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『Normalization』

  序章 

 ノーマライゼーションとは、障害のある人が健常者と同じ条件で生活を送ることができるよう、具体的環境改善を行い、これを実現しようとする社会福祉の理念です。この言葉及び理念が、直接私達の前に現われる姿と別なところ、障害者自身と職員が一体となって日々を送る、いわゆる障害者施設の中で、どのような生活を送っているかを、私は五十歳台のある時期、ある施設の客人的立場に居て目撃して来ました。

 その前半約6カ月は、とある身体障害者通所授産施設を仕事の拠点として、地域(東京都のとある区)の障害者施設全般を訪問し、取材をしてきました。最終目的については明らかにすることはしません。更にここに著す内容については、あくまで障害者の代弁でも、施設職員の訴えでもありません。私の経験上得た、知識と意見を述べることを主体とします。先にお断りしたい事があります。日本語が最近『臭いものに蓋』的傾向になってきて、現実回避して表現することが多いという気風があります。とても残念な事です。従って、この『言葉による回避』を行わないダイレクトな本質的表現が時にあります。その方がノーマライゼーションの理念を、より強く打ち出すことが出来るのではないかと考えるからです。


   

 障害を具体的に聴覚障害、視覚障害、或いは知能の障害などと個別に表わす事が、具体的にあると思いますが、まず大きく分けてみます。『身体障害』・『知的障害』・『精神障害』、そして『中途障害』が挙げられます。『精神障害』については、先天的要因を含んでいた人に思春期以降の発症という場合が多く在るようです。

 障害者施設は、障害の種類(上に揚げた四区分)で分類された施設の特性を持っていて、障害者を受け入れて居ます。まず行政上、何らかのくくりをして障害者に、障害の種類と障害度を認定しています。そして、障害者も国民としての教育を受ける権利を履修したします。その後で、社会人となった障害者には引き続き障害者福祉法等の適応があって、これらの施設が障害者の生活を介助する役割を担います。私は、法の精神と言う事をある程度以上は判りません。しかし、障害者も教育を平等に受け、生活上の色々な権利や利益を得る平等性なども在るという事を、良く判って居るつもりです。だからその先の行政が障害者にも健常者と同じ法の基準に則って成り立っていると思います。教育の方法については解りません。しかし平等に生活するというのがどう言う事か、障害者への介助或いは支援がどうあるべきかと言う、福祉が謳う理想と、施設現場の実際とが、時に噛み合わないで居ると思っています。

 結論から述べますと、障害者施設では障害者に対し、努めて一般社会の一員の状態と同じで居るように介助をしていました。本人もそのための努力をします。『身体障害者』も、『知的障害者』も、『精神障害者』にも健常者と同じ社会生活へ向かうように指導しています。そして障害度に見合う仕事を与えていくのです。この運営のコンセプトのひとつとして『授産』という、職業指導をし、作業所の性格を持たせています。従って、(多くの)障害者施設は障害者の働く生産所なのです。この部分を一般社会に向けてメディア表現する事が、一施設の客人として前半約六ヶ月間、私自身に与えられた最大の役割でした。障害者がどのような“仕事”をしているのか、あるいは彼らの“生産”する物を紹介し、流通ベースに乗せていこうとしたものです。

 施設は施設運営に掛かる費用の殆どを、社会福祉予算から分配されて成り立っています。但し福祉法人格とそうでない一般私立施設で違いが在ります。余り詳しい内容は判りませんが、運営上に色々な格差となって利・不利が出てきます。知りえた範囲で、このことも後で述べますが、生産作業の実際の現場で働く障害者と施設職員を、どちらにも少なくは無い何か根本的に無理な状態においているような印象を私は感じました。福祉の理念と、福祉行政の現実的コントロールが両方絡んできて、そういう姿になっていると思います。この障害者に課す生産性について疑問を持ちました。恐らくこのページで最大テーマになるものと私は考えています。この件は、『☆障害者の生産とは』としてじっくり考えて、述べたいと思います。

 次に障害者施設のもうひとつの重要なファクターとして、障害者を持つ家族の肉体的、精神的経済的負担を障害者施設が担うという事が在ると思います。老人福祉と根本的に異なる要素も此処にあります。老人福祉施設では、ある人は自身で人生最終生活の場と捉えて入所する事がある一方で、老人本人に因って家庭破壊を起される事を家族が回避するために、入所させる場合が在ると思います。時に施設ごとにビジネスの性格を強く含んだ、サービスの違いなどの差別化が当たり前に出ている事もあります。そして、基本的に入所者は社会性、特に家族との関わりを稀薄にさせ(られ)ていくことが多くなると思います。

