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  闘病記 第二節

 −闘病記 6−

 私は、今回の心筋梗塞に至るこの4年ほど、過信という自分の肉体に対する誤認識を悔やんでいる。そして過去10年以上にわたる過食を省みて深く自分の身の嘆きに耳を傾けている。今は素直になって自分の体の言い分を聞いている。肉体あっての人生なのだ。これからの人生にはこの反省だけは忘れてはいけないだろう。

 既に遅いと言うことは当てはまらない。病室のベッドで安静状態にいた時、肉体的苦痛と言えば腰の筋肉痛以外に何もない、ひたすら24時間プラス12時間、拘束された身が開放されるのを待っていた。殆どその事だけが今、記憶に残っている。両足付け根は、動脈から針を外した後血液が血管から漏れないように、可也な力で圧迫を加えなければならない。人の手で12時間加減を見ながらこれが出来れば言うことは無いが、これは無理と言うもの、版画のバレンを充てる感じ。但し擦らないでその上からゴム繊維の入ったベルトを下腹部と太ももに巻く。やはり寝ていて膝は折ってはいけない。伊勢海老とか、ロブスターが店先で、はさみを縛られて発泡スチロールや水槽の中に押し込まれて売られている。『エビさん、カニさん、辛かろう』、こんな残虐な拘束を今自分が受けているのだ。でもこれだけで大きな回復へのステップだと思えば、この特殊な経験にも感激してしまうのである。

 外の明かりがベッドの位置から確認できない。今何時か、この必要性はない。只、拘束からの開放へカウントダウン---あと少し、あと少し。そして、24時間後(多分)の食事が再開。『お父さん食事が出来たわよ』『済まないねェ』『それは言わない約束でしょ』とかイメージして、重湯かおかゆを想像していたのが、出てきた食事が正直驚いた。

 ・豚肉 ・おでん(大根、ちくわ、焼豆腐) ・きゅうりと蕪の酢漬け ・“らくのみ”に入った具の無い味噌汁、それにおにぎり2個とリンゴ3切れ。これを寝たまま上を向いたまま食べるのだ。だからおかずは全て串に刺した焼き鳥状態、おにぎりは、フォークを刺して口に運ぶようにする。自分は、以前身体障害者施設に一時期臨時に籍を置いて仕事をしていた。そこで利用者と昼食を一緒にしたことがあった。障害の程度によって、やはり味噌汁をストローで飲むという苦労をしている人が居た。コップにストローを差し込むだけでも、時間が掛かる。健常者は、常に自分よりも一歩も二歩も後ろを歩んで不自由な日常生活を送っている人が居ることを偶 (たま)に意識してみてはどうだろうか。

 少しづつ身体の自由が利くに従い、見舞いに来る細君にあれこれと要求がでてくる。

 −闘病記 7−

 世の中全てに言える事だが、世代交代があらゆる現場、さまざまな権力の司令塔で起きているようだ。例えば芥川賞の選考から、発表・出版に至る一連のイベントについて当時私が或るメル友に送った感想が在って、こんな具合に言っている。引用してみる。

 【・・・芥川賞。出版界のやむを得ぬ戦略のにおいが感じられました。特に、雑誌『文藝春秋』への掲載に先立ち、2作を単行本でまず発刊し、その後で、雑誌に掲載して、重複的に発売して雑誌の方は100万部超の売り上げだそうですね。

 これはTV番組で、CFをはさんで、同じ内容が前後で繰り返されたり、一見視聴者サービスを謳う振りの“まやかし”に似ている」と言ったら言いすぎでしょうか。

 オッと、内容ですが選考自体がやはり若者への迎合ではないか?との感想が湧いています。「蛇にピアス」は、最後のところで“アマ”の扱い方がちょっと残念でした。「蹴りたい背中」の文章はいいですね。内容は、若者には日常の感覚にあるものだから『ウン、ウン、』と頷き、オジさんたちには『参ったネ』という軽さなんです。と私は変に納得しています。

 授賞式の模様がTVで流れた時の作者二人のコーディネートや、表情の映り方から、これまでの流れ全体が、今回の受賞セレモニーがひとつのプロデュースされたもののようにも感じられます。凄いですねこれも。この辺をリードしているのは、30歳台の、それも女性を多く含んだ世代である、『間違いない!』と思っています。

