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香港夫婦珍道中
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   私の海外旅行初体験は、もう30年以上も前の事になります。1ドルが360円から確か308円に変動した時で、勤めていた会社の業務が主にアメリカTV映画や劇場映画を輸入していた事で、ドル建て仕入れの買掛金に少なからぬ為替差益がでました。 その特典でハワイに社内旅行のプレゼントがあったのです。1970年のことでした。翌々年もグアムヘ行きました。

 当時、成田空港はまだ影も形もなかった頃の昔の話です。独身時代の事でした。結婚して、子供は一姫二太郎(長女と長男)でやったぜベイビィです。その時からは家族の思い出作りで専ら国内行楽地に日帰りや、一・二泊程度の 旅行を続けてきました。娘が中学生高学年になってお花見程度の行楽へも付いてこない事が多くなり、その辺りまで、典型的マイホーム・パパとして粉塵努力をして参りました。


 1996年夏、特に何々記念日とか節目みたいな事もなく、夫婦二人旅の香港行きが、ひょんなきっかけで突然、実現してしまいました。その年6月、妻が虫垂炎になって10日程入院しました。予て掛けていた私の入院給付保険の扶養者分だけでなく、本人が同様の保険に加入したぱかりのタイミングで、手術費を合め、合わせてかなりの額の給付金が入ってきました。

 五月雨的に振り込まれて来る預金通帳の明細を妻はワクワクして眺めていました。それから、旅行社に行って貰ってきたパンフレットを、私が晩酌し乍らナイターを見ている横であれこれ見比べている様子。「ねえ、香港に行かない?」誘いは唐突でした。断る気にはなれない理由があって、私は久し振りの海外旅行を即座に決意しました。

 
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1992年夏のタイ、94年夏のハワイに私だけ行きそびれている。タイ行きの時は出発半月前に脊椎圧迫骨折で八週間入院、この際は急遽妻の弟を私の代役に立て、息子を連れて(絶対対安静を命じられ、ひたすら病院のベッドで横臥している夫に)あなたの分も楽しんでくるからとか言って、本人は初めての海外旅行を満喫してきました。

 ハワイの時はもっと悔しかった。今度は妻の妹が、ちょっとした応募マニアで、ワイキキのヒルトン・ハワイアンビレッジ、スイート・ルーム宿泊招待旅行に当選しました。スペースが許す限り何名様でもOK。航空運賃と小使いは自己負担だけど親戚一同まとめて借金してでも行ってしまおう、と話がまとまりました。

 しかしです、職場で自分の関わるセクションに欠員が生じて、休暇どころではなくなってしまいました。妻は、あら残念だわ。と呟いてちょっと行ってくる風に飛んで行きました。もう留守番は御免だ、彼の地は一年後に中国返還を控えている、ブランド品は要らない、旨いものが食いたい、九龍城は最早なくとも、とてつもなく冒険心を騒がしてくれるだろうと、私の気持は青天に伸し上がる積乱雲の様に膨らんでいきます。

 出発は8月21日。実現確実になったところで、若干の不安材料が在ることを思い出しました。かつて、ハワイヘの往路で気象条件が悪かった為、高所恐怖症の恐ろしさを味わって居ます。飛行機は何か怖い。香港までのフライトは約四時間です。妻の腕にしがみついているか、酒でも飲んでフラ〜とするなり眠っている間にあっちに着いてしまうだろう。

 搭乗の際、信じられないラッキー・ハプニングがあって我ら夫婦はエコノミーチケットを手にしていたのにビジネス・クラスの席に連れて行かれ、そのもてなしを受ける事になりました。ステーキの食事をはさんでメニューの中から赤ワイン、白ワイン、ウィスキーなどポンポンと注文。更に金髪のお姉さんがボトルを見せて、まだ勧める。
 “
Oh thank you, on the rock please
と言ったら舌打ちして行ってしまいました。「御土産の機内販売に来たのよ」と、妻に叱られてしまいました。

 快適なフライトがあっという間に終り、その日は着いたら夜でした。添乗員は付いていません。香港啓徳空港に現地旅行社のガイドさんがそこここに居て、通関を終えて掃き出されてくる大勢の乗客の中からボツリ・ポツリと拾って行き、氏名を確認していきます。胸に着けているステッカーで識別出来ている、この辺の連携のノウ・ハウに成る程と感心させられました。

 旅行を通じていくつか印象の残った事のひとつがこの事。個々の旅行者が申し込んだ日本の旅行代理店、宿泊ホテルや逗留期間、オプションは様々です。これに対し、業界は独特のマトリックス(型枠)を用いて次々と旅行客を迎え入れ、くっ着けたり組み替えたりして、時に飛び入りすらも含み込んで、満足させ、送り出していきました。1970年頃からいきなり再開して今浦島となった私は、ここで海外観光旅行の隔世の感を禁じ得なかったのであります。

