2018年10月         


10月1日(月ようび)  颱風一過

 台風24号は、日付が10月1日になった頃から、こちらに接近して大変だった。なんせ、関東地方の北側を通ったのだから、南風がベランダのガラス戸にピュンピュン当ってその音で目が醒めてしまった。細君が窓際にしゃがんで何かしているので訊いたら、「雨水が部屋に浸み出している」なんて言う。

 ガラスに当った雨粒が下に垂れて、下の溝に落ちる量が、溝の端の排水場所から逃げていくよりも多量だったので、内側に入って畳の縁まで濡らしている。

 この時間に颱風の速度は時速70kmを超えていたらしい。全速力で走りながら往く手から雨風をぶっかけられて居る様なものだ。そんな私は、いつしかまたすやすやと眠りに入っていた。

 「呑気な爺ーさん」 ・・・ 呟きながら働いていたのだろう、すまなかったよ。

 朝、或る人のブログを見たら、JRの早めの電車運休告知は善い事だと書いてある。「帰宅困難者を少しでもなくする云々(うんぬん)」 ・・・ それを読んで、そうか電車に乗って帰宅する人のために気を利かせていたんだ、と判って自分の考えた事をひっこめなければいけない。

 「素直な爺ーさん」 ・・・ 颱風一過、気持ちもスッキリ、さあ秋満開の10月の始まりだ。てゆーか、本日の最高気温予想が東京で34℃じゃないか、この辺りもどっぷりとお付き合いする事になる。これって「京葉地位協定」?

  災難の種南海でまた生まれ  三 竿  vs  原子力浸水


10月2日(火ようび)  秋の午後

 今日の天気は昨日よりもっとすっきり晴れていて、気温も幾らか下がっていたから、こういう日に散歩しないのはもっいないと考えて、携えるカメラも「軽若」(コンテジのIXY170)にして出かけた。そして本日は細君も丁度家に居てそろそろ退屈する頃だと思い、−−− 二人が若かった頃だったら、すいたらしい気持ちになって → チョッカイ出して → お布団敷いて → カーテン引いて → ・・・ てな成り行きだったが、もはや介護付き散歩を提案する様な人生の黄昏に居るのだ。

 「一緒に散歩して最後は喫茶店でお茶しないか」 と言って2000円渡し、「一枚はコーヒー代もう一枚は日当」

 チョッと驚いたが、さっさと支度をしている。腸瘻の差し込んだ箇所が少し痛いのもあって兎に角歩くのが遅い。以下、本日の「軽若」で撮った写真から ・・・

合コン、主婦三名参加します



「さてと、徘々してこよっと」



事故るん



これがホントの看板倒れ



 伸び盛り



ひまな招き猫



午後の紅茶



 どうかね、こういう散歩だったら、日当貰うのも正当性があると思わない? ← 貰い過ぎかも

 老境が来たりて笛を吹きはじめ  三 竿 


10月3日(水ようび)  不毛内閣

 総裁選で三選を果たし、新たな組閣も終えて正式に第4次安倍内閣が発足したが、今後の日本にとって希望が持てるような事を私は感じる事が出来ない。国会の場では野党の追及には答えをはぐらかしてきただけだったし、友達と遊んでいる時は、エコ贔屓して便宜はする、女性を酔わせて正体失くして後強姦して、追及されて助けを求めてきた友達には検察に圧力をかけて救済する、外国に行っては言う事に恥をかいたり蚊帳の外に置かれたり、おちょくられたり、勝手に盟友だと思っていたトランプ亜米利加大統領に金を巻き上げられたりばかりして来た。

 もう任せて置けない、と多くの国民が抱いているのが判っていない人。今回の第四次・・・を聴いて4時と思えば、丁度終わりの始まりと成る午前4時で、でなければ黄昏迫る午後4時を連想することもできる。

 案の定、今回の内閣の人選について、大方のメディアや野党が付けたニックネームが面白い。

 ・在庫一掃内閣
 ・閉店セール内閣
 ・年功褒賞内閣
 ・お友達(身内)内閣
   ・・・ etc

 過去に問題を起こして辞任した甘利さん、稲田さんなどを再び党役員に登用さえしている。総理はどんな神経しているんだろう。野党や国民ばかりか、党内からも良識を欠いた人選だと言われることを承知しているとしたらふてぶてしいし、意識出来て居なかったら、宰相としての資質に欠けている。

 そして、能力のない大臣が予算委員会でまったく答弁できずに恥を晒している場面が再び展開されるだろうし、或いは麻生さんは、質問する相手に逆に難題を投げつけて勝ち誇ったようにドヤ顔を晒す。食事前の人は食欲を失い、食後の人は胸がむかついて吐き気がするかもしれない。

 この先、政治に関わる報道番組に私はどういう心構えで向かったらいいのだろうか、こんなの悩み事に成るなんて考えたくもない。日本の政治の、或る意味出直しに成るかもしれないこんな機に後ろ向きだなあ。

  嘘つきの総理失言の大臣ズ  三 竿


10月4日(木ようび)  緊急診療

 午前の経腸栄養剤点滴終了後、家近の病院に行った。腹部の腸瘻の差し込んだ箇所の周りが赤く成っていて、時々チクチクシクシクするようになった。腸の消化液と栄養剤(ラコール)が混じった粘り気のあるベージュ色の液体がにじみ出ていて、ここ数日毎日朝夕、被せているガーゼが汚れるようになった。

 病院に着いて、どの診療科に行くか、受付で待たされたが外科に決まった。待合室には20人以上の人が坐っていたが全部の人が外科受診ではない。それでもどれくらい待たされるかは判らない。途中、トイレに行って15分くらい場を離れて戻ってきてすぐNEXTになった。

 患部を見せてすぐ処置が決まった。点滴二種の処置だけで、特に患部をいじる事は無かった。廊下の端の外の道路がブラインド越しに見えるところにテーブル・椅子セットがあって、のんびり読みかけの『実録・満鉄調査部』を読みながら点滴の終るまでの時間をすごした。時々道を見ると雨が少し降っている様子で傘をさして歩く人が見える。

 ほぼ3時間病院に居た。診察した医師が、東大病院の胃食道外科の私の担当医師にお手紙が出ている。「診療情報提供書在中」のスタンプが押してある。

 家に帰って、東大病院に電話して、それらの要件を伝えたところ、明日午前中に、いつもの担当医ではないが、対応してくれることになった。嵐が来る前である。天気が心配。

 病院に行けば同輩ご〜ろごろ  三 竿  vs  ハーレム・ドクターン  (字余り駄洒落)


10月5日(金ようび)  治療

 朝一番から腹部の炎症患部が痛い。昨日のうちに東大病院に診察予約を入れていたから、這ってでも行きたい。予約時刻は11時だから、電車で行くとならば、9時半に家を出ればよい。其れまで経腸栄養剤を一袋摂っておける。

 で、リクライニング・チェアに座ってテレビを観ていたが、どうも体全体の倦怠感と、頭がぼんやりしてくることで、まともに東大病院まで行けるか不安になってきた。仕事に出る準備中の細君に懇願して、休みを取ってもらい同伴して貰うことにした。今月分の小遣いの中から1万円渡して、家からタクシーで行くことにした。道の混雑の事を考えて、9時半に出発した。雨が降っている。ところどころ渋滞している。

 それでも11時20分前くらいに着いた。料金9990円、細君が財布から10010円出した。おお、これぞ主婦行動、いや、主婦対応である。「有難うございます」と運転手さんが100円のおつりを出した。他のことでの10000円の出費は痛いが、こういう身体の不具合にはもったいないが消えてしまう。

 今日の治療は、溜まっている膿(うみ)を絞り出す事。医師が腹に力を掛けて押さえつけて居る様だ。これがまた痛い痛い。そして、何も薬も付けずにガーゼと絆創膏で処置しておしまい。抗生剤入りの軟膏を処方してもらった。どなたかの川柳にこんな句がある。

   痛ければ言えと外科医の荒っぽい  詠み人知らず  

 夕方になって、再び膿が出て居る様で痛い。何だ、これで今後炎症が治まってくれるのか不安に成る。今夜は風呂に入る気がしない。シャワーで清潔にすればいい、と言っても今日だけはそうする気が無い。患部を綺麗にして、地元の薬局で処方してもらった軟膏を塗って上から保冷剤をハンカチで巻いて腹に宛てて置いた。

 仕方がない。しばらくは手間をかけて患部を軟膏期待で治療して行くしかない。

  安倍政権俺のお腹に膿を溜め  三 竿  vs  ドストエフスキー『と罰』&『白血

 註:ドストエフスキーの作品は正しくは『罪と罰』&『白痴』


10月6日(土ようび)  二人を評価する

 一般的社会通念という言葉は曲者である。と私は日頃考えている。このたび時の人となった二人の人物について、一般的社会通念から捉えて、殆どの日本人がどう考えているのかを推理してみた。

 ・親方を引退した貴乃花
 ・留置所を脱走して逃亡中捕まった樋田淳也

 先ず、元貴乃花親方の方だが、彼が国会議員会館に出向いて某・国会議員に逢ったという事で、尻切れに終わりそうだった一連の騒動の話を脚色させて、メディアががぜん盛り上がってきた。結論から言えば、貴乃花が次の国政選挙 −−− 衆議院選に擁立されて国会議員と成り、遅かれ早かれスポーツ庁長官になって、大相撲改革を国家権力によって成し遂げる。

 「思う存分やってくれ」という思想が日本の社会の中に、少なからぬ勢力を持つ組織の中に果たしてあるのか?

 相撲協会の中には、今でも国家権力が充分に及ばない隠然とした隠蔽性があり、例えば女人禁制とか、親方制度の中に溶け込ませている部屋の運営、親方株などへの資金運用の不透明性を好ましくなし、と考える捉え方があるのかもしれない。

 今の日本社会は、社会の隅々まで、国家がコントロール効かない部分が在ってはならないという理念があるように思うが、その線上の相撲協会の改革要素は正鵠である。(国家による例外なき管理には全面的に是認するものではないが)

 そこで、このような筋道を辿る貴乃花応援であるのであれば良いのだが、どうも一般的社会通念上の取り上げ方は、「遣られたらやり返す」の因縁の範疇で事の運びを期待している部分が大きいように見受けるのだ。国家権力を笠に着ての改革をしたいと貴乃花が考えているとは想像したくない。其れより何より、貴乃花がどの様な気になっているかすら凡夫には窺うことはできないのだ。

 次に、樋田淳也について、一般的社会通念上はまずほとんど扱うことが無いでだろう彼の長所について考えたい。

 ・彼は一般的大人として必要な人付き合いのコツを身につけている
 ・優柔不断ではない
 ・判断力は優れている

 先ず、彼は拘留中に富田林署の警察官のアホさがよく見えていて、次第に彼等の取り調べ中とか日常生活上に注意される時の扱われ方、或いは耳に入ってくる彼らの雑談中のどうしようもない下劣さに居心地の悪さを感じて嫌気がさしていたと思う。それらのことが、脱走の大きな動機になったのかもしれない。

 この先の脱走中の行為は、最早品行方正で過ごすわけにはいかないのだから、必要に迫られた行動を如何に成功させるかが何事にもまして必要なことだったのだ。人をだます、大胆な露出、などは彼にとって経験で得た上だろうと、一発度胸でやったにしてもよくできて居たのだ。

 日本の庶民は、善良で人は概ね性善説である、という事を暗黙に認めて生きている。そういう人たちの中を往来する事で、「人の善意を踏みにじった」と言って彼を指弾してもどうしようもない。何故どうしようもないかと言えば、そうしなければ彼は途中で行き倒れになるか、自首して元の留置所に戻る事しかなくなる。彼はそういう自分になる事を強く否定する事で、生きる → 生き延びる事を選んだ。

