珍本・百人一首

珍本・百人一首』 十一首より二十首
『珍本・百人一首』 第拾壱首

 わたの原 八十島かけて 漕出でぬと
     人にはつげよ あまの釣舟   参議篁


 遠くエーゲ海には、海神ポセイドン(ネプチューン)とか、妖怪などがギリシャ神話の中に跋扈していたと、風説に聞いています。スケールこそ違いますが、日本の中にそんな神話や伝説が生まれても不思議でないと思わせることと、この歌が八十もの島々を巡っている風情とがダブって、“わたの原”とは、瀬戸内海の事かと私は想像しました。瀬戸内海に舟遊びにでも出かけたときの歌?

 参議篁とは、なんと読んだらいいのか判らなかった。今回の解説はきわめてあっさりと折口信夫さんが書いています。歌の解釈や出処、歌人像など簡単にさらっと流しているだけのようにしか感じられないので、これまでも、裏取りとか、補足向きにやった他のサイトに見に行って調べてみて、こちらを基に書いて行きます。歌人の名は「さんぎたかむら」です。折口信夫さんは、読み人知らずの歌だったものを古今集編者が参議篁の歌に仕立て上げ−−でっちあげだ、まではいかないでしょうがそんな風だったよと言いたげに書いているので、今回の解説では、なんか読者に誤解されるような、損な書き方をしているように感じました。余韻としては、解説者折口信夫さんの思惑とは違った方向に流されてしまったと思います。

 其処でもう一度サイト検索の上での解説といきましょう。この歌は流刑地に流される船に乗せられ、その航海の緒で近くで漁をしている漁師に、自分はいま遠く壱岐の国に流されていくんだと、都の人に伝えてくれ、という叶えられるとも思えない心情吐露の歌であるようです。八十島とは、この壱岐諸島の島々を表わしているのでした。政治的権謀の末に罪びととなった小野篁朝臣と言う人です。わが国最初の勅撰漢詩集『凌雲集』の撰者である岑守(みねもり)の子。

 江戸時代の政治犯は、伊豆七島の鳥も通わぬ絶海の孤島、そしてこの歌の当時は壱岐の国の中の離れ小島。「余の辞書に、不可能がどうたら・・」と、欠落辞書なんか持っていた人も、最期はセントヘレナ島だ。なんか島って寂しいなあ。さて、平安の当時もご赦免船なんて言っていたのだろうか、二年後に赦免されたと有ります。元の身分にあるいはそれに近い立場に戻れたんだろうか? 今のように支援者団体みたいな、あるいは党員・党派などの後ろ盾構造が在ったら何とかなったかもしれない。

 歌の解釈で頭の中に電球がパッとついた部分がありました。“わたの原”のわたとは“海”の古称。ということはあの「きけわたつみの声」の“わたつみ” が、海神のことであると、インプットされていた知識が、より深い意味として理解されたみたいです。わたにあるかみ=「わたつみ」、そして例としては、わたからの風=わたつ風となっているのだろう。“つ”の言葉に位置・所在を表わす意味が在ると、古語辞典にも出ていた。

 ヴィーナスに心こめて詠うberander の歌はこう。

 股のはら 精根かけて たどり着き
    口には着けよ ほとつ和毛を  berander

 
和毛:「にこげ」と読みます。「つ」は、解説済み。近じか、berander のサイトは年齢制限が必要になるだろうなあ。それでいて、モロのアダルトサイトからのコメントやトラックバックは受け付けない。怒(いか)る、あるいは遠島を申し付ける。


『珍本・百人一首』  第拾弐首

  

  天つかぜ 雲の通路 吹きとぢよ
     をとめのすがた しばしとどめむ   僧正遍昭


  (通路=かよひぢ)

 これまで、それぞれの歌の解説を担当してきた人たちが、詳しい文献資料から導いて得たその歌々の、元歌の出どころや、詠み人推理、選者定家が選考する際の心理などを多彩に見せてくれました。この歌に関しては、かつてberander の高校生時代に学んだ時代に時間を戻されたような懐かしい雰囲気を与えてくれた解説でした。

 窪田空穂氏『古今和歌集評釈』U(東京堂)に拠るもの。それを引き鉄にして、古文の授業で受けたときの先生のセリフまで思い出してしまいました。話は、和歌の授業の時ではなかったと思いますが、黒澤明監督の映画製作のスタンスを褒めちぎっていた。「時代考証がすばらしい」

