忘れえぬ味
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  1    たまらなくおいしく食べる達人たち

  壇 一雄さん、池波正太郎さん、吉田健一さんなどは、食の達人だと思う。広義の文筆家として、食に関する一級品の随筆を書いている。読んでいて、本当に食べたくなる。此の先が、並の本との違いが出てくる。つまり、私は彼らの作品に紹介された料理を、実際にいくつか作る事が出来たのだ。食の随筆であるからレシピ本ではない。しかし彼らの筆力はその味や、思い出を語りながら、その食材料を読者に買いに走らせ、包丁の入れ方を伝授する、或いは下拵えを手ほどきし、火加減、鍋、フライパンの持ち方回し方まで詳しく指図し、読者に料理を作らせてしまうのである。全ての読者がこれで料理を作れるとは思えないが、私は成功する。本当です。

 その本の中から。壇一雄さん『わが百味真髄』に紹介されている、鮭の頭部の軟骨(ヒズ)と呼ばれる部分を薄切りに切って三杯酢に漬けた珍味などがある。秋から冬が本当の旬となる。夏の“にがごり”の紹介もたまらなかった。標準語(?)でゴーヤといわれる南国の食材を、東京門前仲町の八百屋で見つけ、覚えたてに『にがごり下さい』と言った所、流石店の御かみさんが「お客さん、沖縄出でしょう」と言って来た。滅多にこの食材を、其の出所のまま言う人はいないのだ。今は我が家で細君の手に移って、定番のおいしい料理の一つになっている。池波正太郎さんも東京下町の、お菓子で言うと駄菓子、きゃべつや“てんかす”、うどん粉或いはジャガイモなどを主役とした調理も神の手で私は作り上げてしまう。『鳥の巣焼き』を作ってみましょう。

 ジャガイモを蒸かしてつぶしドーナツ型に形を作り、フライパンに置いて穴の中に鶏卵を割っておとす。蓋をして卵が焼けた頃が出来上がり。塩加減が醤油のみ、塩のみ、あるいはマヨラー向きにと別れることになる。以上で美味しいのです。ポテトをスティック状の小枝調にすると、視覚的にも食感的にも味わいが変わります。

 私の師匠はこの三人である。この三人のどなたも著していない(と思う)料理を私は房総の地で見つけ、家で物にしたものが二つある。紙面の都合、ひとつを次回に譲ってしまう。

 細君の親戚が、茂原市にご夫婦で移り住んで老後の生活を始めたと便りがあって、その姪っ子夫婦二組として新居に遊びに行った。その帰りに今は無き駅前『そごうデパート』の地下で珍しいものを見つけた。「蛸の子」、つまりタコの卵とある。大きいものでグレープフルーツくらい。この、ふにゅ、とした薄いゴムのような袋の中にグレープフルーツの果肉(果嚢)に似た卵が詰まっている。色も淡い黄色。料理法を売り場の人に聞いたら、「中の粒粒を取り出して、みりん醤油に漬けて、2・3日で上手い酒のつまみになる」と言う。2つ買って持ち帰った。冒険をした。一つを紹興酒と砂糖。もう一つを醤油、酒、味醂の混合で作った。失敗したら買い直しに、もう一度出掛けることになる。或いは、おじゃん。食材の値段は二つで500円だった。交通費は往復4000円くらい。季節はゴールデンウィークの頃が旬である。

 私は、日本の一地方の昔からある食材と調味料で作って美味い物であるなら、工夫の余地が有ると思っている。二種類とも、特に紹興酒漬けは大正解だった。翌年、このことを思い出して、今度は赤ワイン漬けにチャレンジしたがこれは失敗した。東京御徒町の吉池鮮魚部にこの食材は届く。他に何処か見つけられるところもあるだろう。ここ数年間、この味から遠ざかっている。バリエーションを広げ過ぎてもいけない。一つ覚えでも不足である。しかし美味しい食材であっても、我が家では賛同者がいない。孤独な味である。そして、初年度産以降、遠くなってしまった忘れえぬ味である。


  2     『なめろう』 房総で出逢った味 −その2

 房総の地で衝撃的な美味に出逢った。其の名は“なめろう”、7.8年ほど前のことである。

 JR外房線を南下していくと、潮の薫りが風に乗って鼻腔をくすぐりに来る。やがて車窓左側に広く海原の景色が見えてくると、私の心は幸福感と望郷の念に充たされる。故郷と同じ景色の出迎え、故郷に戻ったような懐かしさ、である。秋分の日の頃、外房夷隅郡大原町で『大原はだか祭』を見た。地域の各町内から繰り出した神輿が、海に入って勇壮な練を魅せる。

