Room5   2017年1月9日  正月三ケ日

 平成29年の正月三ケ日は、穏やかな陽差しに恵まれて無事終えました。とても目出度い気持になります。でも正月を何故目出度いと日本人は思うのでしょうか。これから始まる一年を幸せに過ごすことを先読みしておめでたい事です、と感謝する気持ちになるのでしょうか。

 正月はあちらの神社、こちらのお寺へと初詣に出かけ、神様仏様と見(まみ)えてきた清々しい気持ちになって目出度き日を過ごせることに喜びと幸福を感じるからでしょうか。すべての大人にとって、夫々の(僅かな例外を除いて)楽しかった昔の日々を想いおこして呉れます。子供にとっては、お年玉を貰えてこれこそ嬉しい事と思うのは判ります。

 お正月に食べるお節料理には、縁起を担いで幸先の良い今年の行く末を演出するものがいっぱい出てきます。ただ単においしいと思うだけでなく、満たされた思いにさせられる食事ですが、これを祝い膳と言って格段に高い言葉で表わしているのも日本人の前向きな気質をよく現わしていると言えます。

 三越伊勢丹ホールディングスの大西洋社長がこんな発言をしました。「2018年から、主要店舗で正月三が日は休業し、4日からの営業とすることを検討する。現在は元日に休み、一部の店は2日から、多くの店は3日から営業している。正月の休日を増やし、従業員の働く環境に配慮する狙いがある」

 昔に回帰する −−− そんな意志を持った発言だと思います。

 大型商業施設が今では元旦から三ケ日も休まずに営業している現在では、異例の発言です。無休がいつごろから当たり前なって行ったかは今では定かではないのですが、定着してからはもう優に20年以上は経ったでしょうか。年の初めから家庭の団欒の時間に割り込んだ感のある商習慣になって居ます。

 この百貨店の社長のお名前がユニークです。TAISEIYOUさん?と思わせようとした親の気持ちが感じられますが、名前にたがわず大物になりました。良いですね、正月三ケ日は日本の一般庶民は、家でくつろぎ、室内や庭や広場で、お正月の歳時として定着した遊び −−− かるた、双六、福笑い、羽根つき、独楽、凧揚げなどで過ごし、氏神様に初詣して、一族郎党が集う事が如何に人の処世に大切である事かを、この社長は呼びかけているのかもしれないと思いました。

 日本人は一年の初めから、穏やかで和気あいあいとして過ごす生活から始めて、折あるごとに親族家族、或いは仲間が集う機会を設け、飲食遊興や演芸を中心とした文化的生活を体験して生きてきたのです。この事が如何に精神にゆとりごころを育んできた事でしょうか。これを、生き馬の目を抜くかと思われる経済活動の最前線企業のトップが大事な生活の仕方だ心の持ち方だ、と唱える熱い気持ちに感銘を受けませんか? ・・・ 私は拍手喝采したい気持ちです。

 バブルが弾けて既に四半世紀以上経ちました。その間政治家、官僚、経済界の主幹的牽引者が、日本社会の衰退を止めるべく努力をし続けてきたとは思うのですが、これは今日叶えられていない事は明白です。経済復興は果たせないままです。力が足りなかったのでしょうか。戦略を間違えたのでしょうか。もっと具体的には戦術(遣り方)を誤ったのでしょうか。或いは、世界的規模で人間の生活を変えて行った「経済発展こそ行き着くべきユートピア世界」という命題が、社会に不適合なものだったからでしょうか。

 かつて、世界史の中で覇権を獲ってきたヨーロッパの国の中で、今ではグローバル化社会から取り残されていると想像される国スペインとポルトガルは、衰退国家と言われているのでしょうか? 国民は貧困にあえいで居るのでしょうか? 伝わってこないので私たちは今、これらの国の人たちの生活内容が解りませんが、想像するに決して三等国に堕ちたと言う印象は有りません。確かに世界の潮流からは外れた印象がありますが、これは経済の発展度合いを尺度として一方向から見た情況から来ているのではないかと思います。

 国内には、自然環境と調和のとれた土木建造物、宗教、生活様式などの、多岐にわたる営みを支える文化的な遺産が多いと思いますから、キットそれを受け継いだ国民はつましい生活の中でも豊かで安定した日常を送って居るのではないでしょうか。一つに、かつての栄光の歴史を誇る国民の自信がそういう気持ちにさせている居るからだと思いますが、世界の潮流となった経済優先の政策で邁進・膨張を続ける現代世界の中で、独自の国家政策を採っているからではないでしょうか。私たちは、いまの情況の中で充分幸せな生活を送っていける、と。

 先進的知識人や専門家がこぞって、人類の発展は経済の発展をベースにして成り立つと言う基点から論を張っている現代ですから、私の考え方が的を得ていない論であると言われるかもしれません

 「いや、違う」と思いますね。幕末、開国前夜に欧米各国から日本を訪れた人は、一様に日本人の生活仕様の素晴らしさと文化レベルの高さに驚嘆しています。第一に高い識字率、そして人間として成長した精神力が二重に充ち溢れていた事を上げています。産業革命によって飛躍的に豊かになった欧米各国は、未開世界に向って植民地政策を以て進出していた時代に在って立派に対峙しうる、自分たちとは異なる文明国家日本に、畏敬の念すら覚えたのです。

