Room4   2017年1月3日  テレビが詰まらなくなった (3)

 最後に、情報番組の内容について考えてみましょう。

 情報番組は、視聴者に知識を与えるばかりでなく、知的欲求を叶える面が強いものです。例え天気予報であっても、視聴者の生活仕様や行動に影響を与えるものと為ります。そこで、言葉の選び方が大事な要素となります。誤解されるような言葉や単語などは情報の制度を落すことになります。従って、情報番組は視聴者つまり国民全体に、その内容を正しく伝えなければならないと言う責任があります。そのためには、虚飾を付けた言葉は禁句でなければなりません。政治情勢とか経済情勢を伝える、或いは論評する際には特にこの掟は守らなければ行けないと思います。

 一つの悪しき例を挙げてみます。先回の参院選選挙の結果、国会議員の構成は、衆・参両院とも自民党が過半数を占めています。その時其れまでの反自民議員数が多数を占めて居た状態を選挙の前哨段階で「ねじれ現象」と言う言葉をメデイアが盛んに使いました。自民党の恣意的な意図が反映されていたのです。マス・メディアに指示して選挙民を惑わしていったのです。更に、結果が出てからは「ねじれ現象が解消された」、という言葉も使いました。

 「ねじれ現象」とは、無理な状態、良くない状態という意味を連想させます。本来、国会の正しい議員数の在り方、つまり一党独走にブレーキの掛かる与・野党拮抗状況こそ正常な姿であるのですが、その状態を壊す目的で使ったから、錯覚を選挙民に与えて投票に向かわせた事になってしまったのです。その結果の今の日本は自民党独裁政権の政治体制に成りました。

 独裁政権の宰相は、彼個人の強い価値観をも持っています。かつてのナチスドイツのヒトラーは、ユダヤ人迫害でした。更に、独裁政権は、それを支える裾野の拡大を測り、安定的な立場を確立して行きます。一党独裁政党になった今の阿倍政権は、着々とその傾向で権力を行使しています。既にマス・メディアは、政権の広報の役目も担ってしまっています。本来のメディアの使命は、色あせてしまいました。人事権、許認可権などを集中して持つ権力は、逆らう相手を圧迫しますから、むしろ民主主義の根幹をもなぎ倒すほどの驀進をしていきます。

 既にテレビの情報番組の中身は、随所に政権のプロパガンダがにじみ出ているのです。政権に批判的な評論家や番組担当者は、次々と更迭されてきました。これを目の当たりに視た視聴者には、今の情報番組では政治、世情、経済、国際情勢で流される内容を全面的に信用する気は起きないでいると思います。これは、糞忌々しい思いになると言う事です。或いは、憂いのみ湧いてくるのです、既に詰らない、を通り越しているのです。

 更には、自民党所属の議員の活動や発言の中で、由々しき問題を露呈してもお咎めもないまま終わらせている状況に、マス・メディアが追及しないでいる事を視聴者は失望して見ています。更にテレビ画面は、詭弁を使って正当性を語る当人や首相、官房長官の白々しい態度を垂れ流しているだけです。更に今のテレビはワイドショーなどでこれらを取り扱
う際、多くの評論家や専門家に解説させたり批評を述べさせますが、多くの視聴者の怒りが沸騰するところまで踏み込むに至ることは有りません。

 今の世の様々な姿 −−− 原発再稼働の流れ、沖縄の基地問題、中東の混乱等々を見るにつけ精神衛生上好ましくないと思うからなるべく遠ざかりたい、という思いが実は最も大きな理由で在るのかもしれません。

 Room1からR00m3に渡って述べてきた事は、果たして、今のテレビ放映に対して私はどこまで広く、そして深く論評できたでしょうか。細かいデータとか分析の為された参考情報もあまり使わずに書いてきただけに、あくまで個人的な感想に留まったものであったかと思います。

 【あとがき】 いろいろ書いてきたが、それでも私はこれからもテレビを観続けて行きます。選んで良い番組を見つければ良いのだから。

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