2011年 4月         


4月30日(土ようび)  DEIKAの保養

 帰宅二日目の朝。DEIKAを連れ出して、近所をウォーキングしながら晩春の風景を撮ってきた。

    

 稲の苗床に水遣りをしているおばさんに、「お姐さん、稲の苗床ですよね、写真に撮らせてもらっていいですか?」と断わって、ビニールハウスの入り口からパチリと撮った。

 もう、初夏の風景なのだ。露地でなくビニールハウスの中で苗を早めに生育させているのだから、数日乃至一週間ほどで水を引いた田にて田植え風景が見られるという事か。今年の自分の前半期は季節から疎外されて病床で過ごす日々を続けている。マヂにこいう事を考えていくと、辛い。

 本日午後四時までに病院に帰還しなければならない。戦場を離れ、束の間の休日を過ごしている兵士の気持ちと同じ惜愁感なのだと思う。


4月29日(金ようび)  病院脱走

 入院期間が長引いてしまっている。これから先、まだ暫らく入院生活を続けなければ成らない。という訳で・・・

 理由:「ホームページメンテナンスと息抜き」と書いて、外泊許可を貰って帰宅した。一泊二日のかりそめの娑婆暮らしと成る。それで、早速Diaryを開いてこうして書き込んでいる。

 入院する前の予定が大幅に延長された理由は、手術前にがん患部を縮小させるため、抗癌剤を投与(点滴で)したため。一昼夜24時間で一袋 × 五袋使った。そのあと、アレコレの体の回復を経て、いよいよ来月連休明け5月第二週の佳き日に執刀オペとなる。更にそのあとの患部及び諸々の回復を待って−−此の日程が些かうんざりすることになるのだが、確実なことは、6月中旬前後に退院がズレ込むらしい。

 医師は先の事を余り確定的に言わない。これまでも入院以来の成行の変節ごとにハツキリした処置について、直前になってからでないと言わないから、せっかちな自分は苛立ち勝ちな気持ちを克服するのに苦労してきた。患者対医師の関係では、殺生与奪の権限は医師の側に握られて居る。余程の医師を唸らせる医術見識・名案を出さないことには殆ど患者側の希望は退けられる。だって、大抵の患者の希望なんて、患者本人の体であっても正しい医療行為として採択される内容ではないのだろうから。

 退院の暁に全闘病生活を独立したページに書き綴ってアップロードするつもりになっている。折しも東日本大題震災を蒙った我が国の国難と自分のがん罹病が旨く同期していて、コラボ型闘病記に成ると思う。

 医師に倣って、先の事を確定的に書かないと成ると、自分のホームページ完全再開のめどについては書かない。東京電力が発表した福島第一原発復旧計画案みたいな世間に信用されない話は書けないのだ。


4月4日(月ようび)  入院

 入院してがん患部を手術摘出する日が近づいてくる。あさって6日に入院して一週間、血糖値コントロール期間を置いてオペ執刀の段取りと言う。

 早々と再び『辞世之言葉館』を開館しておく。展示内容も以前(2月20日)と同じもの。







 入院の間は、当サイト・『浅謀近慮』は全体的に更新できない。退院して家に戻ったところで再開したい。そして、今回の入院には心に含んで臨むところがあるから、その顛末を後日、入院紀行記に著したいと思う。


4月3日(日ようび)  オネエ

 A「何かチャリティやってるかもしれないから銀座、出てみようか」
 B「うん。行ってみよう」

 Aが自分、Bが細君の言葉。夫婦の会話なんて、男言葉女言葉どちらとも言えない言葉で交わされる事があって、つまり伺い言葉と承諾言葉そのもので成り立てばどうってことは無いのだ。その会話の遣り取りがチョット不思議に思えて考えてみたら、所謂オネエ言葉の存在理由に辿り着いた。

 男が伺い言葉を発するときは特に踏ん張って「おう、これでいいかい?」って言わないかぎり、

 「どう? これ」
 「ねえ、見てよ」
 「これ、いけてない?」

 これくらいだと、聞かせる相手が身近な存在の人、例えば奥さんだったりのカップルの会話では普通に現われる。だからオネエ言葉とは、周りの人にも不特定多数の人に対しても、いつも親密な感情で接しようとする男性がその気持をより親密に現すために、強調させる言葉になるのだと思う。上の言葉はオネエ言葉によって完成させると、

