珍本・百人一首

『珍本・百人一首』 参拾壱首より四拾首

『珍本・百人一首』 第参拾壱首
   5月12日

 

 朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに
      芳野のさとに ふれる白雪  坂上是則



 峯村文人さんが解説しています。歌の趣意は、特に曲解のしようがないでしょうと言っています。有明の月の意味が是までの歌にも出てきているから、真夜中頃天空に指しかかる月のあかりに照らされた風景のように、雪明りの吉野の里の朝ぼらけを「美しいなあ」と感嘆して詠っている。

 その美しさのひとつは、“深とした静かさ”というものではないでしょうか。降り積もった雪が見せる荘厳感が白々と夜が明けかかる頃、視野の中で広がってきて見る人の中にジンと染み入って来る。後世の山水画で現されるモノトーンの力強さを平安時代の人が打たれている。そんな印象を私は持ちました。

 都会とか地方とかに限らない。今の若い人が例えば家庭の温かい蒲団に温まることに反感して終夜、繁華街や、今は無人の廃屋の中、あるいは海を見に行って仲間と、または恋人と過ごしている、刹那的(自分のものとなっていない)居場所で朝ぼらけを迎えたとき、いっときその中に存在する自分と、周囲との融合を感じ取ってみたらどうだろか。周りを見わたすあるいは、印象的な一点に気を惹かれて見つめた光景から“美”を感じ、打たれて欲しい。“美”でなくてもいい、“ビミョ−”でもいい。是は人間の感性や理性を呼び覚ますための・・・

 心をホンのチョット開く。心の個室に小窓を見つけ、戸をチョット開いて外の景色を見ておいて欲しい。留置所・拘置所など独房にもし入れられ、否応無しに自分と向き合わされたとき、現実の窓の無い世界がどれだけ苦しいものかが想像できるからです。見るという権利を奪われるのです。

 そんな極端に行かないまでも、誰にも外界の情報、特に情緒で受け止める記録領域が脳・心に備わっていると思います。そこを長く封印したままで過ごしてきて、なかなかこの窓を開かずに生きてきた現代人は多いと思います。太陽を見て手を合わせ、大地を耕してめぐみの神に感謝し、あらゆる外界に自分を融合させてきた私たち先祖の感性とくらべて、なんと貧弱に萎んだ心なんだろうと驚かずには居られません。

 ボケナスは 乗った電車の 見えぬ顔
     私の背後 太ももに手が  berander




『珍本・百人一首』 第参拾弐首
   5月14日

 

 山河に かぜのかけたる しがらみは
     ながれもあへぬ 紅葉なりけり   春道列樹



 とにかく歌の意味を最初に書かないことには、どうしようもない。

 【この山河(やまかわ)に柵(しがらみ)が懸けてあるが、これは人の懸けたものではなくって流れることが出来ないまでに吹き寄せられた紅葉を、風が持って来て懸けたものであると云ふのであって、ちょっと南画の趣がある。】

 berander に、この解説はわからない。解説している吉井勇さん、これではお手上げです。『珍本・百人一首』を始めて最大の挫折、自分の感性の敗北すら意識しています。

 歌の背景、作者紹介、出典などこれまで解説に書かれていた内容を通して、それぞれの歌を曲がりなりにも味わい続け、かつ紹介してきましたが、何故かこの歌に関しては、?の状態で脱出したい。手抜き。但しパロディの歌を創る気力まで失うほど、berander はヤワではない。

 邪魔かねと 彼のかけたる 携帯の
     メールを覗く 上司なりけり   berander




『珍本・百人一首』 第参拾参首
   5月16日
 

 久堅の 光のどけき 春の日に
     しづごころなく 花のちるらん   紀 友則



 「久堅」の意味について解説がありません。久方のという文字が解説の中であるからこれで調べると「(枕詞)天・空・日・月・雲・都などに掛かる」とあるから、見上げた景色の中に桜が咲き乱れ既にハラハラと花びらが散っていると言う情景を詠っていることになります。