 逃亡中に彼は、人を傷つけただろうか? ひったくりされた際に、擦り傷程度を負った人はもしかしたらいるかもしれない。その話は聞いていない。彼がどんな犯罪をこれまで犯して留置されていたかをこの際持ち出さない状態で考えてみるが、逃亡中の彼は、一市民として振る舞った。

 この事が様々な人と接触する事を嫌わない彼なりの演出的行動になった。彼は、その間万引き犯と市井の人のふたつの形態の間に居た。人の海の中を泳ぐ人間、という生き方をしていたのだ。

 万引き等の刑事犯は今後裁かれることになるが、人の善意に乗っかったことや嘘をついた事は、責めるべきではないと思う。こういうことは巷で騒いではいけない。今の日本は上に立つ立場の人の劣化が酷い。彼らは犯罪性が判って居ながら放免されている。キチンとさせなければいけない事がおざなりにされているのだ。兎も角、樋田淳也に関わる一般的社会通念に毒性の臭いがする。

  古代人海幸山幸食べて生き  三 竿  vs  ♪ エーサオー淳也店(だな)


10月7日(日ようび)  築地市場

 築地市場がいよいよ豊洲に移転することになった。最後の競りが終わって関係者の胸に去来したのは、己たちの華々しく威勢の良い若き日の姿ではなかったか。ターレという運搬車を綺麗に洗い、豊洲への道を南下していく隊列に最早復路は無い。

 私にとって築地と言えば、競り市場でなく場外市場の体験話が二つある。

 15歳の春、私は中学3年生を東京でやり直している。次兄と東京東中野の学生下宿で一年間生活していた時、下宿の女主人に誘われて食材の仕込みに築地場外市場に行った。スタート地点の下宿前の道はいきなりの急斜面の登り坂だった。車はルノーで、坂の途中で停まってしまい、下宿生の大学生数名と一緒に後ろを押してやっと坂の上まで辿り着いた。その時は運転する女主人と、私より二つ後輩の息子さんと私の三人くらいだったと思う。その時の記憶はそれだけで、目的地での景色も行動も記憶にない。

 もう一つは、まだサラリーマン現役の最後の頃だったと思う。たまには正月のおせち料理の生ものでも築地で買いましょう、と細君と話しあって出掛けた。昼飯は矢張り寿司でしょうと寿司屋に入って、先ずはまとめてオーダーを取って来たので二人で其々を注文し、職人が伝票に書き込んでいた。

 しばらくは順調に目の前に握った寿司を置いて行ったが、「まだ来てないのありましたっけ?」などと訊いてきた。おや、済んだネタを消込みしてなかったんだ。特に職人さんに話しかける事もしていなかったのに。店を出てから二人で笑いあって仕舞った。

 もう思い出話は創れないのだ。ところで、新装開店の花輪が、サザエさん一家の磯野家からと、さかなクンからも届いているのかな

  魚へんの漢字豊かな国に住む  三 竿   vs  ターレ・ダビットソン


10月8日(月ようび)  座談

 今日は体育の日で祝日なのだが、私にはこの休日に特に入れこむ気持ちはない。相変わらず、ほぼ日中の大半をリクライニング・チェアにうずくまっている。今は、腹部腸瘻の挿入箇所の周りが化膿していて痛い。

 2・3日前細君に、そろそろ銀座に出勤しないの?と訊いたのだが、妹に昨晩連絡して本日急遽行くことになったという。妹の方は、こちらに遠慮して積極的には誘ってこないと思うから、姉の誘いが有れば渡りに船ですぐに話がまとまる。女二人、どちらもよぼよぼになった亭主の傍に居るのだから、気晴らしにはうってつけのるんるん銀ブラになる。

 これまでも帰ってから話の内容を聴いているのだが、喫茶店などで長話をして過ごす時間が大半なのだろう。私も昔は勤めが終わってちょくちょく呑み屋に突っかかって同席になった人と会話を弾ませた事もよくあった。一部の男たちにとっては、貴重な情報を得る場所を求めて、矢張り呑み屋めぐりをしている事もあっただろう。それに比べると、私なんかは只々息抜きの為に立ち寄るわけで、話しかけてくる人に併せて、座談をする。お互いに気持よく酔いたいから節度があったと思う。或る時、こんな噺になった。二つの逸話を思い出す。

 @ 一人目の人は、チョツト前に台湾旅行をしてきた人で、台北の故宮博物院の話になった時、相手が「あの宝物は蒋介石が大陸からかっぱらって来たみたいな物で ・・・」と言った。幾らかはそういう面があったと思うが、私の想っている事はチョッと違っていた。日本が戦争に敗けて居なくなった中国は、今度は蒋介石の国民党と毛沢東の共産党との内戦になり、結局毛沢東が勝利した。蒋介石には、この先中国4000年の文化、財宝がこのまま毛沢東によってどのように扱われるか恐怖に似た不安があった(と私は思った)。

 兎も角ロシア革命の時、勝利したボルシェビキの兵たちが首都・ペテルスブルグの王宮に雪崩れ込んだのだが、多くの工芸品、絵画、或いは衣装などを暖房の為の燃料にしてしまった、という話がある。この噺の通りになる事を恐れた蒋介石が船に積んで財宝も亡命先の台湾に運んだ、という噺を私は読んだことがある。

 相手にまともにこんな噺をしたんじゃあ場がブチ壊れる。嘘ついて頷くばかりで居るのも私には出来ない。「やはり、新しい国を興さなければならないから、仕方なかったんでしょうかね」

 A 「実はね、私は今ね、若い女性とお付き合いというか父親と娘みたいな関係でいてね・・・」と打ち明けてきた50歳代の人が居た。性的交わりまでしているかは判らないが、自分のしている事に自信を持っていて、話したくなったようだ。ふたりの色々な状況を聴いていて、私にピンッ!と閃いたものがあった。

 「私、話を聴いていて、もしかしたらと思ったんですが、父親にきつく育てられた娘さんと、娘さんを厳しく育ててしまった父親の後悔・寂寞感が出会い、お互いで相手に失われた過去を与え合っているんじゃないですか?」 −−− とっさに、今ここで書いた通りには言えなかったと思うが、相手と想いが通じた。

 世の中に数ある密通有れど、男が配偶者以外の異性と心を通わす事は、善悪だけで判断できないと思う。このような話を知ると、どうしようもなく讃えてあげたい気持ちになって仕舞う。小説を読むのではなく、人と交わる事で知る世界なのだ。

 何だ、今日の話の流れは ・・・

   父帰るB宅を出てA宅へ  三 竿  vs  密通マングローブ


10月9日(火ようび)  豚シャブ

 颱風発生海域にはいま、颱風の卵は排卵の気配も無い状態だという。つまり、秋の晴天が日本を覆う頃だという事になるが、今日は雲が時々広がったり切れたりして曖昧な天気だった。そして、平均気温より高めだったし湿度もあって、半袖Tシャツの上に莫大小のカーディガンを羽織っているとしばらくして汗がジワッと肌に滲んできた。

 朝、そんな事は想像しないで細君に小遣いから2000円出して、「豚シャブにしよう」と提案した。



 私はあまり食べなかったが、細君は矢張り美味い美味いと言って珍しくご飯をお変わりしていた。家族の喜んで食べている風景良いもんだ。

  湯気昇り眼鏡曇りて舌つづみ  乙三太


10月10日(水ようび)  豊洲市場

 やっぱりね、そういう日の選び方をしている。豊洲市場が明日営業を開始する。お日並もよろしき大安吉日だった。商売人でかつ、いなせでてきぱきとした動作で鮮魚を捌く何かと験(げん)を担ぐ世界なのだ。

 やっとここまでこぎつけた、と言う思い。あれこれ心配ごとが無いわけじゃない、しかしグタグタしていてもしょうがない、前へ進め。

 と当日を迎える直前に、再びぶり返す様々なケチをテレビ・メディアが羅列してきた。さあ気を締め直していくぞっ!という処まで来たところで横っちょで大騒ぎするのは如何な物か。当事者に気の毒じゃないか。意地が悪い。ずっと抱えてきた問題だったじゃないか、ジャーナリズムの正しき対応としては、「待ったをかけるこれだけの根拠」として、国や東京都に突き付けてこなかったのか? なぜ市場関係者の出鼻をくじくような取り上げ方をするんだ。

 何が不具合なのか ・・・

 ・地下水が排水溝からぶくぶく噴き出している。其の水が白濁していて衛生的にどうなのか判らない
 ・床に亀裂が入っている
 ・ターレなど、施設内の搬送動線が、急カーブや狭い通路に災いされて効率が悪い
 ・各地から搬入される運送トラックの荷揚げ場の設計上の不具合がある。

 その他にも、場外市場との分断など、有機的な施設構造を断ち切ってのスタートは、再び築地か豊洲かでひと悶着が有るかもしれない。一気呵成に事を進める事の出来ない中途半端な物の取り決め方は、現場を知らないで、会議遣ったり検討ばかりしている人たちの安直で自己保身で判断を曖昧にしてきた結果でしかないと思う。

 「餅は餅屋」という定理が通らない事の多すぎる今の世の中の起こるべくして起こった当事者泣かせの出来事だと思う。

  築地から豊洲の旅で魚腐り  三 竿  vs  ♪ 築地〜なったら離れられない


10月11日(木ようび)  カジノ

 東京新聞今日夕刊の一面にこんな見出しのニュースが載った。

 「米カジノ参入検討を」
   日米会談でトランプ氏  米調査報道機関

 つまり亜米利加から入ってきたニュースで、2017年(昨年)2月にフロリダの大統領別荘でトランプ大統領が安倍総理に、ラスベガスのカジノ大手企業「ラスベガス・サンズ」に日本参入免許を与える事を検討するよう強く求めたと、米調査報道機関「プロパブリカ」が10日、報じたというもの。

 やっぱ安倍総理が外遊すると碌な事はない。亜米利加に飛んで行って、「飛んで火に入る冬の虫」状態になって仕舞ったのだ。この会談の前、その企業のTOP達とワシントンでの朝食会で同席し、カジノ解説についての説明(依頼?)を受けている。

 斯くしてカジノ法案が足早に法案成立となった。

 貿易交渉にしても武器輸入にしても、トランプ大統領の大暴れが止らない。色々亜米利加の政府関係者たちの発言で、安倍総理が国内で発言していた内容とは違った −−不利な −−交渉内容が発表されることが幾つも出てきている。是ってどちらが正しいのか? と言うよりひょっとして、亜米利加の良心ある一部の日本シンパによる忠告ではないのか。

 「日本ノ皆サン、とらんぷト安倍ハ信用デキナイ。私タチワ、コノママノとらんぷガ国際社会カラ批判サレテイクバカリカ、栄光ノ合衆国ノ権威ガ彼ニヨッテ失ワレテイク事ニ、我慢デキナイノデス。日本ノ皆サンモ頑張ッテ下サイ」

 亜米利加の良心から同情されているのではないか。

  ところで、神戸にある山口組本部に、特殊詐欺事件容疑で警察の家宅捜査が入った。容疑理由がチョッと不思議な気がすると思ったのだが、捜査を終えて出てきた捜査員が押収品を運んだ様子が無かった。使用しないままの段ボールを二組ほど持ち帰っている。カメラに映っている部分が割愛されたのかどうかは判らないが、お茶だけ飲んで引き上げたのだろうか?其れとも、カジノ参入の手ほどきでもして来たのではなかろうか?

