忘れえぬ場所

  鰐川(わにがわ)    


 まぶ師もヘラ師も、もう少数民族になってしまいました。私達が、日本の河川湖沼を西に東に走り、朝間詰め夕間詰めに歩き続け、捜し求め竿と浮子を頼りにヘラ鮒や真鮒の魚信(あたり)を待って、日永を過ごした幸せはもう幻なのでしょうか。二重の打撃を私達は受けて、敗北して倒れました。

 ヘラ鮒も、真鮒も住める環境は極めて少ない日本国土になってしまいました。この魚の棲む環境は、主に人と共に日本の田園、稲作農地の景色の中にありました。河川護岸工事などによって、水中の生態系が破壊されてから、彼女達との逢引の場がどんどん失われていきました。そして、新たな強敵が水中を荒らしまわりました。スポーツフィッシングの対象に、ブラック・バス、ブルーギルなどの魚が放流されました。彼らは、在来の水中動物と仲良くする気持など微塵も無かったのです。水域に生息しなくなった、或いは極めて少なくなった魚たちの墓碑銘を此処に標します。

鮒・鯉・クチボソ・たなご・めだか・わかさぎ・ハヤ・草魚・雷魚・ナマズ、 ・・・

 草魚、雷魚は、成長すると三尺は超える大魚です。これらの大魚も卵、幼魚の段階で、食餌として捕らえられてしまうのです。夫々の魚たちに必要な水中環境のどこかが躓くと、もういけなくなってしまうのです。


 20歳代半ば頃ヘラ鮒釣りを覚えました。最初は独りで、月刊『ヘラ鮒』や、専門書籍の情報で色々な釣り場を巡りました。兎に角、地名、湖沼名が抜群に美名です。『潮来前川曲松』でしょ、『与田浦』、のどかそうです。『主水の池』、『将監川』など読めますか?江戸時代の治水事業の歴史に竿を担いで分け入るようです。千葉県では、印旛沼、手賀沼水域、茨城県では佐原を中心に利根水系、霞ヶ浦水域など、広大なエリアに釣り場が点在しています。電車と、バスと、徒歩で処々を巡りました。そして、“へら鮒会”に加入してから、フットワークが抜群によくなりました。西湖、精進湖、河口湖などの山上湖の夏。鶯の下手糞な啼き声を聴きながら高地の涼風の中で、時に舟や岩の上でまどろみながら浮子を見つめました。

 西湖に最初に行ったのは、スポーツニッポン紙が主催した大会です。趣味を始めて間もなくの頃です。昭和44年から46年のはず。竿がまだ十五尺の安い和竿1本だけで、恐れも知らず参加しました。その日が近づいた頃、夢をみました。新聞の紹介に「西湖は、透明度の高い湖で、最大水深は・・・」とありました。その景色を想像した途端の夢でした。

・・・ 湖に向かって道を下っていくと、水の中に、美しい村がありました。木々も、人家の屋根も、ゆらゆらと揺れている中を、自分は真っ直ぐに進んで行きました。後年観た、黒澤明監督『夢十夜』の一話に出てくる、重連水車が回る水豊かな里の景色に、私の見た夢はそっくりでした。


 月例会で、利根川水系の鰐川に行きました。マイクロバスに運転手付きのチャーター仕様で20人弱の参加者が深夜、杉並区から釣り場に出発しました。4月、桜が散った後の春の嵐が襲い掛かりました。向かうに従い、雨風が強まり、車は足を取られながらのろのろと農道を進んでいきます。釣りが可能になるかお互いが寝もせず、窓から真っ暗な外の景色に目を凝らしながら心配しました。こんな時、メンバー同士で『雨男は誰か』、と犯人を探します。やがて判明しました、『雨のち晴男』が多数乗っていたのです。釣り宿の岸辺から舟を連ねて船外機に曳航され、ポイントに着く頃、雨足が踏鞴(たたら)を踏んできて、夜が白み始めました。

 私の今だに覆らない生涯最高の美しい朝を体験したのです。もう、雨具も着ている必要がなくなり、東を背に釣り舟の固定を始めた頃からです。正面西の空にネイビー・ブルーが滲み出ました。、暫らくして、私達の背後の空では、深紅が真っ黒な雲の間に覗き始め、こじ開けるように広がりながら明るさを増していきました。オレンジ色の光のシャワーが横殴りで差し込んだと見ていたら、上空の雲が分解し始め、コバルト色の幕を敷いた大空が出現しました。白い雲も灰色の雲も、ピンクに染まった雲も大空の中に吸い込まれるように消えていくのを目の当たりに目撃しました。そして、水面がめまぐるしく空の色に染まり、舟の周りは眼下に金魚藻などの水生植物の緑が見えてきました。呆然と見つめました。見つめた目が水面に、空に、その向けた光景に張りついてしまいました。

 吟醸酒のように吟醸した空気が、身を包みました。自然のエキスが詰まった空気です。鼻腔から肺に入り、血管に流れて私は陶然としてしまいました。しばし、自分の此処に来た目的も忘れ、酔いしれていたようです。目の前に何処までも水面が続いていました。広大な景色でした。

 『鮒に始まり、鮒に終る』。私の趣味の一つが、青年のころに再び戻る事が出来るでしょうか。息子が誕生して暫らくした頃から、竿を仕舞ったままで居ます。今、NPO法人として存在を続けているへら鮒愛好組織がある様です。定款に、スポーツフィッシングを謳い、様々な異種の対象魚愛好組織と共存を図ろうとしています。更に最近では、外来魚が河川湖沼で繁殖することを阻止する為の法律も施行される運びになるとの事、かつてのへら師の心は限りなき安堵の情に充たされています。

   −−2006年9月7日 稿了−− 

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