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  闘病記 第三節

 −闘病記 11−

  退院までカウントダウンが始まる。最後のハードルがあって、9月27日にカテーテル検査があった。治療のカテーテルと同様動脈から冠動脈に管を通し、造影剤を流して、患部を捜すという。今度は右手首、普段脈拍をとるのでお馴染みな箇所である。此処でもう一箇所の疑わしき箇所が見つかった。遅かれ早かれ、やがて詰まってしまう可能性が高い。もう一度振り出しに戻るの?早くやってくれ、兎に角早く済ませて欲しい。しかしその場は確認をするに留まり、改めてステントの挿入を後日に行なう事になった。

 そして三度目、カテーテル治療が9月30日行われた。今度は左手首から。約1時間半掛かっている。血管の分岐する辺り、先生はケロリと状況を説明してくれたが、ややこしかっただろうと思う。手首の出血防止処置は、27日とこの度の手首からのカテーテルには、3時間プラス1時間の二段階の圧迫処置で済んだ。退院は翌々日、10月2日である。もうリハビリなんてやることは無い。


 −闘病記 12−
 カテーテル治療の内容で定番と成っているのが3つほどあって、@詰まっている血栓を溶かし取り除く処置 A細くなった血管内部箇所をバルーン(風船)で膨らます Bステントという金属を敷設する。これ等を状況にあわせて複合的に患部に施す。そして血液の流れを正常に戻す。バルーンとステントは後学習によるとセットになっているようだ。心筋梗塞の病因は、血管が弾力性を失い血管内壁が体内異物を溜め込んで凸凹状態になったり、血液自体がサラサラから程遠い、川に例えれば清流が泥流になってしまい結果として、血管が詰まりその先で栄養を待っていた心臓筋肉が部分的に壊死してしまうこと、だそうです。

 心筋梗塞の全体治療としては血液と血管を改善する体質改善がある。医師の処方による薬の服用と、本人が根気良く食生活と生活習慣を健康なものにしないといけない。社会的にどんなに、清く正しく、人に慕われ、尊敬され、異性をシビレさせ、無くてはならない存在で生きていても、自分の身体に不誠実であった暁に、必ず健康体は損なわれてしまう。世に憎まれ人を泣かせて生きていこうと、自分の身体にだけは良いことをしている人は、(身体だけは)救われる。


 晴れて10月2日午前中退院。細君が付き添っただけのひっそりと入院してひっそりとした退院だった。電車で3駅、空いている席を習慣的に細君に譲ってそれをたしなめられて、ああ、まだ病人だったと自覚する。何かとこれから指図に逆らってはいけない事があるだろうな。

 最近のJRの駅では、電車がホームにある前後にも駅員を配備しない事がある。実に危険である。内規には規定していると思うから、現場の怠慢だと思う。実は私の座っている座席の近く、ドアのそばにしゃがみ込んでいる若い女性がいて、他の乗客が心配して席を空けて座らせようとしたが、崩れるように身体をあずけていた。一目に低血糖症に落ちている事が想像された。悪くすると廃人になる。ホームに着いてドアが開いたとき周囲が、救出に手分けして走る。大声で駅員を呼ぶ人やドアの閉まるのを防いだり、私もドアに腿を挟んで発車を阻止する。駅員がいない。誰かがホームの先まで走って行き、運転士に訴えている。私達が地下道を通って改札に向かう所で駅員が慌てて、駆けて行くところだった。業務日誌には如何に記載されるのだろうこの件。監査などで引っかからないように適当にうやむやに書くのかしらん。

 帰宅して、復帰記念の台所に私は立って、昼食の蕎麦を調理し始めた。再び地雷のタイムスイッチが作動した。あの痛みが襲う。喉の焼けるような、引きつるような痛みである。食事を済ませ、そのまま横になっていると台所で細君は、椅子にかけて呆然としている様子。対応が解らないのだろうか、不安に襲われているのだろうか、暫らくして病院に電話すると言う。『頼む!任せる』これしか仕様が無い。


  −闘病記 13−

 「『救急車を要請して、すぐ病院に搬送して貰って下さい』っ言われたわよ」

 つかの間の帰還だった。僅か2時間ほどの自宅滞在で、私は再び救急車に横たわり病院に舞い戻る事になった。又しても藍色の突き抜けるような空だった。前回9月17日はまだ夏の暑さが続いていた。そして更に今を遡ること約40年前の1966年9月15日。青梅街道を西荻窪から阿佐ヶ谷の河北病院に救急車で搬送された時も青い空を窓から眺めていた。あの頃は全ての緊急車輌は、全てが同じサイレンの音だったと思う。都心と多摩方面を真っ直ぐ伸びる幹線道路をすごいスピードで救急車は走った。あの日は、確か「敬老の日」が法令で定められた第1回目の年だったと思う。