  カジノ賭場もろ肌立膝観れるかも  三 竿  vs  カジノ上塗り


10月12日(金ようび)  銀杏

 この先一週間ほどの天気予報を見ると、ずっと曇天が続く。途中、少しだけお日様マークの日がある程度だから、天高く馬肥ゆる秋と言う訳にはいかないようだ。尤も、これはモンゴルの方で言われる言葉だったと思うが、日本でも大陸からの移動性高気圧が張り出してくれば、数日間の晴天日だってあるはずだ。

 作り置きしておいた干しシイタケを使い切ってしまったので、早く晴れて欲しい。真夏の炎天下でも出来るのだが、材料が焦げてしまいそうなほど日差しが強かったので、遣っていない。そういえば随分前のことに成るが、寒天ブームがあって、各地で一斉に買い求めたために、すぐに品切れになって仕舞った。消費者は、この寒天が冬のしばれる寒さの頃だけ、信州の標高の高い所で年に一度の作り置きで出荷されてお仕舞だという事を知らなかった。

 私もそのうちの一人だったのだが、それでも何度か心太などを作って食べた。案外自然食は口にする方だ。今はギンナンが出回っている。是も今のうちに機会があるたびに食べている。殻をペンチかなんかで少しだけ砕いたものを定型茶封筒に入れ、塩を少し振ってレンヂで50秒ほどチンしてから、実を取り出す。熱いうちに作業すると簡単に薄皮が剥ける。そのまま食べても美味い。

 そう言えば、颱風24号の吹き散らした海水を被って、関東各地のイチョウの葉が枯れているとの事だが、これまで聞いたことが無かった。

 今宵は中華丼を作るのだが、野菜の一品としてこの実を入れる。夕餉は細君が寄り合いが有ってそれが終わってからなので遅い時間になる。

  深窓をこじ開けて銀杏を食う   乙三太  vs  この夏のイチョウ気象


10月13日(土ようび)  読み終えた〜!

 『実録満鉄調査部』を読破した。すらすらとはいかなかったが大河を水源から河口まで、縦渡河しおえた。

 文中に登場する人物の多さは、最盛期の浅草歓楽街にどっと繰り出した大衆の数にも負けなかったかと錯覚するほどだった。渋谷のスクランブル交差点の比ではない。ZOZOマリン・スタジアムに集まってもらおうとしても、入りきれないと思う。

 著書の中には、満鉄調査室創立から組織が編成替えされた後期に到るまでの膨大な数の調査員と、時の中央の首相、陸軍参謀本部、関東軍司令部、官僚、財閥系エリート、そして南満州鉄道の要職者に支那の政治家・軍閥までもが入り乱れて登場してくる歴史絵巻であった。

 この組織の最大規模は、「大調査部」の名で調査員規模2000名、活動予算2000万円(今の100億円)となって発足した昭和13年といえるだろう。組織の任務の広さも成果も、調査しかつ文章化された資料も夥しいものであった。著者・草柳大臓は、思い入れも強く、「空前絶後」と表現している。

 創設が1906(明治39)年11月で、1945(昭和20)年8月の戦争終結による終焉までの40年間の活動であった。歴史の大河としては短かった。そして、その活動の内容も創生記からしばらくの間は、満鉄内部特にその時のトップ(総裁)の理念に則った命題ごとに、委員会組織を起こし人を配して満州各地に伸びて行った鉄道沿線周辺の工鉱業生産力や農業生産力及び地域の人社会調査を多く行っている。やがて、昭和の時代に入った辺りで、中央政権の対支那外交資料として、同様な調査が為の現地情報収集が加わっていく。

 更に、関東軍が満州事変(昭和6年9月18日)を仕出かし、支那事変(日中戦争・昭和12年)等で陸軍本部もが支那に侵攻するようになり、満鉄の独自性を揺るがすかのように、歴史上の大河流域に脇から合流してしてくる。清流が濁り始める。

 ヨーロッパでは、独逸がやがてソ連に宣戦布告なしに侵攻して行くのだが、その状況に先だって、独逸のソ連侵攻の予測調査をしている。それというのも、ソ連軍のシベリア布陣動向を見極める必要がある。ソ連は帝政時代に日露戦争で(一応の)敗戦国の屈辱を味わっている。従って、満ソ国境は緊張している。

 どの程度の期間、シベリアは手薄になるのか。更に独・ソ戦闘はどの程度続き、どちらが勝つか ・・・ こんな予測を立てるにも、地道に独逸の石油備蓄量調査や、冬将軍の影響なども調査部は予測している。経験則として、いわゆるナポレオンの失敗や元寇の役・・・ 神風と同じ自然現象まで含んだ調査をしている。軍隊のエリート将校でもやれない調査ではないだろうが、関東軍参謀側は満鉄大調査部の調査能力には敵わない。

 同時に対支那対策として、調査した阿倍勇成る人物が「支那抗戦力調査」をまとめ上げた時は、毛沢東の「持久戦力」が天津や上海の本屋で売られているのを見てこれを参考にしている。勿論中国語の著書を読み切る語学力を有している。

 更に、いよいよ日本に対する亜米利加の干渉が強くなり、軍部の日米開戦止む無しに突き進んで行く時にも、厳正な戦争能力における日米の彼我を調べ上げ「日本は、南方進出すべきでない」、「戦いは二年半で日本が敗ける」とまとめ上げた。軍参謀が東京にこの報告を持って帰って東条英機に伝えたところ、彼は頭から湯気を立てるほどに怒り狂ったらしい。

 『実録満鉄調査部』は上・下巻で刊行されている。
  上巻  第一部・原野の思想 第二部・熱砂の思想
  下巻  第三部・抗争の思想 第四部・落暉の思想 (らっきの思想 暉は輝くの意)

 終戦後、ソ連も亜米利加も、満鉄調査部の発行された物・そうでない物を含めて、探索し見つけ次第、本国に持ち帰って検証して、この組織の底力を知り大切に資料館等に保管している。

 参:巻末の「附記」に記された文章の一部を転載

  【 ・・・ 私見を付け加えさせて頂ければ、日本の近代史研究をより深めるために、政府が国会図書館の一隅に「満鉄室」を設けてくれれば、民間の研究者に必要不可欠であり、また「目標創出」のための知的宝庫となるはずである。「満鉄室」の創設は、満鉄に魅せられた筆者の“ひとりよがり”ではないと思うのだが−−− 】

 日本が戦争に突き進んでいたあの時代に遇っても、智と良心がキチンと未来のために残した記録の重要性を、この本の発行された昭和58年当時に著者・草柳大蔵は訴えているのである。今の官僚は、公文書でさえ、残していない、破棄したと嘘ぶいている。これからは一部の公文書には、ランクを付けて不要な決議書等は端から作らない方針で行きたいなんてことも言っている。とんでもない話だ。

 腹立てば川柳詠んで腹収め  三 竿  vs  初心満鉄


10月14日(日ようび)  司馬遼太郎

 昨日書いた『実録満鉄調査部』の中に、露西亜のスパイ・ゾルゲ事件には触れなかったが、彼のスパイ活動に手を貸していた満鉄調査部所属の人物がいた。特高の地道で執拗な内偵の末に逮捕されている。昭和16年、戦局急を告げる時期である。

 この噺を文中に見つけた時、以前友達がBSテレビかで放映されたものをDVDに録って送ってくれたことを思い出し、早速一昨日〜昨日の二日間を掛けて視聴した。4時間の長編映画である。途中まで観ていて中断していたようだ。その舞台は、生憎満州の大連でも奉天でも無く、上海と東京だった。其の名が尾崎秀実(ほつみ)、死刑の判決を受けて、刑死した。

 之にて満鉄の噺は終了する。

 司馬遼太郎の『歴史の世界から』を書棚から引っ張り出して読み始めた。昭和55年11月15日発行(初版)・中央公論社。この本は、多分塾本(古本)で購入しているはずで、見つけた時に、いつか読むだろうと思って買ったと思う。それが、やっと今開かれて私の身体に栄養素として注ぎ込まれようとしている。

 帯の謳いに「珠玉の随想随筆集」とある。先ずは、目次から「「人類の奇跡」をたどった人・毛沢東」を読んでみた。四ページほどの長さの文章だったが、濃い内容が書かれている。そして、私が初めて読む司馬遼太郎の作品だ。文体と言い、内容といい、寧ろ随筆タッチの論文という思いに到った。

 その分、感じる息苦しさは、高山で稀薄な空気の中の酸素を肺が一生懸命吸い込んでやっと身体に行き渡る思いだった。低山ハイクのようにルンルンと軽快な歩調では読めない。入ってくる言葉をしっかり血に摂り込む努力をしながらでないと進めない。

 【 ・・・ 単純にいえば、かれ(註・毛沢東)は革命家であった。革命家が建設期に役立たないというのは、日本の西郷隆盛の例を見てもわかるが、かれはこの定則のようなものをごく自然に破った。 】

 著者がこの文章を書いた頃は、既に「文化大革命」は確か、終わっていたと思う。毛沢東は、清王朝が19世紀以降列強の侵略で瓦解した最大の要因(ファクター)が、支配層と民衆の生活の全てに浸透していた儒教文明であると考えた。中国人は自前で普遍的文明(かつての儒教文明)をつくりあげた民族である。

 (日本では、自前で普遍的な文明は神教がそれに近いものだと思うが、大陸から仏教が伝わってからは、むしろ仏教文明が広く浸透して行った)

 第二次大戦が終わった後に、毛沢東は蒋介石と覇権を争い、内戦を終了させてからは儒教文明を如何に捨てる事が出来るか、と同時に思想的な大空白を埋める新たな普遍的思想を無理なく中国社会に根付かせなければならないと、腐心した。私の認識では文化大革命という思想的大変革による旧態国家の破壊と新制国家の建設を究め、短期間のうちに成し遂げた人物という事になる。

 破戒が終われば、其れまでの役者の役目は終わって、建設を担う人物が新たに登場しなければならない −−− 其れが著者の言う「定則」であり、これを毛沢東は一人で成し遂げた。古今東西、最も人口の多かった国、同時に疲弊の極にあった国で成し遂げた、

 そうか、判ってきた。酸素が脳に行き渡った。なるほど、『アラビアのロレンス』もそうだった。そして、日本にては西郷隆盛が総大将となって武家社会を破壊した後、老獪な薩長の政治理念に長けた人物が天皇を立てて近代日本を建設して行った。

 私は登山家ではないが、日本の中央に八ヶ岳連峰があって、アマチュア登山家を含めベテラン登山家もこの連山の縦走を体験する事の爽快感は良く判るつもりだ。しかしこれらの山をそれぞれあと、500m高くして想定したら、どれほど技術的にも体力的にも難しいものに成るか、チョッと想像してみた。

 これから、『歴史の世界から』に登場するおよそ50項のエピソード読む事は、そびえ立つ連峰のひとつひとつに置き換えて読破する覚悟に通ずる。踏破という肉体労働に値する読破になって行くだろう。

 註:八ヶ岳連峰の最高峰は2899mの赤岳。
 参:高校一年の一学期のみ、東京の高校に在学したが、夏休みに蓼科山(2530m)に昇った。この山も八ヶ岳連峰の仲間である。

   山男には留守番女房 間男跨いで宝船  亀味松


10月15日(月ようび)  CS

  1. CS = こんちく しょーッ
  2. CS = コープ ショップ
  3. CS = コンピューター システム
    ・
    ・
    ・
 99・ CS = クライマックス シリーズ

 と、このように私的にはクライマックス シリーズに対する評価は低い。プロ野球はセ・パ両リーグ其々の覇者を、今までの長いペナントレースの勝率第一位のチームでは無かったことにして、改めてCSで選別する試合を行っている。何年前からルールを変えたんだろう。導入当初から許せなかった。

 今でこそ、私はプロ野球ファンではなくなっているが、このルールの制定には腹を立てている。プロ野球興行でのクライマックス・シーンと言えば、日本シリーズに於いて、セ・リーグとパ・リーグの夫々の覇者が激突して、最後の勝者となって、完全王者に君臨する事なのだ。CSのネーミングが聞いて呆れるわい。

 なぜこんなルールを制定したかと言えば聞かなくても判る。興行収入優先以外の何物でもない。勝負の世界の整合性も理念も無い。

 私が兎も角プロ野球機構に対して、一番変に思っている事は、コミッショナーがお飾りでしかない存在なのだ。12球団のほとんどが、大企業を親会社として運営されているために、総まとめの立場の権威、つまり王様の坐るべき席を作らせず、それら親会社がスポーツの理念より、企業論理で集団的談合運営をしたいからでしかないのだ。

 夏前のセ・パ交流戦のルールに不満はない。試合球の選定には疑問を持っている。ドラフト会議はノーコメント、FAシステムは良い、としておこう。大リーグ移籍については、問題が生じている事を憂いている。あちらに行って、特にピッチャーが次々に潰されていく状況にキチンと対策を立て、なるべく送り込まないようにするべきだ。

 MLB(メジャー・リーグ)の頂上決戦は“ワールド・シリーズ”と言って、言葉から判断すれば世界一決勝戦シリーズの意味になるが、何のことは無い、メジャーリーグという括りを自国チームのみに充てている。其れなら、日本だって、そろそろ長いプロ野球の歴史を造ってきたのだから、その前段階的な日米の公式戦を創設する戦略を立てて実現に向けて進んではどうか。この際だから相手に併せてJMLB機構にするなりで同格扱いにするのだ。

 昨日の試合で巨人がCSの階段を一段昇ったが、万一このまま日本シリーズにまで進み、大逆転檄を演じて勝利してしまったらどうする? 亜米利加まで飛んで行ってワールド・シリーズで闘う前に、「日本の覇者になりました」と名乗りを上げたら、あちらさん、ビツクリするよ。てゆーか、ジョーダンよしのぶサン、と笑われるよ。なんせペナントレースで勝率5割を割っているんだよ。相手にされるでしょうか。

 コミッショナーさん、CSのまやかしであることがはっきりするってこと、判かりますか?

