109【画工闘牛の尾を誤って牧童に笑われる】 出典:蘇軾・書戴崇画牛 |
《 意味 》
知らないことは、誰にでも問い尋ねるべきである。たとえ名画工とはいえ、牛の生態をよく知らないままに描くと、無学な牧童に笑われることになる。
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《 訳文 》
(蜀の国に書画の好きな人がいた。数多い所蔵品の中でも戴崇の闘牛の絵を最も愛していたが、ある日牧童がそれを見て大笑いして言った。)「これは闘牛を描いたものだ。牛の闘志は角にあらわれ、しっぽは股の間に挟み込んでいるはずなのに、この絵ではしっぽを立てて闘っている。これは間違いだ。」所有者は笑いながらも、もっともだと思った。
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《 原文 》
此画闘牛也。牛闘力在角、尾搐入両股間。今乃掉尾而闘、謬矣。処士笑而然之
これ闘牛を画けるなり。牛の闘力は角に在り。尾は搐きて両股の間に入る。今乃ち尾を掉てて闘うは謬れり。処士笑いてこれを然りとす。
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《一言多い解説 》
宇和島の闘牛の動画を観ると、確かに牛の闘志は尻尾には現れてはいなかった。
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