 二度あることが三度となった。先ほどお別れの挨拶を交わしたばかりの主治医が待っていた。私はさすがにバツが悪かったが、相手も同様な気持以上の心理が働いているかもしれない。緊急処置室で、すぐ超音波(エコー)をかけて、冠動脈と心臓の鼓動を探る。二度目の治療を施した位置のステントのあたりに血栓が詰まっている可能性が大きいらしい。しっかりしているようで居て、患者の私が医師の発言を正確に聞き取り得たかどうかの曖昧はある。

 しかし後刻、主治医は私に2つの事を確かに言った。一つは、『身体に異物が入ったわけで、身体の抗体がそこに結集する事があって、今回のように治療箇所が再び詰まることが稀にあります』そして、『糖尿病の怖いことは、神経障害といって痛みを感ずる度合いが弱くなってしまうことがある。あの症状では貴方は、冗談なんか言ってられないはずですよ』。冗談って何を言ったのだろう。そうだ、『先生、退院のリハーサルして来ました』って顔を合わせるなり言ったように思う。

 下半身が再び晒される。おや、又足の付け根から通すのか。あの辺充分に地が固まっていないではないか。『先生、不安です』。『任せなさい、こっちはプロですよ』。男の会話は短くして信頼が成立する。これが『あたし、不安』となると、おかまの台詞になってしまう。

 この治療中、恐らく急激な血圧の低下が在ったかも知れない。意識が曖昧になり掛け、頭の中で霧笛が鳴る。横に記録を執っている看護師(?)に訴える。医師は全ては織り込み済みかの様に、処置を続けて居る。この態度でいいんだ、私は俎板の鯉である。


 −闘病記 14−

 最早、この身体は自分の精神力でコントロールできる状態では無いのだと悟った。

 心筋梗塞は冠動脈が詰まって、軽症であっても心臓機能にダメージを与える。これが脳内動脈で起これば『脳梗塞』である。日常生活でこれまで苦もなく動かす事の出来た自分の身体が、不自由になる。言いたい事も言えない人生を送らざるを得ないこともある。

 障害者のうち、中途障害者という存在があり、交通事故や落下事故、あるいは脳血管障害によって、人生の後半生で身体の自由が利かなくなった人達である。かつて私は仕事で彼らに取材をしたことがあるが、懸命に陶芸や工芸の技術を身につけ、社会的生産性を持つ事で生きがいを求めて生きている。人間はダメージを受けた肉体に、ひ弱な精神では立ち向かう事はできない。ましてケロリと克服出切るほど肉体は最早言い分けの良い相棒ではないのだ。私は幾箇所もの施設を訪問して、彼らのこの厳しい生き様を見て来た。上肢がダメに成ったら下肢で生きる。下肢がダメに成ったら上肢で生きる。両方ダメになっても、まだ頭脳がある。彼らから伝わってきたのはこの精神力だった。

 再度の発症によって、自分の心臓機能が正常な力から、どの程度落ちるかが勝負となるらしい。その結果で、サッカーしてはいけない、野球をしてはいけない、SEXしてはいけない、海外旅行をしてはいけない、サウナに入ってはいけない・・・などなど何処まで制約を受けていくのか。自分がヤルやらない、或いはやりたいやりたくないという事でなく、制約そのものに精神が落ち込んでいく事も人によっては有るのだと思う。

 再入院を期に、今度こそ身体に爆弾を抱えた自分を意識せざるを得んだろうと、私はなっていった。


 −闘病記 15−

 同じ事を繰り返すことについて。昨今のTVの報道番組を見ると私たちは同じ事をくどいほど重ねて見せられることがある。イチローの大リーグ最多安打、熊の出現、台風、地震などの災害、殺人事件、と同じ場面が各局・各(報道)番組で繰り返し見せつけられる毎に、感ずる麻痺感と同じである。