 障害者とその家族との繋がりが、老人介護のそれと此処が違っていきます。障害を持ってこの世に産まれた子には、親がとても責任を感じていると思います。自分の子を生涯保護し、且つ叶う限り自立能力を持たせなければいけないという気持を持ちます。障害を『受難』と捉えなければいけないと思います。此処に絶対的に受益を受ける権利として障害者自身とそして家族、特に親御さんを救済する必要が現実的にあります。障害者施設に昼間の一定時間、通所する方法と、収容的に入所させて障害者に生活の場を提供し、親御さんの本来の生活を叶えることも大切な事です。しかし障害という現象だけでなく日本では受難が、受益を必ずしも満足に得られないことが多いようです。先日或る自然災害で救援金がある自治体に届けられた後に、その自治体がこのように発言しました。「義援金が余りました、一般会計に回しました」。これは行政の特殊なスタンスとはいえないと思います。国民が受益すべき事に、使途が正しく履行されないのが日本的行政の特徴だと思います。福祉行政は、この傾向は非常に少ないのですが按分については、私には施設長の幾人かが述べていたことを以て私の口で言いたい事があります。


   

 障害者を抱えた両親が、どれだけ声を上げるかに由(よ)って、住む自治体の障害者福祉行政の質が変化します。全ての行政予算(税金)は痒いところ、痛いところ(=必要な所)に手が届くのではなく、欲しい所に手が届くのが日本全国津々浦々の姿です。公務員自身がこれを示しているのです。職員に支給する勤務時被服等の現物物品や諸手当を検証すると、「自腹でヤレ!、給与の二重取りだ!」と言いたくなる。ぶん取りの性格がとても濃い。これfはマスコミは“優遇”などと発言しているようですが、きれいに言い過ぎていると思います。

 障害者の親がネットワークを組んだり組織を創って行政に訴える姿を、未開の荒野に踏み込んで開墾する集団に例えて良いのではないでしょうか。ひとり独りのか細いパワーでは力尽きる。或る時は、議会を動かし、様々な書類を作成して行政窓口等に届け出たり、兎に角まずは、自宅或いは篤志家などの支援を受けて、障害者施設を立ち上げてしまう事があります。勿論行政のバックアップは後になる。ゼロからのフォローが有るケースは少ない。

 私の関わった地域は、障害者福祉が可也先に進んでいるところだったと思います。障害者の生き甲斐を喚起させる行事も良く行われていました。全国の色々な自治体担当職員が、自治体庁舎の部署だけでなく、障害者施設へも頻繁に視察に訪れたりしていました。こうなると行政と障害者当事者の相乗した智恵も、どんどんでてきます。児童減で廃校を決めた公立校校舎を知的障害者施設に塗り変たこともありました。パン工房、印刷工房などで施設通所者たちの労働を、企業組織化する方向も目指していました。

 障害者の寝食居住の場は基本的に自宅です。そこから障害者施設に通所します。自力通所と福祉バス等の巡回に寄って貰い、通所するケースがあります。福祉バスを使わなければ通所が叶わない身体障害者も多く居ます。ここで利用者にとって自宅と通所する場所が近いことはとても大切で切実な条件です。一箇所二箇所程度では叶いません。一地方自治体に於ける公設施設はせいぜいがこの程度が多い。この為(子の為)に障害者家庭の父母が随所に施設を造ってしまうのです。『親の会』、『父母の会』です。これを以って福祉予算をより多く取って障害者の生活環境を充実させていくのです。

 充実していない地域に住む障害者家庭の苦労を想像します。例えば、身体障害者は程度によって自力生活の内容が違います。施設のキャパシティが小さいほど、自宅で家族が悪戦苦闘しています、更に親御さんが高齢化していきます。障害の種類を問わず新たな障害壁が目の前に迫ってくる気持になると思います。それらの家族がどのような行動を執るか? 福祉難民として、充実している自治体に移り住もうとしていきます。地域の『父母の会』や『親の会』が脆弱な段階にあっては、そうせざるを得ないでしょう。どれだけの犠牲や困難があるか計り知れないでしょう。