 今年のこの先のプロ野球の興行は、何とか巨人が日本シリーズに優勝するところまで行ってみると判る。CSに対する世論ががぜん噴出する。侃侃諤諤・喧々囂々の議論の末、コミッショナーが自身の権威を勝ち取ったうえで、CS廃止を宣言し、新しくワールドシリーズ参画の意志を持って亜米利加のプロ野球のトップ機構に乗り込んで行くべきだ。

 注意してほしい事は、自分でやる事。安倍さんに委託してはいけない。トチ狂ってトランプ氏の許へ駈けつけちゃうかもしれない。

  吉田君MLB志望と書き直し  三 竿

 註:ペナント・レース最後の頃になって、セ・リーグで広島が失速した。あれだけのゲーム差をつけたままで行ったら、巨人を日本シリーズに送り出すと疑念を湧かせることになる。巨人進出の道を敷く魂胆だったのではないだろうね?


10月16日(火ようび)  消費税10%

 安倍総理の消費税10%表明に関して、ふたつ腹が立つ。

 消費税は何故上げなければならないかの説明について、これまで二度も先延ばししてきた事で今度こそはそのお約束を果たさなければならない、なんて言っている。このお約束というものは、借りたお金を返す約束をした事と同じ質のものではないのだ。

 国民は消費税を上げられたら家計に響いて困るから買い控えして、それに連動して日本社会が不況におちいる懸念があったからで、その政策判断から撤回しただけのことだ。そういう状況をすり替えて、あたかも国民が消費税を上げなければ困る状況を看過できない、みたいな言い方をしている。

 消費税を上げるという事は、本質的には国民の生活を苦しめるための徴税である。これは、一方的な納得できないまま進める事は、前時代的権力の強権行為なのだ。それでもそれをしなければならないのなら、その正当性を説明しなければならないのに、安倍総理は其処のところを少しも心苦しく思っていない −−− つまり「耐えがたきを耐え ・・・調の国民に対する歩み寄りの気配がない。

 言って終わり。そういうスタンスに腹が立つ二番目かつ強い反感が湧くのだ。つまり、安倍政策に反対するというだけでなく、彼の真相をねじり曲げる人間性に腹が立つのだ。今回も、充分にこの根拠についての説明をしないまま、関係閣僚に指示したと言って御簾(みす)の奥に隠れて、「後は善きに計らえ」なのか、国民の知らないトランプに強奪されようとしている上納金の算段を立てているかもしれない。

 既に2020年オリンピックの為の準備支出は公表している額で8000億円を超えている。当初予算は1500億円と提示している。これって、当初発表がいい加減だったということだ。亜米利加から導入し始めているF35戦闘機一機の値段の此れも公表されているのが150億円と言う。その一方で例えば比較される福祉の締め付けでは生活保護費が月額8万円から7万円くらいまで削られる(天木直人のブログ)という。

 既に世間の目に日常的に晒されている安倍政権の国家破壊行為が止らないのだ。こんな事では、消費税増税分がどんな支出に使われるのか国民は知ることが出来ない、後になって哀しい現実を知らされるだけになるのは確実なのだ。

 街に出てテレビ局スタッフが、通行人などに10%表明に対してインタビューしている処を放送しているが、「仕方がない」と答える人も、反対の人とバランスを取って流している。そういう作為だけでなく、「仕方がない」という評価を“賛成派”と括って表示しているのには、「もう、好い加減にせい」と言いたくなる。せめて、“我慢派”ぐらいに表示してくれ。こういう言葉の使用のいい加減さからも、メデイアの智性の麻痺を感じてしまう。

 刑務所は消費税特区かも知れぬ   三 竿  (イザと成ったら、刑務所に逃げ込みましょう)

 参:消費税が導入されたのは1989年だった。最初の発表時(3%)、世間は企業から一般庶民までもが強く反対して、多分経団連主導による反対デモが全国で起きた(そのため実施時期が伸びている)。当時勤めていたアパレル会社の業務を社長命令で中断して、このデモに私は参加した。当時私は重度の鬱病に罹っていた。出社しても傍目に明らかなうつろな仕事ぶり、退社して家に帰る電車にずっとして居られず何度も電車を降りてホームのベンチに崩れていた。ひと月に何度も欠勤している。

 そういう状況で社長は、私にデモに参加するよう命令した。「ムリムリムリ」の訴えを聞き入れてくれなかった。然らばと、集合会場となった日比谷公園野外音楽堂ステージ前は大音響がしている。、主催者側の職員から反対スローガンのプラカードを受け取って、デモ参加の群衆の中で私は声を限りに張り上げて行進した。次第に涙が溢れてきた。熱くなってきた。歓喜の涙だったのだ。鬱ウィルスがポロポロと零れ落ちていく。デモが終わって会社に戻り、社長に「ただ今戻りました」と挨拶した。凄い大きな声だった。深い霧の中に迷い込んでいた私は健常な社会に生還した。


10月17日(水ようび)  奇跡を愉しむ

 いろんな世界大会がある。スポーツは勿論のこと、おタク系や大食い・大声(も多分あるだろう)、知的ゲームなども数多(あまた)ある。このたびオセロの世界大会で、日本の11歳の少年がチャンピオンになった事には驚く。眼鏡をかけた素直そうで伸び伸びしていて好感度マックスだった。

 開催地・チェコからの機内で突然の奇跡が起きた事があって再度驚いた。この少年を日本に乗せて戻ってくる飛行機の機長が離陸直前に機内放送で、其の競技で最年少チャンピオン記録の快挙を果たした少年が乗っていると紹介した後、斯く言うこの私こそ、彼に最年少記録を今回の大会で破られた本人なのだ、と続けて表明した。

 乗り合わせた乗客は、この凄い奇遇にさぞ驚きだけでなく自分にラッキーチャンスが降ったことを幸せ感で味わったと思う。

 「それがどうした」なんて思う人は人生をもったいない過ごし方で生きているのだ、其れこそ、白を黒と言い放つ態度なのだ。思いっきり“ブラボー”、“ハッピー”、“オーマイ・ガー”、“カムサハムニダ”、“是好日”、“ダンケシェーン”、“天皇陛下万歳”等の声が湧きあがっだろう(その中に少し違和感を周囲に与える言葉もあったと思うが構わないのだ、こう言う時は)

 少年の名は福地啓介君若干11歳、嬉しいな愉しいなと言いながら操縦していた元(15歳)少年の名は谷田邦彦氏である。谷田氏もさぞや生涯に二度と味わえない満ちたりたフライトを経験したと思う。

 そこで考えた。最初、ニュースを聞いた時には、これが全くの偶然だったと思ったから、いったいどれくらいの確率で発生する奇跡なんだろうなどと頭の中を回転させたが、勿論解るわけない。せめて、ロト7でたった一人7つの数字合わせにピタリ当たるぐらいの奇跡と同じ事だろうと思うにとどまっていた。

 ところが新聞にも記事が出ていて、全日空サイドではこのたびのチャンピオン少年が自社の飛行機を利用して帰国する情報をもとに、当の元チャンピオンだった谷田邦彦氏が、かつ自社の航空機パイロットである事で引きあわせをしたと、裏話を披露した。

 其れであっても「なんだ〜ッ」と落胆する事はない。この奇遇だって、数字ひとつはずれをボーナス・ナンバーが埋め合わせをしたくらいのラッキー・チャンスだったと思うのだ。嬉しいじゃないか。

 しっかりした会社だと、これくらいのサービス提供はマニュアルに書いてあるのか。否、働く人が日頃からサービスを提供する気概をしっかり持っていて、その上で社内チームワークでこの度の引き合わせを企画する事ができたと思う。奇跡は、人の智と和で成り立つことの事例ではないだろうか。

 さて、超難問クイズ「東大王」の番組でオセロ対決があるが、難解な漢字を読み解くことが出来なければ、指す手が選べない。そこを無くして普通に対局したら、東大王のメンバーは11歳のチャンピオンを相手にどれくらいの実力を発揮できるか、彼等を井の中の蛙、と言うつもりがないが、日頃の芸能人相手に番組の出す全ての問題で常勝を続けている彼らには、時には「お気の毒様」と言ってあげたいシーンを観たい。

  秀才も雨に打たれて風邪をひき  三 竿  vs  姫路にあるオセロは白すぎ城 

 参:白鷺城が改修された後、全貌が見えたところで、余りにも白装束ぽくって別名「城すぎ城」と言われたのは、余りにも有名(?)な噺。一部修復の終った熊本城が公開された。またまた同じ轍を踏んでいる。白ペンキが在庫過剰なのだろうか? オリンピックに向けてピッチが上がってきた新・国立競技場は大丈夫かな。あれまで真っ白けに仕上げては、一同白けるぜ。


10月18日(木ようび)  現実感乖離

 ・喜んでばかりでもいけない
 ・嫌がってばかりでもいけない
 ・知らんぷりするばかりでもいけない
 ・頼ってばかりしていてもいけない
 ・逃げるわけにもいかない
 ・恐れているばかりでいるのもいけない
   ・
   ・

 じゃあどうすれば良いんだ、兎も角それって一体何なんだ → これからどんどん進んでいくロボット社会への捉え方の事だ。恐らく世界的な規模でロボット社会が広まっていくと思う。超近代にいたって、生活の中でこれまで人間がやっていた事をロボットが取って代わってやっていく場面を目にする機会が増えていくと思う。

 ロボットに対するいままでの認識は、単純作業、力仕事、危険な仕事等の人間が遣りたくないが必要な作業の代用をする機械だった。次のステップで、生産力アップのための技術ロボットが発達し、そこから生まれる大量の性能の良い製品・サービスを得て、企業は栄え人々も豊かな生活を送れるようになった。つまり、技能ロボットなど。

 其処までは何の戸惑いも無く疑いも恐れも無くロボットは受け入れられた。その後ロボットにAIが取り入れられると、ロボットは判断をするようになった。当初は、プログラム化された《機能選択による一定範囲の識別 → 判断 → 行動(動き)》を組み合わせることが出来た。その優良ロボットに介護、流通仕分け、交通整理(信号システムなど)を任せるようになった。「機能特化ロボット」とでも言うのだろうか。

 状況が進歩して行く度に人間は次なる利用価値を追求し、更なる能力をロボットに埋め込んでいく。此処まで来ると、どんな機能をチョイスするかの権利は、一般の生活者ではなく企業家が占有し、企業戦略の域でロボット開発が進められて行くようになった。

