2016年 6月         


6月1日(水ようび)  或る趣味

 何日か前のNHKラジオの深夜番組で、或る女性がこんな不可解な言葉を吐いた。

 腰上手(こしじょうず) ・・・ 前後の噺から察するに、セックステクニックが良いという意味でつかっている。私はすぐにピンときて、「おいおい、それを言うなら床上手じゃないか」、と呟いたのだ。この時の女史の発言にもう一つおかしな言い方をしている言葉が在ったのだが、忘れた。

 床上手(とこじょうず)を今朝になって『広辞苑 第五版』で調べたらこうある。 「床あしらいのうまいこと、または人」

 成る程、さらりと言ってのけていて素晴らしい。ついでに、「腰上手」という言葉もあるのかもしれないと思って調べたが、流石に無かった。完全に言い違いをしていた。もしかしたらご本人が相方に「腰上手だね」なんて言われたのが嬉しくてしょうがなかったので、その時の放送の中で控えめに使ってしまった事かも知れない。却ってリアティが感じられて思いのほかの効果が出たみたい。

 でも閨房で行うわざは何も腰使いだけではない ・・・ 以下略

 註:まだちょん切っていないニューハーフのわざに到っては、自分の一物を股の後に押し込んで隠し、素股で相手の男性の一物を股間に挟みつけてイカせてしまう事などもあるという。

 ともかく、ラヂヲの中から飛び出すハプニングは、待ち構えていたわけではないので意外性が在って楽しい。だから盗撮癖のある御仁に申し上げる。今すぐあなたの遣っている行為は止めなさい、カメラやスマホを仕舞って、精々が一度体験した正真正銘のハプニングの場所にたまには立ち寄り、少し離れて「夢よもう一度」と期待して待っているくらいにしておきなさい。例えば、滑りやすい坂道の下とか、危なっかしい階段の脇とか。

 でも今はこの行為もまずは、防犯カメラなどの設置で当局は情報キャッチをするだろうから、矢張り電車に座って対面して座る短めのスカートの女性が運よく演じてくれるのを待つくらいしかないだろう。行いが良ければ神は見捨てない。

 追:こんな噺もある。或る小父さん、趣味が若い女性の(やはり)股間鑑賞だから、通勤の際に座っている自分の前にスカートを穿いた女性が正面に立った時、大抵は足を広げているから、自分の靴の甲に出し入れ自由な鏡を取り付け、角度調節に奥さんを実験台にして装置の研究していたそうだ。余りにマヂな態度だったので奥さんも断り切れなかったと、

 斯くして暦は6月へと突入して行った。


6月2日(木ようび)  男子バレー

 Diaryを書き始めたところで、第2セットが終わって日本が0−2で負けている状態。先日の女子バレーの時は観ていて楽しかったが男子の試合はフラストレーションが湧いてきて仕方がない。

 サーブミスが多いから。ただのミスとして気に掛けないでいられるのならまだしも、ミスが単なるミスでなく、試合の流れを悪くしていくミスに成っている。相手のスパイク・ミスにしろ、ブロックが決まって得点して、いざ上げ潮に乗って攻勢に向かおうとする時のサーブミスになっている場合が多い。

 連続ポイントに繋がらないのだ。これでは相手が心理的に劣勢になる様な試合にならない。

 なぜこんな状態を試合ごとに繰り返すのだろう。矢張り、体格差と言うハンディがあって、これに対する戦術なんだろう。ドライヴ・サーブを打つ選手はわずか3人くらいだが、失敗率の高い選手はもう少し流れを読んで使った方が善いと思う。単純に相手に1点献上するに留まらないのだから。

 更に、観客に向けて良いカッコしいの気持ちがあるんじゃないかと私は思ってもいる。

 日本の男子バレーの黄金時代を私は視ている。役員の政治力量不足で、日本の得意とするお家芸を封じるためのルール改正を喰らって、落ち目の三度笠になって久しい。柔道のケースと同じだ。民族的に体格(身長)差は覆せない。自滅的ミスをまずなくして行けば、今回のシリーズは、此処まで負けが込まなかったかもしれない。

 話変わって、月曜日のロトシックスで、三通りの番号の内二つが中って2千円ゲットした。こういう中り方は珍しい。きょう売り場で換金してコープ・スーパーに豚ロースブロックを買いに入ったのだが、野菜果物売り場でさくらんぼが出ていた。亜米利加産のいわゆるチェリー、山形産の「佐藤錦」と山梨県産が並べてあって、その中で流石に「佐藤錦」は高かった。しかし、量が多い山梨産だと、何日も食べ続ける事に成るから少し無駄になるだろう。一回で食べ終わるのが宜しいという事で「佐藤錦」を買った。16粒で680円。

 すぐ近くにタイ産のマンゴーが並んでいたのでこれも一つ(390円)、食べ頃を店員さんに選んでもらって買い足した。この二つは私の奢りだ。勿論日を分けて食べる事に成る。ぜいたく品を盛りだくさん食べようと言う発想は細君にはないようだ。

 あ、丁度いまバレーの試合が終わった。やっぱり敗けた。順当敗けだろう。


6月3日(金ようび)  気丈な子

 朝のワイドショーを観ている時に飛び込んできたニュースには驚いた。山中に車から降ろされておよそ一週間もずっと行方不明になっていた男子が無事に保護された。見つけられた場所が何と、最初の現場から直線5キロ余離れた自衛隊の駐屯地の中の退避施設の中だと言う。

 TVは、その直後この報道で一色になったが、捜索に途中から参加した自衛隊の施設の中だった事で、これがホントの「灯台下暗し」に成ってしまった。全く捜索範囲の網の外だと言う事だが、レギュラー・コメンテーターたちが一様に感動して居た。これがやがて、児童心理に詳しい専門家などが登場して何をしゃべるのかよりもよほど気が利いたコメントであった。このニュースは、海外にも広く報道されていたと言う。無事に保護された事を聞いて、彼の地の人々はどんな思いをしたのか知りたいものだ。多分、親に対する非難も勃発してくるだろう

 兎に角乱暴なところのある子供だったようだが、一週間もの間、立ち入った建物の中で、水だけしか摂れず、寒さを避けるために敷きマットを重ねていたとは、野に放たれても生命力と本能的な知恵で凌いだ事で映画・ランボーシリーズを地で行った感が在る。孤独感や、絶望感、不安が全く無かったとは思えないが、正に野生児である。

 子供の時から、苦しい時や寂しい時になっても弱音を吐かない気性の子は確かにいる。それに比べて私の子供時代は泣き虫だった。こんな記憶がある。

 ・・・今回の男の子とほぼ同じ年の頃だと思う。上級生の思い着きで郷里焼津の家から、遠出の行進をした。私と同年くらいの子供も何人かいた。行先は隣町の用宗。市街の北を流れる瀬戸川の橋を渡ると、道は山間に入る。そして次第に切り立つ絶壁の縁(へり)を這うような道が続き、所どころ隧道の暗い中をも歩く。下級生の私たちは、誰か(自分かもしれない)が泣きだすと、一斉に泣き出した。

