300【四面楚歌】 出典・史記・項羽本紀
《 意味 》

 まわり中が敵であること。一人の味方もいないこと。四方を敵に囲まれ、孤立無援な状況のたとえ。「楚歌」は楚の国(今の湖南省周辺だが、中南部中国を指すことが多い)で歌われる歌
 
《 訳文 》

 (秦を滅ぼしたのち、楚王項羽と漢王劉邦が、中国の覇権を争った。長い戦いの末、項羽は次第に追い詰められ、垓下がいか)という町にたてこもった)。項羽の軍は垓下に城壁を築いた。兵力は少なく、食料もなくなっていた。漢の軍や諸侯の軍が、この城を幾重にも包囲した。夜になって、項羽は漢の軍が四方で皆楚の国の歌を歌っているのを聞き、驚いて言った「漢はもうわたしの領土である楚の国を全部占領してしまったのか。なんと楚の人が多いことしか

 
《 原文 》

 項王軍壁垓下。兵少食尽。漢軍及諸侯兵囲、之数重。夜聞漢軍四面皆楚歌、項王乃大驚曰、漢皆已得楚乎。是何楚人之多也

 項王の軍、垓下にへき)す。兵少なく食尽く。漢軍及び諸侯の兵、これを囲むこと数重すうちょう)。夜、漢軍の四面に皆楚歌するを聞き、項王すなわ)ち大いに驚きて曰く、漢皆すで)に楚を得たるか。是何ぞ楚人の多き也

《一言多い解説》

 これまで、楚歌が城を囲んでいる敵の劉邦軍の国の歌と解釈していた。なるほど、自分の治めていた領民が私の敵として周りを囲んでいると判断したら、確かにくじける