 「昔の武家屋敷の柱。表面の削ぎ方がね、きちんと調べて当時のままにして、映画を製作している」と。今の2×4(ツー・バイ・フォ−)のような鉋(カンナ)を掛けて滑らかにしているのではない。説明がうまかったのか、実際にその後映画館でberander は確証したか憶えていませんが、その柱のイメージは良く頭に描かれています。そして、教科書の解説と先生の説明の妙が相マッチして、王朝文学にほのかなロマンチシズムを紅顔の美少年は、抱いた。そのことを思い出して懐かしくなったのです。

 歌の解釈に行く前にこんな川柳を先に披露させてください。

 若いこが 観る存在で 足りてくる  berander

 初老男の心情を現した句と思ってくだされ。あと10年ほど先に行って、若い娘さんたちの夏の街なかに闊歩する容姿は、どんなであるか、考えただけでもゾクゾクして来ます。「生きてて良かった」ときっと思うに違い有りません。しっかり徘徊できるよう、足腰の筋力と視力を鍛えておこう。では、天つかぜ ・・・の解説に移る。「こら、弁当食ってる山田ぁ、ここはテストに出すかも知れんから、しっかり聞いとけよ」 あっ、先生の苗字まで思い出した。ウサミ先生。漢字でどう書いたかは忘れた。なお、早弁を喰っているのは、あなた自身あるいはあなたの知っている山田ではありません。

 宮中で「五節」の賜宴が催され、臣下に酒饌を賜る儀式が在った。陰暦11月中の丑の日を始めとして、とあって今で言うといつごろかと調べました*。そのサイトの換算表を借りて出したところ、中秋の頃。遠く外れては居ないと思います。その際に宴たけなわとなり4、5名の顔立ちのよい若き舞姫が女楽の舞をみせる。舞姫は、やがて舞い終わってその場を引き下がろうとするとき、歌人僧正遍昭が、心惜しむ思いをこの歌にして詠んだんだそうです。僧正の身でありながら、不届きな心魂であるなんて、ちっとも思いません、お坊さんもうっとり。・・・「いいなぁ」

 地上と天上とを通う路を戻っていく彼女たち天女を風よ、雲を払ってその道を閉じてくれ、もう少し、この地上に置いて美しき“をとめ”を愚僧は眺め続けて居たいのだ。

 「いいなぁ」 簪(かんざし)を買っている所を目撃されたぼんさんも居るし、最近では、男性カツラ被って、外車乗って夜の街に繰り出す坊さんも居るんだよ。なお夜の街に通うお坊さんは、あなた自身あるいはあなたの知っているお坊さんではありません。

参照サイト:『暦の部屋』

 あめかぜよ 街の歩道に 吹き上げよ
    乙女のすがた 透けてのぞけむ  berander



『珍本・百人一首』  第拾参首


 

 つくばねの 嶺よりおつる みなの川
     こひぞつもりて 淵となりぬる  陽成院


  (陽成院: ようぜいのいん)

  歌の解釈をする際、大切なのは、句の中に出る固有名詞をしっかり理解することだとつくづく思いました。これまでもそれぞれの解説者が言ってくれたために、それまでに解釈していた内容なんかよりも幾層倍も深みのある観賞が出来るようになったか計り知れず、そのワンダフォーッ・ビューティフォーは諸手を挙げてポーズしたくなってしまいます。「フォーッ」

 失礼。この歌の解説は大久保正氏『100人で鑑賞する百人一首』(教育出版センター)です。まず、歌人陽成院とは、第五十七代陽成天皇です。このあたりの継承順はとても尋常なものではないような印象があります。と言うのは、この後を襲うのが、陽成院の大叔父−−−自分のおじいさんの弟(五十八代・光孝天皇)なんですから。

 いにしえの皇室には即位年齢だって、幼少二歳、水没する歳だって八歳の安徳天皇などが居られた。源平の戦いで平家が壇ノ浦で滅亡する際の犠牲者です。歌に明け暮れていたのは表面の顔で、実際には血なまぐさい、人間臭ふんぷんとした世界であったものと思います。でも、みやびな歌なんだったら、そこんとこは目をつぶらざるを得ず、王朝和歌にひたらなければいけません。今時の役人天国の優雅な役得には、目を剥いているんですが。ついでに−−−かの小泉総理が皇室に歓心の薄いことは良く解ったからには、もっとテッテー的に役人に辣腕振るうべきだった、とはちょっと飛躍した論か?