 多分引率の責任がある上級生も困って哭きたい気持ちにはなっていただろう。何処からか、長い竹竿を見つけて、それを引きずらせながら音を出して元気づけて進んだ。道の途中で地元の叔母さんに出逢ったが、心配して声を掛けてきた。その時上級生が、電車賃をねだって、「用宗の駅から電車で帰りょう」と言ってくれて、私たちもやっと不安な気持ちが取れた。街の中に入って、共同水場みたいな所にザクロが実っていたのを採って喉の渇きを潤す事も出来た。

 10円玉が製造されたのは昭和26年のことである。その齢から翌年位の事だから、私は小学2年生、7歳である。上級生が貰った10円玉を見せてくれた。田舎で流通するのは、少し遅れてからである事も之で判る。

 ・・・ 私の7歳時頃の行軍体験はどれくらいの距離だったか?  Google-Mapを見ると、6q位であった。行程の半分強は隘路に近い崖っぷちの道だったが、殆ど危険性は無かった。我ながら情けない。兎も角、今回保護された男の子は、この先の人生を気強く育っていく事だろう。ご両親もその所は汲んで誤またない養育をして欲しいと思った。

 今日は、写真をいくつか載せるつもりだったが、予定変更となった。


6月4日(土ようび)  白黒写真

 昨日、早朝4時からNHKラジオのインタビュー番組「明日へのことば」に、写真家のハービー山口氏が出演した。勿論この時間での実際のインタビューLEVEは有りえない。事前に収録された物を流している。

 彼のコンセプトは、白黒(モノクロ)と、ポートレート乃至スナップである。芸術家各ジャンルの人々から専属の写真演出を依頼されて活躍してきた。

 モノクロ写真で有名なものに、写真家ユージン・スミス氏の『楽園への歩み』がある。以前私も風呂場を利用して白黒フィルムの現像をした事があった。写真友達からの影響と、この作品とに憧れたものであった。ラジオを聴きながら、これまでの撮り溜め画像の中から白黒転換して見るに堪える物を作ってみようと思い立った。

 自分の評価であるが、此処に表示した写真で先に進むほど、駄目なケース → 成る程、と思える順に成っている。あくまで自己評価だが。夫々のカラーフォトの上にカーソルを置くと、モノクロ写真が観られる。












 モデルとウェスタン演奏は人物写真だが、陰影がどちらも曖昧である。この場合は、古き時代を感じさせるイメージの方が白黒写真向きである。全般的には、無機質な被写体の方が好い表情が出るようだ。そこに陰影が加われば、より効果的な白黒写真が出来る ・・・ 以上が私の感想である。


6月5日(日ようび)  料理本

 料理の本は既に幾冊もあるが、今日また買ってしまった。それも二冊。

 とは言ってもTVで紹介する料理の活字本で、NHK放送の「きょうの料理」とテレビ朝日「上沼恵美子のおしゃべりクッキング」の夫々6月号。「きょうの料理」は5月号に続けて買った。2冊で1000円とちょっとの料金だから、安いと思う。是までは、インターネットに載せてくれている場合はプリントして、無ければ録画して置いて、作るときに事前に見てメモをとっていた。

 最近の料理紹介番組で取り上げる物は、それ程難しくないし、自分にとってはまず失敗することが無いから安心して作れる。料理研究家が一生懸命考えて試作したうえで披露しているのだから美味しいし、栄養バランスも善い事でもあり、更には参考にした料理に冷蔵庫の残り物野菜を加えたりできるから、目新しい料理に成って細君にも受けが良い。

 このまま毎月買って行ったのでは、本だらけになってしまうが、此処は頭の働かせようで、リピートしても良いと思う料理だけ、古くなっていく毎に切り抜いてスクラップで保存して行けばよい。これまでのスクラップ・ブックに既にだいぶ溜まっているのだが、近日中に断捨離を敢行してスリム化する心算である。衣料の整理と同じである。


6月6日(月ようび)  沖縄

 沖縄に在る米軍基地所属の亜米利加人は、人間の質が悪いのだ。少し前に地元の女性を殺したばかりなのに今度は若い軍属の女が飲酒運転で交通事故を起こして、取締りの警察官を舐めて掛かったと言うではないか。

 日本側は厳重に抗議という、棍棒片手に乗り込んで怒鳴りつけ強い口調で警告したかのように報道されるが、実情は、菓子折りの土産でも持参しながら頭を下げてのお願いに近い状態ではなかったのか ・・・ その後の相手側亜米利加軍属の暴れん坊ぶりを見せられると。

 何年も前から、私の娘は沖縄で健気に生きていて現地に同化しようとしている。私と細君が娘の生活を見ながら沖縄観光をした事が在ったのだが、その時車で案内してくれたのが、現地の交際相手の男性だった。彼は本島をかなり色々巡って案内してくれたが、例の「象の檻」と呼ばれていた通信施設の囲いだけが残された場所にも連れて行ってくれた。

 本土からの普通の観光者ではまずは行けない処だったのだから、彼は余程の気持ちがあって我々を案内したのだと思う。週刊誌などでも良く紹介されていたから私はこの施設が何であって、どんな問題が有ったのかも知っていた。その噺を私の方から切り出したら、娘が「へぇ、お父さんよく知っているんだね」とびっくりしていた。娘の方は知らなかったようだが。

 更に、「Yナンバーの車が近くに来ると怖いんですよ」と彼は言っていた。当て逃げなんかはしょっちゅうあるし、あっちのポリスが先に事故現場に来たら先ずは泣き寝入りになってしまいますね」と言っていた。其の後の状況の結果、日本側の警察対応がいくらか改善されたとはいえ、事故でけがをするのは矢張り怖い事には変わりはないと思う。そして現に今度の事故。

 風紀粛清とか規制では最早状況は変わらない。外務省や防衛施設庁だけでなく政治がキチンと乗り込んで行って、現地の責任者を相手に更迭させ、更に責任上の実効的な罪を負わせていかなければ、現地沖縄の人は納得できないと思う。弱腰外交によってワリ食っている沖縄の人は、亜米利加側への怒りと同じくらい、本土政府にも怒りを持っているはずだ。

 今のような態度で居る限り、相手は真の反省はしないと思う。


6月7日(火ようび)  大和君

 舛添都知事は芯から常識のない人か性格的に強引に今回の疑惑を捻り潰そうとしているか判らないところが有る。これまで周りから指摘された事を第三者と称する弁護士に指摘された不適切事項を謝って心を入れ替えて都政の仕事を続けると言っているが、人の上に立つ人にとっては立場を失墜するに値する内容なのだ。都議会で糾弾する際にぐうの音も出ないほど痛めつける必要がある。余分な情実や世界にみっともないなんて事で先送りさせるべきでもない。

 これが出来ない時は、選挙民が次の選挙で蹴落とせばいいなんて、TVの解説者は呑気な事を言っている。リコールの手が有るなんて少なくとも私の観た範囲では誰も言っていない。まして、都民から告訴してはどうかなんて焚き付ける事も無し。勿論公器の前で言う訳にはいかないが「いろんな手が有る」くらいは言えなかったのだろうか。

 或いは都庁職員のボイコットにあって、その内に精神が耐えられなくなる道が待ち構えている事も考えられる。かつて、長野県知事に就任した田中康夫さんは、不本意にも幹部職員に初めから敵対されて辛い思いをしているのだ。今度の場合、尊敬もできない、まして許せない、居て欲しくない、腹が立つの一色に染まっている職員が待ち構えている。もう仇名がついているだろう ・・・ 「ゲス都知事」