 障害者施設の内の姿にも、最近元気さを失わせる状態が見られると言われます。福祉行政の後退が顕著に現われているようです。障害者施設の中に見たもの、そしてこの先、漂流しかねない施設の理念と実態のギャップを、可能な限り表わして行きたい。


   

 障害者施設にとって、地域の自治体組織(例えば『障害福祉課』)などの部署との渉外が、非常に大事なものになっています。時には、厚生労働省などの国家機関との直接的、或いは間接的な関係も生じています。私は施設の事務・経理業務は判りません。施設利用者(障害者)の支払うもの、自治体組織からの給付、交付(と言うのかどうか?)、其の他の収益など全体の収入科目はどうなっているか、そして使途の制約なども多くあると思います。

 施設には様々な格差が見られます。全ての施設が『社会福祉法人』と言う法人化された組織になっているわけではありません。施設の名前は母体を冠にして様々に付けられます
 ・ 社会福祉法人亜井羽会 「恵御園」
 ・ 家族会サークル柿の会 「久家児作業所」
 ・ 佐詩巣運営委員会 「世素工房」
  (〜会とは、運営母体の事です)

 などと名称して障害者を受け入れ運営しているのですが、様相が違っているのです。“格の差”と、“利用者の障害度の差”として大きく分けて視ようと思います。まず、障害の重い身体障害者は同時に重度の知的障害を持っていることがあります。最早知的障害という言うより、脳の持つ機能の多くが働いていない、知覚機能・運動機能が限りなく失われています。心身障害という呼称が今でもあるかどうか知りませんが、介護の程度も最大級です。しかしここは病院ではありませんから、業務的な医療行為を行いません。民間施設であれば、一定以上の施設規模を持った法人格の施設が、身体障害者施設として、この障害者を受け入れられるのです。法人は、施設のハコとしての大きさ、資産、職員数などを一定レベルで充たしていなければいけません。基本的規模として、法人格施設には事務長がいます、厨房があって、食堂を持っています。看護室(利用者は往々にして、虚弱です)、自前の大型福祉バスを持っています。利用者の障害度に合わせた、一種の受け入れ態勢にオールマイティ性を持ってクラス編成が出来ます。全てこの要件が必須かどうか確信がありませんが、これが規模的規模を示すものと理解してください。

 障害者福祉について行政が『民間委託する』という捉え方から見ますと、この法人施設が一応行政姿勢を現す、という傾向になり予算の面、ケアの質などを厚く維持させようとします。その考えは、知的障害施設に於ける法人組織にも同様に現われています。行政が認定した“知的障害”者は、基本的に身体は健常者と言えるかもしれませんが、どうでしょうか?行動に正常で無いものがあり得ますから、健常者の社会に加われない部分が現実的にあります。福祉の必要があります。公設或いは民間委託施設に知的障害者を通所、或いは収容して運営させます。施設内に、生産施設を置く事も多く見られます。私の関わった限りでは、利用者がパンの製造・工芸品制作・ケーキ製造などの作業をしています。(生産設備は、全ての障害者施設に、何らかの形で用意されています。利用者の通所目的に大きく関わっています)そして、法人格施設は、報告義務、承認要件などの多さを含め、自治体との関連が一番強くなっているのではないでしょうか。

 収容規模が充分に障害者を受け入れるものであれば、これで事足りるでしょう。行政は此処まで行き届かないようです。と言うことと、入所資格に壁が作られます。「ご自宅で生活できるでしょう、親御さんでフォローできるでしょう」、と言う考えが在ると私は思います。親は此処で怒り、当てにせず自前で施設を造っていく行動を起こし、我が子の身を安じる気持を事更に強く持っていくと思います。私は大きなお世話を言っているようですが、それは何故運営母体が“親の会”なのかと言う疑問をもったから、敢えて考えてみようと思うのです。別に行政に敵対するのではなく、行政を動かす精神で向かい、結果的に福祉行政を先進化させることにある程度成功したのだと思います。ゼロから立ち上げて、法人格にまで上って行った施設もあります。


   

 障害者施設の利用者は、成人した障害者です。施設は修学的教育はしませんが、障害者の自立支援の理念に於いて、職業教育や一般企業への就労の為の指導や教育支援を実践している所もあります。勿論本人、或いは家族の選択肢の赴く所で通所しています。一般的に障害者施設は、職場であると私は捉えています。名称も細かく分類して、授産施設・訓練施設・自主サークル・共同作業所などと呼ばれています。名前についての私の知識は、行動の範囲内のものですから、他にも通称があるかもしれません。