 歌の背景に戻って。この歌は『後撰集』恋三の巻に入っているから、恋・愛を訴えている歌で、相方は大叔父、光孝天皇の娘で、宮入した皇女綏子(すいし) 内親王なんです。この辺やはり継承順の矛盾、閨房の不自然さを考えてみれば、色々入り乱れた派閥の抗争妥協帳合(あい)などの情実が、見える見える。深入りして探索する気があれば、今はいくらでもPCから読み取り出せる。この歌の紹介だって「釣殿のみこに遺しける」と解説つきで後撰集に登場している。勿論釣殿のみこ=綏子内親王です。しかし、この「宮入」とはなんでしょうか。仕えるということであれば、側室と言うことか?この辺は説明を定かにさせない意志が解説者にあるのですか?

 あんまりスッキリしない歌だった。弾むような、慕うような、喜ぶような心情を詠んでいるんじゃなさそうです。「朕は萎んで居るぞ」とでも言いたげ。つくばねとは北関東の霊山・筑波山です。登った事が有りますよ。前の晩友達のところで呑み過ぎて、二日酔い登山になってしまったけど。みなの川の“みな”とは「蜷」、水中のタニシ等の小巻貝の事で、そのみなの棲むような、澱んで泥の積っている淵の部分を現し、自分のお前に寄せる恋心は、この淵の泥が積もるような重い物になってしまった−−−berander はその様に読んだ。解説には、そこをもっと深い情愛の味わいを伝えてくれているのですが、どうだろうか。

 当時の子女はとかく男の慰みもの、あるいは政争の道具として扱われた事も多かったと、他の文献にもあった。そこで。

 つき羽根の 俺に敗れて バッテンの
  墨ぞつもりて ブスとなりぬる   berander



『珍本・百人一首』  第拾四首


 

 みちのくの 忍ぶもぢずり たれゆゑに
     乱れ初めにし 我ならなくに  河原左大臣



  この歌は、女から恨み言を言われて、言い訳をした歌だが、そこには趣味人にふさわしい優しい心ばえが現われている、と解説者の白洲正子さんが述べています。故人。昔、この方の西行についての著書を買おうと思ったのですが、直前に別な本で読んでからは西行への熱気が醒めてしまったことがあって、買わず仕舞い。西行とは、西行法師で第八十六首に出てきますから、この話の続きはその時か?約二ヵ月半の先になるでしょうか。凄いぜブログでこんな先の予言をぶつなんて。

 言葉の解釈が出来ると、良く解ってくる歌だと思いました。「忍ぶもぢずり」とは一説に東北地方で、しのぶ草を布に摺った原始的な染め物の事で、出来上がった布に出る文様が乱れているところに趣があった。もっと詳しく歌の意味を述べていますが、観賞に余韻を置いたほうがよいでしょうから、言わぬが花、私が講釈することは控えます。

 でもね、「我ならなくに」がしっかり気持を結んでいますなあ、河原殿。貴方は嵯峨天皇の皇子に生まれ、六条河原の院に住み、風流な生活を送った源 融 (とおる)さんじゃありませんか。あなたの宇治に建てた贅沢な別荘は、後に平等院になっています。10円玉の図柄にまでとりいれられていますよ。男として、羨ましい生涯を送り、極楽に移ってからも忘れられていない存在って憧れるなあ。出典は白洲正子『私の百人一首』新潮社。

 みちのくの しばれる寒さ 洟は垂れ
    くしゃみ初めにし 咳も止まらず   berander


 桜前線は、今頃はみちのくまで北上していますか?


『珍本・百人一首』  第拾五首


 

君がため 春ののに出でて わかなつむ
    我衣手に 雪はふりつつ  光孝天皇


 この歌を最初、すわ異常気象かという驚きをやんわりと風流に詠い流したのか、と思ったのですが、昔の人が春と言った頃はもっともっと寒い時期のことだったんだと気付いた。だから雪が降り出してきても良いんだ。・・・待てよ、やはり納得できない。今度は冬の寒い時期に摘み草するんだろうか、芽ぶいている若菜ってどんな草。万葉歌人の自然界への洞察、触れ合いの密度は現代人にはうかがい知れない深いものがあったことは、これまでの歌を鑑賞してきて、よく解った。

