Room3   2017年1月2日  テレビが詰まらなくなった (2)

 テレビの担う目的のふたつ目、娯楽性について書いてみたいと思います。

 近頃の娯楽番組をジャンル分けしてみます。

 ・旅番組、
 ・衣食住レポート番組
 ・ ・クイズ番組(雑学教養を養う)
 ・芸術・芸能番組
 ・スポーツ番組
 ・様々なジャンルのドラマ(差ペンス、トレンデイー等)
 ・ドキュメンタリー番組
 ・バラエティー番組

 括り方が必ずしも同格的ではないかもしれませんが、生活の中に在る文化的な嗜好を、テレビテレビで鑑賞する物であります。出来の良い作品に私たちは大いに感銘し、楽しむことが出来ます。実際の場の疑似体験を得ることにもなります。世界最高峰のエベレストにあたかもアタックしたような気持ちにも成りえます。美しい外国の都市や自然にも触れた思いになります。番組の中で美味しいものを食べているのを見て一緒に味わったような幸せを感じたり、でなければいつか食べてみようと希望が湧いてきます。

 見ていて楽しい番組だと思います。

 しかし、こういうジャンルの番組の中のうちのひとつ、バラエティー番組にいつしかマンネリのから来る退潮が起きています。それは、出演者であるタレントを抱えるプロダクションの存在が、陰に陽に番組の質を落としているのです。その一つの理由は、どのチャンネルを見てもいつも同じタレントが出ていて、彼らの個々の持ち味がすぐに食傷気味になってワンパターン化してしまう。更にタレント同士のキャラのダブりが番組内容がフラットになって仕舞います。

 タレント一人ごとキメの言葉やポーズがあって、いつもそのウリを見せつけられる。正に地がそのまま出ているのであれば、真の個性として見応えを感じますが、そうはならない。或いは、彼のタレント才能が充分に燻蒸されていない底の浅い物であれば永くは続かないはずです。その点では吉本喜劇の芸人さんのそれは、効果的になっているのが矢張り上方演芸の練り込まれた伝統があるのでしょう。

 そして、或る番組の新鮮さユニークさが視聴者に受けていると判ると、すぐさま時間枠を広げる。2時間などは当たり前、これを3時間4時間もぶっ続けられてはもう見続ける気にならない。しかし番組は粗製乱造の傾向になだれ込んで行きます。出演タレントのマンネリ化が見られれば、入れ替えこそしますがその繰り返しになるだけです。それが面白くなくなっていく一つの理由だと思います。

 更には、他局が同じ傾向の番組をすぐに作ります。やがて幾つも類似番組が出来上がる。路線バスを使った物見遊山の番組とか、或る市街ゾーンの中で数人のタレントがお店を訪問して歩く散歩番組、そして飲み歩き番組。テレビ局同士が重複した番組を流しているのを次第にあざとさに思えて見る人が感じ始めてきます。敢えて評価すればーーーその中でも秀逸な物だけが視聴者に認められていくと思います。

 最近の娯楽番組の製作は、テレビ局内製作スタッフではなく、代理店やプロダクションが担っている事が多いと聞きます。例え、局内スタジオで収録していても外部制作スタッフが関わっているようです。これは、制作側が放映側に売り込む状態になって行きますから、ある程度お任せ製作の傾向に成ります。プロダクションでは、製作コストとタレント出演スケジュールを詰めて採算の合う作りにしていきます。やはりこのような製作手法は変わり映えのない出演タレントの出ずっぱりの番組になりがちです。これを固定タレントのタレントが持ち堪えて良ければいいのですが、兎に角視聴者は見飽きてきます、タレントの芸も枯渇します。こうして面白くなくなっていきます。

 そう言う諸々の状態に対して、必ずしも見ている人の感覚はその限りではないのでしょうが私にはいい加減、その番組から遠ざかる意識が働くのです。

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