118【刮目してこれを見る】 出典:北斉書・楊愔伝
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《 意味 》
目をこすって対象をよく見ること。これまでの見方・先入観にとらわれずに、新しい確かな目で物事をよく見直すこと。「刮」は、磨く、こするの意。
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《 訳文 》
(北斉の人楊愔は、幼い時に母を亡くしたが、たいへん勉強家だった。母方のおじの源子恭を訪ねた時、どんな本を読んでるかと尋ねられて、『詩経』を読んでいると答えると、秦風の渭陽詩《秦の康公が太子だった時、母方のおじである晋の文公を渭陽に送った時の詩。おじの文公に亡き母の面影を見て母を偲ぶ内容の詩》まで読んだかと尋ねられた。すると、楊愔が号泣し、子恭ももらい泣きしてしまった。)。のちに子恭は(愔の父)津に言った。「これまで秦王(楊愔)というのは、たいして賢い人物だと思っていなかったが、これからは、目をこすってよく見直さなければならない。」
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《 原文 》
子恭後謂津曰、常謂秦王不甚察彗。従今已後、更欲刮目視之
子恭後に津に謂いて曰く、常て謂えらく秦王は甚だしくは察彗ならず、と。今より已後は、更に刮目してこれを視んと欲す、と。
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《一言多い解説 》
上から目線は人を見誤る
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