入れると、文士とか健啖家のお得意さんに早々連絡を入れて、知らせるという。特に蜂蜜を付けて舐めていた手は極上品で、一週間ほど下味付けに煮込んでいたから、食べごろを伝えていた。

 今では禁猟となっているツグミ)なども、東北地方の山の宿で、霞網で捕獲してやはり宿に呼んで焼き鳥にして食べさせていたと、吉田健一とか檀一雄か誰かの食の随筆集で読んだ覚えがある。戦前の頃の話だから、彼らは、山道を可成り歩いてたどり着いたそうだ。

 其二 『山の吊り橋

 其三 「最初お願いされた時は、凄く嫌だったのよ」

  熊を射とめ炭も焼いてるハルト爺 三 竿
   足を洗ってマタギになる

11月5日(日ようび)   挫折

 今回の三連休は随分長く感じられた。金曜日の朝のテレビに映っていた高速道路の車の渋滞映像が、だいぶ前に観た印象に成ってる。不思議。

 斯くも永かった快晴の秋空も、今日はもう見られない。次はいつのことに成るやら。どんどん晩秋の気配は深まり身体が次第に縮こまっていくのだろうか。どんぐり食って冬眠に入る前の熊のような気分。

 いや、それはいけない。イノシシの如く、街中をフラフラ出歩いて運動しないことには身体がナマる。

 『日暮硯』は読みにくい。後付けの解説部分が矢鱈多くて、却って頭で整理がつかない上に、きちんとした現代語訳に成った文章がないから、やたら「候」の多い文章で読まされることに成って、嫌気がさしてしまった。

 たぶん挫折する。

  本によっては読書の秋が恨めしい  三 竿
   挫折神経痛


11月4日(土ようび)   行楽の秋

 最高潮の秋日和が予想された。朝食後、松戸市で一番広い公園・『21世紀の森』に無性に行きたくなって細君に提案した。二つ返事で決まり。昼前のバスに乗ってその先の目的地で降りれば、すぐ公園に入れる。

 細君は事前にコンビニでお弁当か何かを買っている。公園内の自販機で飲物を買えば、全部揃う。後は人の中に混じって景色を眺めたりイベントに立ち寄って写真を撮れば、私の目的は完璧に果たせる。良い被写体に出会えますように。

テント村


紅葉は今一


矢張りリズム感が大事


体感温度計な人


おいちかった


 暑かったがリフレッシュできた。幸せ家族に目の保養をさせて頂いた。細君も愉しめたようだ。

  行楽でこぞって秋を疲れましょ  三 竿
   NHK行楽歌合戦


11月3日(金ようび)   日本シリーズ

 昨日の日本シリーズは、いい試合だった。私は今、セ・リーグにもパ・リーグにも贔屓にしているチームはない。昔は巨人のファンだった。金に任せて、よそのチームから主力選手を引き抜いていくことが多くなったから嫌いになった。

 これをやったら、まだ成長途中の若手選手が泣くことに成る。若手を育成してチーム作りをしないのが許せなかったからだ。かと言って、当時は日本テレビが毎シーズン、ゴールデンタイムで巨人戦ばかりしか野球中継をしていないから、巨人以外の球団情報は持てないでいたわけで、自然とプロ野球を観戦することは無くなっていった。親父連中のソフトボール・チームでシーズン中の試合や練習に自身がやっていたこともあって、こちらに熱中していた。

 馬力があったから、主力打者として活躍した。子育てや家庭への貢献も薄くなってしまって、細君には気の毒な思いをさせてしまった。

 昔のことを偲んでしまったが、今年の日本シリーズは内容が面白くて毎試合テレビで観戦している。次第に、阪神を推す気持ちになって行ったので、昨日の8回の大逆転には狂気乱舞するような嬉しさだった。

 という面もあるが、パ・リーグの選手のアスリートとしての才能には、何か惹かれるものがある。「人気のセ、実力のパ」と言われて来たが、そのキャチフレーズは活きているということか。シーズンが終われば私はそれっきりとなるが、本当のプロ野球ファンは、来年の球春が待ち遠しいだろう。気持ちにワクワク感が有って羨望感が少し沸いてくる。

 

  打ちました三塁向かって走ってる  三 竿
   ファンた、お腹の子どうすんの、生んで好いの?


11月2日(木ようび)   人道

 ウクライナにロシアが侵攻した当初にも、ウクライナの婦人子供が爆死したり生き埋めになったりしている映像が流れ、「人道的に許されない」と国際世論が騒がれていたと記憶している。

 ミャンマーで然り、アフリカ大陸で然り、日本でもチョッと誰かが虐められたり、袴田さんの再審裁判にも、人道上許せないなどと、「人道」が巷で盛んに叫ばれている。

 イスラエルは、ハマスを殲滅させるためと言って、出口を塞いだままあんな狭い地域に人々が密集して生活している上から横から爆弾を打ち込み、コンクリート造りの建物に命中すれば、一度に多くの人が爆死し、傷つき生き埋めにされるのは、「人道」上これ以上ない酷さである。これを停めることをしないイスラエル人が、その地・パレスチナに国家創建の願い・「シオニズム」を掲げても許してはならない。

 ユダヤ人と神との間に交わした契約の中に、今行っている蛮行のことは恐らく謳われていないだろう。そして、敢えて言えばユダヤ教と、ムスリム(今回の場合はパレスチナ難民)の信じるアッラーの神なるイスラム教は、元をたどれば同一宗教から、特に喧嘩別れしたものでなく、それぞれの民族に浸透して今日に至って両立しているだけの状態であるはずだ。

 宗教的肉親関係にある両者なのだ。更に、キリスト教でさえ同様に分化した宗教である。

 イギリスが第一次世界大戦中に仕出かした三枚舌外交が今回の紛争の基に成ったというのだが、政治的妥協で、この話が叩かれている様子はない。

 比較するのもなんだけれど、イスラエルの他国への圧のかけ方は、自分のやることは棚に上げて、周辺諸国の持ち物を盗もうとする中国の態度より程度が極めて酷い。何だか、第三次世界大戦のきっかけがどちらに成るかの賭けのオッズ比はイスラエルがかなり低い。

 と、ここまでの極めて大雑把な歴史のおさらいを終えて、求めうる解決法は何だろうと考えた。余りにも多次元方程式となる数学的手法は効果的、とは思えない。江戸時代の大岡裁き的頓智はどうか ・・・ などと私は右往左往するしかできません。ましてや、もし体に健脚が戻れば、何処かで人がいっぱいプラカードを掲げてシュプレヒコールを上げている後ろについていったら、「人道」とは別の抗議集会だったなんてことに成りそうだから、家で更なる読書と思索を重ねて、何かを生み出すことに励むことにしよう。

  まあまあと裁きに入り追い出され  三 竿
   パレスチナ人道ロウム


11月1日(水ようび)   晩秋にしては

 このあたりの紅葉の進み具合は余りまだ進んでいないが、矢張り暑さが10月まで続いたからだろうか。それでも樹々の葉はいくらか夏の盛りの頃よりは、緑の輝きがくすんだ感じはする。

 そして、明日はまた夏日になりそうな気配であるという。我々人間乃至哺乳類には、朝夕は涼しさも増した気温を味わっているから好いものの、植物にとっては、花の狂い咲きとかしちゃって調子が狂った思いをしているかもしれない。そんなこんなで、11月を迎えた。

 今年もあと二か月を残すのみとなった。

  うとうととしているうちに霜月へ  三 竿
   ♪ ここはお国を何百里 離れて遠き晩秋