 それにしても、二人の弁護士のうち白髪の人はあんなことを言ったのでは、都民、国民の怒りの火に油を撒いたに過ぎない存在となった。

 同時並行で流れた田野岡大和君の生還のニュースに気持ちのバランスが取れた思いである。それにしても、演習場内のあの蒲鉾兵舎で発見されておにぎりと水筒を手にポーズをとった写真は、観る人に感涙を流させるほどの安堵感を抱かせる写真である。実に巧い。

 多分、携帯とかスマホ、もしかしてコンデジくらいで写したのだろう。機転の利いた隊員の功績は大きい。元気なところを皆にすぐ知らせよう、と促したと思う。この写真の価値はニュース性の大きさと、更に生命力の力強さを訴える貴重な一枚である。私はこの写真はピューリッツァー級の画像だと思う。

 これまでの受賞作品の多くが報道関係のフリーカメラマンが、一発当てに行ってドラマチック性を撮って来て見せた物が多かったが、そうなるとどうしても戦場や貧困や難民などの悲惨な情景を選んでいる。それらの慣例的なテーマを超越した感動写真があの大和君の姿だ。あの写真は正にビューリッツァー賞 に値するものだと思う。

   北の地に大和魂不屈なり  三 竿


6月8日(水ようび)  入口

 今朝のTV朝日の「羽鳥モーニングショー」で、山梨県の桔梗屋という老舗和菓子店のバカ売れ菓子「信玄餅」を紹介した。スタジオで羽鳥さんの隣でアシストをしている宇賀なつみさんがロケでお店に伺って、お菓子の梱包を手伝ったりしていた。もちろん実際に、ラインに配置されても足手まといに成ってしまう。

 最初お宅の中を案内され茶室が映された時、その茶室に招待された客が庭から茶室に入るときの狭い入口が映った。勿論部屋の中から見えたのだが、私はとっさに「ざくろ口」だったかなと思った。この言葉はほとんど日常で私が使ったことはないから、知識の引き出しに仕舞われていた言葉である。

 少しだけ不確定な気がしたのでネットで調べたら、「ざくろ口」とは、江戸時代の公衆浴場の脱衣場から浴場に入るときに身をかがめて入る場所のことである。ああ、そうだった。勘違いして記憶していた。茶室の入口は、「にじり口」と言う事も調べて判った。狭い入口と言う事で共通していたから、ニア・ミスした事に成る。「にじり口」の言葉は引き出しのずっと奥に置かれていたようだ。

 これほど近しい言葉となると、うっかり人前で間違って使うヘマを犯してしまうだろう。それにしても日本語の語彙は、こういう建造物の構造の一つ一つにも言葉を振り分けているのが凄い。Englishだったら、Entranceの一言で全て事足りてしまう。

 さあ、どちらが言語として優れているだろうか。そして、言語学者はこういう事も解明しようとしているのだろうか。少なくとも、成熟度という感覚で言えば、日本語の方が勝っていると思う。

 兎も角我々は、季節感や自然界の現象などを言葉で細かく分けているから、私が勘違いしたような事はよく起こることだと思う。夏目漱石の短編小説に「野分」と言うのがあるが、あの大文豪さえも野分を誤解(時期を勘違い)していた、という噺を何かで読んだことがある。小説を読んで確認して居ないから、ここで書くべきことではないかもしれないが・・・

 追:ところで江戸時代の大衆浴場は脱衣場だけが男女別れていて、ざくろ口の中に入ると混浴の構造になっていたそうな。好いなあ、なんて思ったら、兎も角中は暗かった。おぼろに人の存在が判る程度だったそうだ。終いの頃には湯船に垢やじんじろ毛も浮かんでいたのを隠していたのかもしれない。うっかりほっぺに付けたまま家に帰って嬶(かかあ)に引っかかれたという噺はなかったろうか。


6月9日(木ようび)  俳句と川柳

 朝の内は小雨が降っていた。午前中の内に上がってその後は薄日が射すほどではない程度に曇り空のまま日が暮れた。曖昧な梅雨の天気が続いている。利根川上流の幾つかのダムの貯水量も少ないようだ。私の住む松戸市は、江戸川から取水しているが、全量を賄っているのかは知らない。世間は水不足を心配し始めているようだ。

 短詩系文学の短歌・俳句・川柳を創っている人は、日々の生活で湧いた心情や巷の出来事をきっかけにして自分の得意とするもので一句或いは一首を作って悦に入る。私の場合は川柳を創る。最近も、先週田野岡大和君が行方不明になってから1週間ぶりに無事保護された事に触れて7日のDiaryに載せた。

 ところが、TVのプレパトで俳句添削講座がやたら的を得ている事に触発されて、私もその時のお題に一句創ることをやっている。今夜のお題は、東京駅と背景に虹が出ている景色だった。いわゆる写生吟の作法だ。今夜とうとう梅沢富美男さんが名人位を獲得した。流石に上手い。彼はしかしチョツトうるさい。彼の持ち味と言えばそれまでだが、あんなのが巷の俳句同好会などに居たら煙たがれる。

 で、本日の私の作品はまだできていない。観る事に集中していて発句する気分が湧いていなかった。ただ、川柳なら他のお題で何か作ってみようかな。時事ネタならテーマを絞りやすいから、何か考えてみよう。

 ・・・

 舛添も面にションベンかえる並み  三 竿

 もっと的確な表現があると思うのだが、まあいいや。それにしてももう呼び捨てだもんね。彼の顔は何処となく猛禽類をイメージさせる。男の顔は履歴書と言うが、あの顔は彼の処世感を連想させる。兎も角ここまでくればスキャンダル男に成り下がったと思う。


6月10日(金ようび)  簡略語

 今朝の東京新聞に、中部地方の或る市で「JK広報室」なるコーナーが設けられたと書いてある。どんな仕事をするかの説明が書いてあったが、省略する。何となくわかるという程度の理解で好いくらいの、それほど重要な仕事をしているわけではないだろう。人が余っているので部署をふやし、集めて座らせて置いたも良いし、マヂにJKパワーを市政に採りいれたいからJK受けを狙ったネーミングにしたなんて、会議で職員の意見を取り入れて決めたでも良い。

 当然当の市民からのクレーム意見が届いている。「JKなる言葉は風俗営業者の創った言葉から生まれているから、宜しくない」と言う訳だ。波紋が広がって、全国規模で様々な意見が興ったと思う。所謂、賛否両論が。

 命名の際その風俗用語という事が頭になくて採択したと思うが、新しい言葉は用法の範囲がすぐに広くなる傾向が有って、「ヤバイ」なんて言葉なんか、危険と言う範疇の言葉から生まれて、今ではずっと範囲を広げた状況に充てはめて使われている。

 職場にては、若い部下から、「マヂッすか?」と言われる事を最早止められない状態だとも聞く。「びみょ〜」も意味の深い言葉に成った。これらはほとんど若い人から発生している。以前「チョベリバ」なんて複数の言葉を短くして表現する事もJKから、確か生まれたと思う。もともとは一種の隠語だったのだが。

 アルファベットを二つ並べて言葉を表現するのは手短でいいし歯切れも良い。同じくらいに広範囲の人に使われる言葉にはあと、KYがある。もはや、アッシーとかメッシーなる言葉は完全に古語になっている。私なんかまだ「ナウイ」とか「オニュー」なんて言葉が時々出るくらいだから、ついていけません。