 しかしこの歌に印象がけられる事は、作者の虚無感ではないかと思うところであります。自然界の意志の在るのか無いのか、桜の花が散っている姿に自分は何の感動も感傷も持って居ないのだ。、と強調しているように思います。

 この歌の解説者の評に私は勿論感化されています。しかし、解説の中には、こうであろうと言う余韻があるのみで、決して「この歌はこう解すべき」と言う押し付けは有りません。

 平安の昔、虚無感を歌に表わしたということを私は驚異にすら思います。自分の身の回りに起きている事を客観視できる思想は、早々に日本人の中に生まれたものでは無いと思います。むしろ近代人の精神作用によって現れているのではないかと、思うのです。

 解説者:安部秋生、出典は『日本文学史』中古篇(塙書房)

   久々の 出張帰り 妻の肌
     いずこともなく 噛みあとのあざ    berander


 雇用機会均等法と言うか、女性のほうが会社に重要視されてくると、出張に出かけたのが妻だったということになって、このパロディー歌は現代夫婦の悲喜劇として展開される状況を詠んでみました。



『珍本・百人一首』 第参拾四首
   5月18日
 

  たれをかも しる人にせむ 高砂の
       松も昔の 友ならなくに   藤原興風



 宜しいででしょうか、中年・初老・晩年の方々。自分の気持を1000年も昔の歌人・藤原興風が和歌に詠ってくれているのですから。この歌の意味を吉井勇さんがこう解説しています。(出典:『百人一首夜話』交蘭社)

 【自分は年を取って昔の友達も今は一人もいなくなって了った。せめてあの松でも友として語りたいが、松は人ではないからそれも出来ない。それでは誰を友としたら好いのだろうかと言ふのである】

 berander も、何を隠そう仕事していた頃には友も居た、と思っていたけれど、実は当時の人間関係は一人一人のパーソナリティーの繋がりよりも、むしろ利害・義理および期待によって成り立つ要素のほうが大きかったと今は思うようになってきました。

 何か悩みをぶつけて、「お前もそろそろ自分のこと、判ってもいいんじゃない?」などで、青春の日々は成り立つと思います。「俺、眠れないんだ」 「歳取ると眠りが浅くなるから仕方ないじゃん」−−そのように淡々と老人同士の会話は進行する事が多くなります。

 誰もかも 死んでくれたら この地球
      金に囲まれ 贅沢したい    berander


 一度は夢想したことないでしょうか。ひとりだけ美しい女性をそばにおいて。女性バージョンでは、こうなるのでしょうか。

 誰もかも 死んでくれても この地球
      エステ通いで 日々美しく    berander




『珍本・百人一首』 第参拾五首
   5月21日

 

 人はいさ 心もしらず ふるさとは
     花ぞむかしの かににほひける   紀 貫之



 

 この歌の解説は、第二首と第十首で登場した大岡信氏『百人一首』:世界文化社【日本の古典】別巻です。berander は再びこの解説者から深い感銘を受けました。当時(古今和歌集の編纂時代)の時代背景と、この歌の作者紀貫之の人物および当時の和歌作者の社会的地位、更にこの歌の解釈についての記述が珠玉だと思うのです。本日項の中に順を追って書き記してみたい。

 その一 『時代背景』

 この歌は古今和歌集に見られますが、作者紀貫之自身が、編集長と言うべき立場で関わっています。まず。平安時代は、西暦794年の平安遷都によって始まっていますが半世紀余も経った辺りから貴族の中の藤原一族(藤原良房、858年)が摂政の職務にのぼり更に884年に藤原基経が関白となるに及んで、藤原氏の摂関政治が敷かれていく、要するに殆ど国家権力を藤原一族が掴んだということになります。


