EXIT
松橋 帆波様  お酒のたわごと   
   第21話     12月2日

 「まだ遺言書で揉めてるらしいぜ
カウンター席の二人の会話が耳に入ってきた。
あれだろ、爺さンが死んでから婆さんが死んで、遺言がダブって出てきたとかいうんだろ

 何やら面白そうな話しだ。私はトイレに行く振りをして、彼らの話がよく聞こえるようなところへ腰掛けなおした。「一人だからここでいいです」店の人間の気遣いを断ってわざわざ窮屈そうなところへ座りなおした坊主頭へ、カウンターの二人も訝しい視線を投げたのだが、直に自分たちの話の方へ戻っていった。

 「
いや、確かに遺言が二通あったんだけど、法律でいうと日付が新しい方が有効なんだよ。だから、婆さんが持ってたやつが有効なんだけど・・

 遺言書は何通あっても一番日付が新しいものが正式なものとして認められる。

どっちも爺さんが書いてたんだろ
そうなんだけど、微妙に不動産の分け方が違うらしいんだって

 それは揉めるな、と私は思った。同じ内容で日付が更新されていれば別だが、内容が違えば納得できない相続人も出てくるだろう。それにしても相当な資産家なのだろうか。

でも婆さんはすぐ死んじゃったんだから、子供等で分けるんじゃないの
いや、だから初めは最初の遺言の通り分ける算段をしてたんだけど、話がつく前に婆さんが死んじゃったろ、それで、出てきた遺言の日付の方が新しくて中身が違うんだよ、おまけに婆さん自身が娘とかになんか口約束しちゃってたらしいんだよ

 遺言書の内容がどういうものであれ、配偶者はその半分を受け取る権利がある。間を置かずにお亡くなりになったご夫婦はさぞ仲が良かったろうと思う。当然奥さんは、相続したご主人の遺産を子供たちに将来どう分けるかを考えたことだと思う。物理的に分けきれない不動産などの場合は売却することになるのだが、折り合いがつかない場合は物納という方法がある。これも相続人が多いと揉める元だ。マンションなどの住居が多い場合、子供を住まわせる、住まわせないなどの口約束で揉める事も多い。ずいぶんややこしい話しだなと聞いていると、もっと複雑なことを彼等は話し始めた。

 「
ところが昨日聞いたのはさ、もっとややこしくて、新しい方の遺言に直した跡があるんだって
そりゃ、拙いだろう、それじゃ通用しないじゃん

 遺言書の修正は、修正する個所に線を引いて判をつく、というやり方では通用しない。文末に、新たに修正個所についての記載と署名、捺印、そして修正した日時を明確に書かなければならない。文中のみの修正では、その遺言書は修正前の文章をもって正式なものとして扱われる。修正液などで変更したものは、通常の状態では修正前の文章が読めないのだから、然るべき所で然るべき判断を貰うしかなくなってくる。さて、゜彼等の話の中の遺言書はどのように修正されているのだろう。

 「
でも誰が直したんだよ
爺さん本人らしいんだって。筆跡がそうだとか、判子が間違いないとか、それで揉めてるんだって。みんなで弁護士雇って大変らしいよ。年末も正月も無いんじゃない
あるところはあるなりに苦労があるんだよな

 なんだよ、オチはそれかヨ、と私は声に出さずに呟いた。もっと詳しく聞きたいのだが、そういう類の話しではない。じっくり盗み聞きするしかないのだ。嫌な人間ダネ私も。

それじゃそのうち愛人の子供とかが出てきたりしてな
時価数十億って話しだからな

 ダメだこりゃ。下世話な方向に話しが飛んでいった。尤も、よほど身内に近くないとこれ以上は期待できないだろう。「あるところにはあるなりの苦労ねぇ・・」私までくだらないオチを呟いてしまった。今晩はこの辺で切り上げた方がよさそうだ。

 「金があること」と「幸せ」というものはどの程度リンクするのだろう。親が金持ちなのはある程度幸せだろうな、しかし、個人に当てはめてみると、消費欲求を満たされる事が幸せなのかどうか、つまり「幸せ」と呼ばれる感情のどのくらいの割合を占めているのか、金のない者の「あるとところにはあるなりの苦労」という呟きは、大抵消費欲求に見合った金銭を持たない嘆きから発するものだ。私には、消費欲求だけに飢えている人間は、少なくともこの国にはそんなに多くいないと思うのだが。

 十一月某日。自宅近くの居酒屋。ゲソ揚げと白菜漬けでホッピーを3杯。

   おかわり