愛の風景

 男と女がお互いに惹き合う諸々の姿について考えた。

 先ずは、自分が現実に今体験している話。或る酒類量販店のハイティーンの女性店員に、ぽ〜としている。というのもしっとりとした印象のある応対で、お客さんに接している仕草が愛らしくてグッと来るから。

 何だ、若い女性に古風な女性イメージを求めているだけなのか。ところが顔立ちがいい。これはもう美的好みの基がこちらにあって、当(まさ)にその願望にピタッと当てはまる容姿なんだから、気持に逆らえない。

 今、彼女は学業中の様子で、何故かここ数ヶ月お店に出勤していなかった。受験勉強をしていたらしい。以前風邪を押してレジに立っていたので、労わって上げた事が有り、少し彼女のプライベートな面なども聞かされている。先日久しぶりの“再会”と成った時も、こちらの顔を憶えている様子だった。 

 ぽ〜・・・何にも言えないで居た。目と目の会話が僕には味わえたと想うのだが、どうだったのか。新たな進展は客観的に起こることは無いと思う。僕と、その女の子とはどんな間柄がよいのだろう。「客以上、付き合い未満」

 つまり。自分の創った川柳にこんなのがある。

   若い子が 見る存在で足りてくる  三竿


   A 恋に疲れた女がひとり

 ♪京都大原三千院
  恋に疲れたおんなが
  ひとり
   ・・・
   歌謡曲『女ひとり』 作詞:永六輔氏

 この歌詞の“女の恋”は、憑かれた恋である、と解釈すべきだと一部に議論が在ったらしい。

 或る恋に破れた女心を、どうしても記憶しておかなければいけないという女性が、私の心に存在しています。この女性の失恋の話を此処で語れば、どう言ってみても私が他人の悲恋を語ることになって、気の毒なのだが語らずには居られないのです。偶然、本人に読んで頂けたとしたら、出来得れば、「私が体験した事に似た話」と寛容に取って頂けるものであって欲しい。かつ第三者には、其の女性の失恋の悲しみが身に染みて伝わり、痛みを共有して頂ける事を願って著したい。私の筆力の至らなさで不快に仕上がったとしたら、ご勘弁下さい。

 どうしてこうなってしまったんだろう?と、呟きながら彼女は恋に破れ故郷に戻ったと思う。そして故郷の空気をどんな気持で呼吸したろうか。自分の愚かさに打ちひしがれ、心から悔やんだだろうと想像されます。ひとりの男性を想い続けて、長い茨の道も幾山河、彼に両手をしっかりと掴んで貰い、胸に飛び込む其の瞬間に、自身を破局に突き落としてしまった自分の正直さの何がいけないのか。

 私より2歳年上の、楚々とした美人でした。地方から上京して、アパートに姉と二人住まいで暮らすOL姉妹の妹でした。しばらくして、姉は職場の有能な技術者と結婚しました。

 姉の居なくなった独りきりの部屋で妹は、真剣に自分の恋を結婚に向けて、気持から行動へ移して行く決意を持ったと思います。私の周りからその様な話が聞こえてくる。私と彼女は職場の同僚でした。そして彼女が思いを寄せる男性も、同じ職場の、俳優・高倉健のような物静かな人だった。軽き存在の自分であったけれど、次第に彼女に自分の気持を訴え、晩秋の頃、手袋をプレゼントした事がありました。静かに受け取っては貰えたのですが、何か、一歩自分が彼女の心に入ったという実感が無い。彼女の中に其の時、自分が追う男性がひとり、自分を追ってくる男性が二人存在することになったのです。

 程なくして、彼女の望んでいた恋は実るかと思われました。渡したプレゼントは包装紙が解かれた様子もなく、私に直接彼女の手から戻されました。私の方は静かに身を引くことになったのですが、もう一方でその正直な行動、逃げない態度が、彼女を危ない渕の傍に立たせてしまったのでしょうか。もう一人、彼女を追いかけた男にも、恐らく彼女は別れ話を切り出す場を作って仕舞ったと思われます。

 そして、もうこれきりで、と身体を許してしまった、その上、そのことを婚約者となった男性に告白してしまいました。追い続け、成就し華燭の日が見えたところで、破談してしまいました。傷心の内に郷里に帰ってしまいました。

 後日私は、彼女の同性の同僚から何かの折の話で、彼女は全てをその同僚に打ち明けて都会を去って行ったと聞かされました。彼女の正直さが、強さから弱さになって現われたが故に、女の業に流されてしまったと言う。婚約者の男性には、許してあげる事が出来ない痛手なのだろうかと、その同僚自身が深く悩んだと言っていた。