 もし、帰路の時間に余裕があれば、夕闇の迫る頃神輿の後ろに着いて行くと、地元の小学校の校庭に導かれていく。此処に全ての町内神輿が集まり“大別れ式”が始まる。夫々の神輿がグランドを駆け回り、男の精根は燃焼し、女の顔も紅潮がピークに達した頃、『甚句』の大合唱が始まる。静かに染み入るように、霞が広がるように、這うような響きが会場に漂う。彼らの顔に光るものは、汗か、涙か、折から降り始めた雨の雫か。この光景を神が空から眺めれば、己の創り給うた人間たちの饗宴を、きっと微笑みながら口ずさむだろう。

 ゆふぐれのときは よいとき
 かぎりなく やさしい
 ひととき
      − 堀口大学 −


 最早空はすっかり暮れていた。

 その余韻に匹敵する“なめろう”の味を家に戻る間際、大原の繁華街の食堂で味わった。食材はずばり、鯵(アジ)。海からの幸に私の反応は鋭いのだ、間違いない!この魚は初夏が旬だったろうか、この鯵に因んだ可笑しな思い出がある。小学校高学年の或る日、バケツに100匹を超す数を釣って帰ってきた。義姉が呆れて、「こんなに持って帰ってどうすンのよ。終いにゃ、猫だって跨いで通ってくよ」と言われた。其の時大量摂取した栄養が、身体のDNAに取り込まれているに違いない。

 日常の生活に戻って後も私の舌は憶えていた。大原から帰って、すぐに一発で再現した。この料理のレシピを簡単に述べると。調味料に味噌、醤油、酒、しょうがの摺り汁、刻んだ葱を鯵の切り身に合体させて、俎板の上で「トントコトン・スットコトン・も一つおまけの、スットントン、私の財布はスッカラカン」と、リズムに乗って包丁を入れて行く。柴又帝釈天の飴切りの職人さんモドキの、楽しい気分にもなって大変宜しい。だから其の後の美味い事。

 やはり家族が認めてくれない。だから暫らく遠ざかっているのだ。腕が鳴ってならない。喉が欲求する、涎が口に広がる。真面目に、タタキを作る時に三枚に捌いたあと、小骨を毛抜きで抜きながら此処から先、『グレてやる。“なめろう”に走っちゃおう』と空想した事も幾度か。


写真:神輿が海に入る。この日はそぼ降る雨の中の撮影になった。

大原はだか祭


  3     『イルカ』

 昔、普通に食べて居たのに、今は幻になった食材はいくつもある。今後も増える可能性がある。直近の味としては吉野家の牛丼も庶民のガマンの限界、幻の味にならなければ良いのだが。ハンバーガーも少し高くなっただけでも、ワン・コイン亭主には、幻の味になりかねない。

 マグロが危ない。兎に角日本は、国際舞台で政治力が弱い。鯨でやられて次に鮪かと思うと、ゾッとする。何でも食べる中国は、日本のマグロ食をバックアップしてくれるか? かの国は、食文化の何か批判されているものがあるのでしょうか、絶滅しない程度の量しか食べていないから良い、というイメージが湧きませんので如何か。そして、海の幸などをあれもこれも干物にして珍味にしてしまう、食の魔術師や匠(たくみ)の住む国です、日中亀裂の縒りは食文化の友好を突破口として解決できないか。

 もう一つ国際政治力で不満がある。柔道着のカラー化は酷い。選手を識別しやすくする為に導入したってホントーですか? 私は今でも涙を持ってしかこの競技を見ることが出来ない。私の個人的意見ですが、白の綿布に黒のステッチは、城でしょう。本丸乗っ取られてどうするんですか。バレーボールとか、体操とか、日本が強くなるとすぐルール改正して、実力を削ぐ。いつまでも私はわめき続けていきます、成果を得るその日まで。

 エベレスト初登頂を成し遂げたヒラリー卿がその時の事を書いた著書で、イギリス山岳会の公式名は“The Alpine Club”と紹介してあったと記憶しています。邦訳=山岳会。只、『山岳会』。これを今でも謳っているに違いない。日本だって山岳信仰の歴史は古くからある。日本最高峰にも神社はある。日本の山岳会はもっと古くから実質的に活動していたと思う。何かにつけ、こっちが本家だ、元祖だ、家元だ、と身内でやらないで何故国際舞台で主張しないのだろう。国際的な『お山の大将』になぜならないのか。

 そんな事は何のことも無い、と日本人はケロッとしていられます。不思議だなァ、私には出来ませんこの切り替え。『民族の美徳』と良いほうに思い直して、私は涙をぬぐって話を先に進めますと、また出て来ました。今度は涎(よだれ)です。

 イルカは安くて美味しくて、栄養があって独特の食感のある庶民の食材でした。私の育った港町では、鰹漁などの外道扱いだったのでしょう。外道呼ばわりがその後、やっつけられる元凶だったかと、ハタと思い浮かびました。味噌煮にして食べました。赤身の部分は、ステーキのウェルダンに似たぷりぷり肉で、脂肪の部分は歯が入ると、コリッとします。2〜3センチ四方のぶつ切りにします。見かけの層として麻雀牌な感じです。表皮の下に5ミリから10ミリほどの脂肪の部分、それから赤身部分になっています。今、その食材を目の前に渡されたら、味噌・醤油・砂糖・酒・味醂と生姜を冷蔵庫、貯蔵庫から出して、すぐにでも調理の上、美味しくしてお出しできそうです。生きたままのイルカはこまります。