 但し、障害者の障害度は個人差があります。私から見て、人生をしっかり覚醒して生きているか判らないほど重い脳機能障害を持つ人も居ます。あくまで、その人が外に向けて表現手段を取れていないだけの(本人の意識が外から解らない)現象かもしれませんが、その障害者に職業就労は在り得ません。しかし何処まで自立できるか、家族も施設の職員も必死に支援をします。主なるものは、食事の摂取と排泄、感染や病気の予防、そして運動です。運動支援は大事です。ある施設長から伺った話では、「そのまま動かしてあげないで居ると、地球重力のままに関節や骨が変形してしまうのです。成長期の段階で、家庭で充分対応出来て居ない為に、重症になって行ったケースも有るのです」。 床ずれどころではありません。定期的に全身をマッサージしたり、叶う限りの肢体運動を職員の肉体労働において行ないます。こうした状態の最重度の心身障害者も通所します。

 季節はこれから春になります。穏やかな日和に日中、外に散歩に皆で出ます。様々な、一人一人に合わせた歩行補助器具や電動車椅子などを利用した身体障害者と一緒に、彼ら最重度障害者も職員に呼び掛けられながら、手押し車椅子の中で日差しや外の空気を浴びる光景を、私達も見かけることも在るかもしれません。私達が日頃 “バリアフリー”の大切さを耳にすることがありますが、駅や公共施設以外では、街角の舗道と車道の境に出来る段差、未補修の道路欠損など充分に対応出来ていない所が多く見られます。パフォーマンスや、掛け声だけであってはいけません。空き缶、ガラス片なども彼ら障害者には大敵、凶器にもなってしまいます。

 施設の職員は、国家資格を有した専門職員です。しかし何らかの力仕事を常に強いられてます。若いうちに腰痛などの職業病に悩む事が多いと、私は訪問した先で時々聞かされました。そして、通所者との関わりで次に経験する困難さも深刻です。此処から先の障害者は時に身体障害者、時に知的障害者と境界を引けないケースを含めて、しっかり断らないで述べることが在ります。障害の度合いによる一部分の世界である事も理解して下さい。ショッキングだったので、批判覚悟で述べますが、職員が絵画指導で絵筆を持たせて絵を描かせようとする時、障害者によって自分の顔にペインティングしてしまう人が居ます。職員の長い根気と忍耐で殆ど共同作業で紙に書き上げた絵をみて、もらい物を得た喜びかも知れない歓喜、或いはいくら手に持たせても、放り投げてしまう人。果たして創造の喜び、制作の喜びが認識できているのか、このルーチンワークあるいは、マニュアル化された作業に職員の一部は疑問を持つと私は思いました。如何に生活支援・職業支援とは言え、成果を描(えが)けないで悩むのではないでしょうか。

 よく、障害者の作品展を見る事があります。一部の天才的な才能が現われている作品だけでなく、多くの職員の忍耐と、体力が多分に含まれた作品展である事、福祉の大変さについて、を想像するのも必要だと思います。夕刻または夜、私が仕事を終えて退所する際、職員の方が頻繁に会議打ち合わせをしていました。どのような作業を行なうか、遅くまで掛けて、多くの施設でこういう模索の状況が繰り返されていると思いました。それと。障害者の勤労の喜びに関わる、施設長をはじめ職員の過労働について、述べることに入って行きたいと考えます。「本当は違うんだ」と障害者からも、職員からももしかしたら声が飛ぶかもしれません。


   

 『生産作業』の部分について述べてみたいと思います。通所する利用者の“勤務時間”は、昼食時間を含めて概ね7時間前後です。職員のそれは、利用者とは別な勤務シフトで、勿論それより長時間となります。一般に作業所と呼ばれる施設は、職員が3〜4人、利用者15人程の、一般事業所になぞると小規模事業所レベルで運営されているものからあって、生産性を考慮しなければ、一般健常者に限りなく近い勤労生活を行なっています。どのような作業を行なっているか、私は幾箇所も回ってこの部分をきちんと視て、ある程度自分なりの感想を持ちました。

