206【鷄口となるも牛後となるなかれ】 出典・史記蘇秦列伝 |
《 意味 》
強い勢力のあるものにつき従うより、たとえ小さくても独立したものの頭になれということ。「鷄口」は、鶏のくち、頭のこと。「牛後」は、牛の尻。一説に、「後」は「后(尻の穴とする字源説がある)」に通じるので、肛門とも言う。
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《 訳文 》
(戦国時代、蘇秦は各国をまわって、それぞれの国が同盟すべきだという政策を説いた。韓の国へ行き、宣恵王に、韓は強国で、王は賢者なのだから、西の強国秦に屈従していてはならない。秦は韓に対して年々国の割譲を要求するだろうと説いて、さらにこう言った)。「限りある国土で、飽くなき秦の要求に応じていれば、民の恨みを買い、災いの種となることになります。戦わないうちにすでに秦に土地を削り取られてしまうでしょう。聞くところによれば、世間の言い伝えに、『鶏の口になっても、牛の尻になるな』と言います。(いつまでも秦に従属していては、牛の尻になっているのと同じで、残念ではありませんか」。そこで韓は趙など六国と同盟し、合従の策に従った。のち蘇秦は同盟の長となった。)
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《 原文 》
以有尽之地、而逆無已之求
此所謂市怨結禍者也不戦而地
已削矣臣聞鄖諺曰寧為鷄口
無為牛後
尽くる有るの地を以て、已む無きの求めを逆う。これ所謂、怨みを市い禍いを結ぶ者なり。戦わずして地已に削られん。臣聞く、鄖諺に曰く、寧ろ鷄口と為るとも牛後と為る無れ、と。
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《解説》
合従は、連衡と対比して用いる。秦に対して縦(従)に六国が同盟して対抗する政策を合縦(合従)といい、秦と和を結ぶやり方を、横(衡)に連盟するという意味で連横(連衡)といった
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