 ただ、私にとって不満足なのは、これらの言葉に対する賛成反対の対称軸が、不謹慎或いはふざけている、に対して、お堅いことは言いなさんなというものに成っている事である。我々は日本語を話す民族なんだ、もっと日本語的に、漢字一字一字には意味があるという事を踏まえた新語づくりをして欲しいものである。女の蕾の頃である女子高生から派生するすいたらしい感覚で進んで行って良いとは思わないのだ。最近の傾向を思うに特に強く感じる。

 さもないと、日本人の持つ肌理(きめ)の細かい情感が退化してしまうような気がする。だから「JK広報室」は「乙女のお願い承り所」に直しなさい。

 参:「鬼ツ子のつぶやき」の中で私は女子高生へのイメージ川柳を詠っていた。未体験であることが寂しい。

   小ギャル語に絡んで哀しおやじギャグ  三竿

   初援助小ギャルに敬語使ってる 三 竿



6月11日(土ようび)  OSの切替

 PCのOSをWindows10に切り替えろ、とうるさくて適わない。以前はほっといてくれ、と応えていたが最近はいつやるんですか? としか聞いてこない。今のWindows7で何の不都合もないから、切り替えるつもりはないのだが、マイクロソフト社は、とうとうユーザーの意志を無視し始めた。

 切り替えないとどんな状態になるか、と言う説明でもしてくれるのなら兎も角、ただ切り換えなければならない設定にしてしまって居る。いつ遣りますか ← スケジュールにある一番最後の日に!、と言うやりくりで引き延ばしている。

 一番心配しているのが、ホームページ作成ソフト「ホームページビルダー」がだいぶ古いバージョンだから、OS切り換え後に使えなくなる事が考えられる。それと、最近はたまにしか使わないが、Illustratorもヤバい。かなり古いバージョンだから。その辺の保証は何も確認できていない。一応は心配ないとしているが全面的に信頼して居ない。

 ソフトメーカーに問合せしても徳になることはないだろう。さあ、どうしよう。期限まではあと一か月くらいの余裕しかない。その後は有料になるそうだが、まさかそれ以外の旧OSを使用不能にするつもりはないと思う。勝手には遣らないだろう。

 さあ、どうする? こんな事に気を煩わされてムカついている。コツコツと、ネット検索して予備知識を着けていくことはしていこう。


6月12日(日ようび)  OSの切替A

 「Windows10へのアップグレードをしないようにする方法」を解説したサイトを発見した。

 遣ってみた → 成功した。へっへっヘッ。どなたかソフトに強い人が紹介している。該当のサイトはこちら

 説明の中で、方法が三つあると書いてあるが、「2.アップグレードを拒否するツールを入れる」の中の・「簡単に操作できるツール」から入って行った。ーー中に入った後ーー既に更新スケジュールがカウントダウンされている場合、次のステップに行く前にこれを壊しておく必要があるのでそれを実行する。この方法も表記されている。

 その後は本題の拒否の作業を、慎重に書いてある意味合いを判断しながら進んで行って成功した。

 私と同じ状態に置かれた多くのユーザーは或る朝PCの電源を入れたらWindows10のアップグレードが始まってしまった、と言う人が多かったと思う。「消費者センター」に相談や苦情がだいぶ届いたことで国会でも取り上げられたそうだ。

 完璧にマイクロソフト社の思惑を弾いたかどうかはもう少し日が経過してみないと安心できないのだが、兎も角、数日ごとに突き付けられる督促は受け取らずに済んだのではないだろうか。心は晴れた。どんよりとした雲が空を覆い、雨が降って来ても良いですよ〜 ・・・

 「土方殺すに刃物は要らぬ 雨の三日も降ればいい」なんてこともなかろう、どんどん降りなさい。


6月13日(月ようび)  舛添氏炎上

 亜米利加のモハメド・アリさんが亡くなった事で昨日、TVで追悼番組をやっていた中に、アントニオ猪木氏と、異種格闘技の録画映像が流れた。延々15ラウンド、各ラウンドのほとんどの時間を見せられて、あの試合の実況放映(と思う)を観た時に感じたイラつきを再び味わう事に成った。猪木氏はスタンディング・ファイトをほとんどしていない。

 これがホントのあんときの猪木。

 私はこの時の試合が、最後まで観続けたという記憶になって居ない。途中でチャンネルを変えてしまったらしい。今回見たらチャンとフルラウンド闘っていた。よくも延々と同じパターンを続けられたと思う。猪木さんもアリも。この試合を構成したのは闘う両者と言うよりもセコンドだったのではないだろうか。

 アリは言ったよ「そんなの有り?」

 リングサイドのチケット代が破格−−−1976年、今から40年も昔だよ、35万円だか36万円。「金返せッ!」 そう言いたくもなっただろう。

 註:ウィキペディアには30万円となっているが、昨日の放映で確かテロップで35万円だったか36万円と出ていたと思う。

 延々と同じパターンで試合をしているかのような場面は今の舛添対メディア&舛添対都議会議員にも言える。本日、やっと公明党都議の女性がバチンと有効打を放っていた。オークション等で買った絵画の明細と所在を明らかにするように舛添氏に約束させた。

 矢張り女性はズバリと実効性のある発言をする。自分の夫に浮気の嫌疑が在れば、最後は白状させるのも天賦の才覚である。男はその点腰が引けている。同じような脛に傷を持つ後ろめたさがあって強く出れないのかもしれない。

 それと、舛添氏の場合は奥さんが彼の政治活動に裏方でいろいろ関わっている。舛添政治経済研究所 代表取締役をしている。犯罪の陰に女あり、というがそれに近い存在に居ると思う。

 政治家の胡散臭さは常に惹起しては付きまとっている。舛添氏は疑惑の掛かった政治家のエスケープゴートになった感もある。


6月14日(火ようび)  舛添氏炎上A

 舛添氏の答弁を聞いていると、どうしても解せない事が出てくる。これまでの次第に追い詰められて行く過程を踏まえて視ていて、どうしてメディアがここまで執拗に攻め続けているのか判らないのか?と言う点と、(その理由が判らないのと表裏一体となって)次第に自分の弁明が論理性も納得性も全く通らなくなったと言う事が理解できないらしい、という事。

 こちら(周り)が呆れている事を先刻承知したうえで振る舞っているとしても、勝ち目はないのにも拘らず言うこと為すことが悪あがきの姿に成って見せている。これは最早客観的状況だと言っていいと思う。こうなると彼の生い立ちや人格形成期の環境などを知りたいと私は思う。仮に世間に対して歪んだ感覚を着けてきたとしたら最早意固地になっているに過ぎない。或いは、身近な人の中に引導を渡す立場を執れる人が居ないから自分が崩れることを恐れて、それで「降参」が出来ないのかもしれない。

 窮鼠猫を噛むと言う喩えがあるが、今関係者が想定するのが、「知事不信任」の動議が通ったとしたら、彼は議会解散で向かってくるかもしれない、何とならばもはや常識が通らない人物という事を理解したからだと思う。一人物を評価するのにもこれほど事態がややこしくなっている攻防も珍しい。