 最近、テレビで最新のロボット技術を紹介しているのを観て、私のロボット観は、冒頭で羅列した戸惑いで表わさざるを得なくなった。いよいよロボットが産業界の人手不足を補うための目的でその性能を高めさせる事になるようだ。店員が要らなくなる。サービス提供する人の代わりをさせる。人間 vs ロボットの仕事争奪戦が始まった。

 広い窓の先にある新緑の高原の景色は秋になると一面の紅葉の景色に替わる。この窓を大きな精緻な絵画、或いはPhotoに置き換えたら味気ない。風になびく枝葉、小鳥のさえずり、風の運んでくる香り全てが失われた景色が、ただ置かれている居るに過ぎない。その様な違和感をこれからの人間は、日常の中で味わうことになると思う。

 ロボット進化のマイナス要素の人に与える弊害が、これから発生して行くはずだ。特に心に。

 ダッチ・ワイフにロボ子と名付け愛そそぐ  三 竿

 参:まだ世紀末だった頃、動物園の檻の中で、コアラが木の枝分れした所で丸くなって寝ているのを観た幼女が「あっ、コアラが丸めてある」という声を聞いて、驚いた人が居た、という噺を週刊誌で読んだ記憶がある。こういう現実感のある光景を今は、ユーチューバーがわざわざ演技してバーチャル化させ、ネット上で披露している世の中である。何か恐くないか?創る方も観る方も現実社会から離れてこういう光景の中に己(おのれ)の欠片を落として行くようで ・・・


10月19日(金ようび)  退屈すぎる

 ダラダラと日常を送る人も仕事関係で毎日心が休まることなく動いてる人にとっても、10月中〜末頃の天候が、今年はどうもおかしい、と思いつくのではないだろうか? 但し、日本全国、どの地域に住んでいても感ずる事かどうかは判らない。少なくとも私の棲んでいる関東平野では、という地域限定傾向になるかもしれない。

 来る日も来る日も曇天である。スッキリしない天気である。気温は一丁前に晩秋に向っている。毎日殆ど部屋で過ごしているから、差し障りが無いのだが、ベランダの先の空を眺めても、晴れやかな気持ちが湧かないというのもつまらない。

 入院中の病人、収監中の囚人と、そして私 −−− 置かれた状況が似ているのだ。只、彼等と違う点は、病人は苦しいとか、痛いとか、切ないとかの身体的苦痛や心で不安を抱え、囚人は、自由の無い生活で気力が落ちて辛かったり、犯した罪(又は仕出かしたドヂ)に対する後悔の念に苛まれる。しかし私にはそれが無い。

 明るく陽気に生きましょう、と気分を替えればいいのだが、人から指図される状況でもないし、目的意識を持って居る様でもないから、精神が鈍っている。そういう生活にどちらかと言えば流されているから、おいそれと切り換えする瞬発力も出てこない。

 ぼんやりテレビを観続けてしまうというには、そこまで依存症になっていない。本を読んだり考え事したり、或いはマージャンゲーム(ほか)で時間をつぶしたり(興奮したり) ・・・ さて、いま行動を起こそうと思ったのが、ストレツチである。少しずつ脚力が衰えて居るのも筋肉とかスジの鍛錬を怠っているからだろう。このDiaryを書き終え、アップ・ロードしたら始めよう。では本日の川柳とダジャレのシンキング・タイム。夕餉はホウトウに決まっているからそれにちなんで ・・・

   末っ子も親父に成れば鍋奉行   三 竿  vs
        ♪ ほうとう一本さらしに巻いて〜  &  ほうとう傷害事件


10月20日(土ようび)  足の向くまま

 昨日のDiaryで天を恨むような事を書いたのが願いと通じたのか、良い天気になった。雲は出ているがしっかりした固形のクソもとい、雲が浮かんでいる。

 今はまだ朝のうちだが何して遊ぼう。家の中に居たのでは意味がないから、EMIRU(SONYα6000)かGoGo娘(SONYα55)を連れだして、いつもの通り近所周りで撮るくらい。まあ、此れでも久しぶりの私にとってはとってもアヴレッシブな行為だ。たまにはズームのマクロ領域で花のアップを狙っても良い。

       (一旦、書き込み中断)

 少しまとめて大目に、撮ってきた写真を載せる。ふたシーン、画像をロールオーバーしてある。表示した画像の頭の所に記してある。カーソルを重ねるともう一枚表示される。


敵機来襲 (二枚)   以下 Photo by  写略



昔も今もお姉ちゃんは優しい



曲芸でござい (二枚)



ハパ頑張る日・昼の部



アウトドア派のパパ



花のアフロ



正月のお飾りはしませんですの



 (大声で) ノンちゃ〜ん。 註:能年玲奈じゃないよ、鰐淵晴子だよ


 参:のんちゃんが元の所属事務所に戻る気配。名前も能年玲奈が復活すれば好いと思う、本名なんだから。

 と言う訳で、筍は雨後休日はパパのびる  三 竿 (この句のポイントは「のびる」です)


10月21日(日ようび)  政治決着

 政治決着とは何ぞ。最近起きた事件の成り行きが、真実の解明なしに政治決着で片付けられそう、という話が出たところで考えてみた。

 イスタンブールにあるサウジアラビア領事館内で起きた、同国シャーナリストのカショギ氏殺害疑惑は、事実と異なる成り行きで推移し、これに政治決着が謀られようとしているというのだ。何だか良く判らない事に付きあってしまうようだが、ニュースを垂れ流されて漠然と受け止めてもつまらない。

 そこで、これまでの、トランプ大統領の発言やサウジアラビア側の発表などを今の段階で判断材料にするなんて事はしないで、一般的に政治決着がどういうものかを自分なりに答えを出せれば良い事にする。

 考えるうえで、「経済決着」と「軍事決着」を比較するために取り上げてみる。国際間の問題にしなくとも、我々の日常生活の中の事例を取り上げてみたい。

 一人の女性をめぐって我こそはとアタックしようとしたが、恋敵(こいがたき)が現われた。中々手強い。さて、狡猾に立ち回って兎も角手を着けちゃえ、等と胆略的行動に出てみようか。アニマルの世界はそれで確定するかも知れないが、人の世にはそれなりの掟があって、その後の番(つがい)、特に男に対して周囲は許さない。職場とか地域社会から疎外される事もある。

 恋敵同志はかつては、決闘で決着をつけることが男らしい作法と受け入れられて、恋の勝利は決闘の勝者が得た。これって「軍事決着」の原型、と言っていいだろう。

 次には「経済決着」だが、これは簡単。恋とお金を天秤に載せて、さあ女を諦めろと一方が攻める。或る程度の金額まで跳ね上がって行けば、決着がつく。人間の欲目が勝負の趨勢を決める ・・・ これでこちらも答えが出たようだ。

 政治決着が残った。決闘する度胸も無い、金で頬を引っ叩くほど金も持っていない、つまり弱い男が使える手はこの方法しかない。条件として色々な物を捜し出す。この中から、相手の弱みを握っている方が、それを材料に恋敵に諦めさせる。これが正当な政治決着と言えないか? 必ずしも平和的解決とは言えない部分がある。

 映画『万引き家族』の中で、二人のパート主婦が、オーナーから、「景気が悪くでどちらかに辞めて貰わなけけばならない。二人で話し合って決めてくれないか」と言われる。

 「あんた、私知ってるからね」と、何かオーナーに告げ口されたら困ることを脅しの材料にされた事で、自分が貧乏くじを引いてすんなり決着がついた。政治決着の一例として、説明にはなっている。しかし、この政治的な決着ほど複雑な展開をするものはない。この手の範疇は、どの社会にも日常茶飯事で起きていて、それだけに、第三者から見れば、不可解に思える決着が多い。

 今回のサウジアラビア領事館で起きた事件を門外漢の日本社会でこれほど論評する事は、あほらしい事ではないだろうか、只、内容がショッキングだから、興味は湧く。単なる野次馬の右往左往する姿が思い浮かぶだけなのだが。

 只一つ、日本が抱える対外交渉では、対亜米利加との二国間交渉の惨めさは何なんだ。「恫喝決着」という世にも惨めな、政治決着の手段さえ行使できない解決力の無さの事である。

 こんな噺の決着で良いの?論評決着としては。

  恫喝で豚カツ定食おごらせる  三 竿  vs  決闘毛だらけネコ灰だらけ


10月22日(月ようび)  ジュリー

 沢田研二がGSのタイガースで唄っていた頃は、私は演歌にはまっていたからあまり剥きになって歌を聴く事は無かったが、ソロ活動を始めた以降の歌は好きなのが多かった。全盛期と言っていいと思う。彼が30歳前後の頃だった。亡くなられた樹木 希林さんがまだ 悠木千帆の名前の頃のテレビドラマ「寺内貫太郎一家」の中でお婆さん役で出て、一発芸みたいに、彼のポスターの前で身悶えて、「ジュリー〜!」と叫ぶシーンがつとに有名だった。

 へえ、そうですかという感じだが、このたびの公演キャンセル事態があった会場で、彼女がもし生きていて元気だったら、中止の張り紙の前で、あのシーンを再現してくれれば面白かった。せめて、昔からのファンだった小母さんが、代わりにやってくれても良かったのに。という程、ジュリーファンは熱狂的なようだ(どのスターのファンも同じだと思うが)。

 ステージ上のジュリーに、彼女らは感無量で尿漏れも気付かずに、胸から腹に力み切って声援したかも知れない。涙も尿も変わりはない。会場ではグッズ販売ブースにタオル・ハンカチの隣に、紙おむつが用意されるはずだった(ウソ)。

 なんだか今日の私はジュリーファンをオチョクッた態度で書いている。スイマセン。

 公演中止は、あくまで彼の希望だったという。本人が次の公演先でしっかり謝っている。古き良き日本人の美徳で、「チャンと謝ったから善いのよ」、てゆーかキャンセルした公演の事も彼の我が儘とは捉えずに、彼のキチンと貫いた態度だと認めているから、ファンの気概も賞賛に値するものだと思った。

 当初は、勝手な第三者的受け止め方から、ファン在っての芸能人としては身勝手であるという感情が私には有った。此処は矢張り、ファンとスターとの間の絆は美しい風景を魅せてくれるものだという、第三者が素直に状況を見守る事の大事さを認めた。

 兎も角、前半のおちょくり方は、やっぱり野次馬根性丸出しだ。しかし、それが私です。そう発信しないではいられないのです。ジュリーと気脈が一致しているんです。 「ジュリー〜!」

   客席に降りてお捻りねだってる   三 竿  vs  感尿による安倍総理への忖度


10月23日(火ようび)  秋雨

 腸瘻の差し込み口周辺が化膿して毎日膿が出ている。朝と夕に傷口に被せているガーゼを取り替えていて、これが2週間以上続いているので、先日予約を入れて本日、細君の介護付きで東大病院に治療に行って来た。

 スタート時点から盛りだくさん、バラエティーに富んだエピソードが連続して勃発したので、事細かに書き落としが無いくらいに記してみたい。

 A.最寄りのバス停で10分近く待ったのは仕方がない。早めに出向いたから。時刻表から2分遅れくらいにバスがやって来たのは珍しい。雨の日にしては早い。家を出る時から、雨が降っていた。

 B.新松戸駅に着いたら改札の中に人だかりしている。千代田線が運転見合わせになっている。二つ先駅で人身事故だと。すぐ迂回路線をとって、武蔵野線で南流山駅まで出て、つくばEXで北千住まで病院に接近しよう。改札を出て地下のEX線ホームに降りると次発が何と快速で、7・8分待ったがノンストップ10分ほどで北千住に着く。これほどアクシデント時の迂回を短い時間で凌げるのは素晴らしい。