 陶芸製品 多くは、住宅地の一角にあって、その建物の利用できうる限りのスペース、一部屋だけの場合も、幾部屋かを使って利用者と職員が一緒に作業をします。パン工房、機織(はたおり)工芸など、設備を充実させた作業所ばかりではありません。法人格レベルの施設と、小規模な作業所で作業種類の多寡に格差があります。作業の内容は一般傾向として、知的障害者に対しては、民間企業からの受注作業(主としてアセンブル=組立系作業)と手芸・陶芸などの自主製品製作、精神障害者は、布や皮革、毛糸、木などの材料で日用製品や手芸品などの自主製品の制作と受注作業、身体障害者には、パソコンをツールとしたプリント一般と、アセンブル作業、自主製品製作などです。総称的には室内で行なえる家内工業的作業になっています。公園掃除、空き缶回収などを作業に取り入れている作業所もありました。中途障害者のグループは、精巧な工芸品を作っていたり、魯山人や池田満寿夫氏などが、自作品を片付けたくなるような陶芸品を作っています。或いは、施設の運営する喫茶店で接客による社会参加をしています。一人一人の出来る事による『生産』が根幹にあります。

 仕事が転がってくるわけでは勿論無い。受注作業を例にすると。職員が企業に請負の仕事を回して貰えないか、定期的に電話やファックス、或いは近在に足を運んで取ってくる事も多いと、施設長が苦労話をしています。「昔は、電信柱なんかにも『仕事下さい』なんて貼って捜していたんですよ』。一度頂いた仕事は長く続けられるよう、納期、歩留まりなどの要件をクリアさせる努力も必要です。作業所のスタッフ能力との帳合いもあります。通所者の能力には差があります。受注品の工程数がどれだけあるかによって、大きく能率が違ってきます。例えば幼児の玩具でビニール製のゴルフセットをビニールの袋に詰める作業を例にして、クラブが3本、ウッド・アイアン・パターの別、ボール、コースシート(と言ったかどうか忘れました)がセットになった商品として、流れ作業を取る時、ひとり一個入れて次の人、というラインがあり、ひとりでクラブを3本入れられるという少し効率の良いラインもある。同様に、キャラクターシールを貼る作業と詰め込みが、組み合わせて出来るかという個人差が出ます。ラインの要所に職員が配置されて利用者と一緒に作業をしていました。この工程を流すための前日準備で職員が、夜遅くまで勤務する事があるとも聞きました。

 いつまでに収めるという納期だけではありません。毎日どれくらいという、日々のノルマということもあります。納期に間に合わせる為に、利用者の帰った後、作業所のテーブルの前で職員が作業に追われることもあると聞きました。くどいのですが、更に資材の受け取りと納品が、仕事を回してくる事業所に頼れない、自分たちが車などを駆り出して行なわなければならない事もあります。工賃は驚くほど安価です。カネを稼ぐという認識では捉えられないものです。国外に生産シフトを移している産業構造で仕事量は先細りの傾向であると当時から言われています。今現在も変わっていないと思います。

 利用者にも、職員にも日常の葛藤があります。利用者は、ひとつあるいはいくつかの本人個人の拘り(こだわり)パターンを持っている事が多いようです。休憩時間を独自に持っている人が居ます。その人に対しては一般的に定めているルールを守らないからと、叱ってはいけないのです。自分の内的ルールを壊されるとパニックに陥ります。「作業の内容が今日からかわります」と新しい仕事を説明した時の各人の反応も様々な形があるようです。新しい作業を理解する時間が長く掛かります。が、共通して最も施設長、職員が困る事は、仕事が無くて作業が途絶える事だといいます。

 此処まで行政は、フォロー出来ないようです。だから、こういう時のために労働とは別なレクレーションなどの企画も立てておかなければいけません。このような行事をも含めて、小規模な作業所を運営する施設の施設長、職員は、時にボランティアや、地域の協力者、利用者の家族の援助を受けて障害者にさまざまな形態の自立、社会参加を継続的に果たす責任を担っています。

 瞬間的発言として、文部省またはそれに関連する機関だったと思いますが、こんなことを言ったようです。何かの活字媒体で見たのです。「手話(しゅわ)は、教育として取り入れる国語にそぐわない」と言う趣旨の発言です。古くても2年以内のこととして私は記憶しています。言語でも、文字でも無いと言う意味らしいのです。しかし、その前提に何があったとしても言ってはならないことです。確かに、点字は記号化された文字と言う事を私は理解できました。私の上司論シリーズの中で、官僚の上司は、『金科玉条』であると言いましたが、本当に何処向いて行政を行っているのか怒りが沸きます。聴覚障害者の情報受発信手段を、パントマイムと同質に見ているのでしょうか。

