Room2   2017年1月1日  テレビが詰まらなくなった (1)

 近頃のテレビが詰まらなくなった。そう思われる人は少なくないと思います。理由をいくつか考えてみます。三つほど提示したいと思います。

 1・民放テレビは、番組提供のスポンサーがあって成り立っていますが、それらの企業のコマーシャルが質・量ともに、本来の番組の流れを著しく損なう程露出させているからだと思います。その様になったのも、テレビ局の営業がスポンサーの数を増やし過ぎたからです。

 過剰な数のコマーシャルを如何に自然な姿で視聴者に見せる事が出来るか、テレビ局では真剣に考えていますが、必ずしも成功しているようには思えません。是には、コマーシャルの内容が必ずしも質の高い作り方になって居ない事に一つの理由があります。

 ・小うるさい
 ・いつも同じテーマの焼き直しで見飽きてきた
 ・近ごろ増えたモバイル機器のゲームソフトのような、多くの人には実感のない商品宣伝が増えてきた

 番組の中でコマーシャルが流れる時間がずいぶん増えてきました。本来の番組をズタズタに切って一度始まると、立て続けに5本以上、時に7・8本続きます。時間にして、3分内外です。漫然と観るにしては些か辛くなるほどの時間です。無駄な時間を浪費させられている事を次第に意識するようになると思います。更には、時間枠全体の中の本来費やすべき内容量が削られて軽くなります。この傾向の物は、相乗りスポンサー提供の番組で顕著に表れます。

 コマーシャル作品は、どうしても視聴者に強く印象に残ることを意識して作られる。そして、見る人の心理に入り込んで強い欲求を引き起こそうとする工夫がなされています。立て続けに様々な企業の商品やサービスのコマーシャルが流れる相乗りスポンサーの番組には、特に強いインパクトを視聴者に与えなければ効果が出ないから勢い、上に挙げた三つの要素が顕著な内容になりがちです。一方、テレビ局側でもあまりにも多くの種類が有って、競合会社からの放映順に対する要望も出ることもあって、本来の番組の内容との兼ね合いも何も調整できないで挿しこんでいるのです。

 番組一本ごとにこれを浴びせられたら、見る人にとって、本来のテレビ視聴の目的をかなり削がれるはずです。やがてこれらの雑音とも目障りとも言えるコマーシャルに対して、無意識に排除しよう無視しようとします。其れでも何とか今のテレビ番組を観ている状況に成っています。私には、次第にこれが不快感と為って行くのです。

 テレビコマーシャルは、商品・サービスに関わるプロパガンダが投影されています。それに対して、様々な技術的工夫が為されています。近頃の大学や専門学校では、実証に基づくデーターが出ていて、受講者にその技術を教えています。今の学術分野は多岐にわたっていて、このようなマスメディアの世界を如何に機能性のある場として活用したら良いか、という命題に答えを出しています。例えば、「サブミナル効果」というものが一つの実証例でした。ある映像の中に人の喜怒哀楽に関わるキーワードを瞬きの一瞬くらいの短さで間を置いて続けざまに数回挿入しておくと、その言葉が意識下に入って、脳に作用する働きを持つといいます。「サブミナル効果」がマスメディアで使われる事は禁止されました。

 近頃のテレビ界には、外部の広告代理店或いは制作プロダクションが強く放映にかかわっています。広告代理店にとって、いかに多くのスポンサーを獲得して番組に載せていくかが目的となります。既にテレビ業界では民放放映開始から60年経っていますから成熟産業と言えます。この爛熟した組織体、業界全体の中で、コマーシャルの際限ない膨張は、本来のテレビメディアの健全性を壊していると私は思います。つまり、大きな異物ななってしまったのです。その事が今のテレビ放映を詰らなくさせている理由のひとつであると、結論着けたいと思います。

 第二の問題は、「Room3」で述べたいと思います。

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