248【古人の糟魄】 出典・荘子・天道 |
《 意味 》
古の聖人が求めた道の神髄や物事の極意は、言葉や書物だけでは伝えられないので、残されている言葉や書物は、かすにすぎないという老荘流の考え方をいう。学問や書物を否定する語。「魄」は「粕」とも書き、酒かすの意
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《 訳文 》
(斉の桓公が堂の上で書物を読んでいた。車輪づくりの扁が堂の下で車の輪を作っていたが、椎と鑿とを置いて堂に上って、桓公に尋ねた。「お尋ねしますが、ご主君の読んでおらられるのは、どんな言葉ですか」)桓公が言った。「聖人の言葉だよ。」「聖人は生きていますか。」「もう死んでおられる。」扁は言った。「それでは、ご主君の読んでおられるのは、個人の残りかすではありませんか」
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《 原文 》
公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、己死矣。曰、然則君之所読者、古人之糟魄己夫
公曰く、聖人の言り、と。曰く、聖人在りや、と。公曰く、己に死せり、と。曰く、然らば則ち君の読む所の者は、古人の糟魄のみ、と
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《一言多い解説》
扁の言った事は偏見か?
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