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![]() ![]() 上司論目次 |
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上司論 −1− |
日本人で自分自身の意志だけで全てを決めて生きている人間は、居るのでしょうか。上司が存在していない人間が居るのか、という問い掛けです。例として「お父さん、お母さん、お休みなさい」。この言葉にも上司に対する子供の真摯な心があります。私たちの心の中に、或る人が存在し、敬い(うやまい)、従い、そして自分の気持を決めている人の存在を『上司』とします。基本的には『人』としておきます。しかし『人』以外のものがでてくる場合もあります。従来の、『職場の上司対自分と言う人間関係の上下関係』と言うクサリを此処では解き放ち、ひとりの人間の中で、その本人を律することに影響するもの全てとしていきます。私流でいきます。 |
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第一話で、『上司』と言う言葉の定義をぶっ壊して展開しました。そうして行かないと人の様々な行為や、考えている事を説明する上で、窮屈な理論になると直感したからです。従来の考えでは、亜米利加のブッシュ大統領に『上司』の存在を考え難い。一方で我が国の総理の『上司』なら、現実的に様々な人の存在が挙げられそうです。しかし、どちらにも広義に上司の存在があると踏まえて、その言動をみていって「成る程」とか「冗談だろ」とか「腐ってる」「困る」「ザケンナ!」、「それは違う」など等を感じ取っていかなければならない。其処に『上司』をいろいろ提示したい理由があるのです。 |
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明治新政府の新しい国家構想は、まず『王政復古』の号令が、暁に啼く鶏声の一声となってスタートします。そして、倒幕にもっとも強く関与した薩摩・長州の軍組織が中心となり、国家の軍隊を構築していったと思います。兎に角、欧米列強の強大な武力の洗礼を受けて、近代兵器、戦略を既に学習していました。それまで日本を支配していた徳川幕府の組織、人材の殆どは壊滅ないし離散して、江戸を離れました。 |
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前回で軍隊を出したことで、『上司』論の展開は、“組織”を描いていくことは必要だと思います。その為に話が膨らみ加減に成るきらいがあります。それを最初にお断りしておきます。 |
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私が20代の頃友人とダベッて居た時、こんな話題が出た。男の三大願望は |
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さて第二峰へ話は向かいます。本日のコースは、風呂屋の番台に座るお話です。男の立場で述べるとして一度は座りたい風呂屋の番台。これも当時の街中の銭湯の構造を説明しないと、訳がチンチン・プラプラしてしまいます。まず、番台に座った人は銭湯の入口を背に、男湯・女湯全体の脱衣場及びその先の浴場を正面に見ています。客は男も女も銭湯の同じ玄関からはいる。その時、右手、左手に別々に『男湯』『女湯』などの暖簾があって下駄箱がそこで奥に控えているから、その段階で「じゃ、1時間後!」とか言ってそれぞれ履物を下駄箱に入れて、別々の引き戸を開けて中に入っていくのです。入ったお客の見る景色は番台の人とはチョット視界は低いが同じ景色です。といっても右から入った人には右側だけ、左から入った人には、左側だけの世界しか見えません。番台のサイドカウンターに料金を置きます。このときですね、背の低い男の人は、ビョンと跳ねれば、女湯の脱衣場の視界がいくらか眺望できるのです。私170センチ弱では、やはり跳ねないとだめでした。番台に座っている人は左右に客を迎えることに成ります。彼の目は魚眼レンズですから、しっかりそういう客の仕草は目に入ります、向こうに首を伸ばしたり、跳ねたりする行為はやめましょう。 |
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『軍隊ごっこ』、『軍隊オタク』、『軍事マニア』、『軍事通』とどんな言い方しても、基本的には戦地で実際に敵と戦ったてことは無いと思いますが、この人たちの精神も一応、ある種の軍人志向と見たい。でもかのイギリス皇室のヤンチャ息子が“Hakenkreuz”(鉤十字)記章の軍服を纏って仮装パーティーに出席したのは何故か、この軍団は戦争や戦闘の実際の歴史的意味よりも、軍服や武器を美しいものとして見ているのかもしれない。この人たちの思い入れと言うのは強く大きい。わたしが本日、男の『三大願望』連山の最後にお連れしたい場所は、なだらかな高原状の広い景色のもとにあります。 |
