111【臥薪嘗胆】 出典:十八史略・春秋戦国・呉 --史記・越王勾践世家 |
《 意味 》
将来の成功のため、長い間苦しみに堪えること。とくに復讎のために艱難を忍ぶこと。「臥薪」は、たきぎの上に寝ること。「嘗胆」は、苦い獣の肝をなめること。共につらいことのたとえ。
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《 訳文 》 「十八史略」
呉王闔閭は越に攻めこんだが、越王勾践に打ち破られ、負傷して死んだ。闔閭は、臨終のとき子の夫差に「この怨み忘れるな」と言い残した) 。夫差は復讎を誓い、朝夕薪の上に寝てその痛さに堪えながら、部屋に人が出入りするたびに次のように言わせた。「夫差よ。おまえは越人が、おまえの父を殺したのを忘れたか」。と
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《 原文 》 「十八史略」
夫差、志復讎、朝夕臥薪中、出入使人呼曰、夫差、而忘越人之殺而父邪
夫差、讎を復せんことを志し、朝夕薪中に臥し、出入するに人を呼ばしめて曰、夫差、而は越人の而が父を殺せしを忘れたるか、と。
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《 訳文 》 「史記」
(越王勾践は夫差を攻め滅ぼそうとした。夫差は勾践を会稽山に包囲した。勾践は和睦を申し入れ、夫差はそれを受け入れた)。越王勾践は国に帰ると、わざと自分の身心を苦しめ、敗戦の恥のつらさを忘れまいとした。獣の肝を座席の傍らに置いて、起き伏しするたびにつるしてある肝をなめ、また食事のときにもいつも肝をなめては、その苦さを味わって、そのたびに「おまえは会稽山の恥を忘れたのか」と自分に言い聞かせた。
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《 原文 》 「史記」
越王勾践反国。乃苦、身焦思、置胆於坐、坐臥即仰胆、飲食亦嘗胆也。曰、女、忘会稽之恥邪
越王勾践国に反る。乃ち身を苦しめ思いを焦がし、胆を坐に置き、坐臥には即ち胆を仰ぎ、飲食にも亦た胆を嘗む。曰、女、会稽の恥を忘れたるか、と。
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《一言多い解説 》
文字を興し、歴史の大河に流し、下流(後世)の人に掬ってもらう事を期待して、古代中国の先人たちは、当時の出来事を記した。古代中国のあらゆる営みが故事成句となって現代人への教訓として残った。「臥薪嘗胆」は、或る陣地盗りの戦争一つでさえ、前編と後編を以って完結せている。
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