EXIT
松橋 帆波様  お酒のたわごと   
   第11話     12月15日

 ハンさんは指先の無い軍手で旨そうに“いこい"を吸っていた。
ハンさんは、半田さんなのか半藤さんなのか、班さんなのか萢さんなのか判らなかったけれど(もしかしたら阪神ファンだったかもしれないが)何故かベンチで意気投合してしまった。

 「不幸せな人ってのは、幸せな自分に気が付いてない人のことだ」ハンさんを見かけで判断していた僕が、生活が辛いんじゃないか、という様なことを聞いたときに、彼から返ってきた言葉だった。「ワシらも、縄張りっていうか、一応ルールみたいなもんがあるんだ、コンビニで弁当貰えば掃除するとかさ、ごみ箱を開けていい所とダメな所とか、それさえ破らなきゃ、自分の人生を生きて行けるんだよ」「杜会主義なら、みんなが国の構成員だけど、この国はそうじゃねえんだから、自分の人生を、自分の責任で生きて構わねえんだよ」

 「ワシは思うけど、日本人ってのは、幸せだよぉ。有史以来、人類が到達した最高の状態じゃねえかなあ。食うには困んねえし、街には昼も夜もねえし、デフレとか言ったって、見方変えりゃ、欲しかったものが安く買えるんだろ。規制、規制、で育てられた奴らが乳離れ出来ねえから、不景気だなんて言ってるだけだよ」僕もハンさんも、二缶目のスーパードライを開けていた。

 「だいだい日本人ってのは、幸せとか幸運を享受出来ねえんだよな。それですぐ妬むだろ。だから十分に幸せなのに、回りを妬んじゃうから、いつ迄たっても本当の自分が見えねえんだよ」「何が癒し系だよ、くだらねえ事考えてないで、夜になったら早く寝ろって言いたくなるよ」空になった“いこい"を右手でクシャクシャにしながら、ハンさんの話は続く。

 「ワシは、区民でもねえし、都民でもねえ、国民ですらねえのかも知れねえ。でも、ワシはここに存在してるし、飯喰って糞もしてる。汚ねえもん見るようにしかめっ面する奴らが多いけど、あいつらの世界と、ワシの世界は違うんだから、落伍者じゃねえんだよワシは」

 ハンさんは僕からショートホープを三本貰って、1本に火を点けた「人を妬んじゃダメなんだよ、自分の幸せが見えなくなるから」ハンさんの言葉は、その時の僕には新鮮だった。でもそれは言葉だけで、彼の目や、少し項垂れた猫背の身体が放つギャップが、僕に何とも言えない寂しさを訴え続けていた。

 ハンさんに比べれば僕は幸せだった。けれど、何とも、誰とも比べないで、裸の僕個人は幸せなんだろうか………少なくとも、不幸ではないと思うことにした……。天気予穀では、明日も冷え込むだろうと言っていた。僕は、ハンさんと話したベンチに、あの日と同じように、スーパードライを持ち込んで座っている。町はクリスマスのイルミネーションが煩いくらいだ。

 鼻メガネや、トンガリ帽のサラリーマンの姿はないが、代りに携帯が「愛」らしきものを運んでいるのだろう。公園のベンチにスーパードライを2缶置いて、僕は家路についた。ハンさんが逝って、二度目のクリスマスが、来ようとしていた。

 
十二月某日、台東区の某公園。スーパードライ2缶。肴は時問の流れと溜め息。


   おかわり