EXIT
松橋 帆波様  お酒のたわごと    
 
 第1話 2月24日

 情報化社会と言うものは全く凄い勢いで発展しているものだ。今から20年位前、マイクロコンピューターを縮めてマイコンなんて言っていたのが江戸時代の事のように思えてくる。ムカデのような8ビットのICだったもんね。LSIなんて言葉は新聞にも出ていなかった。
 大体、真空管からトランジスターへの変化はその物の大きさが劇的に小さくなった程度のものだったけれど(それでも革命的だったけど)トランジスターからICはその物が何百個と詰まっていて、なおかつ小さくなっちゃったんだから、宇宙人の知恵かなと思うほどのものだったもの。学校の近くにある青少年科学センターに、3インチくらいの白黒テレビがガラスケースの中に入っていて「ICを使用したテレビジョン」なんて書いてあって、21世紀はこれが当たり前になるなんて先生も説明していたりして、振り返るとバカバカしいんだけど、当時はワクワクして見ていたっけ。

 ところがそれよりも10年以上も前にアポロは月へ飛んで行っていたわけで(当然8ビットの計算機でだよ)日本とアメリカの差は歴然と存在していたんだよね。それが今はLSIなんて言葉さえ使わないくらい凄いことになっていて、情報処理の単位だって千の単位で括っても追いつかなくて、メガ・ギガ最近はテラまで使うようになっちゃった。もう動画映像のやりとりなんかアナログとデジタルの差が人間の目では捕え切れないほど。コンピューターは人間と物の考え方が違うんだけど(デジタルとアナログ)別の生き物としてしっかり進化しちゃったね。

 平行して沢山の情報を処理する力はとても人間がかなう物じゃなくなっちゃった。そんなものが世界中を繋げてしまったもんだから、蓋を開ければ僕らの目の前には膨大な情報が飛び込んできてしまう。その中からとり捨て選択をしろなんて言われても、自分が何者だか分かんないような僕らなんかは選択の仕様がない。

 インターネットは、みんなが繋がって分かりあえる、なんて言われているけど僕はそんなこと有り得ないと思ってる。沢山の情報を処理できるということは、送り手に都合の良い情報も紛れ込ませられるということだし、特定の情報を塞き止める情報も流すことが出来るということ。まあ悪く考えれはキリがないんだけど、腹が減ったり喉が渇いたときにパソコンや携帯は何の役にも立たない(東京に住んでいて飢えとか渇きとか言っちゃおかしいけど)ということをどっかで忘れちゃいけなんじゃないかなと思うんだよね。

 
2月某日三ノ輪の居酒屋で生ビール3杯・ねぎま4本・野菜天一皿・煮込みー皿を飲食。その足で東日暮里のバフへ、エンブレム3分の1本、乾きものー皿・カラオケ5曲(デュエット3曲)混んできて女の子が足らなくなって隣にいたサラリーマン氏(メガネ・七三分け)と懇談した内容の要約

  お代わり