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 さて、ふたりの日程について、『初日、ホテルに着いて既に深夜。二日目は一日市内観光、つまりお仕着せの観光ツアー。三日目は終日自由行動。四日目がもうホテルを引き払う』というコースです。妻が一番欲しかったのは、終日自由行動の日数が最低もう一日あるコースだったのですが、私の休暇許容限度、予算許容限度等でこうなりました。

 
ホテルは九龍半島の下町、旺角(MONG KOK)にあります。翌朝、十七階の部屋で起床。カーテンを開けて見た景色は、香港庶民の住む巨大なアパートの異様な存在でした。

 ふと、この街の様子を見に行ってみようと思いました。香港最初の朝午前6時前、妻が起き出さない様にそっと部屋を抜け、ホテルを出ます。

 左に向かって歩き、角になったら右に右にと折れて歩いて行き、公園にぷつかりました。サッカーグランドがあって、もう子供達が遊び始めています。その向こうでは、やはりやっていました太極拳。老若男女およそ五十人、神秘霊験な舞いを見る思いでした。部屋に居ては暑いのか、老人がベンチや道端に座り新聞を読んだりボーッとしている姿が多く見うけられました。

 飼い犬でも鎖を外されて自由行動をとっています。犬同志ではガンガン吠え合っていても、何故か人間様には一歩下がります。それから、オフィス・ワーカーの通勤姿がチラホラ程度、約一時間歩き回った限りでは、ワンちゃんも頭数に入れて街の活動率5%と言うところか。

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 本日の市内観光では、名勝地ビクトリア・ビークで異国に来た実感を味わって来たいと思います。妻は明日の行動の為にバスの中から目星になる建物、看板の確認をしておきたいと言ってマップ片手に窓側の席に陣取って居ます。

 内緒の事こっそり教えます。うちのかみさん、天からの方向音痴です。千葉県の常磐線沿線の街に住んで永いのですが、東京都との境に江戸川が流れていて、電車でこの川を渡って行って帰ってくるうちに、どちらが上流でどちらが下流か、判らなくなってしまいます。「ゴミの流れていく先が下流だよ」なんて説明すると、怒ります「そんな事判ってる!」。しかし「おかしい、上流に川が流れてる」なんてひとりで頭の中が混乱しているらしいのです。

 兎に角、この知らない土地の地理を頭の中に叩き込むそうです。

 写真香港−2 バスに搭乗した本日のガイドさんは自称、28歳・女性・独身・日本語を早稲田(地名か大学名か不明)で習得している。昼食の飲茶をはさんで、九龍半島、香港島を巡りべーシックなコースを案内してくれましたが、やっぱり!と言うか、宿命と言うか、連れていかれたショッビングのコースでは我ら夫婦、「うわア、欲しい。これェ」という気がさっぱり湧いて来ませんでした。どの店でも、はい、こちら。では、あちら。みたいに連れ回されるようで、更に店員の過剰なまでの勧誘があります。私一人がカメラを持って炎天の通りに飛び出してしまいます。

 香港の諸物価事情を見て歩き、街のスナップを撮り、街角で新聞を買い、コンビニに入ってミネラル・ウォーター等を買って、ピタッと時間を合わせてバスの座席に帰還します。(こういうのが困ったお客さん)。

 団体様御一行から解放されたその夜は、女人街探検です。ホテルから歩きで約10分、一眼レフ・カメラにストロボを装着、それを一脚に載っけ、短パン・ノースリーブのTシャツの肩に担いで、時々スルスルと一脚を空に延ぱし、レリーズを押してバシャバシャと撮って歩く姿はあの雑踏の中でも結構目立ったと思います。『買い物の際、値切ってみましょう』と書いてありましたが、無駄でした。
写真香港−3ガイドブックに紹介されている菜館で夕食をとりました。広東語の聞こえる席の当地の客が食べている現物見本を指しての注文もしてみました。


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 香港$への換金はこの旅行中、色々な機会にやりましたが、香港では為替業務はサービス業務か商行為そのものの感が強い印象でした。添乗のガイドさんも、まるで万札をくずしてくれる感覚です。但し、換金レート及び手数料に微妙な違いが在ります。ホテルのフロントでは最初の一回、一万円だけ。一番良いのが、街に出て銀行で換えて貰う事。中にガードマンがライフル銃を抱えて立っています。その姿から発するオーラが『日本からの観光客の皆さん、危機管理は大丈夫ですか?』と気を引き締めさせてくれます。

三日目。終日自由行動の前半は九龍半島のネイザン・ロードを中心とした繁華街の、面は無理ですが点と線を妻は攻めると言います、まずは朝食。ホテルの近くに朝粥の店が何軒かあって、何処に入るか迷って居ます。地元の人達の出入りを見て決めてあげました。