 文明開化以降、日本の政治指導者は政策として「脱亜入欧」を掲げこれを国是として西欧文明を摂りいれて近代文明国家になる事をめざしていきました。多くの日本の文化遺産を捨てる愚を犯しながらも、しかし国民は頑なに神仏を敬う哲学を基とするしきたりは捨てずに、庶民生活に根付いた無形文化を護ってきました。当時はアメリカはまだ世界の片田舎だった時代です。

 明治以降の日本は、近代化を進めながら世界の中の強国に成る、という目的を基に置いて大きな過ちを犯すべく膨張した国家に成りました。そしてその望みは第二次大戦で完膚なきまでの国体の崩壊で泡と消えてしまいました。そして日本は反省して、平和国家を創りあげる、という反戦の旗を織りあげることにしたのです。しかし、アメリカの占領政策を経て再び経済発展を国家再興の国是として歴史を積み上げて行ったのです。しかし、官僚主導によって進められた政策に依って、文化や伝統の気風や風土景観が日本の国土と社会から次第に捨てられていく事になってしまいます。経済活性をもたらすもののために顧みられなくなったのです。

 自然環境に人の手が入り、田園や山景そして街並みが次第に変貌して行きました。交通インフラの拡充は、必要充分な度合いを大幅に超過して続けられてきました。其れと共に先進的経営理論、経済理論が机上より生まれて行きました。それらの理論に従って企業を発展させるために最も効果のある事だけが摂りいれられて行きました。不要なもの、妨げるものなどが排除されていきます。国民の生活リズムも余暇の摂り方、行事作法や子供の遊び方までも変わっていくようになりました。ゆとりが次第に失われていく状況に成りました。企業は終身雇用による人間の共同体体質をも次第に失っていきます。

 現在、会社の運動会とか社員旅行は影を潜めています。国民の組織的遊興観光習慣が壊れ、企業の中の人間関係が分断されていきました。ほかにも、大規模商業施設の地域にもたらす影響もありますが、此処で論ずるのを控えて、私たちの生活から奪われた事柄についてのみに絞って考えてみたいと思います。

 かつて、日本の自動車産業が、アメリカに工場設備を建て現地の人を雇用して生産していた時期がありました。その頃の話が、テレビで紹介されました。マツダの現地工場責任者が成功秘話を話した中に、何と、日本式の社内運動会を開催したところ −−− こういう、直接生産とは関係ない経営側指導の催しに社員の反応は鈍かったと言います。しかし、団体でチームを幾つかに振り分けた(部署単位?)ゲーム的競技に参加した社員は、夫々のメンバーが力を出し切って協調してチームごとが競い合い、最後は皆大変愉しんでいったと言います。其の後の社内の雰囲気もこれまでと打って変わり、好ましい人間関係が築かれて、生産性も上がって行ったとの事です。

 日本人の生活の中に在る昔から受け継がれてきた様々な行事には、好ましい人間関係を築く要素が必ず含まれています。大きなものでは、祭りがあり、小規模なものでは、花見などのグループが併せられ出来上がってそのエリアに混然一体感が生まれます。子供の遊びに在る仲間意識と年長児の指導とルールを経験して人間形成が成されます。季節ごとの歳時的な祭りごと −−− ひな祭りやお月見、七夕、お盆や彼岸の先祖崇拝などは、人の情操を育てていきます。全てが私には人間の精神の豊饒さを意識させて止まないものに見えるのです。

 良き人間関係は、平和な生活を送ることの基本です。そして、そういう生活を続けることは幸せな人生に必ずつながるのだと思えるのです。経済発展から得られる幸せの結果は、そろそろ先の見えてきたように思うのですが、どのように考えますか? 巷には格差社会、貧困家庭、老後破戒などとおぞましい言葉に象徴される現象が多く現われています。今の社会は、このまま修正を効かせながら進んで行くことで改まるかどうか判りません。しかし、牽引する人自身に改善の意志が在る様には思えません。自己の欲求をますます強めて進んで行くだろうと思います。

 国民の意識が次第に変わり、うねりになって社会を変えていくしかないのです。その中で初めに書いた三越伊勢丹ホールディングスの大西洋社長の提案は、大切です。懐古ではない、ルネッサンスです。その意識をあちらこちらから湧かせていけば日本は変わる、いや民族の目覚めが訪れ、再び良き社会を築く知恵をつけて社会を変えていく事が出来ると思います。劇的変貌は興りえないでしょうしそのようなものでは軋轢も生じて実現は難しいでしょう。静かに進んでいく事でしょう。今の世代の人の世では叶えられないかもしれません。未来に与えられるかもしれません。昔の人は、「国家100年の計」と言って気を雄大に構えて進めて行ったのです。日本人の文明は、江戸時代の260年で頂点を迎えて終わった、のでは恥ずかしいではないでしょうか。

 ここで締めくくりとして書いて置きしておきたい事があります。

 @ 今回のテーマについて書き始めたのは、1月4日でした。そして、7日には書き終えアップロードするつもりで居ましたが、まとめられないで遅れてしまいました。

 A 本日9日の朝のテレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」が、こんな視聴者アンケートを採っていました。

 正月に書入れ時になる外食産業などに働くアルバイト従業員は、その正月に休みを取って良いか? 結果は以下の通りでした。(特に採用時に制約条件が無いものとしての判断)

 @ 自由に取って良い   22,545件 約29%
 A 職場に協力すべき   55,666件 約71%

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