第三作:  『グラン・ブルー (Le Grand Bleu) 』 
 


  グラン・ブルー (グレート・ブル−完全版)
   Le Grand Bleu

  監督       リュック・ベッソン
  製作       パトリス・ルドゥー
  脚本       リュック・ベッソン

  出演者(左が出演俳優)     
    ロザンナ・アークエット:ジョアンナ・ベイカー Johana Baker
    ジャン=マルク・バール:ジャック・マイヨール Jacques Mayol
    ジャン・レノ:エンゾ・モリナーリ Enzo Molinari
    ポール・シェナー: Dr. Laurence
    セルジオ・カステリット: Novelli
    グリフィン・ダン: Duffy
    マルク・デュレ: Roberto

  音楽       エリック・セラ
  撮影       カルロ・ヴァリーニ
  公開       1992年
  上映時間    168分
  製作国     フランス/イタリア
  言語       

 或る実在のダイバーが居て、その彼の伝記映画作品です。例によってレンタルで借りたビデオ版で観賞しました。この映画の監督はフランス人です。そのことと、この映画のストーリーの展開を鑑みて、ひょっとしてこの映画は、“ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)”系統の映画ではないかと思った。

 仏蘭西の映画界で一時期(1950年代以降)、ブームとなった制作手法や監督群の主張ということだけでなく、新たに起きた文藝・哲学活動の息吹を受けた映画表現手法であると言うものであります。この作品が制作されたのは、実は先立って、1988年に“グレートブルー”と題して122分(日本配給版)で上映されています。そして、いずれにしろ、その時代にはヌーヴェルヴァーグの活動は映画界の通説としては終焉したとされています。

 この映画は、ストーリーを進行形で展開させていない。鑑賞者のひとつの感じ方であるかもしれないのだが、今描かれているシーンは、この先に話がどのようにつながるのかの予測を極力与えないように見せている。そこまでの展開が終り、別の場所・別の人物が登場して新しい情況を映しているのだが、暫らくその流れを見続けていても、一向に前のシーンとの関連性を悟ることが出来ません。

 そして、更に再度、画面が切り替わったあたりで、最初のシーンで見た残像がその背景に浮き出てくる事で、初めて、そこまでの時空的広がりの全景を見渡すことが出来てくる。これは例えて言えば−−−陸上トラック競技の長距離走で、先頭から離されたどん尻の選手(今のシーン)を見ていると、先頭を切って走っていた選手が少しづつ視界の中に近づいてきて、クロスする瞬間、ピタリと二人が同化して、その後の幾人かの選手までも重なりこむようにして、この映画で描こうとした核心を観客に理解させようとしているのだと思いました。

 シーンの中味を書いてしまうことの愚を極力出さないように書くことはチョット難しいかもしれませんが、

 主人公ジャック・マイヨールが幼少期に過ごしたギリシャ・エーゲ海のプロローグのシーンだけがモノクロ映像です。幼児期の主人公は、既に卓越した潜水能力を持って居た。ある時、海底に光る金貨を先に獲得しようとした所へ、二歳年上のエンゾは先ず自分が取ってきてみせ、主人公に再び海に投げて沈めたのを引き揚げて来れればジャックのものになると、けしかけるのだが、これを主人公が辞退したため、金貨はケンゾの物となってしまう。

 20余年後、ケンゾは、ある潜水夫を救出したりして潜水能力が長じている処をみせる。次第に身辺の羽振りがよくなっていくから、果たして、本業が何なのかはよく理解できない。そのエンゾが唐突に弟にジャックの消息を調査させる。

 ジャックが次に登場したシーンは、南米アンデス高地の氷の張った湖である。暗黙に時系列を揃えている。その地で、後に恋人となるニューヨークの女性保険外務員ジョアンナとの出会いをさり気なく描く。ジャックは渡り渡世の潜水夫になっていた。その次が南仏コートダジュールである。ここ四幕に到ったところでこれまでの全てのシーンを大団結させる。三つのシーン(文章で言えば章、舞台演劇で言えば幕)によって、イントロを描写させて来た事が理解できるのです。監督が映画化させるに当たり、この辺りの主張を込めたいがために、自ら脚本を書いている事を窺わせます。それからの展開がこれまでのテンポから一転させて丁寧に主人公ジャックとケンゾーの息詰まる男の意地と友情と、そして、恋人との愛の姿を描いて行きます。


 大半を風光明媚な海辺をバックとしたロケ地での撮影である事が、ヌーヴェルヴァーグ的であると評価するべきかどうかはわからない。しかし、もうひとつ大海原と海中(水中)のシーンを美しく描くことに如何に気を回してしいたかと言う事が、この映画のタイトルとなっていることでもう窺い知ることができると言えるのです。

 シチリア島・タオルミナ(Taormina)のホテルレストランで、スパゲティーを食べるシーンが全世界のこの映画を見た人と、その話に触発された人の憧れとなったようです。

 この映画のラストシーンは余りにも悲美しい(かなうつくしい)のです。