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日本が第二次大戦で、コテンパンにやられて負け、多くのものが失われた、或いは壊れた。それは、“神国日本”であり、明治の途中から築いてきた、世界の中の“強国意識”であり、戦災によって永劫に失った“芸術的財産”などが在ると思います。“神国日本”と“強国”の思想−『上司』−はアメリカの占領と同時に、多くの日本人がケロッと忘れて、烏合の衆的な秩序で生きて行ったと思います。その時点で『上司』の不存在状態。 |
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或る容疑者が逮捕される前段階から、マスコミを通して遠巻きに疑惑報道され、世間が色々な評論を加え、やがて警察が逮捕に至る事件があります。勿論、思いつく話題はいくつかあるので具体的に対象の事件を挙げたいのですが敢えてそのことはしません。ある事件が起きて巷にその話題が沸騰していた頃、職場で私の(組織の)上司の言った言葉が、衝撃的でした。昼食時、会社の食堂で視聴したTVの報道が、既に逮捕の後だったか疑惑の段階かは忘れました。そのTV報道を見ながら、容疑を受けている人物に対し上司はこう言いました。「こういう人間は、戦前にはいなかった」。もう20年くらいは昔になるかと思います。 |
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どういう理由で人はあんな振る舞いをすることができるか?これを読んだ人に、「どうってことないじゃん」と言われても私は間違っていると思うから書きます。書きながら、彼らに共通する『上司』の存在を考えたいのです。 |
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犯罪が年毎に増えていますが、これは現象です。火山で言うと“爆発”、地震で言うと“揺れ”が現象です。火山の爆発は、マグマ等の原因要素がモロに表面に出ますが、地震は伝播です。そこで、人間界の犯罪も両方の型で分けられると思います。ライオンの草食動物を襲うのは、犯罪とは言えませんが形態として火山の爆発。地震型は追々に検証します。こんな例えで通じるのでしょうか。 ページトップへ |
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まずは拙句 ページトップへ |
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この章では、各種団体や組織から入って利益団体代表者などの『上司』について、話を持ち出してみたいと思います。相変わらず古いエピソードから。先にお断りしておきますが、今前今後とも内容はコアの部分のみ記憶にあって、何時々々の事か、出典は何かが曖昧の時があります。その辺をご承知の程宜しく。 |
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前章で、センセイ達の『上司』が出たので今日はもう一方の、難攻不落の霞ヶ関官僚についてどうしても述べなければいけなくなりました。どのようにマスコミが取り上げようが、様々なメディアで実体を暴こうが、徭として動かない。・・・ここでテクニカル・タイム採ります。「ようとして動かない」のようの字が難しい。“容”がもっとも近そうですが此処で言いたい“官僚は変わらない”の意味を言いたいので、『広辞苑』より、−−徭(よう):公役につとめること−−の文字を充てました。話しは戻って、私はこの文を書く前に、官僚の『上司』を思いつきました。“徭として動かない”のは彼らの『上司』の命によるものであって、基本的には、彼らの人間性では無いのです。そうでなければ『上司』じゃありません、教師の言う事を聞かない暴力教室じゃないんだから。 ページトップへ |
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上司論−2−の末尾で、「軍隊は最強の官僚組織である」と私は言っています。日本の軍隊は、1882年(明治15年)“軍人勅諭”が下賜された時点でこれが『上司』と成りました。これが私の思う官僚全体の『上司』に展開することになるとはどういう事か? 彼ら軍人は、自分達の『上司』の命の許で、最後まで日本のあらゆる機構・権力・制度から独立した立場で行動して行き、やがて日本全体への浸透まではかって行ったのではないか、と思います。泣く子も黙る軍人さんになって行ったと思います。警官との交番での些細な喧嘩、政治家への問答無用の暗殺ないし政治介入、その前の植民地政策としての海外侵略は一連の行動の流れです。これら軍隊の勢力が日本を支配した真の理由は、次のように考えなければ納得できません。 |