Room7   2018年1月4日  地場スポーツ

 今年の正月三が日もテレビのバラエティー番組を観て、合間にスポーツ中継を観て居ました。特に高校サッカーの試合には興味があって、複数チャンネルで同時に試合をしている時はチャンネル切り換えに忙しい思いをしました。と言うのも、私が卒業した静岡県立藤枝高等学校は、サッカーの名門校で、私の在学中は長い歴史の中の幾度目かの黄金期で、毎年全国大会のどれかに出場していました。

 社会の中でサッカーがメジャーなスポーツに輝きだすに従って、私はテレビ観戦の機会が増えていき、自らの青春期のあの感激の日々を憶い起こして心が満たされるのです。と言っても私は学校を代表する選手ではありませんでした。あくまでピラミッドの最下層で体育の授業にグランドでサッカーボールを追いかけ、蹴ったり守ったりして居たにすぎません。学校側は、常に男子の体育授業にサッカーばかりやらせていて、その中から素質のありそうな生徒を部活に引き抜いて磨いていたのです。

 私の在学期間は1962年から64年です。当時は既に静岡県はサッカー王国として全国に知れ渡っていて、その中心が我が藤枝高等学校だったわけです。同時に大学進学校としても生徒の学力は高く、文武両道の名門校と言っても良いかと思います。

 自慢話になって仕舞ったので話を本題に戻しましょう。

 現在の教育環境と当時のそれとの違いは何か? 先ず、大学も高等学校も私学が非常に多くなりました。その傾向は、小・中学校にも及び、いわゆる一貫校の階層を造り上げて、様々な分野に特化した特徴を持たせて生徒・学生を育成している事です。其れも、学業ばかりでなく、様々なスポーツ分野にも施され、その勢いが日本に於けるスポーツ振興に多大な実績を積み上げています。その顕著化が私の中学・高校時代と大きく変わった点ではないかと思います。我々の時代は、少年野球にしろ少年サッカーにしろ、今の様な民間クラブは無く、殆どが学校の体育授業か、放課後の子供同士が校庭で自主的に遊びの中で活動して居たに過ぎません。

 殆どの生徒はスポーツを自分の人生の目標と位置付けて精進していたでしょうか?プロ野球には長い歴史があって、当初からある程度の英才教育も在ったとは思いますが、その他のスポーツにはそのような事はほとんど見られませんでした。少数の学生の中から、セミ・プロ集団としての実業団 −− 企業組織の中で試合に出場しやがてその中の一部の人が指導者として後進を育成していくにすぎませんでした。殆どの人は、そこでそのスポーツを卒業して行きました。

 その傾向の流れは残って居ますが、今はある程度芽が見えてきたら、先ず周囲ががっちりとスクラムを組んでエリートとして集中して育成しているようです。そして、続々と、プロ・スポーツに昇格した競技に送り込み、興行して繁栄しつつあります。特にテレビメディアの関わりが非常に大きいと思うのです。

 こうして、今の日本には、スポーツ選手から多くの長者が生れ、周りの関係者もその努力に見合った収入を得ることも多々あります。更にそれらのスポーツ用品のメーカーも、ピラミッド全体からの需要を賄う用具などの商品を売り上げて潤っています。

 一大スポーツ産業という産業界が出来上がっています。

 ここで、これらのスポーツ界を世界に目を向けて、国家が一流選手を如何に育成しているかを見ると、(専門的な論理のレベルには為り得ないのですが)、気付くのはソ連と中国、そして牙城を守るイメリカではかなり力を入れていると思います。恐らく組織というソフトウェアと選手というハードウェアを実に効率的に起動させて成果を揚げていると思います。国家事業として強い目的意識を持っているようです。外交的にも、国力高揚の基盤として充分に機能している事が判ります。

 日本では、2015年にスポーツ庁が設立されましたが、果たしてどんなコンセプトで行政施策を取っているのでしょうか?まさか、様々な権益の吸収や分配を目的としている事は無いと思いますが、夫々のスポーツを強化するためにどんな助成や支援をしているのでしょう。或いはスポーツと国家との関わりの内にどんな目標を置いているのでしょう。