 ところがこの藤原氏の専横が一時期(40年間ほど)途絶えて王朝権力が復権しています。一種の王政復古。宇多・醍醐両帝の頃であると言います。別途手元の歴史年表に拠ると宇多天皇在位887〜で、897年に醍醐天皇の御世となり、930年まで。紀貫之はこの時代の頃活動をしています。そして古今和歌集が905年に最初の勅撰和歌集として出来上がるのです。天皇からの勅命。この頃の先進国“唐”は流石に衰退期を迎え、日本も遣唐使を中止しています(894年)。唐の滅亡は907年。じつは最期の遣唐使に任命され、後にそれを外されたのが菅原道真で、やがて901年に大宰府に左遷されています。2年後に没していますが失意の内の死であったのかもしれません。


 国内で独自文化が息づき膨らんでいってやがて『伊勢物語』・『竹取物語』などが10世紀の前半(950年まで)に書かれ、『宇津保物語』・『落窪物語』を生んで、やがて最初のミレニアムを迎えた頃『枕草子』・『源氏物語』が出て、文藝世界の爛熟期に入って行ったとみられます。

 その二 『歌人の立場』

 古今和歌集の主たる選者は、紀貫之・紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑の方たちですが藤原氏全盛下では所詮うだつの上がらない下級官僚であったようです。歌が巧いところを帝から「朕はそちたちを重んずるゆえ、近う寄っておじゃれ」といって認められて、張り切った。こうして『古今和歌集』が成立して行ったとなると、本当の人間天皇の姿が見られたというものです。

> その三 『歌の解説』

歌の前文などで解説される“詞書”に経緯が書かれていることと、大岡信さんの説明をあわせて、一気にドラマ仕立てで書いてみます。みやびな貴族の語彙を使う事も出来ませんから、現代語。


貫「久しぶりだね。また初瀬詣でに来たので、寄ってみたんだ」

女「あんた、どのツラ下げて来たのよ。このところすっかり寄り付かなかったじゃない」

貫「随分な挨拶だなあ。おれ、今でも“きのツラゆき”。もう少し歓迎してくれよ」

女「私は、ずっと今頃になると、あなたの来るのを迎える気持ちでいたんだよ」

貫「じゃあ、上に上がらせてくれよ」

女「ダメ。ダメダメダメッ」

貫「ほら、見てご覧」と言って庭に咲く梅の小枝を折ってみせる。

女「いつも見てるわよ、部屋のなかからボンヤリ独りでネ」

貫「あ〜ァ。梅の花はおいらに昔と同じに好い匂いで迎えてくれてるのになあ」

女「それがどうしたのよ」

貫「ねえ、いいだろう?」

女「・・・・ (-_-;」


   

註:初瀬詣でとは大和の長谷寺の十一面観音への新年詣で。

 その四

  痔ろういざ 心も知らず 便はいま
     先が出にけり 香も匂い出る  berander

  


『珍本・百人一首』 第参拾六首
   5月27日

 

 夏の夜は まだよひながら あけぬるを
     雲のいづこに 月やどるらん  清原深養父



 この歌は『古今集』の夏の部に収められています。歌の意味は、極めて単純に読み取れます。子供の発想で詠っている様だと解説者の吉井勇さんが述べています。

 「月のおもしろかりける夜、暁方に詠める」と“詞書”で紹介されています。出てきました“おもしろし”と言う表現。清少納言の『枕草子』などで出てきたところを、教科書でよくよく解説されていたことを思い出しました。では復習してみると、

  おもしろし: 見て、心が晴れ晴れするさま。興味深い。愉快だ。

 この歌の中では、興味深いの意で解釈して良いと思います。そして「あの月は今何処の雲に隠れているのだろう」と短い夏の夜を終夜起きていて、時々空を窺っていた作者の心情を受け止める事ができます。

 清原深養父と言う人物、吉井勇氏の解説ではこのようになっています。【深養父は筑前介海雄の孫、豊前介房則の子と云はれてゐるが、又一説には従五位下内匠允蔵人所の雑色とも云はれてゐる。とにかくあまり世に表れた人ではない。山城の国愛宕郡(をだぎごほり)の小野に深養父の建立した補蛇洛寺(ふだらくじ)と云ふ寺があって、ここに住んでいたと云ふ事だけは分かってゐるが、その外の事は伝わつてゐない。】