 C.TX線からメトロ千代田線まで辿り着くのには、この駅の構造に慣れていない人には10分では難しい。しかし私は、LUMINE(駅ビル)の中を泳ぐように、細君の前を心は軽快、肉体はよろよろと進んでいった。3分かそこらでメトロの改札を通過している。

 D.後は乗って5つ先の湯島駅に電車が運んでくれる。入ってきた電車は前駅の綾瀬始発で空いていたから、慌てることなく座れた。いつもなら、電車のドアが開くのも待ち遠しく乗客の配置を眺めまわして、突入動線を引いている。

 E.本日の診察予約時間は、11時半、外来予約器に診察券を差し込んだのは、10分前だった。ドンピシャの到着といって良い。呼び出し器のブザーが鳴ったのが11:40分くらい、このタイミングだと、可成時間通りと言える。是も“運”の恩恵を受けたようなものだ、先週木曜日にねじり込んで入れて貰った予約なんだから。

 F.チューブが腸内から抜けないように差し込み口近くの皮膚に二か所糸を通して固定してあるのだが、私の判断としては、近い方の糸を絞めてある切れ端が皮膚に刺さって傷を作り、更に次第にその箇所が沈んでしまったために、恒常的に傷口を傷めて化膿したに違いない。ドクターも多分そんな事が化膿した原因だろうと言い、取り除いて新たに二か所縫い直した。

 G.今日はこれでお終い。病院からの帰路はいつもだと湯島まで安直にTAXYに乗って仕舞うが、何だか腹がすっきりして、何となくこれまでの体調不良は傷口の炎症だったためで、これが解消されたようにスッキリして気持ちも楽になっていた。雨は降っているが、細君も付き添っているから、駅まで歩く事にした。病院を出るとすぐ「無縁坂」の坂をダラダラと、200メートルくらい降る楽な行程だ。その先の広い通りを渡ってから、不忍池の周りをめぐって湯島駅に向かった。

 H.途中、湯島小路と言うのかな、繁華街が上野方面に繋がっている道のすぐ入口に中華料理店が在った。12:30、細君の昼食時間である。ランチのメニューがいっぱいあったが、広東麺を頼んだ。お店に断って、私はマンゴ・プリンを頼んだ。出てきた広東麺には、ミニマーボ丼、野菜サラダ、杏仁豆腐まで付いている。広東麺の具には、ふくろだけあり、エビあり、ウズラの卵もあり、私も少し食べたのだが、味付けに本格中華調味料を使っていて、濃厚で旨みたっぷりの絶品である。この料理にはさすがの細君も、今日一日ラツキーずくめの打上げの舌鼓を打ったと思う。

 私のエスコートが今日一日光っていた。

  秋雨や不忍の池眠り居り  乙三太

 お蔦・主税になったつもりで巡った池畔。細君のスマホで撮った。

 写真は二枚  Photo by SAIKUN




10月24日(水ようび)  人の名は

 ・カショギ
 ・ムハンマド
 ・エルドアン
 ・サルマーン
 ・ビン・ラディン
 ・ホメイニ
   ・・・

 中東国の人の名前っぽい、時の人過去の人を上げてみたが、別に知人でもなければ、年賀状だけのお付き合いしている人でもない。しかし何故か私にとって頭にこびりついている名前である。

 ・トランプ
 ・ポンペオ
 ・ボルトン
 ・イヴァンカ & クシュナー
 ・マティス

  ・・・ 以下同文である。実際に自分の過去に親しく交友していた人の名前が今ではなかなか出てこない事があっても、テレビに登場する人は、この頃はインターナショナルだ。日が経てばすぐにでも忘れてしまい、その代わりまた別の人が現われる。

 今年に入ってからも、日本でも日大アメ・フト部監督が消えたし、女子レスリング協会強化部長だったかな、パワハラ嫌疑で役を降ろされた人、其の彼を捕まえてパワーも無い人とこき下ろしたスッピン不美人の小母さんも、最早名前が出てこない。

 ・紀州のドン・ファン ・アマチュアボクシング連盟会長 ・忖度の功労で国税庁長官まで上り詰めてズルッと滑落した人(ズルしたから) ・・・ チョツト力まないと名前が出てこなくなった。

 居酒屋談議で飛び交う人の名前も同様、コロコロと入れ替わっているだろう。大石内蔵助、堀部安兵衛、宮本武蔵、佐々木小次郎 ・・・ 随分古い時代の人だが、こちらは忘れる事の無い名前だ。巷間で受け継がれてきた物語性の有る人は忘れられることはない(この中に架空の人物が入っていなかったよね)。

  ・・・ サウヰフ人ニ私ワナレナイ

  人の名を集めて早しテレビ界  三 竿  vs
    ♪ 人の名は中乗りさん木曽の御岳さんは ナンジャラホーイ


10月25日(木ようび)  安田純平さん

 シリア内戦中の混乱のさ中に飛び込んで行き、国際テロ組織に拘束されていた(とみられる)安田純平さんが無事に解放された。まずは国境にある入管施設に収容され、国内線でイスタンブールに向かう機内で日本人記者が張り付いてインタビューしている映像が映され、通信網を通じて日本のテレビ局から我々が確認すことになった。

 これは確かにニュースの速報性の面ではすごく有難い事なんだが、同時に記者が取り囲んで訊き出そうとする報道側の傲慢さが我慢ならない。

 地獄からの生還途中である。ご本人の心境を考えてみる。静かにカメラがその様子を写すだけでも、観る人に非現実性、内面、危機の怖さが伝わると思う。これを、寄って集(たか)って質問をする。彼が心の深くから吐き出す触媒になりうる言葉で訊き出すのなら良い。語学力も認識も人間性も無い薄っぺらな言葉でありきたりな、本人からすれば「静かにさせて置いてくれ」と訴えたくなるような質問。

 毎度の突撃インタビューで湧く不快感を今回も私は感じた。

 ビミョーなんだ本件は。事はまず第一に、彼の日常社会に戻るための精神リハビリが重要ではないか?拘束中の体験で、様々な傷を心に受けているはずなのだ。希望と絶望の幾度にもわたる神経の疲弊があったと推測して上げなければならない。精神科医など医療従事者しか接触してはいけなかったのだ。

 次に。外交関係に関わる襞(ひだ)の中に彼はまだ覆われているのだ。日本に帰ってからの彼の日程が、ジャーナリストには判っている事だと思う。まずは、当局からの様々な尋問が始まらない事には、市井の人の中に解き放たれないのだ。

 だからと言う訳で、各メディアの記者がいち早く、拘束中の様々なエピソードを訊き出したいのだと思う。しかしね、あんな移動の途中でそれをおっぱじめて善いのか? ある種の気密は塞がれたままで推移するしかないと思う。後は、当局がキチンと開示するのを望むしかない。幾ら、そこが問題だからと言って −−− それじゃあ記者の皆さん、例えば加計孝太郎と安倍晋三のゴルフ場の密談取材に突撃精神で立ち回る気が有りますか?

 それくらいの図太さ丸出しなら笑ってのち、引いて見守りましょう。子供たちに、「将来どんなお仕事に就きたくないか?」のアンケートでも採ってみて、結果に愕然として見なさい。

 このような危険地域に踏み入るジャーナリストに「自己責任」と言う言葉を向ける人が居る。私はその正当性について、海でおぼれる人を助けるライフセイバーにも「自己責任」という捉え方が出来るかどうかで判断している。海は戦地、波は武力弾圧なんだ。

  赤信号一緒に渡り取材中  三 竿  vs  ヌスラ馬鹿  & ♪ アンタキア土砂降り 雨ん中

 註:駄洒落を歌の歌詞に拾うのは題材が多いからだが、それにしても古い歌が多い。いつか、駄洒落カラオケ大会が出来るんじゃないだろうか。但し ・・・
 ♪ 猿が来た猿が来たどこに来た
    山に来た里に来た ノミも来た

   これは替え歌である。リンク先の替え歌を続けていくと、要注意歌詞アリ。


10月26日(金ようび)  虐待考

 早速、今朝のテレビ報道番組で、安田純平さんの語った囚われの身に何が起きていたかが披露されていた。勿論真実を語っているとは思うが、長い年月にわたって様々な状況の、特に厳ししい状況に置かれた一部の噺だったと思う。その片鱗においてさえ、心身ともに辛かった事は想像がつく。

 そこで、本日書いてみたくなったことが虐待についてである。

  先日、女子駅伝で、脛の骨を骨折してもなお、中継地点まで這って辿り着いた選手がいた。マラソンと違って、途中棄権はチームのメンバーに多大な迷惑が掛かる。何としてでもタスキを渡さなければならないのだ。そして、其の後のランナーは、最早自分たちのチームが良い成績でフィニッシュできなくとも、各自が、自分或いは後の選手が、走る区間をベストな走りで区間賞を取る気概に切り替えると思うのだ。

 外国の多くのアスリート集団の考えは、こういう競技は(短距離走のリレーを除き)個人記録を競うものである経験から、そこの所を個人に過大な重責を掛けることになり、いわゆる選手虐待の競技である、と見做すらしい。

 しかし、駅伝競技の真骨頂は、日本人が大切にする集団に対する責任感の尊厳さを、当事者も観客も味わうところで展開しているという事だ。後の選手の選手生命を救うために、自己に起きた負傷や不調を克服しようとする心がけで競技を続けたのだと思う。こんな美しいシーンへの評価でも、第三者の中に賛否の意見に分かれてしまう。

 ただひとつ、選手のアクシデントの状況が監督にリアルタイムに伝わらないルールは、この競技の欠点である。殆どのスポーツは、ボクシングであれフィギアスケートであれ、そしておそらく水泳競技であれ、監督かコーチが目視できる場に居るか、或いは広大な場所に於いては、要所に監視員が配置されて、事故或いは不正に対して、判定権限を与えていると思う。

  テレビの特別番組の中に、永い歴史を持っている番組がある。「初めてのお使い」である。観る者にハラハラ感と感動の織り交ざった想いを与え、観終えて一話ごと心に清らかな風が吹く。しかし、亜米利加人は特に、一発で不快感を湧かす様だ。社会的にも許されないし、時には通報されて親であろうと虐待の罪として罰せられる事もあるという。

 あんな小さな児が嫌がって、泣いていても −−− ほとんどが反抗しないで親から与えられた自分の役割を果たそうとする。可哀そうじゃないか。確かに泣きながら抵抗するその児の心は辛かろう。抵抗はあっても反抗ではない。この状況で、子供の心の中に大きな岐路が現われ、最早自分が親の言いつけを守らなければ自分が駄目になる、みたいな理性に近い感情が生まれるのではないか。

 時に私は心理学者になって居る気持ちになる。そう、克己心の芽生えである。この親の指令は、殆ど母親が担っている。母子のそれまでの信頼し合ってきた生活がベースに在って、子供は反抗という対立関係にまで至らないところで、何とか事を成し遂げようとする。特に兄妹、兄弟、姉弟、姉妹のお使いの道往きに繰り広げられる光景はどんな優れた脚本家にも描きえないドラマが展開される。

 以前、いたいけな女の子が、必死になって反省文を書いたにも拘らず親の心に響かず餓死した噺があった。あの状況ですら、その児は親との間の絆を信じて疑わなかった。

 かつて出演した幼児が成長したのちに再出演して当時の記憶について語っている。覚えている人、すっからかんと記憶に残っていない人様々居る様だが、心に強い筋肉となって、今の生き方に力を着けているのではないだろうか? 親が子に課す通過儀礼になっているかもしれない。

 この番組の脇役である撮影スタッフの行動が、共演者のように見える。それにしても、子供の目に映る彼等の存在は単なる通行人、時には風景になっているようだ。これについては、自分が体験した事で納得している。お使いをする子どもと同じ年の頃だと思う。精々五歳までの私の幻の中に見える光景である。

 競輪場のコースが見下ろせる土手の様な草地に、父と、知っている小父さんが居て、私は周りを動き回っていた。競技の開催日だったようで、時々シャンが鳴っている。辺りは他に音も無し、人の姿も無い(歓声の様なものも無い)。子供の耳目は、耳から眼から入った刺激でも意識が無ければ脳に入らなかったのだろう。憶い出しても、風景の中の三人の存在とジャンの音のみなのだ。

  本能を鞭で叩かれ馬走る  三 竿  vs  月日は虐待の過客にして、行かふ年も又旅人也。
       (奥の細道序文。古典の銘文を駄洒落に引きずり込むのは、虐待だ〜!)


