244【五十歩百歩】 出典・孟子・梁恵王 |
《 意味 》
たいして違いがない。本質的な相違はない。戦場で、五十歩逃げた者も百歩逃げた者も、逃げたという点では変わりがなく、ただ、わずかな距離の差があるに過ぎないという意味。
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《 訳文 》
(梁の恵王が孟子に、「自分は、人民に対して、いつも心を配っている。凶作の地の人民は豊作の地に移すようにしている。これほど他の国よりも善政を行っているのに、人民は自分を慕って、各地から集まって来ないのはどうしてだろう」と答えたので)、孟子は答えた。「王様は戦争がお好きだから、戦争を例えにして申し上げます。進軍の太鼓が鳴り、刀と刀が触れ合う接近戦になって、鎧兜や武器を捨て逃げ出す者が出てきて、ある者は百歩、ある者は五十歩退却して止まったとします。この時五十歩逃げた者が百歩逃げた者を、自分より臆病だと笑ったらどうでしょうか」。
王が言った。それは間違っている。百歩逃げなかったというだけで、逃げたことに変わりがない」。孟子が言った。「王様にその道理がおわかりになるのでしたら、あなたの国の人民が、隣国より多くなることをお望み煮などならないことです。(人民が苦しむのを凶作のせいにするようでは、他国の政治と大差がないのです」)
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《 原文 》
孟子対曰、王好戦。請以戦喩。瑱然鼓之、兵刃既接、棄甲曳兵而走。或百歩而後止、或五十歩而後止。以五十歩、笑百歩則何如。曰、不可。直不百歩耳。是亦走也。曰、王如知此、則無望民之多於隣国也 孟子対えて曰く、王戦いを好む。請う戦いを以て喩えん。瑱然としてこれを鼓し、兵刃既に接し、甲を棄て兵を曳きて走る。或は百歩にして後止まり、或いは五十歩にして後止まる。五十歩を以て百歩を笑わば則ち何如。と。
曰く、不可なり。亦直だ百歩ならざるのみ。これ亦た走るなり、と。曰く、王如しこれを知らざれば、則ち民の隣国より多きを望むこと無れ、と。
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《解説》
恵王が、凶作のとき、自分の米倉を開いて民を救済しようともせず、これを凶作のせいにしているのは、まだほんとうの善政とは言えず、それは人を殺して、自分のせいではなく、凶器のせいだというようなものだといって、善政(王道政治)はいかにあるべきかを説いた話である。
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