 再び集中看護室で身を横たえる。今度の足の付け根からのカテーテルは、右側一箇所からの挿入のみだった。これが前回とどれだけの差が有るか計り知れないものがあった。無傷の左足を使って腰とベッドの当たり様を本の数センチ随意に動かす事で、36時間を乗り切った。比例して、好奇心が周囲の患者ベッドに向く。殺生与奪の権利を完全に“敵”に渡してしまった人が居た。兎に角痛いらしい。鎮痛剤の投与を訴えている。もう、病魔が彼を完全に支配しているのだ。罵声を上げ、哀願し、そしてすすり泣いている。看護師が叱っている。『もう少しガマンしてね! 今、打っちゃうと後でとんでもない事になっちゃうのよ」。看護師の声も絶唱に近い。そうでもなければ患者に届かないらしい。多分、モルヒネの類か?訴えの度に一時(いっとき)の安寧を患者に与えてあげる事すら、許されない状況である。看護婦は良く「ゴメンね」と彼らに言う。逃げ場の無い重症者の苦痛を精神面だけでも共有して、『私達も痛いのよ』と伝えているのだろう、『痛いの痛いの、飛んでけー』ではもう通らないのだ。

 昨今のナイチンゲールの世界には男性の進出が著しくて、力仕事をこなす事にかけても、看護婦さんに大いに喜ばれ、受け入れられているようだ。ナースを女性名詞で“ナイチンゲール”と言うとしよう。では、男性名詞では何と言う。頭二文字を接頭語扱いとして考えてください。

 しかし、患者或いは病気に真っ向から対峙できる看護師ばかりでは無いようだ。どの職業においても、するりと力仕事や、汚い作業をよけていく人間がいる。病院内にこれらをキチンとやらない男性看護師がいることも知った。その人を同性として見るからかも知れない、気になった。本来の女性看護師には、殆どいないと思う。患者からも看護師の仕事振りは、見られているのだ。点滴の取替え、採血、食事の配膳と片付け、汚物の処理。目に入るたび彼は他の同僚にこういう仕事を極力回す努力をして勤務している。している事は、カルテなど書類に目を通したり、時々ベッド脇にきては、『何か有ったら、言って下さいネ」と愛想がいい。彼の脳波を見たい。

 舞い戻りの入院生活は11日間となりました。


 −闘病記 16−
 漢字の用い方に疑問が発生した。看護師か看護士か。どちらのShiもあるようだが、然るべき機関に伺って明らかにしておきたいと思った。結果は後にこのサイトで、自分なりに理解した内容を表したい。

 載帽式の荘厳で神聖な映像を見たことがある。現世(うつしよ)へ胎内から誕生する時のような感動があった。国を守るための男のそれに匹敵する女性の『出陣の儀式』と思う。自分は医療の現場に彼女達が立ち、患者、更には病苦に向き合う姿に、更に美しく、尊いものを感じる。初心・或いは理想がいつまでも彼女達の心に燈り続けていると思った。暖かいのだ。天与の仕事だと思う。

 たった今でも、我儘で身勝手な言動を彼女達の前で振舞った事を謝りたい、と振り返って反省していることが二つある。その一つがリハビリのもどかしさを結果的に看護婦さんにぶつけてしまった事。一日たった一つのリハビリメニューをクリアできれば、勝手に「あれはどうして出来ないの?これはやってはいけないの?(どうすりゃ良いのさこのからだ)」とせっかちに責めた。ユックリズム、スロームードが出来ない患者になっていました。せっかちな人間の前に立つ人は、自分が責められているように感じるということが考えてみると良く解る。もう一つは、うんざりするほどの点滴のチューブからの開放の光が見えてくると、カウントダウンが始まり、そしてとうとう最後の点滴の薬が空になって私の手から点滴用の針が外された時、頭の中で花火が打ち上げられる光景になって喜ぶ。自分の意思に取り戻した手を、ぐるぐる回したりする。2度目の入院の後半、その解放後にあった。その時、点滴液の袋を持ってやって来た看護師が「おやッ」と言う顔をした。「えッ、まだあるの。もうお仕舞いといわれましたよ」 ・・・ 「後、抗生剤を一つ入れる事になっています」

 この連絡ミス、或いは先ほどの看護婦の思い違いが在ったとしても、内容によっては自分が拒否した所で、意味が無いということが分らなかった。私は、「手を差し出したくない!」と頑ななふるまいをしてしまった。別な看護婦に入れ替わっても、「もう終わったと思っている気持が崩れるようで耐えられない」と言って、点滴を拒否してしまった。看護婦は下がり、その後私は深い後悔をした。暫らく時間がたって、謝ろうと、ナースステーションに行った。医師に電話で状況の説明と指示を仰いでいるところだった。最早、この私の落ち込みを見てこのストレス状態のほうが、よくないのだと言われる。私のカルテに大きな汚点が記されたと思う。

 本章で、闘病記は最終となりました。 続いてエピローグを、日を空けて幾日かして後に掲載します。

   −−2007年3月11日 稿了−−

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