 大分独断が入っていると思いますが。】

 ・・・・これが送ったメールの内容です。

 私がこれまでに通院していた病院と、今入院している病院との圧倒的違いは、医師、看護師、医療機器エンジニア等スタッフの世代の違いであった。若い。兎に角、今の先端医学の知識、技術は彼らスタッフが常にアグレッシヴなチャレンジをし続けていかなければ習得できない。ここではなくて、何処かの医療施設でオペルームで私が受けるとして、治療機器とその技術を扱う医療従事者全ての人がもし、従来の経験だけでことにあたっていたら、自分はどうなっていただろう、イヤ、有効な処置を受けることも出来なかったかもしれない。私の足の付け根から、動脈の中をワイヤーなのかチューブなのかがどんどん遡って行って、心臓に栄養を送る血管の末端(冠動脈)にまで行って治療して帰ってくる治療なのだ。“ミクロの決死圏”だったのである。(カテーテル治療の歴史はどれほどのものだろう、私の兄が確か20年位前に受けてはいる)

 誤解をしないで理解して頂きたい。私はベテラン医師に身を委ねるのは確かに安心があるのだが、しかし今後手術や治療を受ける時は、例え事例・経験がまだ浅いという若い医師に精一杯力を発揮して頂いた方が良いのではないか、と思っている。彼らの運動神経、状況ごとの対応力、知識・情報、素直さ、生活の柔軟性などが良いほうに想像できるから。私に就いてくれた医師が、正に30代前半だ。勤務明けで私服に着替えて、私の許に経過を見に挨拶に来た時の服装が意外だった。短パンツにベンハー・サンダルのような履物に、メーカーロゴの入ったリュック姿で入って来たのだ。

 「どう、具合?」
 
 ベッドを離れる彼の後姿に、私はベッドから手を振ってしまった。


 −闘病記 8−

 「私の病状は治療によって快癒する」という確信はそのまま、幾重にも重なっている不自由、不具合、苦痛が時が過ぎるごとにふわりふわりと一枚、また一枚と剥がれていって心を軽くしていった。おしっこは尿瓶(しびん)に放出可能となった。チューブが一つはずれた。久々の放尿感を大いなる開放感として満喫できた。ベットからの離床はまだ不可能だったが膝の屈伸いいですよ、と看護師さんに言われてむしろ、そろりそろりの慎重さでしか試みることが出来ない。リハビリの第一ステップはベットの中で自力で上半身を約5分起こして、心電図に異常が無いかを調べる。それがクリアされて、やっと食べたものがのどを縦に下すことが可能となる。ご馳走はやはり横目で見るのではなく、上から眺めて初めて「しあわせェ〜」と成ります。これって、当たり前が蘇る事なんだ。

 さて、自分の顔を2・3日見てない、鏡が要る。ラジオを聴いて暇つぶししなければイカンだろ。とそろそろあれこれ生活必需品を思い浮かべて、メモする。一番迷ったのが読み本だった。娯楽か?スキルアップか?はたまた癒し系か?そして次にそれを細君に伝える際の、意思疎通が少し手間取る。

 性格と言うものは中々改まらないとつくづく思う。「あの事はどうするか、この事はこうしたほうが良い」と自分はどちらかと言うと几帳面に物事を判断しないと落ち着かない。人に対する評価もそう。そのくせ、ケロッと途中で変心したりする。それに合わせて一緒に着いて来る相棒があきれたり憤慨したりする事も多かった。さすがに長年付き合ってきた細君は、適当に咀嚼、改定を加え、うまい具合に行き届いたフォローをしてくれる。『伴侶は偉大なホスピタル』

 医療確認すると、点滴チューブは1本になった(但し幾袋かがぶらさがって、合流ブレンドされて血管に入っていく)、心電図の吸盤、これがワイヤレス発信式に変わった、鼻に酸素チューブ、以上。血圧測定等は、看護師の巡回時の検査になりました。もう峠は越えました。リハビリは1日一歩、3日で三歩、と進む。私的には3日で十歩で行って欲しいなァ。

 −闘病記 9−

 入院が長期にわたる−−−例えば、骨折などの外科病棟では部屋の中で患者同士の交友が生じる。私がかつて脊椎圧迫骨折で入院した際は、8週間同じ病室の、廊下側から一度だけ窓際に移ったのみで、その後この6人部屋の住人で暇に任せた雑談の花が咲いた。たいていがお互いの職業の披露から、事故った時の状況の説明、それ以上は相性によって、個人的な進展にすすむ事もあった。共通して、ある期間を過ぎれば、退屈な時間と体を持て余していく。時に、体育会系の若者に至っては、夕食後に外出して、とんかつなど食って帰ってきたりする。「キミ、病院の食事って前菜?」 目元などほんのり桜色だね、松葉杖が千鳥足してませんか?

