125【画竜点睛】 出典:歴代名画記・巻七・叙歴代能画・人名梁
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《 意味 》
文章や絵画で、最も重要な箇所に手を加えて、効果を上げること。最後の大切なところに手を加え、物事を完成すること。また、わずかな加筆・加工で全体が引き立つことのたとえ。「画竜」は、竜の絵を描くこと。「点睛」は、瞳を一筆描き加えること。通常、「画竜点睛を欠く」とい句で用いられ、物事を成し遂げるのに、最後に肝心な一点を仕上げることをしなかったため、全体が不完全になってしまうことをいう。
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《 訳文 》
(南朝の梁《502~557》の張僧繇は呉中の人で、有名な画家であった)。金陵(南京)の安楽寺という寺の壁に四匹の白い竜の図を描いたが、その竜に瞳を描き入れなかった。いつも、「もし瞳を描き入れたら、この竜はすぐに飛んで行ってしまうよ」と言っていた。人々は彼がでたらめを言っていると思い、是非とも瞳を描き入れるように求めた。彼がそこで二匹だけ瞳を入れると、しばらくして雷が鳴り、稲妻が走り、壁が壊れ、瞳を描いた二匹の竜は雲に乗って天に飛び上がり行ってしまった。まだ瞳を描き入れなかった二匹の竜は今でもその寺に残っている。
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《 原文 》
又金陵安楽寺四白竜不点眼晴
毎云点晴即飛去人以為妄誕
固請点之須臾雷電破壁両竜
乗雲騰去上天二竜未点眼
者見在
又、金陵の安楽寺の四白竜は眼晴を点ぜず。毎に云う、瞳を点ずれば即ち飛び去らん、と。人を以て妄誕と為す。固く請いてこれを点ぜしむ。須臾にして雷電壁を破り、両竜雲に乗じ、騰去して天に上る。ニ竜の未だ眼を点ぜざる者は見在す。
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《解説 》
この故事は『水衡記』や『太平御覧』にも引かれており、明の張鼎思の『琅邪代酔編』にもみえるが、寺の名前などに異同がある。張僧繇は『歴代名画記』の著者張彦遠(九世紀の人)によって、中国画史上の四大家の一人とされた人。伝記は不明だが六世紀を中心に活躍したと思われる。
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