 国際世論を敵にしても食べたい、それが忘れえぬ味とは・・・『涙のリクエスト』である。


  4   『我がビール、チーズ事始め』

 初めての味特に外来の食味は、その最初の一口がドラマチックな出会いとなる事があります。南蛮渡来のぶどう酒を豊臣秀吉が飲んだ話、徳川家康が楽隠居をはじめた頃、御用商人に「上方では何か面白い情報はないか」と訊いた所、「最近“テンポウラ”という美味なる料理が流行っているようですよ、精つきまっせ」と勧められた話とか、幕末の幕府高官訪米使節団の『アイスクリンは旨かった、そのほかの食べ物には難渋した』という話などは、探せば山盛りで出てきます。(追注:家康の死因説に、てんぷらに中ったというものがあります)

 大地より採れる作物では、同じ食材でも土壌の質が決定的に味を変えることも有ります。松茸は丹波笹山を一級品とするようです。韓国焼肉料理に着ける“サンチェ”という葉菜も彼の地のものを彼の地にて食べてこそ一級の味わいのものになると思います。行きたいなァ、喰いたいなァ。冬の釜山、しばれる夜の道を歩いていると、白い湯気立ち上る食堂に救われて飛び込むと、そこは焼肉屋だった、と友達が語っていました。松茸も夢でうなされるほど喰いたい。これまで、やっとこさ松茸ご飯で砂山から一粒の宝石を拾うように松茸の破片を見つけて、『嗚呼喰った喰った』と感動した事くらいか。霞ヶ関のお役所食堂の特別メニューだったと記憶しています。

 海の幸に至っては、その海域に流れ込む河川が運ぶ大地のエキスが、特産のものを育て上げる事があります。駿河湾富士川沖合いの“桜エビ”、珍しいものでは、福島県小名浜港に水揚げされる“目ひかり”と言う体表がヌルッとした魚、富山湾の“ホタル烏賊”、描くほどに、自分は今も口の中で舌の根元あたりが、モゾモゾして、『パブロフの犬』状態になっています。羅列をいつまでも続けているわけにもいきません。

 1958年、私が中学二年生の夏、お盆の頃帰省していた次兄がビールとチーズを買ってきて、縁先で家の人と団欒のひとときを過ごしています。真面目な中学生でも、流石に横目に気になってなりません。日本酒なら小学生低学年の頃、飲んだことがありました。「大人ってずるい、こんな旨いもの飲んでいる」とひがんだ想い出話をします。家に来客があって酒と料理でもてなして、そのお客が暇(いとま)を告げるときです。家族がその部屋を留守にして、玄関に見送っている寸の間、隣の部屋でタヌキ寝入りをしていた私は、ねずみ走りで卓袱台まで行き、お銚子に残っている酒をその辺の杯に注いで、グビッと遣ってしまいました。耳でお銚子を振って音を聞くなんて事していました。寝床に戻って布団を被って白ばっくれていたら苦しくなってしまいました。

 ビールはキリン、チーズは雪印です。多分私はこれを勧められる形で口にしたと思います。まずチーズ。強烈に不味かった、驚天動地の大嵐、突風が私の可憐な口の中を駆け回り、走り回りました。女の子がファースト・キッスで相手の舌で歯をこじ開けられて、その舌の先で口の中をひと回り、嘗め回されるってこんな感じか。急いでか、何なのか解らないまま、次にビールを飲んでみたら、今度は女の子は自分の舌を強く吸われて、呼吸困難になった様。渋っ面で晒した私を見て、周りの笑ったこと笑い転げ事、大変な場面になりました。

 このまま、ポワンとしたままで終りたくないのが私の信条です。与えられた物だけでも平らげようと思って、リベンジを直ちに試みました。人間の味覚の不思議です。犬、猫、或いはカラスでも、一度体が受け付けないものはもう駄目でしょう、其処が畜生の悲しさなのです。私の舌はもう二度目にはチーズもビールも、大好きな味として受け入れられるようになりました。女の子はもう、キッスが大好きです。男の唇を被さるように求めていきました。最後は脱兎の如く、私はビールにも、チーズにも喰らいついていました。 

 今の食品は、悉くマイルドです。マヨネーズも、バターも豆腐も納豆も。トマトに胡瓜に、ナスに往年の郷愁を慕っている人も多いと思います。メーカーが味を大衆に迎合する形で変えてきたのです。成れが私達の味覚の劣化になっていると思います。最早少女のファーストキッス体験に匹敵する、驚愕の美味は何処を捜せば巡りあえるのでしょうか。

   −−2006年5月19日 稿了−−
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