 だから今日(こんにち)とは違った体質の身を以って自然界のサイクルとの接触をしていて、萌えでた草を摘んで居たんだけど、想定外の雪がちらついてきた、美しい〜〜ッ、と感嘆した心情をberander は採り入れて鑑賞したいと思います。でも解説者の萩原朔太郎さんは、そこんとこ深く追求していない。只以下のように述べています。【・・・とにかく古雅な佳い歌で、素朴の中に洗練があり、平坦の中に強い感情を包んでゐる。かうしたクラシックの古歌の美は格別である。】と。

 註:文中で【 】で挟まれた部分があります。熟本中に書かれた文章をそのまま引用しています。これまでの十四首においても同様です。

 ところでこの歌を万葉集前詞はこう紹介しているそうです。「仁和の帝皇子におましましける時人に若菜を給ひける歌」

 帝が若き日、恋人に摘み草をして差し上げている風情の、これは矢張りほのぼのとした情景なんだ。臣下にあげようなんてする解釈筋もあるけど、これではキモい。宜しいでしょうかberander は何を隠そう今の皇室の在り方について、とても憂いを深く持っている人なんです。雅子さまと皇太子殿下の生活も、日頃このようなものであってもいいじゃあありませんか。何故おふたりは苦しまれるのか。私には、周りが体勢が軋みを持っているからだとしか思えません。明治維新は、旧徳川幕藩体制のみならず古来続いてきた、皇室の本質をも変えてしまったと思うのです。『限りなく架空なもの』が皇室に貼り付いてしまったと思うのです。例えば、王朝絵巻とかいって、蹴鞠をしているひとがTVに映っているのを観て、私たちは「優雅ァ」等と言っているけど、彼らは宮内庁職員なのか、趣味の人がやっているのか正確にいう必要があるのですが、此処では職務とか研鑽披露の一部として、少なくとも本当の雅(みやび)な人に代わって繰り広げていると言う点を強調したいのです。実質的な存在としては最早どこにも無い。いわゆるバーチャル演技です。その一方で皇室への現実的な命題を突きつけている。皇族の置かれている立場をこの角度から見つめ直して、時に考えてみてもいいのではないでしょうか。ま、歴史の巻き戻しは厳しい。

 力説終了。
 出典についても力説を忘れません。萩原朔太郎『恋愛名歌集』(筑摩書房『萩原朔太郎全集』第七巻)
 パロディ歌は、そっと。

 家のため 飯も食わずに 我が勤め
   朝の電車は 雪でストップ   berander

 


『珍本・百人一首』  第拾六首


 

立別れ いなばの山の みねにおふる
     松としきかば 今帰り来む   中納言行平 


 解説している人のお名前がビックリィ。私は読めない。ある話を思い出した。『小比類巻かおる』。歌手です。この名前を文章と見て姓は小比類、名は巻、小比類 巻さんが香るような色香を放っていると解釈した人が居たとのこと。わたしの事ではありません。

 それでは頭に戻ってこの度の歌を解説している人を紹介します。百目鬼恭三郎さんです。姓・名をやはり区切れない、または読めない人は最期まで読んで確認した後にお帰り下さいませ、サイト検索で調べておきました。

 彼がこの百人一首、第十六首目の歌をどう解説しているのか、その文章の簡潔精良さに打たれました。どうしてもそのまま伝えたい。その様な理由で、解説の全文をそのまま掲載することにします。これだけの文章量をそっくり転載することの非礼を是非、著者・発刊サイト、読者サイト両者にお許し願いたいとおもいます。例によって“【” から “】”までの中の文章です。

 【いま別れていっても、任地である因幡国の稲羽山に生えている松にちなんで、あなたが待っていてくれるのならすぐ帰って来よう、の意である。「いなば」を「往なば」に、「まつ」を「松」と「待つ」に掛けるなど、技巧を駆使してありながら、別離の悲しみが素直に心に響いてくる。これは、荘重ともいうべき音律の美しさのせいであり、また稲羽山の松という古い歌枕が、今日もなお私たちの心のどこかに生きているためであろう。集中の秀歌である。作者の行平は、平城天皇の孫に当り、臣籍に入って在原の姓を名乗った。業平の異母兄である。大宰権帥に在任中、壱岐の水田を開発するなど、経済の才能もあったらしい。この歌は斉衡二年一月、因幡守として赴任する際の作で、当時行平は三十八歳であった。】