 かつて江戸時代は一つ一つの藩は一つの国家規模の行政を執っていて、産業、文化、財政、教育等様々な分野に力を注いでいました。物資も情報も流通の発達して居ない時代だったので、今の様な他地域との交易などは限定的でした。そこで自藩の中に地場の特徴を生かした産業で財政をまず安定させて力をつけていました。

 ・米作 
 ・観光
 ・信仰
 ・工芸
 ・水産
 ・工業

 などを発達させてきました。その伝承は今でも一部の地域で今日(こんにち)も息づいています。この政策はコンパクト且つ効率の良い産業育成だったと思います。と同時に諸藩の興産による国家体制は、当時の日本の人口規模にも巧く当て嵌まっていたようです。

 (一説に300万人くらいと言われていますが、計算に含まれない僻地等も含めてもう少し居たかもしれません)

 現代の社会は大都市集中の産業及び人口構成になっていて、その上に地方の小都市も中央の商業・事業界の配下に置かれて独自性を失って仕舞いました。例えば私の郷里の焼津市は長く漁業で潤った町でしたが、1970年ごろから、中央の大手商事会社の資本に飲み込まれ、其れまで漁船を抱えて独立的に産業を成り立たせていた船元と言われる事業者が配下に置かれて消滅してしまいました。と同時に水産加工工場も同様に大手の食品会社に吸収或いは消滅させられて行きました。

 地場産業は無くなってしまったのです。この行き着いた先がバブル崩壊と成って日本の経済活動が萎んでいくのに併せて、全国的な不況をもたらして行ったのです。そして既に筋肉を失った人体と同じで、立ち直れないまま国家が活性を失っているようです。それは今、国家強靭化政策とか経済特区などの政策を立てた事で、国家が危機感を持っている事の現れだと思います。

 スポーツの話から経済の話に移っていますが、スポーツにかつての地場産業育成のように映る部分が在ると思うからで、決して当を得ないわけではありません。北国には当然冬のスポーツであるスキーやスケートに強い選手が生まれて居ました。そういう強みを持つ其々の地方を特に拠点を置いてスポーツ強化を図ることは必ず成果を上げる物と思います。しかしこれはあくまで国家がキチンとその施設や指導者を適切に配置する配慮が基本と成らなければなりません。

 あるスポーツで頭角を現した発育期の青少年が出現したとき、特化した教育機関がスカウトして、故郷を遠く離れた学園の寄宿施設に抱えてまとめて育成する事は、本人のやる気によって花開く事は可能ですが、如何にもピンポイント的でスポット的すぎます。その風潮が各校で盛んになっています。

 其れが今の遣り方であっても、地場育成ではありません。日本人の地域帰属性はまだ強い心の支えになっていると思います。同郷同士の強い絆の中で伸ばせば、かつての地場産業の発展と同じ効果が挙げられるものと思います。

 此処に国家の強い姿勢が後押しすれば、日本のスポーツは各分野で目覚ましい成果が上がると思います。明治維新の際、教育政策で素晴らしい成果を揚げ、日本はあっという間に先進国入りした実績を持ちましたが、江戸時代から積み重ねられた藩塾運営のノウハウも採りいれられていたと思います。是も地場の力です。

 話は重層的になりますが、産業も同じです。たとえ巨大資本が支配する日本経済であっても、地場産業化政策の智恵はきっと生まれると思います。理念がしっかり打ち立てられれば可能です。一つの頂点がコケれば全てがコケる様であってはならない。そういう地域(=地場)分散化を日本の社会構造の基本にするべきだと思います。

 今の大資本の支配する社会は、これからの日本の国力を決して強くする事は無いと思います。国家への還流貢献が余りに乏しいのです。日本国体を全地域から復元させて立ち直らせ発展するためには、地場産業の復活と、地場スポーツの構想の実現が必要である。これが今回の『世之見櫓』の結論です。今の様な大資本優遇政策の意識を改め、広く視野を広げて地場に力を着けさせる構想に切り替えるべきであります。御精読有難うございました。 - 完 -

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