EXIT
松橋 帆波様  お酒のたわごと   
   第27話  投資の話(二)   2006年2月28日

 私はライブドア株で損害を出さなかった。というか、小額だが儲けさせてもらった。何故、私は処分する事を決断したのか。その辺のことを書いてみたい。

 前回も書いたが、私はライブドアをIT銘柄だとは認識していなかった。利益構造が市場から調達した資金(株式分割、株式交換による企業買収、社長のメディアへの露出による広く浅く市場から調達した資金)を短期、長期を問わず固定資産に変換することなく、流動資産に変換し、それを市場で換金することで利益を上げていたからである。

 このことについて師匠は「ライブドアは時代の仇花だという評論家がいるが、あながち間違いではない。改革とかいう掛け声で、一円で会社が作れるなどという馬鹿げたルールを容認する市場からはこういう会社が生まれるのは当然だ!考えてみろ、一円の会社に誰が金を貸す?まして、銀行は金を貸すノウハウどころか税金を使って、担保割れした土地に棲みついている輩に立退き料を払って減損処理してる状態だ。資本も無い、負債も持てない、こんな状態でどうやって会社は資産を作ることができるんだ?」私も、ここ数年言われ続けている改革の胡散臭さには呆れている方なので、師匠の話は尤もだと感じている。

 「ライブドアは無借金経営だから、などと言ってる奴らがいるが、俺にしてみれば、無借金経営じゃなくて、借金ができないんだよ。」今にして思えば、師匠のこの言葉は今回の事の本質を突いているのかもしれない。いろいろ裏の噂が飛び交っているが、実際、銀行が金を貸さないのなら、どういう素性のところから金を調達するか、少し考えれば誰にでも想像できる話だ。

 巨大な株式分割や、派手なM&A、社長の大活躍、これら全ては損益計算書の資本の部分を増やす行為に他ならない。流動性の高い株券を広く浅くより多くの株主に保有してもらえれば、時価総額がまるで会社の資本金であるかのように一人歩きしていく。この、グループ全体の持ち株会社としてのライブドア本体の時価総額の伸びのスピードに、グループ全体の実質事業規模の伸びが追いついたときに、この壮大な起業ゲームは成功を収めるのだ。それは、買収され傘下に納められていく企業にも当てはまる。子供からお年寄まで知らないものがいないライブドアというブランドを背負うことによって生まれる価値。そしてまたその価値が、ライブドア本体の価値を上げることにもなる。社長がメディアで持ち上げられる度にこのことはどんどん上手く回転していくのだ。

 私がライブドアを面白いと感じていたのは「こんなやり方があったのか!」という驚きであり、それを実行する企業への興味であった。そんな私がライブドア株を手放すことに決めたのは、社長自身の持ち株比率がぐんと下がってきたからである。彼は昨年の総選挙選挙前に約140億円分の持ち株を現金に変えている。そして、昨年末の総会議案の中に、新株発行限度を引き上げるという項目が入っているにもかかわらず、役員の持ち株が0となっていた。経営責任者たちが持ち株比率を下げ、なお新株発行を計画しているというのは矛盾しているように思えた。そこで資料が届いて直ぐに全株処分したのである。師匠に言わせればそれら全てが「トリック」という一言で終わってしまうのだが…。

 
師匠はコーヒーをお代わり。私は冷めた紅茶を前にお冷をお代わり。師匠の吸うタバコに少々苛つく

   おかわり