 解説前半においては、仰々しき熟語の駆使された文章という向きも有りますが、berander も願わくばこのようにしっかりとした文章を、いつも書上げたいものと願うのです。とても参考になる文章でした。有難うございました『どうめき きょうざぶろう』さま。出典は「小倉百人一首考」(昭和43年2月『中央公論』)


 勃ってくれ イナバウアーで 目の前に
   待って悶える いもに挑まん  berander




『珍本・百人一首』  第拾七首

83 ご隠居、訊きてえことがあるんですが。
隠  おう、八っつあんかい、なんだい私に訊きたいってことは
90 八が例の和歌が『やっぱ、わかんない』ってんですよ
隠  待ってましたよ、今日あたりお前さん達がやってくることは
83 えっ、どうして判るんです? おいらの用向きのこと
90 ほ〜ら見ろい。ご隠居は予知能力まであるんだぞ
隠  いやいや、そんなことはない。ブログ見ていてね
83 やや、ご隠居もberander の『百人一首』ですか?
隠  先だっての講釈が落語で笑いものにされて悩んでたんだよ
   それで、急いで先生をお呼びしておいた
90 ご隠居。きょうはいやに殊勝じゃねえっスか
83 やっぱあん時の話は、ガセだったんだ。ひでえなあ
隠  すまんすまん。
   じゃあ、この後は先生に正調『千早振』を解説して貰うよ

 『珍本・百人一首』  第十七首

 千早振 神代もきかず たつた川
     から紅に 水くくるとは  藤原業平朝臣

島 千早なんてのは花魁の名前なんかじゃありません。勿論龍田川という四股名の力士も、ご隠居のでっち上げです。でもあそこまで嘘っぱちの噺を創り上げる事が出来るのは、立派に才能ですな。

隠  いやあ、それほどでも・・・
90 ご隠居、シズカニ

島 千早振とは“神”の枕詞で、霊力によって千の磐をも破る−『千磐破』の説とも言われています。そんなサプライズが日常的に興きていた神代の時代でさえも起き得なかったことが、我々人の世に出現したよ。龍田川に落葉した紅葉が川面をびっしり埋めて、川の水がその下を流れているよ、という説がひとつ。これは撰者藤原定家の解釈。(83 ご隠居、鼻毛なんか抜いてないで、しっかり書き留めておいて下さいよ。ここはご隠居の知性が、頼りなんですから)

島 それに対して、賀茂真淵が、四句・五句、つまり下句はこう解釈すべきだと言う。「こんなに真っ赤な色に水をくくり染めにするほど紅葉が流れている」 くくり染めとは、しぼり染めのことですから、“水が紅葉色に染まって赤く見える”と言う意味になります。どうやら業平自身が感嘆した光景は、後のほうの解釈でいいのだろうと、今はなっています。

b 水が木の枝に繁る紅葉の色を照らし映して赤く見える、
  という解釈は出来ませんか?
島 なるほど、スルドイ指摘。
  秋になって、そこに行って確認してもいいでしょうね
83 先生、どこを流れてるんですか、その“たつたがわ”ってのは 
島 大和の国、奈良県の龍田山ふもとを流れています。紅葉の名所です。

隠 先生有難うございます。お名刺を・・・
    『島津忠夫:大阪大学名誉教授。文学博士』

島 私の著書『百人一首』(角川文庫)が出典です。
   第五首、『おく山に・・・』でも引用されています。

 *お詫び: 島津先生、長屋の住人対談へ勝手に、しかもノーギャラで登場して頂きました。非礼をお詫びします。姓の表記も“島”として進行した事も併せてお詫び申し上げます。

 では、b も名刺代わりにパロディ歌を一首

 千早さん 泊めるも聞かず 去っていく
   ただ口紅の メモが鏡に  berander


幾度か前述をしていると思いますが、今私が展開しているこの『珍本・百人一首』は、河出書房新社刊、丸谷才一編集による『百人一首』の熟本(古本の雅な呼び名)を熟読する事によって、歌の紹介とその歌の(出典を通して)解説してある内容を引用したり咀嚼して紹介しているつもりで居ります。今回の歌に対する解説者は萩原朔太郎さんです。第十五首でも解説している時と同じ出典です。そして、同じように簡単。

