59:【雲姻過眼】 出典:蘇軾・宝絵堂記 |
《 意味 》
物事に執着しない事。物事に深く心をとめおかないことを、雲やもやが目の前を通り過ぎていくさまにたとえたもの。「姻」は、「煙」の異体字で、もやの意。「雲姻」は「姻雲」とも書く。
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《 訳文 》
(わたしはすばらしい書や絵に出会うと、時としてこれを求めたりするが、しかしながら、他人に持っていかれたとしても、これを惜しんだりしない。)わたしにとってそれらのものは、もやや雲がたちまち目の前を通り過ぎ、さまざまな鳥の声がふと耳をよぎるようなものである。だが、どうしてもすばらしい書や画に巡り会ったときに、喜んでこれらに接しないことがあろうか。しかし、これらのものでも一度手元から離れてしまえば、もうそれまでのことである。
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《 原文 》
譬之姻雲之過眼、百鳥之感耳。豈不欣然接之。去而不復念也
これを姻雲の眼を過ぎ、百鳥の耳に感ずるに譬う。豈に欣然としてこれに接せざらんや。去れば而ち復た念わざるなり。
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◎ 一言多い解説
「「こだわりを失くせ」という事。女房を寝取られようが、泥棒に金品を盗まれようが ・・・ (欲しかったらまた手に入れればよい)
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