 健常者にとっても、日本は生き甲斐が失われつつある国家に転がり落ちています。国家運営のひずみと失敗が、至るところに現われていると思います。その関わりとして、障害者の最も必要な居場所は何処か、ということを考えることがあります。現代日本の社会構造、産業構造の中に居て、必ずしも今の姿が幸せであると言えません。根幹として私には考えている事があります。


   

 このシリーズ『Normalization』−1−の文中、後半にこんな一文を私は書きました。

 『障害を持ってこの世に産まれた子には、親がとても責任を感じていると思います。自分の子を生涯保護し、且つ叶う限り自立能力を持たせなければいけないという気持を持ちます。障害を『受難』と捉えなければいけないと思います。』 ・・・

 私の思慮の浅さから、障害者とそのご家族に苛酷な表現をしましたが、あるブログサイトを伝手(つて)として以下の詩の存在を見つけまし。紹介します。

  天国の特別な子供
作:エドナ・マシミラ/訳:大江 裕子
エドナ・マシミラは米ペンシルバニア州にあるマクガイア・ホーム(障害児療育施設)のシスターです。 この詩は 日本の障害をもつ子の両親へのメッセージです。

会議が開かれました 。地球からはるか遠くで。
「また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ」
天においでになる神様に向かって、天使たちはいいました。
「この子は特別の赤ちゃんで、たくさんの愛情が必要でしょう。
この子の成長はとてもゆっくりに見えるかもしれません。
もしかして一人前になれないかも しれません。
だからこの子は下界で出会う人々に、とくに気をつけてもらわな ければならないのです。
もしかしてこの子の思うことは、なかなか分かってもらえないかもしれません。
何をやってもうまくいかないかもしれません。
ですから私たちは、この子がどこに生まれるか、注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯が、しあわせなものとなるように。
どうぞ神様、 この子のためにすばらしい両親をさがしてあげて下さい。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人はすぐには気がつかないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども天から授けられたこの子によって、ますます強い信仰と 豊かな愛をいだくようになることでしょう。
やがてニ人は、自分たちに与えられた特別の神の思召しをさとるようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこの尊い授かりものこそ、天から授かった特別な子どもなのです。

   

 劇画『子連れ狼』の作品中に『大五郎絶唱』の章があります。柳生烈堂と一騎打ちの際、崖から狼親子が転落して、大五郎の独り旅が始まる最初に、木樵(きこり)をしている父子に命を救われる物語です。父は不憫な我が子の幸せを願い、サムライを捨て人里離れて生きています。その息子は家門を継がせる事の出来ない知的障害を持っている理由もあって、「木を切り、竹細工をし、山菜を採って生活(たっき)を得ておるしだいにて・・・」。烈堂の配下に見つかってしまった大五郎をかばって父と子が命を落とします。父子の幸せな生活は、これにて途絶えてしまいました。今まで自分の境遇で味わった、いかなる辛さにも涙を流したことのない大五郎が、哀しみのあまり泣いてしまいます。

 教育が社会人になるためだからという趣旨で言えば、どんな教育をしたら良いのでしょうか。まず学校で、基礎的な“よみ・かき・そろばん”が有って、どんな職業に就くか、どんな社会参加をしていくかという、目的別な知識技術の基礎を高等教育として習得していく事になる、単純な発想ではそれで良いんじゃないかと思います。その後最低二倍の社会人人生が始まるのです。その中で知識や技術が一人前になり、人間が磨かれ昇華し、同時にプロとしての職業を全うして行くことで生き甲斐のある一生を送ることが出来ると思います。現実の日本では、社会に出る時の選択できる道がとても狭い。比率で見たとき、圧倒的に企業の従業員か、公務員になって社会にでて行きます。(公務員の全体数もかなりなものです)。看護師・介護師・教師など職場がはっきりしている場合を除いて、就労しようとする人間が相応しい資質を以って、或いは本人自身の希望に沿って社会進出出来ていると言えるでしょうか?