 出典は『百人一首夜話』(交蘭社)

  夏の夜は もう酔いながら あけ広げ
      いものいづこに 手は弄るらん   berander


  (弄る=いじる)



『珍本・百人一首』 第参拾七首
   5月31日

 

しら露に 風の吹きしく 秋の野は
     つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける  文屋朝康



 

 このところ幾首かの歌人の人と なりにイマイチなじみが無い。これは詰まるところ水道トラブルではなく、勿論便秘の悩みなんぞでもない、単に無学。学校の教科書で平安朝の和歌をチョット教えられて後、少しも進んでいないから、こういう機会に単に通過して仕舞うのではなく、きちんとフォローしていって色々勉強すればいいのだとは思う。

 しかしこの人物について、この歌の解説をしている池田弥三郎さんでさえ、こういっています。短く引用してみます。

 【(作者)あさやすという。はっきりしない人で、歌も古今、後撰に三首しかない。・・・】

 これではどうしようも有りません。この歌の意味の解説に行ってみましょう。【(語訳)しら露 これも白雪、白浪のたぐいの白。風の吹きしく はしきりに吹くこと。つらぬきとめぬ 玉は緒をとめてない玉だ】

 つまり非常に細かい自然の姿を観察して、歌にしているようです。秋の風吹く野に居て、露が風に飛ばされてしづくのように飛び散っているよのう。

 この歌は完成されていないと私は思う。31文字も文字を使っている和歌であるにも関わらず、今は時刻はいつ頃なのか、天気はどうか、周りは広い視界かどうか。あるいは孤独か、寂しいか。きつく批判するとこんなことが何一つ判らせても呉れないままで突きつけられたように感じます。

 かといって作者が言葉に溺れているということでもない。これまで観賞してきた歌にも多少感じたのもがあったとは思うけれど、殊更この歌に情感を与えられないのです。勿論私個人の感性との相性だとは思います。

 相性と言うよりも、タイミングのほうも大事であることを次の歌は詠っています。

  もち肌に 息の吹きしく 朝の床
     逆効果なり 玉ぞ蹴にける    berander

 



『珍本・百人一首』 第参拾八首
   6月4日

 

忘らるる 身をば思はず 誓ひして
      人のいのちを しくもあるかな  右近



 哀しい女心の歌です。【忘れられてゆく恋の果て、わが身の果てはいうまじ。神に誓いし君がことばの、偽りはゆるされざれば、そのとがめ受けんなん命、あわれいと、哀しけれ、いとおしくこそ】

 解説しているのは馬場あき子さんです。

 歌の作者の略歴を言うと、醍醐天皇の皇后、穏子(おんし)に仕えた女房(女官)です。中納言敦忠と契りを結んだが、その時この男が寝物語に色々な気を引くような約束をしていた。しかしやがて離れて行ってしまったときにブチ当てた歌のようです。

 馬場あき子さんに関しては、サイト探索で次のとおり情報を得ました。

 1928年(昭和3年) - )は、歌人、文芸評論家、短歌結社「かりん」主宰。日本芸術院会員。朝日新聞歌壇選者。元齋藤茂吉短歌文学賞選考委員。

 更に。読売文学賞、毎日芸術賞、朝日賞、などのほか紫綬褒章を受章。主な著書に、歌集「桜花伝承」「葡萄唐草」「阿古父」、ほかに「鬼の研究」(三一書房)、「修羅と艶―能の深層美」(講談社)、「花と余剰―能の世界」(淡交社)、「風姿花伝」(岩波書店)など。国立委嘱の新作能に「晶子みだれ髪」「額田王」がある。芸術院賞受賞。

 このような実力者に和歌の手ほどきをいま私は受けているんだ、と思うと古人の歌一つ心して味わわなければいけないのだと襟を正してしまいます。

 恋の歌をこれまでも幾つか鑑賞してきましたが、この歌を馬場あきこさんは優しく纏めてくれているのですが、私にはどうしても心変わりした男を追う情念の熱さだけに留まらず、その情念の願う先に想う心は−−−私を振った男は幸せになって欲しくないの、と願望するかのように感じられるのです。

