250【胡蝶の夢】 出典・荘子・斉物論 |
《 意味 》
現実と夢とが混じり合い、何が現実で何が夢かをにわかには区別しがたいこと
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《 訳文 》
かつて、荘周(荘子)は自分が蝶になった夢を見た。ひらひらとのびやかに飛び回り、まがうことなく蝶であった。自由自在に楽しく、自分が荘周であるなどとは少しも考えなかった。ところが、ふと目が覚めてみると、自分は紛れもなく荘周であった。いったい夢の中で荘周が蝶になったのであろうか、それとも蝶が荘周となっているのであろうか
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《 原文 》
昔者、荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、則遽遽然周也。不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与
昔者、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適えるか。周なるを知らざるなり。俄然として覚むれば、則ち遽遽然として周なり。周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るかを知らず
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《一言多い解説》
そのまま現実に戻らなければ、脳の病。時に本人が演技しているかも
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