 「どうかしら? これ」
 「ねえねえ、見てえ」
 「これ、いけてるわよねえ」

 オネエ系の男性は、テッペン禿だろうが濃い髭だろうが、心は常に世の中の他人を身近で親しい存在の人と捉えて友愛な態度で接してくる。それが言葉になってそのまま出てくる。詐欺師とは似て非なるアプローチ法で近づいてくるのだ(いきなり来られると、どちらにも身構えてしまうことはあるが)。

 これって一説を言い得ているかもしれないと思ったから、デッカン書に登録するべく、定理として文を改めるとこうなる。
 オネエ言葉は親愛語である。オネエは、常にオネエ言葉によって親愛を訴える人である  

 ところがややこしいところが在ってこの手の、女がかった男はタイプ細分化して行かなければマズイらしい。同性愛思考の男性はオネエ言葉を使わないと思う。ただし、とても優しい言葉遣いにはなる。−−若い頃二・三人そういう人に迫られた事がある。其れに対して恋愛のターゲットを同性と定めることなくその上で、定理に書いたタイプにオネエが居る。他には肉体的にも女性になりきってしまうニューハーフ系の言葉は、オネエ系とは違った発想から出ることは想像できるが、何となく無理に言っている印象が在る。オネエは自然体で女言葉を使う。

 オネエは、自分の描いている美しい人間関係が軋むと、とんでもない怖い罵詈雑言の独り言をいう事もある。

 「るっせえなテメーら」 これをぶつぶつ言っているのを偶然傍に居て耳に捕らえたことがある。勿論これにも自分は驚いた。「キャー、驚くじゃない。やめてよ」

 ところで、寒い中を昼間、銀座まで出向いたのに、あんまり特典はなかった。


4月1日(金ようび)  新年度

 庶民の生活の中では1月1日正月を以て新年度と言う。すざまじい変りようであって、江戸町民などは、商店から生活用品・食品などの買い物を“掛け”で調達していた事が普通に在ったらしく、酷いのになると丸一年も溜め込んだものを店の者が必死になって集金に来る。大晦日のわずか一日のぶっつけ本番で押しかけてくるはずは無いから、きっと幾日も前から「やいのやいの」と矢のような催促をしきていたと思う。

 其れを何とか歳を越して逃げ延びようと、貧乏長屋の往生際の悪い町民が必死に逃げ隠れし通して、運良く支払いの難を逃れて新年を迎えると、ヒョイと路を通りかかった店の人に「やあ、元旦早々商いかい?」なんて冷やかしたりもしたろうか。当時、それなりの戸籍管理もしていただろうから、こういう時期に火急の用で無い限り、町民は旅に出ることもママならなかった(通行手形などの申請等)かもしれない。だから、それでも逃れるために縁の下とか、苦肉の隠れ場所に隠れたりして、恥かきをして信用を落として来たかも。

 数え歳は生まれた途端を一歳にしてそのあとで新年がくると一歳上げていく年齢の数え方で、体の好い歳のさば読みに使えると思う。小ギャルハンターなんかが言いわけに使いたがるくらいの使い道が残されている。

 地方自治で「青少年健全育成条例」を定めている年齢の表記は、“18歳未満”を対象として、してはいけない行為などを禁止している。これって、満年齢を謳っていないが別に「年齢とは」と言うところではっきり例えば「年齢とは、誕生日をもって云々・・・」で、多分抑えていると思う。そうでないと「数えの18床上手」なんて小ギャルが、もっと増える。

 公務員も、三月が卒業シーズン → 四月が新入・移動となる。そういう意味では、3月11日に起きた震災は大変タイミングが悪かった−−−行政上での話という事でてんやわんやの事態になった。新年度の人事事案が丁度固まりかけた頃なんだろうから。原発事故に続く新たな人災にならなければよいが・・・と言う意味。

 一人一人の中に有る新年度は、その人の昔の体験に引きずられたものだったり、或いは(例えばかもしれない)結婚記念日を迎えて、そのあとどうなるモンでも無い人も多いだろうが、それなりの新生を迎えることになる。自分は、この月に確実に何かしらの肉体的損傷と精神の変化を迎える。

 手術は、関わる医師の日常と患者の非日常体験との闘いに成る。何となく融和と言うより闘いなのだという気持ちが強い。

 東京新聞が四コマ漫画の「ちびまる子ちゃん」の掲載を復活させた。エイプリルフールの話題だった。震災後の一億総自粛からの脱却をもう始めなければならない。