 それから、Dinnerの予約をする為、日本のクレジット会社の支社に行きます。地下鉄が中心街の下を真っ直ぐに走っていて分かりやすい。南端、尖沙咀〈TSIM SHA TSUI)駅まで折りからの通勤ラッシュに、しら〜と同胞面して乗り合わせましたが、あまりの乗客のうるささに閉口しました。小鳥屋の籠の中で増え過ぎた鳥が一斉に鳴き続けて居る状態。仲間同志の会話だけでなく携帯電話の使用が大変多い。一般家庭の住宅事情を想像してみれぱ成る程なと思います。

 普通、オプショナル・ツアーに乗るのが安心・確実なのに、自分達の足で辿り、直接交渉し、直接感受できる観光の方が面白いと私は人一倍、妻は二倍強く思っています。支社での応対が日本語で出来たので、コースの食事プラス、私の嗜好も十分盛り込んで貰いました、的士(TAXI)代を少し遠回りに計算しても安い。「お支払いは当社のクレジット・カードで」とハッキリ頼まれました。確かにそれが礼儀、すると今日明日の軍資金の使い道が大幅に変ります。その場所を借りて妻はニコニコしながら電卓を打ち直して居ました。

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 戦闘体制も整い再び街へ、まずは今宵、島から乗って帰ってくるフェリー・ボートの到着桟橋の位置関係を確認し更に、写真香港−4対岸香港島の夜景を何処で観賞するか下見聞、それから先程の地下鉄駅まで戻り、一駅北上して佐敦(JORDAN)へ出ます。日本の大型スーパーな感じの、地元系デパート『裕華國貨(You Hwa)』は宝庫に等しい。早速、妻はここで買うか専門店で買うか迷い乍ら、ヒスイの指輪を物色します。予算を半ランク・アップして、女店員から借りたルーぺで鑑定しています。

 ・・ご免ね、誕生日・結婚記念日これまでたいしたプレゼントもしてこなかった、それで今、こんなに真剣になって宝石を求めているんだね? 私は感動すら覚えて見守って居ました。

 大物を治めた後、上から下へ降り乍ら、陶器・衣類・アクセサリー・化粧品・現地食料品(化粧品は毎日買っていました)と済んで最後に私が、酒売り場で、酔拳の師範が晩酌に買って行きそうな物をふた瓶買いました。結局、買い物攻勢は点の範囲で完了です。

 今日も暑い。三時頃、一旦ホテルに戻り一休みします。これから行く香港島の水上レストラン“JUMBO”は七時の予約です。昨日のツアーで若い女性グループが言ってました。「ブランド・ショップでさァ、奥さんのお供に、のこのこ短パン・サンダル履きで入ってくるオヤジって、むかつくよね〜」。それを思い出して、少し暑苦しいけど、まあまあの格好で出発。

 島の金鐘(ADMIRALTY)駅まで地下鉄で移動してから的士を利用。「あ〜あ、もう一日あれぱ、この辺、見たい所がいっぱい在るのに」と的士の中で妻は嘆きます。私にはこの辺、半島に向き合うベイ・エリアに何があるのか、どんな所かさっぱり分かりません。成程、本人の頭の中の地図にはDataが詰まっているんだ。

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 太宰治が、〈富士には月見草がよく似合ふ〉の『富獄百景』で、こう書いています。〈おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が …風呂屋のペンキ絵だ。…恥づかしくてならなかった>

 夕空をバックに、竜宮城も欺くやと海上に浮かぷ電飾のレストラン、“JUMBO”に対峠した私も、こう書いています、〈DASAIって感じがしてならなかった。〉・・・太宰は富士を見た後、次第に健康を回復していきます。私達は席に着いて食欲を満足させました。

写真香港−5 陸との間を何艘かの送迎船が往復しています。帰路、行き先の違う船に乗ってしまい無駄な往復に、小一時間掛かってしまいました。暗い凪の海、水上生活者の舟が寄り添っていて、この船の送り出す波に揺られています。裸電球のセピアな光の中に彼等の生活の一塊が見えました。

 それらの船の横を通るごとに、家族同士の会話や赤ん坊の泣き声も、緩やかな風に乗って聴こえてきました。

 香港繁栄の象徴、百万弗の夜景を、私達夫婦は半島側からも香港島からも、乗ってきた飛行機の窓から、そして今、フェリー・ボートから、プロムナードのベンチから、訪れた観光客、この街に生きる人達、恋人達と共に瞼に収める事ができました。

  
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 あっという間に、パラダイスな旅行は終ってしまいました。でも、幸せな旅行だったと思う、満足な旅行だったとも思う。

  
慕情の地ジャックは去って五つ星   三 竿

 
1997年7月1日、中国へ帰還した思ひでの香港の空に、五星紅旗がへんぽんと自由な風を受けていつまでもなびくよう、願いを込めて吐句しました。

  2005年6月28日

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