EXIT
松橋 帆波様  お酒のたわごと   
   第20話     11月19日

 この十年ほどの間に、若い頃通っていた店のほとんどが閉店してしまった。その店が存在していた風景そのものが変わってしまった場所さえある。あの人たちは何処へいってしまったのだろう。Bのマスター、H鮨のKちゃん、TのママにK子、N美、Y、・・
広小路、麻布、霞町、みんな変わってしまった。

 失われた十年などというが、街は新しい顔付きで、新しい人々で溢れている。失われたものは何だったのか。インターネットは確実に社会を変えてしまった。イギリスの産業革命で蒸気機関が世の中を変えたように。それまでの価値観からすると奇怪に見える異形の機械は、入力と出力のアイディアさえあれば、思いもよらない便利さを人間に与える道具として社会を変えたのだ。奇異なものとして、それを受け入れようとしない人々を残して。

 私には、失われた十年を言う人々が、蒸気機関を受け入れられなかった人々と重なって見える。情報化社会によって彼らが失ったものは、彼らがよって立つ権威であり、築き上げた社会の仕組みではないか。彼らの肩書きや、金の力、ヒエラルキーの存在価値、そういうものの社会における存在価値が暴落してしまった。

 丸裸になった船長はエンジンの掛け方を知らない。エンジンの構造を知らない。エンジンの作り方を知らない。インターネットによってエンジンの掛け方を知っている者は、エンジンの掛け方を直接売る事が出来る。エンジンの構造を、エンジンの作り方を、そう、個人の能力の対価を個人の責任で得る事が出来てしまう。船長が売る事の出来るものは何だ! その肩書きに比するだけの経験がなければ情報としての価値すらないではないか。数学の『≒』の記号で表されるような関係と『=』で表される関係の隙間が、大手を振って富を生み出していく。○か×か、+か−か。勝者か敗者か。これが21世紀なのか。平和ではないな。
それすらも『平和か』『戦争か』という二択を迫られてしまう。

 「わたしたちの関係って、何になるの」
 「友達でいいんじゃない」
 「えー、でも友達ってほど知らないし」
 「じゃァ、うちら(内達)ってことでいいんじゃない」
 「アァ、うちらね。じゃぁそれでいこう」

 人間は『友達』か『友達でない』という二通りの括りで他人を分ける事は出来ない。コンビニの少女たちは須らく区分けを迫る世の中に言いようのない不安を感じている。自分以外の人間をパッケージングしなければならない強迫観念に取りつかれている。

 十年を失ったと感じている大人達よ!
 権威の残り滓にしがみつくなかれ!
 無くなった価値に連綿とするなかれ!
 『隠居』という言葉はすでに死語ナノダ。

 
十月某日。酔った状態で、なおかつ飲みながらPCの前に座るとどうなるのか?生の「お酒のたわごと」である。書いてから二日後(次の日は強烈な二日酔いであったため)にファイルを開けてみた。相当に私は偏屈に出来ていると感じた。あえて裸身を晒してみる。

 稲荷町で23時まで飲んで帰宅。その後、頂き物のリザーブ。プロセスチーズをつまみながら3分の1ほど飲む。ノートPCに向う。フロッピー1枚、酒に浸っておしゃかに。

   おかわり