『珍本・百人一首』  第拾八首

 住の江の 岸による波よるさえや
     夢の通路 人めよくらん   藤原敏行朝臣


 解釈はどうなっているか、一部を原文のまま示します。

 【上二句迄は序。一首の意味は、夜の夢路にさえも人目があって逢へないと言うだけのことで、想としては空虚に近いものであるが、音律に特別の美しい魅力があり、どこか縹渺(ひょうびょう)たる夢の国に誘はれる感がある。・・・】

 冒頭のところで、歌のイントロの説明をまったく端折っているのには参りましょう、もとい参りました。・・・チョット動揺がありました。解説の中に強調しているのは音律の美しさであって、そのことのために敢えて仏蘭西の象徴派詩人ヱ゛ルエーヌが『詩に於いては』の中で言う「何よりも先ず音楽、他は二義以下のみ」と言う部分を引用して同感であると言っています。歌の中にある語句の解説は、「よるさえや」は「寄る」と「夜」とに掛けてあるというところのみです。人物紹介で、『詩人』となっていて、「口語自由詩」の普及と創作をしています。評論なども含めて、著書多数と有りますが、やはり勅撰和歌集あたりの世界には、異色の切込みを入れているということでしょうか。

 berander にとって、もう少し補足を取らなければパロディー歌に影響する事もあって、ちょっと他を当たってみました。ガラガラ→ポンみたいですから個々の参照の出所は省略します。住の江は地名ではなく、摂津国の歌枕ですと。今の大阪府の住吉大社付近の海の辺り。だったらやっぱり場所を特定していることになると思います。当時は小波打ち寄せる入り江だったそうです。そしてひねもす打ち寄せてくる波に比べて「なんですか貴女は。私の夢の中にも訪れて呉れない」という、恋する対象の女性への思いを、藤原敏行朝臣が自分の叶う限りの技巧的修飾語を使って歌に表している。

 古典の和歌を解釈する事については、やはり萩原朔太郎さんは気が入らなかったかもしれない、というのがberander の独断解釈となりました。あるいは、たとえは悪いのですが、あくまで想定として述べてしまいますと、『名選手、名監督たり(成り)えず』とおなじものか。私はしかしこの自分の言葉の確認を必ずしも取ると約束できない。私には外にしなければならないことがあります。

 隅っこに 車を停めて 夜の浜
     ひしと重なる 人目気にしつ  berander



『珍本・百人一首』  第拾九首

 

  難波がた みじかきあしの ふしの間も
      あはで此世を すぐしてよとや  伊勢



 この歌は恰好な古歌解読の為のサンプルになりました。解説しているのは峯村 文人さん。詳しいことは第二十九首目の解説でも担当されているから本日は、人物紹介はしない、というかサイト検索に良いのが引っかからなかった。別手段で調査しておいて、そこで発表予定。

 難波がた=難波潟。大阪地方の海面の古称。この水辺には蘆が茂っている様子です。ふしの間=節の間。蘆の茎の節と節の間の短いことを詠っているから、この一句から三句まで全体で“ほんのつかの間”を現している。ふと思ったのですが、今テレビから流れる日本語は、例えば報道番組であれば、

 「つかの間の滞在で、帰国の途につきました」などです。此れを「難波がたのみじかきあしのふしの間のようにして、わたの原八十島かけて、飛行機は雲の通い路に飛び立っていきました」とやったら、矢鱈にコマーシャルがセットされている番組スクリプトに途中を打ち切られて、内容が全てにわたって解釈不能に陥る。バカタレ−−−もといアホ振るバラドルが大挙して出演するバラエティー番組では、めいめいが自分の気の効いた台詞を発するのも、会話の流れの隙間を突いてかますから、やはり短い。「どこ見てんのよッ」なんてのを、「我が身世にふるながめせしまにたれゆゑに、乱れそめにしいもぞおしけれ」なんて言っていると、第一センテンスの段階で、ほかに持っていかれる。

 ここは、雅にゆっくりと時間が流れるberander ワールド、なんて気分で参りましょう。

 あはで=逢わないで。いえ拒否反応ではなく逢ってくれない恨み節。すぐしてよ=過ごしてしまえ。「てよ」は完了の助動詞「つ」の命令形。あ〜よかった。短性急かと思った。でもパロディー歌にはさむだろうと予想されると、やりにくいなあ。とや=とや言うのこと。「というのですか」みたいな。では、上の百人一首第十九首を、現代文に訳せ。の模範解答は以下の通りです。