 日本は第二次大戦の敗戦後に国家の再構築をして行って、今の社会構造に成ったと思います。この時基本のところで、国民はやはりお上主導の国家建設の担い手の役割を課せられてきたと思います。目指すは高度工業化社会です。そこに国民個人の進路の多様性と自主性が失われたと私は思います。しかし、人間のパーソナリティーは多様ですから矢張り今になって、社会の構造と個人のパーソナリティとの乖離を原因とした現象が、個人の内面にも社会の表面にも出ています。

 例え大学教育を終了しても、よほどの目的志向とそれに見合う資質を持ち得た上で、少ない選択肢の中から積極的にチョイスしない限り、「でも・しか」状態で社会に出て行く状態のように思えます。良く「後継者不足」と言う現象を見ますが、その世界に行きたがらないと言う社会的地位や仕事の内容があって、先々は限りなく消滅の方向になっています。そして職業と教育の関係でも、例えば専門学校が技術教育の担い手となっていても、「でも・しか」選択で入っていかざるを得ない部分があるようです。その上でさえ、全うした習得技術の道に進めるとは限らないと思います。私の息子は絶対音感を持っていて、音楽系短大を卒業し進路を模索した時、ピアノ調律士になろうとしてその方面の会社に当ってみましたが、『経験者しか採用できない』ということで果たせませんでした。どこで経験しておけばいいのでしょうか。下積みとしての企業内教育も必要ではないでしょうか。厨房の世界を見ても、料理専門学校出て「はい、コックです」なんてデビューできるとは思えません。社会に出たばかりの人は卵、またはひよこの段階と言う見方をして当たり前、という余裕を持てる企業は少ないようです。

 Normalization(ノーマライゼーション)は、日本社会の全体の問題になっていると思います。食料自給率の低さは、先進国中最低線に有ります。農地を失くして来たのです。狭い日本なんだから、逆に大切にしておくべきだった。植林に杉ばかり増やしていなかったでしょうか、国民病的に“花粉症” を蔓延させてまで。高分子化学の勝利とばかりに、石油製品を作りすぎなかったでしょうか?私の娘がオーストラリアの或る都市で暫らく生活していました。木製洗濯バサミが使われているのを見て私に、「お父さん、あっち行ってご覧、カルチャーショック受けるよ」なんて言う始末です。物の選択にも、職業選択にも、生活法の選択も、もっと広くフィールドが広がっていて、それが出来て広義のノーマライゼーションの実現ではないでしょうか。全て高能率化社会に成っているのが、逆に不幸に落ち込んで居るかも知れません。

 障害者の話がここまで辿り着いてしまったのですが、究極的には、障害者の生活にも広い選択できるフィールドがあってよいと思います。自主製品製作と言えど、安価で精巧な工業製品の前では、競争力の点で完敗です。美的にも使い勝手でも色々在っていいんだという感覚も、日本は最早なくなっています。見てくれの良くない胡瓜は市場に出ないことでもわかります。下請けの受注作業でもスピード・歩留まりの評価だけで完敗です。障害者が、なおその中でしか参加出来ない社会のキャパシティーしか持ち得ない日本です。現在では日本の失った社会構造の中に、障害者が社会参加する上で、受け入れることの出来るものが在ると思うのです。自然を仕事場にすることが良いのではないかと私には思えるのですが、どうでしょうか。一次産業です。私の経験し目撃した地域は、首都圏の中での事です。地方の障害者施設では如何なのでしょうか。農産物生産や、花や園芸、酪農で一定規模の生産性が上がって行ける可能性がないでしょうか。私が訪問した施設で一箇所だけありました。やれそうだという感覚を私は持ちました。


  八 −終章− 

 Normalization
* データを一定のルールに従って変形し、利用しやすくすること。非常に多くの分野で使われている言葉で、分野によって意味も大きく異なるため、頻度が高い分野についてそれぞれ個別に説明する。・・・ e−Words 用語辞典よりの引用

*みんなが、あたりまえに、そして普通に暮らせることが、ノーマライゼーション・・・社会福祉法人 北海道社会福祉協議会北海道ノーマライゼーション研究センターのホームページの言葉を引用。

*一般的には、障害者や高齢者など社会的に不利を受けやすい人々が、社会の中で他の人々と同じように生活し、活動することが社会の本来あるべき姿であるという考え方をいいます。 ・・・ 岩手県環境保健研究センターホームページ・キーワード講座より引用。
          (完)  −−2007年7月8日 稿了−−

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