 精神科医などがキチンと鑑定できれば面白い。或いはここで久々に田中真紀子女史に登場して貰って「舛添氏を何と例える?」と訊いても面白い。

 それにしても政治資金規正法が如何に法の体を成していないかが良く解かった。この法律、或いは議員の政務費やその他の金銭的特権が日本の政治家を堕落させた元凶だった。嗚呼、傷だらけの法律・・・

 追:頭の良い人は時にとんでもない理屈を駆使して処世術を構築することがある。「人を殺しても自分は無実であると論破できる」 かつて私の前ではっきりそう言った人が居た。随分難しい本ばかり読んでいた。今思うと、その理論を訊いてみればよかったと思う。


6月15日(水ようび)  舛添城落城

 今朝のワイドショーで、舛添さんが都議会事務方に知事辞任の届を出したことを報道した。急転直下、昨日のこれまでで一番長い一日を体験し、流石に気持の中で何かが瓦解したのだろう。こういう変節は正常な神経を持つ人であれば、がっくりきたという事だ。織田信長は二条城の炎の中で、また徳川慶喜が大政奉還に追い込まれたときも、つまるところ、がっくりと来た。そして心は悔しさと情けなさの心情に支配されたと思う。

 子供が可哀そうだが、リオ・オリンピックの閉会式に出席して旗を持ちかえらなければならないと哭いて訴えたと言うのだから、憐れなことだ。

 辞表は自筆であったと言う。昨夜のうちに書いたのだろうか。

 「ママ、例のチャイナ服出してくれない?」
 「まああなた、こんな時間に書道するの? 気を鎮めるためなのね」
 「いや、辞職願を書く事にしたんだ」
 「 ・・・」
   ・・・
 「出来た。やっぱ筆の運びがスムーズだった」

 なんて一夜だったかもしれない。そして、今夜舛添氏が辞任の挨拶をしている場面がTVから流れた。自民党所属の都議が昼間、「武士で言えば、断罪の打ち首でなく、切腹を選んだんだよ、もう許してあげようよ」なんて言っていた。政敵にとっては冗談じゃないよ、と言うところだが巷の都民国民の一部には心情的にいくらか同じような気持ち・憐憫の情が湧いたと思う。

 更には、憤怒の中にいくらか野次馬根性が有ったかもしれない。この状況を例える近い言葉に「火事と喧嘩は大きいほど面白い」がある。そして ・・・ 大江戸大騒動は、一つの終焉を迎えた。今夜あたりから幾夜かは街の赤提灯で客同士がしんみり語り合いながら酒を酌み交わす事に成るだろう。

 今日一日の辞任報道の中で、こんな事を言っているコメンテーターが居た。「幹部職員とか、議会でこれまでの知事の公私混同を諌める場がなかったんだろうか?」

 確かにその通りなのだが、私にはむしろ彼の公私混同ぶりは都議会議員諸氏にとっても既成の事実として承知しているはずで、これまでは総体的に(つまり野党の一部は議員個人の議会だよりなどの報告チラシで地域住民に報告していたが)波風立てないでいる事を善しとする空気が在っただろうし、世間が騒ぎだしたら一斉に叩き始めた事は否めない。

 自民党会派の日和見的スタンスは宜しくなかった事を私はようやく判断するようになった。

 私の中の舛添事件はもう今日で終わりにしたい。  人は言う電気椅子だと知事の椅子  三 竿


6月16日(木ようび)  親の介護

 細君の母親が今年90歳(卒寿)に成った。流石に記憶力が衰えて、色々な日常的な事が時間が経つと覚えて居られなくなっている。しかし、三人の子供とははピントが外れないで会話できているようだ。私はここ何年かは体調も良くないから伺っていない。(連れ合いである義父は既に亡くなっている)。

 その義母が一週間ほど前に家で階段を下りる時に転んで打撲を負ってだいぶ痛がったので骨折している可能性があって救急車で病院に搬送された。日頃世話をしている義弟の留守の時だった。

 単なる打撲だったから良かったが、それを機会に、以前から酸素不足を補う吸引をしているくらいの身体だったのが苦しむ事に成り、いま、改善治療のために入院が続いている。

 兄妹三人が交代で見舞いに行って、話し相手に成ったり身の回りの世話をやいている。昨日も細君はアルバイトが終わってから都内の病院まで行って来た。

 私の場合、両親は10歳になる前に亡くなった。長兄の家族の居候に成って小学4年から中学3年までの間過ごしているが、ごく若いうちの事で苦労した記憶を覚えている事は少ない。これはきわめて特殊的な事で、世の子供たちは自分が老域に入った頃、老いた親の面倒を看なければならない。核家族化社会になった分、苦労しているようだ。

 細君が介護している状況はよく理解してあげなければならない。私に出来る事で何かと支援していきたい。


6月17日(金ようび)   人類の旅路

 文庫本・『人類20万年 遥かなる旅路』は、分厚い本(570ページ)で文字もびっしり埋まっているから、毎日とは言わないが小まめに区切りごと30分位読み続けていて、ようやく247ページにまで差しかかった所だ。

 筆者が、これまでに他の考古学者や人類学者の発掘した実地の遺跡に行って、その場所その場所で研究を続けている同業学者に、解説を受けたり骨や石器或いは論文資料などを見て綴っている。

 アフリカ南西部から始まって、人類の祖先が出アフリカを果たしたのは何時ごろか、どのようなルートを通ったか、当時の気候が氷河期かそれとも間氷河期か? 様々な条件を拠りあわせながら推測して行く。これらの研究に携わる学者グループが各々の説を立てている。驚いたことは、発掘された骨がまず人類のものか、他の動物かを見極めるのにDNA鑑定している事である。

 それも現生人類か、旧人類かを見極めつつ理論構築している。そして、それはいつごろの足跡だったのかを埋もれていた発掘品及びその地層の放射年代測定も併せながら、旅路のルート図を拵えていくのだ。学者たちの生涯かけて研究する事の我慢強さには驚く。そして、地名や人名(地名については挿絵がある)が読んで行く度に増えていくややこしさも付いてくる。

 ようやく現生人類がオーストラリア大陸に足を踏んだところまで進んだ。諸説がまだあって時系列的合理性で計ると5万年より少し前頃に成ったのではないかと言う。

 この先、分岐して移動した人類がユーラシア大陸の北ルートを通り、北アメリカ大陸に踏み入るのはいつ時ごろに成るのか?大いなる期待が沸く。細かいデーターがいっぱいあるから一読30分が切れが良い。

 アフリカのブッシュマンやオーストラリアのアボリジニの生活も筆者は観察している。太古の記憶が彼らの生活の中に残っていると言う。


6月18日(土ようび)   漬物

 昨日新生姜の甘酢漬けを作った。だいぶ前にも作ったことがあったが、その時は味と言い歯ごたえと言いあまり上手くできなかった。難しい処は一点、生姜を出来るだけ薄く切ることだが、丁寧に説明、もとい切っていったので、湯通しした時にはもうしんなりしていた。

 保存で注意する点は、カビを生やさない事だそうだ。約三か月冷蔵保存で持つと言うが、本日細君と息子が早速夕餉に食べているから、(それに、美味しかったと言うのだから)あっという間に無くなりそうだ。ラッキョウの方も即製の酢漬けが食べ頃の味になってきたので、これも今後バクバク食われたらすぐになくなるかもしれない。

