105【涯りあるを以て涯りなきに随う】 出典:荘子・養生主 |
《 意味 》
有限の人生の中で、無限の知識を求めようとする人の行為の愚かさをいう。原典は、人為的な知力を追求すれば限りなく生命を危険な状態にさらけだすだけであるので、(そうならないためには)偏りのない中庸を心得て、身を自然にゆだねよと説いている。
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《 訳文 》
われわれの生命には終わりがある。しかし知ることは無限だ。有限の身で無限のものを追い求めていたら苦しみ疲れるだけだ。それにもかかわらず、知識だけに頼ろうとする者は、身を破滅にさらしているだけだ。
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《 原文 》
吾生也有涯、而知也無涯。以有涯随無涯、殆已。已而為知者、殆而已矣
吾が生や涯り有るも、知や涯り無し。涯り有るを以て涯り無きに随えば、殆うきのみ。已にして知を為す者は、殆うきのみ
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《一言多い解説 》
そうは言っても荘子さん、貴方の生きた時代(紀元前369年頃 - 紀元前286年頃)から2300年も経っている今の人類の文明は、多くの哲学者科学者芸術家などのたゆまぬ知への追及の積み重ねによって築かれた素晴らしい社会なんですよ。この先どうなるかは知りませんけど
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