10月27日(土ようび)  起承転結

 森羅万象、時の流れる世界の事々は区切りをつけて起承転結で解析できる、と私は豪語したい。

 宇宙の始まり ・・・ 起
 星の誕生から銀河の形成 ・・・ 承
 進化の途上に銀河の衝突・ブラック・ホールや惑星と生命の誕生 ・・・ 転
 そして転は壮大な時間の中でまだ続いている。
 結はまだ訪れていない。やがては「結」がやって来るのか。古今東西人類の最大にして最難解な想像の世界である。

 どうだ、これ以上にない勇壮な起承転結ではないか。次はグッと身近な人間社会の出来事に充てはめてみよう。

 忠臣蔵の物語になった事件 ・・・ 
   起 ・・・ 江戸城松の廊下の浅野内匠頭御乱心から切腹まで
   承 ・・・ 家臣の離散放浪から結集への物語
   転 ・・・ 「おのおの方、討ち入りでござる」
   結 ・・・ 高輪泉岳寺にて主君への悲願成就の報告と四十七士切腹

 更に、明治維新から第二次大戦まで
   起 ・・・ 開国・近代化
   承 ・・・ 日清日露の戦勝から支那事変までの軍事展開
   転 ・・・ 大平洋戦争突入
   結 ・・・ ピカ・ドンの炸裂で敗戦と大日本帝国の終焉

 更にこの中を小分けにしてみても起承転結で区分できる
   起 ・・・ 真珠湾攻撃(開戦)
   承 ・・・ ミツドウェー海戦の敗戦までの戦勝
   転 ・・・ 転戦に次ぐ転戦で押さえ込まれて行く
   結 ・・・ 本土空襲を受けてポツダム宣言の受諾

 多分、乱暴でなく理に適った区分けには成っていると思う。区切りの線引きには、異論があるかもしれないが、歴史学者や社会学者のそれとそれほど違わない理屈が成り立っているだろう。破竹の勢いは、返す刀で日本の短詩系文学 −−− 俳句・川柳・和歌、それに都都逸までひっくるめて、これらの作品中に、起承転結は存在しうるか斬り込み隊で突進するのである。但し、創りあげるのは人であるから、夫々の作品内容は創作者の自由な意思に由り、必ずしも起承転結が整然と並ぶとは限らない。しかし、最低限、起承転結は欠けることなく存在させてみよう。

  俳句

  俳句はそもそも五・七・五の三節で構成されるから、起承転結の四項がはめられない、ところがギッチョン、俳句の作者が四項のいずれかを、鑑賞者の心に描かせるという芸当をやっているのだ。これを私は屁理屈で捏ね付けてはいないと思っている。作者名を省略する。

 五月雨の  ・・・ 起
 降り残してや  ・・・ 承
 ひかり堂  ・・・ 転
  其の場所が霊幻な光景に見えた (私の連想) ・・・ 結

 つまり、俳句には余韻を残して、自然界の有様などを読者に連想させる「未完にして完」の要素があると思う。
 例えば ・・・

 降る雪や  ・・・ 起
 明治は遠く  ・・・ 転
 なりにけり  ・・・ 結

 この句は、「承」の部分を鑑賞者が連想して完成する。「この雪は時を経ても変わらず降っている」と雪に対して思いをふくらませる(私感)。俳句には鑑賞者に「承」の連想を預けてしまうものが多い。私はこういう句には作者自身のイメージ形成努力が足りないものとして、好きではない。上五が残りの二節(中七と下五)と全く連動して居ないから。

 さて、こじつけがバレないうちに先に進む。しかし、少し付け加えるとすれば、必ずしも起承転結の順が整ってばかり居られない事がある。

 ・四五人に月落ちかかるをどりかな 蕪村

 この句は「起」を飛ばしている。「盆踊りの情景でネ」を省いている。 ・・・ そのわけは、三句目のをどりに盆踊りを鑑賞者に想定させて重複を避けている。つまり、「結」の中に「起」を詰め込んでいる。

  川柳

 俳句で要領の説明を付けたから、結論だけで話を結びたい。俳句と同様、省略(言い足らず)がある。その部分に、「うがち」や滑稽な様を鑑賞者の感想を以て完成させるのである。先ずは江戸古川柳の中で重要な位置を占めていた艶色系の、閨の出来事絶品一句 ・・・

 むつ言(は何と言ってるんだろう)を省略 ・・・ 起
 あいあいと  ・・・ 承
 よめさまざまに ・・・ 転
 行われ  ・・・ 結

 泥棒を  ・・・ 起
 捕らえてみれば  ・・・ 承
 (アチャー うそだろ) ・・・ 転
 我が子なり  ・・・ 結

  短歌

 世中を  ・・・ 起
 捨てて捨てえぬ  ・・・ 承−上−
 心地して  ・・・ 承−下−
 都離れぬ ・・・ 転
 我が身なりけり  ・・・ 結
 
 世の中に  ・・・ 起
 絶えて桜の  ・・・ 承
 なかりせば  ・・・ 転
 春の心は  ・・・ 結−上−
 のどけからまし  ・・・ 結−下−

 西行法師の二句である。起承転結の四項を、5・7・5・7・7五節の中のいずれかの二句に充てている。

  都都逸 (7・7・7・5)

 金も要らなきゃ  ・・・ 起
 女もいらぬ  ・・・ 承
 わたしゃも少し  ・・・ 転
 背が欲しい  ・・・ 結

 都都逸の絶対要素は最後の「結」にある。其処に辿り着くまでの言い回しの妙が命である。最後にかつて私が下咽頭癌手術に臨む際の時世の都都逸で締めくくって終了する。尚、漢詩についてだが、その頃は漢詩作法(平仄の法則・韻を整える)を知らなかったから、まがい物の漢詩である。

 詫:一度アップ・デートした後、読み直して幾か所をより判り易く書きなおした部分があります。


10月28日(日ようび)  多民族化国家

 安倍晋三という男は、今握っている自分の権力を随分もったいない事に行使している。末端の部下が彼を守るために自死までしてかばって地位を安泰させた事に平気で居られる一方で、トランプ大統領から恫喝に近い要求を(でなければ調子に載せられて)あれこれを気前よく受け入れて、相手の僕(しもべ)に自分を置いた状態に甘んじている。

 国内でお山の大将で居ても、ワールドな立場ではぺんぺん草みたいにゆれている。

 そして、何より憲法改憲や諸々の政策や法律の改正にしても、多くは産業界からの要求をホイホイと受け入れて、小っちゃい所の余禄は手に入っても折角天下国家を手中に治めて置きながら、強靭な国家構築の壮大な事が出来ていない。 −−− つまり国民のほとんどに幸せをもたらさないばかりしている。

 自分の胸に手を当て深く考えてみれば、やがて自分が歴史の時間に運ばれて未来の国民に悪い印象を持たれていく事を好まず、古今の偉人・巨人と肩を並べるほどの評価を得たい、という死生観くらいは湧くはずだ。

 織田信長が天下人になった頃、ヨーロッパの先進国から極東の島国に住む未開の民衆へ、キリストの教えをひろめに訪れた宣教師が、謁見を許されてまみえた織田信長の人間性に平伏して行く顛末を描いた、珠玉の小説がある。

 辻邦生著:『安土往還記』 (文部省藝術選奨新人賞受賞作品)

 当時の日本人の地球的世界観は、おとなりの中国・朝鮮半島、そして東南アジアの王国の存在くらいしかなかっただろうが、それでも遠いヨーロッパ世界についても、伝手を通して得た情報をもとに幾らかの認識はあったと思う。しかし、一国の権力者にとって、それらの国々の人が危険性を持っているか、その世界の社会制度や文明・文化がこの国と融和するか、それとも相いれないものか、見極めようとする本能的な判断力を働かせる。安倍晋三にはこれが欠落している。

 信長は、確かキリシタンを認めている。我が国の神教と仏教の哲学が筋肉と体温のように蓄積されているから、キリスト教によって、大和民族が風邪に罹って重症化する事は無い、と判断したのだろう。

 改めて依頼品もとい、安倍総理の「移民法」改正案に哲学は有るか、を査定しなければならない。勿論、これまでの彼の国政の様々な業績を否定する側の正論に対して、賛成してきた側の陣営を思い出せば、判っているよネ、「親方星条旗」の旗と、「経済界の妾」の言葉が浮かんでくる。

 外国から人が流入する事は、あらかじめ見極めた、事前に問題事案に対応する構造物を用意しておかなければならない。いつもそうだが、そういう準備も無く無節操に安倍晋三は決めてしまう。永い無哲学の世相の中に置かれてきた日本人は、移民(と称する)外国人労働者のもたらす有害なものに感染して、いよいよ今度は息絶え絶えになって仕舞う可能性がある。此処で二例の外国人労働者の見せた姿を記しておきたい。

 細君の妹の夫が塗装業をしていた頃、中国人の幾人かが一緒に働いていた。彼らは、どうも自分たちだけ日本人と違った悪い条件で働かされているらしいと気付いた。社長に団体交渉を持ちかけたが相手にされなかった。どうしたか?本国の友人に相談を掛けて、本国政府にチクった。それが回り回って、日本の行政機関から会社がお目玉を喰らったという。ちょうど長野オリンピック直前くらいで、あの時の聖火ランナーの走る沿道に五星紅旗が波頭のようにはためいていた頃だから、日本政府もかの国に神経を使っていたのだろう。

 細君の叔父が工務店に勤めていた頃、中東地域の若者が一緒に働いていた。一人二人の数ではないほども居た。昼どきになって、現場の建築中の家の床に車座になって食べ始める前、或る日本人の仲間がおかずの足しになる様なものをパックのままで置いて、「さあ、好かったら食べてくれ」と言った途端に、彼ら全員でそれらを争奪し始めた。不味いか辛いか塩っぱいかも解らず。勿論ビツクリして見ていた叔父さんは悟った。かの国の食事作法は、早いもの勝という事を。按分する習慣が無いのだ。ひとりずつ一人前に小分けしなければならなかったのだ。

 戦前の外国人労働者と言えば悲惨な環境だったが、兎に角日本人は、外国人の性分について無知のままに、自分たちと同じような括りで接するところが有る(人類みな兄弟)。日本社会の隅々までの作法をチャンと理解させるには並大抵の苦労では為しえないだろう。かつての中国が清国だった頃、『張子の虎』と言われてしまったが、今では『紅い虎』の獰猛さを持ってきた。ただ大人しく爪を隠して街を歩いているのだ(其れでさえ傍若無人なんだから)。

 像が歩き、蛇が這い、コンドルが飛び、ピラニアが泳ぎ、どこかにサソリが潜む事に成るかもしれない ・・・ こわいだろ。それくらいの心配をして置くくらいの用心だけはするべきだ。

  立ち上がれ大和撫子護る会   三 竿  vs  五人も敵に回して遣っつけるとは、紅旗やのう

 謝:昨日のDiaryをアップロードした後で、一部、説明を判り易く書き直した個所があります。スイマセン。問題なく理解していただけたのなら、どうってことはありません。


10月29日(月ようび)  英語上達法

 思慮浅き行動は、時に人を傷つける。自分の行動の浅はかさを以てこれを悟った。昨日のDiaryに綴った文章の内容は、外国人排斥の理論であった、てゆーかたわごとに過ぎないと思った。外国人労働者への人間性考慮も彼らの労働資質に依る利益面判断も飛ばして、一方的な警戒心だけ並べたのであれば、たとえ的(まと)を得ていてもその文章は、今はやりの言葉で言えば「ヘイト」でしかない。

 これを言葉で訴えれば、「ヘイト・スピーチ = hate speech」である。では、これを書き綴って訴えかければなんというか?