 今回拵えた物(ラッキョウと新ショウガの酢漬け)は沖縄で独り健気に働く娘にも送ってあげるつもりである。本人は食べるかどうか判らない。実山椒がスーパーで瞬間的に出たのを買いそびれたのが今になって残念至極である。梅干しはチョツと手を出さないでいるが、途中副産物で出来る梅酢は欲しい。

 時々思う事がある。色々作っても冷蔵保存するとなると、漬物専用に小さな冷蔵庫が無いと仕舞いようがないしその上、当の冷蔵庫の置き場所そのものの確保もままならない。出来合いの物は大量生産している事と、長持ちさせるために保存用の添加物が入っているから味的にも深みが無く、健康的にも不安があるから避けるべきだと思っている。世の中には自分の食べる野菜も自分で栽培して食べるという徹底主義の人が居る。

 ここまで来ると、チョツと着いていけない。ほどほどのところで妥協を入れて作っている。斯く言う私は、全食事、経腸栄養剤を摂りいれて生きている。嗚呼・・・


6月19日(日ようび)   イチローの記録

 亜米利加の国民感情を察するに、イチロー選手がピート・ローズのメジャー生涯安打数4256本を超えた事が新記録とは言い難いと思う。

 日本のプロ野球時代の数字をそのままメジャーの数字としてカウントすること自体、メジャー記録とは成りえないし、ピート・ローズを超えた事には成らないのが道理だから。「日米通算安打数」と言う別の冠を付けて別物の記録として別けるべきと私は考える。但し、その数字に対する評価はどう捉えるかは別の意味合いを持たさないといけない。そして、それは今回が第一号としての記録であるから日米のプロ野球機構の関係者で定めればよい。

 所属した年数やその数字の内訳でも色々な意味合いが生まれる。

 日本人のイチロー選手が本場亜米利加に行き、体格・体力に勝る選手たちの中で抜きんでた成績を上げた事で日本国民が大騒ぎをしているのは当たり前のことだと言うだけの話。私はクールにみてとか、とやかく言うだけで言っているのでなく、チャンと考えてみれば亜米利加人の評価する根拠を正しいものと言わざるを得ない事を言っている。日本のプロ野球とは数段過酷な状況の中で一からやり遂げるのとそうでないのとの違いを認めなければならないと思う。

 大体が、日本のプロ野球界に亜米利加のメジャーのトップクラスを引き抜いてくる状況でもあるなら兎も角、現実は落ち目の三度笠を斜にかぶってやってくる選手が多いのが現実、日米の実力差の証左なのだ。そして、日本の球界は、選手のメジャーリーグ記録をデーターとしては参考にしているが、日本での試合の成績内容(打者であればホームラン本数や安打数)は一切表面的には合体して出していないじゃないか。別物として見ている。

 私個人のイチロー選手への評価はどうかと言うと、新記録を出した時の試合後の記者会見で彼が「特にあの数字は目標として置いてきたわけではない」みたいな、気にも留めないような言い方は可愛げがなく、好きではない。ファンとの一体感あってこその人気稼業である事の立場も必要だ。どうも無理して振舞っている臭い姿にしか見えない。

 それと、彼が日本でプレーしていた頃、首位打者が確実になった頃になると、欠場を続けてきたことへ私は反感を持った事も思い出す。メジャーに乗り込むという事は本人の強い意志によって実現性が惹起するわけだから、チーム(オリックス球団)にとっても最早、高く売れる条件確保設定と為るから、彼を温存させていたのかもしれない。本人が打席に立ちたくない事を強く希望して居たかどうかは知らないが、ファン無視の状況であったと言うべきことだ。

 スポーツメデイアだけでなく国民的に今回の盛り上がり一辺倒であれば、浮かれすぎであると思う。メジャー安打記録3000本達成に今はウントダウン中である。この記録が出た時、亜米利加国内の評価が再び高まるのだ。彼は最早日本球界の人ではない事を冷静に認識したい。

 追:この私のホームページの中の『諸説紛々』→『上司論』で勝つ快感”はスポーツ選手の『上司』です。と書いている。国技の相撲でも外来のベースボールでも、勝つことは彼らの最高の快感であり、これがためにその道で闘っているのである。


6月20日(月ようび)   通院日

 本日は東大病院通院日。朝9時30分少し前に家を出る。この1年くらい、バス又はタクシーで駅まで行っていた。時には直接病院までタクシーで乗り付けた事もあった。それ程具合が悪い時もあったのだが、本日は思い切って自転車で駅の近くの駐輪場まで行って電車に乗った。

 メトロの湯島駅からも時間をかけて歩いて行った。とてもしんどかったが、これによって悪化するところが出る事も無い。やればできるじゃん。但し、電車の中では何とか座っていたい。是も叶えられた。

 造影剤なしのCTを撮った。半年前の画像と比較しながら、ドクターが言う。「肺炎の細かい処みたいのが少しあるが、悪い時(半年前)と比べたらだいぶ良くなっている」

 一応遠慮がちに、「少し口から入れる事は遣れそうですか?」と聞いたのだが、矢張り自信がなさそうな様子で見解を述べたのでお預けとなった。

 「少しでも経腸栄養剤では補えないものを身体に入れたい気持ちが強いんです」と言っておいたが、誤嚥を起こしたら元も子もないのだ。今度の冬を乗り越えたらもう一度検討しましょうと言う事に成った。

 時の流れ着くのを待つ

 今回もこの言葉の持つたおやかさに癒されて素直に諦める気になった。

 夕餉に息子と細君は、我が家の此れまでで恐らく一番いい牛焼肉丼を作って食べている。昨日スーパーで特売していた和牛カルビ肉が買ってあった。それに、真蛸入りの野菜サラダレモン味と。これは『文士料理入門』という本の中に「スペイン酢だこ」と言う名で壇一雄さんが紹介していた料理である。ネーミングは流石である。

 嗚呼、私までも幸せになってくる。


6月21日(火ようび)   怨念は続く

 既に更地となっている国立競技場の忍び泣きが続いているかのようだ。まだ十分に現役で働ける建物だったのに、人間どもの欲目でお払い箱にされ、断末魔の声を挙げる暇もなく解体されてしまった。

 霞ヶ丘遺跡。

 怨念がその後次々に人間どもの遣ること為す事に襲い掛かり今なお続いていて、これから先も呪いは収束しそうもない。新競技場の設計案が白紙に戻り、設計者のザハ・ハディド氏へと違約金込みで20億円の金が流出したと言われている。工事中止に因る発注先へのペナルティ料でも損失は出る。そして更に彼女はそれから間もなく異国(亜米利加)で客死してしまった。

 更に最初のエンブレムは盗作の嫌疑が掛かってポシャリ、次に新国立競技場の新しい設計図が決まったものの聖火台の設置場所が入っていない。大変なミスを引き起こしている。

 猪瀬さん、升添さんとも開催都市首長の任期を全うすることなくスキャンダルで失脚・・・この不幸の連続を偶然の重なりと一蹴していいのだろうか。私はこの先の更なるミステリアスな事件が起きる予感を否定できないのだ。

 どんなことが起きるか?

