227【孔丘盗跖倶に塵埃】 出典・杜甫詩・酔時歌 |
《 意味 》
人間死んでしまえば、だれでも同じであるから、生きているうちに人生を楽しむべきである。「孔丘」は孔子。丘は名。「盗跖」は、古代の大盗賊の名
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《 訳文 》
儒教の学問など、我々に何の役にもたちはしない。聖人の孔子も大泥棒の盗跖も、死んでしまえば、同じく土やほこりになってしまうだけだ。だからといって悲しい気持ちになる必要などない。我々がここで出会ったからには、まあ、お互い杯を飲みほすことにしよう
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《 原文 》
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( 生早賦歸去來 先生早く賦せ歸去來
石田茅屋荒蒼苔 石田茅屋蒼苔に荒れん )
儒術於我何有哉 儒術我に於て何か有らんや
孔丘盜蹠倶塵埃 孔丘盜蹠倶に塵埃なり
不須聞此意慘愴 此を聞きて意慘愴なるを須いず
生前相遇且銜杯 生前相遇う且らく杯を銜まん
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《一言多い解説》
呑ん兵衛の台詞にしては良いとこ突いている
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