 【難波潟の蘆の節と節との間のような、ごく短い間も、逢わないで過ごしてしまえというのですか】

 伊勢さんて、此れこそ『伊勢太夫』などと花魁につけてあげたい名前ですが(実際に居たかも)何者か。勿論絵札を見れば女性となっていますが藤原継蔭(伊勢守)の娘で宇多天皇の后藤原温子に仕えた、とありますから女官と言うことでしょうか。でも宇多天皇に夜伽に呼ばれたのか、彼女の寝所に天皇が忍び寄ったのか、あるいは・・・まあ好いやとにかく皇子を生んだんだけど、幼い間にこの子は亡くなっている。後に寵愛を受けたパパさんの息子と結婚したり、いやはや。情念の女だったのか。ちょっと深読みして、男の人にどんな気を引く細工をしたんだろうかと詠んでみました。

 逆ナンパ 短き足も フリル付き
    勝負パンツで いざや悩殺  berander


『珍本・百人一首』  第弐拾首

 侘びぬれば 今はたおなじ なにはなる
      身をつくしても あはむとぞ思ふ  元良親王



 第二句の「今はたおなじ」を、多くのいにしえの国学者が首をひねって、「なんだろな」と、思い巡らして来たそうです。一体何と同じか? と言う疑問です。“はた”は「今は同じ」を強調する言葉です。その各論は後述するとしてその他の語意を並べると、

 みをつくしは、水脈(みを)つ串で川の中で水脈(水流)を知らせるために打ってある杭の事=澪標。“つ”は、位置・所在を表す言葉。この語感に「身を尽し(身を滅ぼす)」という意味を掛けることで、一種の表現法の定番化となり、色々な歌の中に使われていったと思います。尚、berander はかつてヘラ鮒釣をしていた頃、この“みを”と言う言葉をよく見聞していました。基本的にヘラ鮒は回遊魚で湖沼や川を泳ぎまわっている。川岸に立ってみれば川底の、みを筋をヘラ師は読まなければならない。鮎の友釣りで言えば、コケのついた石の存在を水の中に予想して、囮鮎を放たなければならない。

 「あはむとぞ思う」は、絶対に逢って(まじわりをして)行くぞ。ある意味では悲壮感がこの歌の中では現されているんだそうです。そこを先に知ってみると「今はたおなじ」は、『名は同じだ』と言う意味で味あうべきだ、と島津忠夫先生の講釈で有ります。自分の名前が噂に上ってしまったなんだから、もう隠し立てなんかするもんか。随分悩んだけどもう吹っ切れた。貴女にはいのちを賭けてでも逢って行きます。

 密会の相手は宇多天皇の后さまです。とんでもないことをして、それを歌に詠んで、それが『後撰集』恋五、961番目に載り、改めて定家の目に留まって、『八代抄』、『近代秀歌』、『詠歌大概』などにも選び入れられ、ついに百人一首第二十首目に選抜されるなんて、よほど「今はたおなじ」が感動を呼んだんだな。危うき恋の哀しい美しさなんだろうか。

 性愛の醍醐味は、一盗・二卑・三妾・四妓・五妻ともいわれているのですが、同じアタック掛けるにしても、何たる不埒、これが愛し合ってしまうみたいに状況が進行してしまう。いくら時代が違うとはいえ、『解らん』 この元良親王って何者なんだ? 島津先生は、好色な男として書いているだけ、きっと胸糞悪く思ったのかも。berander も同様です。−−−まさか。(まさかはどこに掛かるでしょうか?)

 各論のそのほかは何であるか、ちょっと言い出しっぺですから参考までに。よう解らんです。尚、出典は第十七首の「千早振・・・」と同様『百人一首』角川文庫。
 「身をつくしたるに同じ」 
 「その絶えたるを念じてわびをる苦しさも、かの事出来てさいなまれ苦しさもやがて更にかわりなきをいふ」

 今の世、出会い系で「簡単ですよ」、なんてきっかけを提供する性愛インフラが有りますが、元良親王サマ、どうします? 現代に生まれなおしてきて、喝を入れますか、ご贔屓さんになって行きますか? さすがの親王も斯くあろう気持をパロディー歌にて詠めり
 
 シャワー浴びて 部屋に戻れば みな盗られ
     ラブホの昼の 幻の女   berander

  (女:ひと)