202【挂冠】 出典・後漢書・逸民列伝(逢萌) |
《 意味 》
官職を退くこと。また、官職に就かないという決意。「かいかん」とも読む。「挂」は掛けるの意。古来、中国では、官職にある者は冠をつけるのが決まりであった。冠を脱いで掛けるところから、官職を退く意となる。
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《 訳文 》
逢萌は、王莽が自分の子である王宇を殺したのを知った。そこで、友人に、「父が子を殺すなど、人倫の三つの大綱(君臣・父子・夫婦の道)を断絶したことになる。ここにぐずぐずしておれば、きっと災いが我々に降りかかるだろう」と話し、即座に冠を脱いで長安東郭の北の門柱に掛け、退官の意を表して家に帰り、一族をひきつれて海に乗り出し、遼東(遼寧省の東南部に逃れた。)
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《 原文 》
時王莽殺其子宇。萌謂友人曰、三綱絶矣。不去、禍将及人。即解冠挂東都城門帰、将家属浮海、客於遼東
時に王莽、その子宇を殺す。萌、友人に謂いて曰く、三綱絶ゆ。去らざれば、禍い将に人に及ばんとす、と。即ち冠を解き東都城門に挂けて帰り、家属を将い海に浮かんで、遼東に客たり。
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《一言多い解説》
真面目に仕えていても危険な職場は今でも在る。椅子に敷いた私物の座布団はそのままにして去る。
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