 生まれ故郷の訛りがちょっと言葉に出て話す時だけ、彼女は顔が笑顔になるような女性でした。今、その女性の心の傷は癒えているだろうか。


 そのB

 中年男性社長と女性従業員と思しきカップルが、中華料理店でランチを摂っていた。場所は、自分の住む郊外のJR駅近。会社の規模は、“零細ないし小規模”と、勝手に想像してみた。オフィスを『昼休み中』として閉じて来ているかもしれない。昨今、携帯で電話受けしている事だって多いのだ。

 ちらりと垣間聴こえる内容はよくは判らないが、女性が自分の友人か誰かの話を喋って、社長が手元の皿の料理を口に運びながら、フンフンと頷くように聴いている。

 なぜ、二人の間柄を、社長と女性事務員に捉えたかというと、男性は、ネクタイ・Yシャツ姿、女性は事務服だから。その会社を、企業相手のデザイン系とか、街の広告代理店が業務形態くらいかと設定とした。

 さてこの二人、「魚心に水心」、或いは「以心伝心」、はたまた、暫らくは社長対女子従業員だった間柄が、ある日ある晩「出会い頭の出来心 → Go To ラヴホテル」で男と女の間柄になってしまったのではないか−−−雰囲気が、夫婦でもないのに明け透けで所帯やつれみたいな退廃さが見て取れるのだ。

 自分も勤めていた幾つかの職場で、こういう上司対部下で成り立つカップルを、切り抜き記録帳が出来上がるほど視て来ている。不倫と言う言葉が恥かしくなるほど周りに気遣いをしていないという態度が、これらの人種に共通していた。二人が将来に亘(わた)って関係が続いていくとは考えにくい。しかし案外解消となる時の深刻な修羅場は、これまた想像しなくても良さそうだ。何せ、全愛情をそれぞれぶつけての恋とは言い難いものがあるからだと思う。

 そのC

 お大尽はその点、振る舞いが少し違うようだ。別ページに載せた『Theatre』にも書いたアラカンがそう言うタイプ。

 男冥利に尽くほどに、女の肉体と心に内在する宝物を目いっぱい得ている人物の事だ。この関わりには女性もその男を女の全てで受け止め、尽くし、愛する。

 各界の著名な成功者などの中から多く排出している。金と名誉と心意気の三拍子、或いはフェミニストで男前であるとか、いくつもの条件を整えられる男は、それほど多くない。だからその相方の女性だって、一級品であることが多い。

 こんな男を自分は若い時、身近に見てきている。これもやはり別ページ『忘れえぬ人』に偉人として描いている。

 彼は儒教の国の人。人との関わりを、とても重んじる所があります。自分の女とした後に彼女の一族への様々な敬いや援助を果たす事にも力を注いで居ました。その女性本人から、偽りでは無いと確信できる話として聞かされたのです。

 かの怪物許永中もそういう一面を持っていたと言う。経済刑事犯罪人も自分の愛した女性達の親族に対して、社会性・経済性に多くの援助を与えたという話を、週刊誌の記事で読んだ記憶があります。

 彼らにとって、“女”は征服すると同時に庇護すべき存在であったと言う事なのか?


 そのD

 随分前、通勤で都心へ向う電車を待つホームに独り、若い女性が人を待っている風情で佇んでいる姿を幾度も目撃した。なにやら寂しげ。暫らくすると、女性の待っていた人が現われる。年齢差10歳以上は確実に越している男性だった。彼女の顔が、ホッと赤らみ、そして笑顔が浮かぶ。

 確実であるだろう事が幾つか浮かんだ。

 まず、女はその男を信じ切って恋している。しかし、彼女はその男の本当の姿をどれだけ知っているのか、覚束ない状態である事が予想された。女を食い物にするジゴロが居るが、その男はジゴロではないと思う。

 「待った?」  口唇術に拠ると、そんな言葉を発して彼女の手を握り、肩に手をかけると、女は彼に密着して寄りそう−−そこに電車が停車して、抱えあうように二人は乗り込んでいく。

 見るからに目立った。

 その男には、家庭があるだろうと思った。男はそれでも、彼女の夢見心地な乙女チズムの世界に棲む王子さまを振舞っているのだと自分は思ったのだ。これも善きかな。しかし、男はお遊び以上なたくらみがもしかしたら有ったかも知れないが、敢えて、夢見る女性が死にたくなるほどの不幸をもたらすことは無かったと自分は確信していた。

 そのE

 結婚数年を過ごして、或る男が久しぶりに大学時代の友人数人と酒を酌み交わした。話も私的な事に及んだ時、彼が日頃の悩みを吐露した。

 「女房とのSEXが、最近イマイチ鬱陶しく成り始めているんだ。マンネリだと思うんだけど・・・」

 その話を聞いた一同、「え〜、お前まだ細君一本でやってるの?ヘンだよ」

 自分の身の回りの話ではない。人伝えに自分が知った話だから、事実かどうかは判らない。


 男と女の『愛の風景』に、自分はまだ見ていないものが余りにも多いと思っている。冒頭の自分の逸話からしても、それははっきり覗えることだと思っている。