 ・首都圏を襲う地震災害
 ・テロ事件
 ・某国との軍事衝突
 ・もう一度原発事故

 何となく起こる可能性があるものを並べても之だけ出てくる。オリンピックがらみにはなっていないが、2020年開催への少なからぬ影響をもたらすものとしては、起きてしまったら言えることである。或いは中国企業家の日本国内不動産買いあさりの末の施設建築などへのトラブルもあるかもしれない。この可能性を挙げたのは、バックに中国の国家権力が今、様々な形で日本に不利益になることを画策しているから。

 あんまり気持ちが良くならない想定である。


6月22日(水ようび)   退屈

 一日中どんよりとした曇が空を覆っていた。雨は降らなかったが肌寒い梅雨空だった。天気図を見ると、梅雨前線が九州南部に掛かり、その先が本州の南の海に伸びている。そして、日本の周りには低気圧ばかり並んでいる。記録的な豪雨になった地域もあると言うのに、関東地方はチャンとした雨に成らない。

 毎日毎日決まったパターンの生活が続いていて、朝の4時前後に最初の経腸栄養剤を入れ始めて、一旦寝直して8時前後に起きだした後は、前半の食事(経腸)が終わるのが昼前後になる。此の間三袋を点滴しながらリクライニングシートに座ったままTVを観ている生活。この時間には本を読む事はあまりしていない。退屈。退屈で頭のネジが緩んでくるのか知らん、水漏れするような感じでへんてこなギャグが漏れ出した。

 お毛々と毛々の襞(ひだ)を合せて幸せ 南〜無〜ゥ

 私は全日本ダジャレ芸術協会所属の真打なんだから、兎に角湧水のようにしてダジャレが出て来てしまう事が時々ある。それにしても下ネタに成ったのはどうしてか?ついでだから今日は以前創ったダジャレ替え歌を書いてお終いにしよう。

 ♪ パンチラくねくね おいでに乗っかってって チュバチュッチュチュ

 元歌は金毘羅舟々 ・・・ ♪ 金毘羅(こんぴら) 船々追い手に 帆かけてシュラシュシュシュ


6月23日(木ようび)   又もネーミング

 さあ、今日の退屈しのぎには何しようか。乗用車の名前とかエア・コンのネーミングで遊んだことがあったからまたやってみよう。今日はどんな商品にするか ・・・ 

 いろいろ考えているうちにある事に気付いた。それは、服飾品とかバッグ、或いは靴などに一般的な商品に付けるような名前(ブランド名)はチョッとそぐわない事である。デザインが勝負の品物は、変に名前を付けるとその名前と品物のイメージがカチンと争ってしまい、購入しようとする人の心理が盛り上がらなくなりそうだ。

 婦人靴のダイアナは、華やかで若いアメリカ女性のイメージが浮かんでくるから、ためし履きしているうちに「私が欲しかったのはこれ」みたいな気に成っていく。或いはデザイナー自身の名前をブランドにすると、如何にも高級感とセンスの良さをその商品が持っていると感じさせる。だから人の名前などをネーミングすることになるので遊びには向かない。

 各都道府県が自分の県のイメージを表わすキャッチコピーを公募したりして盛んに付けたことがあった。

 ・「彩の国さいたま」などは、それまでダサイたまなんて馬鹿にされているのを払拭させた。
 ・おいでませ山口へ

 など記憶にある。これをほぼ網羅しているサイトがあった。或る時、私は秋田県のキャッチ・コピーを創って応募したことがある。 「いろはのゐ 秋田のあ」だったと思う。う〜ン残念だった。市区町村でこれを遣ったところもあるだろう。さあ、此処からがネーミング遊び開始。

 ・雪の慕情 奥飛騨
 ・夏は軽いッス 軽井沢
 ・湘南です
 ・サンマだけじゃないよ目黒は
 ・きのうも来た街 銀座
 ・夢の中で歩いてみたい大和路

 おっ、イメージがどんどん湧いてくる。面白いが際限が無いので以下、バツサリと尾張。


6月24日(金ようび)   利口馬鹿

 英吉利で国内を二分する選択選挙が実施された。EUから離脱するか留まるか。私の予想は外れた。やはり遠く極東の片隅の日本で彼の地の人々の抱える問題の本質などが判断できるわけがないのだ。以前、橋本徹大阪市長が挑んだ大阪都構想の住民選挙では現状維持を望んだ勢力が勝利したが、これは改革後のパラダイス構想がイマイチ描けず、それなら今までで良いや、と言う心理が働いたのではなかったか。

 それに対し、矢張り英吉利人はかつての大英帝国の栄光よ再びというプライドが強い国民だったと言う事を思い知らせたのではないかと私は思う。孤立主義ではない。自分たちの国家は、自分たちで運営していくべきだ、という国家意識の現れだろう。

 人間の永い歴史の中でいつも試みては失敗してきたことの一つに統合国家の建設構想があった。同一民族、同一言語で統一された国家同士が、様々な下地(都合)があって統合を試みたが、矢張り民族、習慣、宗教などがお互いに相容れないまま内紛をはらんでやがて破綻している。武力で吸収されてもやがて独立運動で自主国家に戻ったり、二つの大戦後の国家再編という都合で寄せ集められた人々の混在する国家も内部解体したりしている。

 EU構想の種たる統一理念はなんであるかは詳しく知らないが、経済的共通目標を目指しながら国家間で融和していくことが今のところ形態を現わしている。そのために共通ユーロ通貨を流通させ、国家間通商の自由化が執られてきた。

 それが英吉利国民には許せない様々な事情の方が膨らんで、不満となったのだろう。日本のメディアはこの行末を大々的に取り上げて、国際通や経済通の諸先生方が解説しているのだが、私はあまり真剣に聞き耳を立てる事をしないで、「ああそうかい」と言う態度でいた。

 むしろ、人間の性(さが)の現われ方について読み解くことに関心が有ったのだろう。各国の株式市場は暴落し、為替相場も荒れている。最早英吉利一国の政情も金融市場と言う人間の貪欲さから生まれた資産経済の場で国際的な経済混乱を起こす。

 人間は他の動物に比べて進化の途中までは強者に成長してきたが、最早ここまで来ると、行き過ぎた生物に成ってしまったようだ。 これを利口馬鹿と言う。利口馬鹿は次に何をしでかすのだろう。

 細君が先ほど帰宅した。職場の仲間4人組で、仕事が引けた後、花金の銀座に出向いて七丁目の銀座ライオンで飲み会を愉しんできた(但し、細君はノンアルとウーロン茶)。「銀座夫人」と私の付けたニックネームの通り、皆さんを引率して色々楽しませたようだ。地域誌「銀座百点」の七月号がもう加盟店(木村家)の店先に並んでいたので皆さんにも分け与えてきたと言う。あの冊子は銀座の雰囲気を漂わせる秀逸なものである。

 小母さんたちの平和なひと時にかんぱ〜い。


6月25日(土ようび)   運動せねば

 義母が病院を退院した。半月くらい前に、階段で転んだらしく、救急車で搬送されその時の痛みがだいぶ薄くなったが、呼吸不全の症状が出て別の病院に転院していた。その症状も落ち着いたところで家で療養する事に成った。家の方が本人も安心するようだ。介護ベッドをレンタルで家に搬入して、これからは寝起きが楽になる。

 入院期間中、私は自分自身の身体がしんどい事もあってお見舞いにも行けず仕舞いだった。義母は90歳になったが、身体がこれからどれだけ回復するか? そうなると、先に逝くのは私か義母かどちらか判らない。チョッとヤバい。

