141【管鮑の交わり】 出典:列子・力命 |
《 意味 》
非常に仲のよい友人の交際をいう。「管鮑」は、管仲と鮑叔牙。共に春秋時代の斉の人。二人は互いによく理解し合い利害をこえた親密な友人関係を保ったことからいう。出典は『列子』としたが、二人の交際については『史記』管晏列伝にも記載がある。
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《 訳文 》
(あるとき管仲はしみじみと言った。「私が若くて貧しかったころのあるとき、鮑叔と一緒に商売をしたことがあったが、儲けを分け合う際には自分が余計にとったものだ。鮑叔はわたしを欲張りだなんて言わなかった。私が貧しいのをよく知っていたからだ。ある時私は鮑叔のために事業を計画してやったが、かえって行き詰まってしまった。それでも彼は私を愚か者だとは言わなかった。時期には好機と不利な時があることを知っていたからだ。私はある時には、三度主君に仕えたが、三度とも暇を出されてしまったが、私をできそこないとは言わなかった。私が仕えるにふさわしい時世に出会わなかったのを知っていたからだ。私は、かつて三度戦いに出て三度とも逃げ帰ってきた。その時も彼は私を卑怯者だとは言わなかった。私に老母がいるのを知っていたからだ。斉の孔子の糾が敗れてしまった時、糾の守役の召忽は殉死したが、わたしは囚われて辱めを受けたが、鮑叔は私を恥知らずとは言わなかった。私が小さな恥にはとらわれず、天下に名が知られない事こそ恥だと思う男であることを知っていたからだ)。(こうして考えると)私を生んでくれた人は両親であるが、本当によく私を理解してくれるのは鮑叔だ」。この二人の交際を、世の人たちは管仲と鮑叔は素晴らしい結びつきだとたたえた。
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《 原文 》
生我者父母、知我者鮑叔也。此世称管鮑善交者
我を生む者は父母、我を知る者は鮑叔なり、と。これを世に管鮑善く交わる者なりと称す
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《 一言多い解説 》
ここまで管仲に言われたら、チョッと買い被りじゃないの?と鮑叔は言いたそうである
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