145【既往は咎めず】 出典:論語・八佾 |
《 意味 》
過去を責め立てるよりも、将来を慎むほうが大切である。「既往」は、既に過ぎ去った事柄
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《 訳文 》
魯の哀公は社の神体(神木)について孔子の弟子の宰我(宰予)に尋ねた。宰我は、(「周の時代には栗をまつりました。これは、罪を犯した者を罰するぞと、人を戦慄(栗)させたものです」とこたえた)。孔子はこのことを聞いて言われた。「してしまったことは言うまい。やりかけて今更止められないことは糾すまい。過去の事は非難すまい。(それにしても実に勝手なこじつけをしたものだ、今後は十分慎重な言動をしなければならぬ)
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《 原文 》
子聞之曰、成事不説、遂事不諫、既往不咎
子これを聞きて曰く、成事は説かず、遂事は諫めず、既往は咎
めず
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《 一言多い解説 》
斬られの与三郎 「♪ 過ぎた昔を恨むじゃないが」
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