バリアフリーつくってください

 2005年11月29日。広島市で起きた小学一年生殺害事件の容疑者が逮捕された時、とても辛い思いがしました。

 犯人が外国人であったために、被害者少女との間で言葉や仕草などのコミュニケーション上の断絶があったのではないか。そしてお互いに怯えみたいに発生したその場の緊張感が弾けてしまい、惨劇になってしまったのではないかと思うのです。

 アメリカで、日本人留学生がハロウィンの夜、銃殺された事件がかつてありました。その日本人留学生は、とある民家の玄関に向かって歩いていくと、家の主人が、フリーズ(動くな)と言った言葉をプリーズ(いらっしゃい)と訊き間違えてしまった。たったその誤解ひとつで銃殺による殺人事件が起きてしまったのです。

 そして、berander が記憶しているもうひとつの事件が、『東電OL殺人事件』です。その被害者は、何故娼婦のように、自分の肉体を男にひさいぐことをしたか知らない。容疑者はネパール人。二人の間に、どんなすれ違いがあったか? 確かに肉体的な接触があったことは客観的に事実となったが、お互いの意思疎通が上手くいかなかったために心理の綾、「ちょっとそれは違う」という、不信、怖れなどの気持が昂じ、殺害事件へと進んでしまったのではないか。OLが護身用にナイフでも持っていたら、逆転の事件になっていたかもしれない。

 でも今回、流石に悲しい。被害者は7歳。通う小学校の校長先生が、泣いて謝っていました。それも空しく哀れでした。父親も100パーセントで容疑者に怒っていったとは考えたくない。

 警察は発生した事件に全力投入します、いつも。今回も一週間で500人とも800人とも言う捜査員を大量投入して、対応しました。犯人を見つけるという努力です。順逆が違うのではないか。

 犯罪予防にどんな努力をしているかによって、犯罪は減るのではないでしょうか。当たり前の論理だと思うのですか。バリアフリーと言う考えがあります。障害者が安全に街の中で行動できるような環境の整備は、行政や市民活動で浸透しています。そうして、障害者が家から出て外の世界で色々な楽しみを持つことが出来ていく。そのままの考え方が何故、子供の安全に対するバリアフリーの実践に繋がらないの? 誰が一番腐心しなければならないか、それが判っていない警察組織は対応の猛反省をする時が来ているように思う。