 昨晩この言葉捜しに、細君と英和辞典を巻き込んで調べたりしているうちに、書くという動詞を名詞形にして、writingで「ヘイト・ライティング」は正しいのかと仮説を立てた −−− しかし、この思考では我々が半端に英語の勉強をして来た為に起こす誤った和製英語創作へとつながると悟った。「ヘイト・スピーキング」という言い方があれば「ヘイト・ライティング」でも良いかもしれない。しかし「ヘイト・スピーチ」の“speech”は(純粋な)名詞だから、動詞の名詞化などしないで、純粋な名詞を宛がわなければいけない、の決まりで捜さなければならないはずである。

 英和辞典の“hate”の最後に、hate mailが載っていて「脅迫状 非難の手紙」の和訳が在った。これだ!こう言う用法でなければいけない。ここで細君に発表すれば、こんな言葉が返って来た。

 「じゃあ、“sentence”で良いんじゃない」

 うむ、sentenceを牽くと、【判断】 【判断の表現】 −−− その単語の根底にある語義及び本義の上に形成される意義 −−− として、「文」の和訳が示されている。つまり、昨日の私の文章は、“hate sentence” = ヘイト(非難の)文である。おめでとう、答が出た。くどく描くと、「非難の意味を含んだ文章」と成るのだ。

 なぜ、私はこれだけしつこく調べたかというと、最初、細君に「 ・・・ ヘイトのあとは何だろう」と質問した時の返事が「判んない」だったから、「(沖縄でひとり健気に生きている娘に)LINEで訊いてみて」とおっ被せたのがいけなかった。「ヤダ、めんどくさい」 = そんな面倒な人の言葉選びになんて関わって居られない、と撥ねられたからである。成る程質問の意味が伝わるように考えるだけでもタイヘンだ。私自身が自分の疑問の何かを判らせるのに細君を疲れさせている。

 だから、遂に答えが出たからと言って、細君と手を取りあったりグータッチして喜ぶ場面は起きなかった。キッチンでテレビを観ている姿から恐々しいオーラが立ち昇っていた。

 私が答えを探した過程の手間ヒマでは、ヒアリングにもスピ−チにも原書理解にも堪能な能力を得て、その上にバイリンガルな人種になって行くのは多分疑わしいだろう。

 今、文部省の薦める小学生から英語教育を取り入れていく方針の中には、教育効果を引き上げるためどの程度の対策が用意できているのだろう。これまでの長い英語教育のお寒い成果は、つまりチットも効果が出てなかったようだから、同じ轍を踏んでいくとしか思えない。警鐘を鳴らす識者は多いと思うが、そんな人たちが寄って集って(たかって)、有識者会議や懇談会など開いて取扱説明書を描き出しても、中には丸く収めた美文が並ぶだけのような気がする。要は、美しい日本語文章が完成するにすぎない。

 敗戦後に若い女性が、駐留軍属相手の女になった時、周りはそのような女性を「オンリー」と言って亜米利加軍属専用と認識していた。蔑んだ。彼女らの英語上達レベルと比べて、月とスッポンの開きがある。彼女たちの喋る英語はバングリッシュとも言い囃したてられた。

 細君の母親から聞いたのだが、戦後の「のど自慢」公開放送で、ある男性が聴きたての英語で ♪ お馬シャンシャン ・・・ と唄い始めた。「アコーデオンのメロディーは、“You are my sunshine” なのよ」 この駄洒落まくった歌唱には、かつて存在した「「全日本ダジャレ藝術協会」の真打を張っている私も、若輩者となって脱帽せざるを得ない。

 かつて日本の外務大臣が何処で言ったのか(亜米利加でなかった事を祈る)、その地の高官の前で、般若心経の「色即是空」を、“color is sky”と発したという。この人は古今の禅宗の高僧でも誰ひとりとて達しえない禅の世界を究めていたのだろうか。但し 諸説(偽情報で)ある可能性も多分にあるから、その大臣の名は敢えて表わさない。あの人の為にも。

 何でこうなっちゃったの、私の昨日のhate Sentenceも、そして日本人の英語も。

  英語圏へ行って判った 通じない  三 竿  vs ハーレーたら何処行こう


10月30日(火ようび)  神経を使う読書

 気心の知れた仲間内で座談をしている場を想像してみる。あんまり若い人ではなく、酸いも甘いも清濁も、まして善悪の判断だって、人に言われなくとも判っている、そのような分別の着いた仲間内の座談は、その中に加わって居なくとも傍で拝聴して居るだけでも有意義な時間を共有した思いにさせる。

 話の内容は、ためになる・面白い・深く感じ入るものが在る・高貴だ、そして気分も良くなってくる。それぞれの歩んで来た道を究めた人の語る噺は、薫り高くその場を包む。こういう席に集まる人は、言葉についての豊富な教養と知識の蓄積があるから、お互いに意思の疎通も軽やかである。(喋りに癖のある人や場を乱す人は、疎外されるか自然に疎遠になる)

 いいなあ、こういう座談の中に溶け込んで居たいと思うことがある。それを私がいま体現するとなると、疑似的に本を読む事である。どちらかと言えば、作者と自分が相向かい合う対談になるのだが、雰囲気だけは味わえると思う。

 随筆本を読む事は、活字を通した対話であると思う。ただ作者の書いた文章をこちらは読んでいるにすぎなくとも、本来の座談・対談の中に居て人の噺を傾聴し、納得し頷き、驚き、そしてあいづちを打つだけでもその座に違和感を与えないと同じに、私たちは本を通して座談ないし対談を体験出来る。

 さて、此処までが前文なんだから。

 今まだ司馬遼太郎の『歴史の世界から』を読んでいる。評論と随筆の合わさった感じの著作、と解釈して読んでいる。この本の読書を通して、私は今彼と対談している、と言いたいのだ。チョツト対談しては散歩に出る、風呂に入る、寝る、朝飯を食う、そして対談を再開する。そんなペースで進むから、日数が掛かっている。彼は私の生活ペースを乱さない。私のペースに合わせて語る。

 −−− さてここで話の腰を私は折るのだ。彼は話の中に出てくる人物をその後繰り返して指すときに、「その彼がネ」、とか「氏はその時ネ」と代名詞を随所で使うから登場する人物が複数居る場合に、「Aさんの事?其れともBさん?」と訊き返したくなる事がたびたびある。一エピソードの中で、芝居の登場人物みたいに一度引っ込んだA氏が次の場面で、私がBさんと並んで歩きながらCさんの話をしている前に、再び前方から現われた、と思わせるように文章の中で代名詞の「氏」と「彼」を混在させるのだ。A氏は死んでもう出てこないのに、幽霊かもしれないと読者は描いてしまうのだ。

 は、読者に混乱を与えそうな場面整理にどちらかと言うと、気配りして居ないようだ。私がこの本の前に読んだ、『実録・満鉄調査部』の作者は草柳太蔵さんだったが、の文章作法は、読者がそろそろ忘れかけて居そうだからと、しばらく続けていた代名詞「彼」を実名に戻して読者の記憶を戻している。そういう配慮が感じられた。は「せっかく力作を書いているんだ、誤解されたり、意味が通らなくなってしまっては自分の不覚である」という気概を持っていたのだろう。の場合は、それが無かったのだろうか。

 彼 = 司馬遼太郎  VS   = 草柳太臓  ・・・ 敢えて、上記文章を司馬遼太郎流に書いた。難易度を下げているが実際にはもう少し複雑だった。そして、「氏」と「彼」を厳密に使い分けている風でもなく、任意に用いている、と私は思った。文章の中に代名詞を散りばめていくと、読者は次第に丈の高い草の中を視界が遮られて歩かされていく想いに陥るだろう。

 私はこの本がとの初めての邂逅(かいこう)である。其のは生涯に驚くべき量の(対談を含めて)著作物を残している。その中で矢張り巷でつとに著名な『竜馬がゆく』は、2125万部発刊された。1000万部以上のその他の作品は他に三作ある。評判が良かったようだ。小説作品には私が遭遇した代名詞の多用による人物混線は起きなかったのだろうか?

 以上の噺の他に、彼独特の難しい用語使いは、厳寒の八甲田山をよじ登るかの如き苦しみを与えるのだった。

 【 ・・・ さらには劇しいほどの意志をもってそれにそびらを向けつつ、 ・・・】 で、そびらとは何ぞ? 答は「背中」。なお、劇しいは、なんて読むのだろう?劇薬の劇だから、「はげしい」のあて字かな。斯様に読者を悩ます本だ。負けて堪るか、最後までくらいついて読み切ってやる。

  読破した面白かったテレビにしょ  三 竿  vs  ♪ お司馬なら来てよね 私淋しいの〜


10月31日(水ようび)  恋文

 眞子様  慕

 頑張っていますか。僕はいま貴女のポートレート写真に向ってお話しています。そちらの気候は晩秋に向って、御所のお庭の木々の葉も色付き始めている事でしょう。綺麗でしょうね。想像するしかありません(寂しい)

 二人にとっていよいよ正念場を迎える事に成りそうです。私の勉学の日々は充実していますが、義母様の、アッまだ言ってはいけない言葉でした、私にはどうする事も出来ないのです。妃殿下が眞子さまの為を思ってなされようとしているのでしょうが、プリンス捜しを新たに始められる御様子を風の便りで知りました。

 何かお話がありましたか?私の心は乱れました。眞子さまが苦しんでいるのではないか、と心配です。私がしっかりとして居れば、眞子さまは哀しい思いに打ち勝つに違いない、それには僕はどうしたらいいのか、真剣に考えています。

 「二人にしあわせの時が流れ着く日はきっと訪れる」

 そのためにも、二人で心を一つにしてこの困難を乗り越えたいのです。僕はこの荒々しい向かい風に晒された眞子のところに飛んで行きたい。「眞子、可哀そう大事な人」と叫びたい。遠く離れていても、きっと眞子には聴こえると信じています。護ります二人の誓いを、どんな困難があっても。

 貴女のご両親には、きっと判っている事だろうと僕は思います、貴女のお父様はかつてご自身の妃をご自身で撰ばれているのですから、僕と貴女が絆で結ばれて居れば、最後にはきっと認めてくれると思います。僕と眞子は何一つ曇りない間柄で愛し合っているのです。

 さあ、深呼吸して、窓を開き紺碧の秋空に向って、大声を上げて −−− これはチョッとマズイよね −−−僕の名前を呟いてくれないか。

 打開への道を一所懸命考えていくからね 眞子へ  圭より

 週刊新潮最新号の内容に「紀子さまのプリンス候補人名録」 ・ 「小室圭くんとさよならしたい」という内容記事が載っているのだ。可哀そうにお二人、特に之まで眞子さまはずっと純粋培養で育ってきた女性だから、母親の意向で強引に引き裂かれようとする愛の行末を私はハラハラと見守っているだが、どちらかというと、居ても立っても居られない思いもある。

 其の焦燥感が臨界を越えたのだろうか、私は小室圭君に成り切って、恋文を書いてしまった。そうなのだ、恋の放射能を撒き散らせたのだ。頑張れ圭君、愛する女性を護ってあげてくれ。

 愛し合う二人の恋街道を阻む出来事があると、私は亜米利加映画『草原の輝き』を思い出す。穢れのない自分の身を母親に信じてもらえない哀しさに、ディーン(ナタリー・ウッド)が全裸になって入水自殺をしようとするシーンが焼き付いている。亜米利加に未だ草原と土とWood Houseが多く残っていた最後のカントリーの時代に生きた悲恋の二人の物語だったのだ。

  障子紙ラブレターままの子だくさん   三 竿