私のPET SEMATARY

  私には小動物などをペットとして飼うことが出来ないと思う。犬・猫のように人格(?)を人間にモロにぶつけてくる動物も勿論ダメだ。失った時の落ち込みが大きいから。ペットロス症候群は、療養に健康保険が効かないだろうし。もう二度と味わいたくない悲しみだった。

 三度の体験がある。追憶を年代順に取り出していく。

 −1− 小学生低学年だった。一匹1円のオスのひよこを5円払って五匹飼った。メスは一匹50円、成鳥になると卵を産むから高い。雄は穀つぶしにしか成らないので1円なのだ。隣近所では、成長して人間の胃袋が浄土となった鶏も多くいた。学年の変わる季節、春先の頃に買って、近くの田んぼにひよこの餌になる草を採りに行き、時にカゴから大地に放って遊ばせる。しかし、か弱き小さな命は、脱水症状を起こしたり、夜間の寒さに当たり、体温が下がって一匹、また一匹と死んでいった。電池が切れたのではないのだ。苦しい呼吸がやがて浅くなっていき、ゆるく短い時間をかけてまぶたに薄い膜が、短き一生の終わりを告げる緞帳(どんちょう)のように下がってきて息を引き取るのだ。

 兄弟を失った残り一匹のひよこの最後は壮絶であった。学校から帰り、駕篭の中を早速覗くと、居ない。私が第一発見者であったか、疑問なところがあった。莫大小(メリヤス)のぼろ布に一片の肉塊がついている。最後の一匹は、猫の餌食となってしまったのだ。私は泣いてしまった。姉が慰めてくれて、トランプで二人だけの7並べのゲームを仕掛けてくれたが、何時までもいつまでも私は姉の前で泣き続けていた。泣きすぎてしゃくり上げを止めることができなかった。

 −2− 家にオスのトラ猫が居ました。ひよこの犯人とは別人です。僕が中学生の頃です。恋の季節、寒い夜空に赤子の切なく泣くような声や、行商の呼び声のような枯れた声で誘い合うようにして、猫は合コンを展開します。神から与えられた権利をゲットした時は、満足して帰ってきて僕の布団にもぐりこみ、やがて安らかな寝息を立てます。あるときは、闘いに負けて耳の一部を食いちぎられて血のりをつけたまま帰って来る時もあります。其の時は、爪を僕の寝巻きに立てて、”ごろつき”のような唸り声を上げて、目を剥いたままで居ます。ペニスの勃起も収まっていない時があります。僕にもそろそろそんな性徴期が訪れていた頃だったから、気持はよく解りました。暫らくして、身体の具合を悪くして、肛門から血を流し始めたのです。僕も気持悪くなって、布団に入れてあげることが出来なくなりました。ある寒い朝、軒先の木箱の中で、目も口も開いたまま、死んでいました。

 −3− 娘が修学を終えた頃、こう言った。『あたし、これから何かの保護者になりたい。ペツトを飼いたい』。暫らくして一匹のオスのハムスターと居住環境一式を買って帰ってきた。「あたしの扶養者だからね」とまずはクギを家族一同に打ちつけた。名前は“三郎”、本人から『サブ』と呼んでも良いことも言い渡された。が其処は先輩の父と母であった。日もいくらも立たないうちにトイレ掃除を始め床掃除、食餌買出しなど勝手に担当係長に就いてしまった。やはり、糠に釘となってしまった。

 この係長制度自体は100パーセント、保護者である娘の気分を害していたわけでは無いが、周囲のサブに対する愛情の注ぎ方には流石に不満をもち、本人は時にムカつき、注意勧告を飛ばす事もあった。私のサブの掴み方には特に母娘とも、文句をつけてきた。サブがゲージの中の小屋から出て、ぶらぶらしていた時など、「ただいまー」の声を聞くと慌てて小屋に引きこもってしまうと言う。私の抱きかかえ方が天敵の猛禽に攫われる時と同じなのだ。確かにハムスターの飼育本に書いてあった。自分で買った本を読んでいない。

 サブの死期を早めたのは私だと思う。左手に傷を見つけた。近くの動物病院に連れて行かせた時、サブにとって過酷な診察を受けたのだろう、三回目の通院はもう叶わなかった。抗生物質を呑まされた後のサブの糞は一日で下痢便に変わり数日後からは、あの豊かな体毛が抜け始めた。折から年の暮れ、保温に対する配慮もさせてあげられず、サブは終日身体をブルブルと震わせて蹲っている。かろうじて腹を下に向けてはいるものの、やっとの体勢である。母は、最期にサブを暖かい風呂に入れてあげた。そして翌朝、息を引き取った時私は、医者になんかつれて行かせなかった方が良かったと後悔した。或いは、もっと病院の知識を持って対処すべきだった。

セピア色のサブ    昼寝中のサブ

          (ゴメンね、サブ)