  忘らるる 愛しているよ 誕生日
      夜のおつとめ 玄関のキス  berander

 
 解説: 「家にお金さえちゃんと入れてくれていれば、今の女はこれで好いんだけど、右近さん」



『珍本・百人一首』 第参拾九首
   6月9日

 

あさぢふの をののしの原 忍ぶれど
     あまりてなどか 人のこひしき  参議等



 試しにこの歌に解説された内容を全て引用してみます。さあ、頑張って読んで行ってみようっ!

 【浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき

Asajiu no
Onono shinohara
Shinoburedo,
Amarite nadoka
Hito no koishiki.

 この歌の音律構成は規範的で、短歌の韻律学が定める一般方則の原形を示して居る。即ち上三句でNo音とShi音を交互に重ねて押韻し、下句四句の初頭に於て、主調音「浅茅生」のAを受けて対韻して居る。この押韻形式は短歌の一般的原則であつて、多少の,不規則や例外はありながら、大体に於てよく出来た歌は皆かう成つて居る。即ち拍節の最強声部たる第一句第一音と、同じく最強声部たる第四句第一音(下句初頭)とに、最も強い対比的の音(陽と陰との反対する対比でもよい)をあたへ、且つ上三句を出来るだけ重韻にして畳みながら、下四句以下で調子を落して変へるのである。
 上掲の歌はその形式を典型して居る。一首の意味は、忍びても尚忍び切れずに人が恋しいと言ふだけで、上二句は純然たる序であるが、その重韻にした声調に情を写して、如何にも切々たる恋情に耐へない思を訴へて居る。巧を尽した秀歌と言ふべし。(萩原朔太郎)】

 古典の和歌をこんな風に解説する姿勢って、あまり好きではありませんが、観賞する事に制約は無いし、こんなのが欲しかったと、喜んで読む人も居るはずです。しかし一般的ではないし、私には辛い文章でした。後は何も申すまじ。

 朝立ちの をのこシコシコ しごけれど
     ただ空しくて 襞の恋しき  berander


 ちょっと俗っぽい解説をして〆ましょう。
   襞の恋しき : 奥ヒダ慕情



『珍本・百人一首』 第四十首
   6月10日

 

忍ぶれど 色にいでにけり 我恋は
     物やおもふと 人のとうまで   平 兼盛



 態度に出すまい、うっかり顔をにやつかせたりする事も戒めよう。そう思っていたのに、「よう大将、顔に描いて在るよ、いい女(ひと)でも出来たのかい?」と言われている自分のことを和歌に詠っています。

 その作者の心境を、この歌の解説している河野多恵子さんは色々想像して、書いています。「兼盛はこの歌を何歳くらいの時に詠んだんだろう」

 史書をさがしても作者・平兼盛は、生年が判らない。その後の役職についた年齢だけは記録に在る。作品がいつ創られたかも判っている。こういうときは、想像力を逞しくして吟味するのも楽しいものです、と河野多恵子さんは言っています。同感です。

 青年にさしかかる頃とみてとれる根拠も在ると言います。そうか、手練手管の年増に筆下しされたかもしれない。あるいは、彼が40過ぎておぼこ(未通女)に手を出して、「ういやつよのう、力を抜いて麻呂に身体をあずけておじゃれ」なんて、青少年保護条例に引っかかるような行為であったかもしれない。どっちも、これでは顔に出てしまいます。「うっしっしっ」

 どちらにしても、後を絶たない男の「うっしっし」を、何で罰則規制なんか作って取り締まるんだ? こんなの、下手に立ち回ったドヂな人が引っかかっているだけじゃんか。
 
 乳くれば 色にいでにけり 桃色の
     まぶた耳たぶ くちびるを吸ふ   berander


 ねっ、悪いことなんかしていないよォ〜。こういうのを『桃色遊戯』って言うんだから。−−−オアソビ。