 夕餉の料理はほぼ毎日私が作っているがこれに関しては、以前より体調が良くなっている事に成る。買い物に行くにしろウォーキングを実行するにしろ、もう少し外に出る事に積極的な気持ちにならないといけない。真夏に成ったら外出するのが辛くなると思うから、今のうち暑さ順応対策をしなければならないのに。


6月26日(日ようび)   鮎

 有朋自遠方來
 不亦樂乎

 論語の中の有名な一節である。日本でこれを読むときにレ点の付ける位置によって、一行目は「朋有り遠方より来たる」「朋遠方より来たる有り」と書き下しが変わる。意味はどちらも同じである。どちらが響きが良いか、という事で異なっているのだと思う。そして、を「友朋」と表わして書き下す事がある。

 朋の本来の意味としては、同じことを学ぶ仲間とあるから、友朋と書き表して広義の意味の友と解釈できるようにしている。二行目は「また楽しからずや」である。

 昨日、埼玉県に住む鮎釣りの師匠である友人から電話があって、釣ってきた鮎を届けたいと言ってきた。けさ、10時ころ車でやって来てくれて頂いた。いつも釣りに同行している大師匠が家庭菜園で栽培した野菜などの幾つか有りがたいお土産も貰った。

 近くの喫茶店で釣りの話、アルバイト仕事の話等を訊いたりして小一時間歓談した。我が細君とも幾度か顔を合わせているから同席した。私は飲み物も飲めないが、お店へのエチケットとしてアイスティーを頼んだが細君が之も飲んでくれた。

 久々に家族でない人との会話を楽しんだ ・・・ 不亦嬉乎

 夕餉の一品に早速鮎に櫛を指して塩を振って踊り焼きにして食べさせた。「やっぱ、おいしい」かったそうである。


6月27日(月ようび)   晴天

 本日は晴天なり ・・・ただ今マイクの試験中じゃなかった。でも、久々に太陽が照って、こういう日は家族の布団乾しをする。自分の布団は細君がベッドを畳む際にやってくれるが、細君と息子の分は私が乾すようにしている。夏至直後は日照時間が長いから、入れ替えに成る。二毛作みたい。

 そういえば、夜中のたしか2時半ごろだったと思うが、聴いていたラヂヲは音楽を流していたが、報道部のアナウンサーが割り込んで地震情報を報道した。新潟・上越地方が震源で、最大震度が3だから極くありふれた地震でしかない。NHKは鬼の首を取ってきたかのように得意に成って同じ内容を2・3回繰り返す。

 早く終えてくれ。内陸の地震なんだから「この地震による津波の心配はありません」と言わでも良い事まで言う。こっちはトロトロと音楽を聴きながらまどろんでいたのに極めて興ざめである。チョッと不思議に思う事があって、割り込みが入った事など、OAしているスタジオのDJには伝わっていないかのようだ。今流していた音楽が聴取者に満足に聴かせられなかった事など全く意識にない様な態度だ。

 この地震は、5分ぐらいたってまた同じ震源地で繰り返されている。あれ、群発地震か?熊本で頻発した時ほどの規模ではないが少し気味が悪い。しばらくしてそのまま眠ってしまったから、その後はどうなったか判らない。


6月28日(火ようび)   “時”

 「光陰矢のごとし」という言葉と「時の流れ着くのを待つ」の言葉は対称の言葉である。自分が意識して待ち望み感知する“時”はゆっくりと流れてやってくる。これが「時の流れ着くのを待つ」であり、もう一方が人の意識を超越した、瞬間瞬間が過去の彼方に飛び去って行く自然界の“時”である。

 この、“時”と言うものは何によって作られたのかそして、何故存在するのか私がいくら考えても判らない事である。生き物の生涯の間にどんな作用を為しているのかも解らない。しかし、確実に生き物個々の寿命を支配している。

 今年ももう半年が終わろうとしていると考えたところで矢張り、“時”の経過は早いものだと思った。大きな変化も無く毎日同じような時間を過ごしているのと、変化に富んだ生活しているのとでは意識の内では違いが出るとは思うが客観的な“時”の速さは変わらないはずだ。“時”に乗ったり取り残されたりする事ってあるのか?

 判らない事だから、少なくとも“時”は無駄に出来ない、と意識している事は大切だろう。


6月29日(水ようび)   歩く

 「独逸人は考えてから歩きだす。英吉利人は歩きながら考える。伊太利人は歩いた後に考える。仏蘭西人は考えても歩かない」と 言う例え話がある。インターネットの中に若干差し替えられた話もある様だが、平均的な言い方に成っているのをここで引用した。

 この例えはいつごろ生れた言葉かは定かでないが、夫々の国民性は根源では芯のように残っていると思うから今でも当て嵌まる部分が有るだろう。

 EU離脱賛否を賭けた国民投票の結果が出た後の英吉利国内は、単なる対立の構図が生まれただけでなく、一部の離脱賛成派の中に、後悔をしている人が出始めているそうだ。つまり、伊太利人なみのそそっかしさが有った。やはり、国民の中に、栄光の大英帝国へのノスタルジーがリーダーの誘導的論調に乗せられて意志を決めてしまった人が居たのだ。EU諸国の中では、独逸や仏蘭西或いは連合政府が主導権を執っていて、これが英吉利国内で不満が膨らみ、離脱への意志に傾いた部分もあったようだ。

 (海を隔てた)対岸の火事としてメディアがはやし立てる一方で、経済的混乱も眉間にしわを寄せるような顔をして警告したりしている。こういうノリ方は、日本の本質的経済格差の問題点を隠すことにもなる。何事が起きても安倍政権は、来たる衆院選への我田引水的取り込みをして都合の良い話題にしている。

 日本人はよそ見しながら歩く ・・・ 物見遊山は駄目。しっかり前を見て歩きなさい


6月30日(木ようび)   メキシコ炒飯

 夕餉の料理に久々に薬膳スープをつくった。材料は

 ・白きくらげ
 ・蓮子(蓮の実)
 ・だいだい酒
 ・人参
 ・大根
 ・むきエビ
 ・レタス
 ・セロリ
 ・アスパラガス

 上記3点が薬膳材料で、之に味付けとして鳥ガラ顆粒と、昆布だし、塩麹で、此れだけ調味料を入れるとブレンドされたまろやかな味になる。主食は「メキシコ炒飯」 味付けに先日使って半分残してあったトマトソースを入れたので、何となくそれらしい名前付けをしてみた。「イタリア炒飯」でも良かったがレパートリーを広げたいというあざとい銘名なのだ。こちらの材料は、玉子にんじんと玉ねぎのみじん切り、鶏もも肉、クルミ、天かす、味にバライティを付けるつもりでいりこ粉末を振りかけて炒めた。

 トマトソースに水気があったので、出来上がりが幾らか軟らかい炒飯に成ったが、味は「コクのあるケチャップ炒飯」だそうである。本日の材料は、全てストックが有ったのを使った。甘酢ラッキョウも味が落ち着くころに成ったので一人3個添えた。漬け始めてからほぼ40日くらい(最初に塩漬け)でようやく食べられる味になったようだ。

 薬膳スープのスープだけを、80ccほど注射器(針なし)でチューブから直接腹に入れた。エキス注入。