 内科病室は悲痛な状況だと思う。見た目にも、様々なチューブに繋がれ、痩せ枯れた足などを曲げたり伸ばしたりしながら、夜となく昼となく体液をのどから飛ばしながら咳をしている人、地獄の渕で這い回るように呻いている人もいる。哀願の言葉を発している人。そして看護師が時に鎮静剤か、睡眠剤か注射したのだろう、いびきをかき始める。集中看護室とはその様な重症者のご一行部屋なのだ。

 私は入院3日め、リハビリ第一段階をクリアした段階で、一般病室に進級した。今度は8人部屋、この部屋に二日滞在して退院まで第三の部屋へと移動していく。この移動の訳が解せなかったが、まあ、看護に手落ちさえなければいいでしょう。うちの細君は戸惑ったようだ。楽しみは、三度の食事に勝るものは無い。腹6分の量である。一品ごとの糧を心で合掌して頂く如く、噛みしめながら飲み下す。入院期間を通し、私は補食は全くしなかった。体重は75キロ台から70キロ台、6キロほどの減量を果たす事に成った。有り難いことです。退院後は、今度は自分でしっかりコントロールして、現状維持乃至、更なる減量に向かって行こうと誓う。

 リハビリの進展が歯がゆい。第二ステップは、ベットを降りてその場で直立5分。次が室内10メートル歩行。部屋の入口から奥へ窓際まで行って、帰ってくるまでで終了。それからやっと廊下に出て50メートルの歩行、それからそれから、100メートル。一日ワンステップアップでこなして行くのだ。これを開始前、終了後に看護師が心電図の記録を出してドクターが後で見て、はな〇合格を頂いたことを報告してくれる。なに、看護師だって心電図くらい判定できる。「大丈夫みたいね」等と言っては手を取り合って喜び合(・・・ってほしい)

 ひげがぼうぼうと伸びている。 “ひげ”にいくつかの漢字がある。髭・髯・鬚。さて、今回は何処を存続させようかな?

 −闘病記 10−

 入院5日目か、6日目か位たってリハビリで100メートル歩行を経た前後に、同時に3つの拘束が解除された。点滴が腕から去った。入浴OK(1日目にシャワーのみ、翌日湯船可)と、病院施設内行動自由を勝ち取った。尿瓶、ポータブルトイレ(おまる)は前日にベッド脇から取り払われた。天敵が腕から外れた事の開放感は大きい。点滴台を引きずって歩いている光景を詠った川柳に、こんなのがあったように思う。

 『点滴台 花子と呼んで 連れ歩く ・詠み人知らず』。

 世界が明るくなっていくじゃああ〜りませんか。病気の回復期は昔に比べて変革している。集中治療に伴って日進月歩の変化が自分の身体にも訪れて、メキメキと行動的に成っていく。最初にしたことのうちの一つとして、仕事関係に公衆電話から経過報告をした。律儀なんだ私は。但し若干の作戦があって、連絡を控える筋のものも無論あった。人は斯くも社会性を捨てられない生き物なのだ。

 朝9時に、新聞売りの人が部屋まで来てくれるのでこれを買う。かつ、自宅で購読している新聞を細君に持ってきてもらう。今、その内容を言えと攻められても『ハテ、何だったっけ』。正に♪三日前の古新聞、読む気が有ったら買っとくれ、トコトンのヤットントン。食事が済んだトレーを配膳車に自分で戻すことも出来るようになりました。

 病院の側から入院患者を見てケース別にどのような括り方をしてランクとかレベルなどに仕分けしているのか、想像してみる。あくまで現実と一致しているかは保障できない。自分のおかれている状況を客観的に理解しうるか、うっすらと試みた訳である。

@助平な患者・・・その筋のアダルトサイトやエロ本や何かで洗脳されている人が居るかも知れない。映画『マルサの女』は、末期がんの老人が看護婦の乳を吸っていた。スケベ心を篭絡されるシーンで始まっていました。多少の傾向は、回復への原動力になるかもしれないのだから人(患者)はスケベ度ゼロは如何なものか。

A治療費などお金の心配をしている患者・・・私のことです。

B会社の自分の立場を心配する患者・・・脊椎圧迫骨折八週間の入院の際、私も焦りました。

C検査数字や体調のチョットした異常や変動に反応しすぎる患者・・・そのつど看護師に訴えていると思う。それ自体、患者の心理として解るがその先看護師を信頼しないと嫌がられるだろうな。

D手術、施術に怯えておかしくなりそうな患者・・・可愛想にとしか私は言えません。

E所在不明になりがちな患者・・・看護師さん、困るだろうきっと。

Fほっといて大丈夫、または勝手にさせとく患者・・・よく言えば本人は状況をしっかり見つめ、自己管理をしているつもりだろうか、自分にこの傾向が少し有ったと思う。

G医学的に見て、兎に角容態に目が離せない患者・・・親族が廊下に長いこと待機したり、担当医師のみならず、当直医師も駆けつけたり。入院当初自分が最初に運ばれていたルーム(集中看護室)や集中治療室などでは患者と医療従事者には、夜も日も晴れも台風も曜日も、埒外の世界であります。

 @からGで不足があるかもしれない。尚、何ら意味的順位を意識しているわけでもない  続く

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