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 参ったな。 きっかけは、『タワーリング・インフェルノ』という映画タイトルです。1974年製作、20世紀FOX、ワーナー・ブラザース共同製作。最近の洋 画は何故翻訳されたタイトルになっていないんだ、原題をカタカナにしただけじゃないか、と思っていました。そうか、もう30年以上前の映画でこの有様だっ たなんて信じられません。この傾向は長く続いています。今では当たり前に原題をカタカナにしただけのタイトルとなっている映画があまりにも多い。「何 で?」。・・・文献資料を漁りに行ったのです。単なる現象傾向にテキトーな想定をして書いてしまいたくないのです。根拠を掘り当てないと、まず自分 が納得しないじゃないですか。すると、膨大な数の作品を生み出したアメリカ映画の歴史が広く俯瞰出来る場所に、いきなり立たざるを得ないことに気付きました。アメリカ映画の 栄枯盛衰があって、製作思想の流れ、メジャー映画会社の支配変遷などまでを絡めて、作品映画を視ていかなければ成らない。本国亜米利加の、これらの事情を 視野に入れないと、邦画タイトル軽視理論は成り立たないのか。“めまい”すらしてきました。正に“未知との遭遇”を体験しなければならない。

 日本には印度映画はまず輸入配給されていないと思う。実はあちら、映画大国であると聞きました。国内での娯楽ナンバーワンの位置に居て、恋愛と、勧善懲悪と、ヒーロー・ヒロインの活躍と、ミュージカル性が盛り込まれていれば、観客が大喜びです。しかしこの手の映画は既に日本には、物珍しさの関心すら湧かないだろうと輸入会社は思っているでしょう。それとも、風向きが変わって日本に入ってきたとします。さあ大変です、タイトルを何としますか。韓国映画“冬のソナタ”は原題を調べると『キョウルヨンガ』(直訳すれば『冬の恋歌』)となるそうです。発音通りに『キョウルヨンガ』と、邦題にしたら何のこっちゃ、です。因みに、ヨン様が最初に日本の空港で熱狂的歓迎を受けた際、ビックリして韓国語で『何のこっちゃ』と言ったらしい。私には、彼の口元がそういっているように見えました。

 今の話は冗談です。では今、ヨーロッパ映画はどうなんでしょうか?イタリア、フランス映画があまり見られません(少なくとも私の視野内)。これらの国語には、大抵邦題を創る作業があったと思います。そこで私、“The Towering Inferno”がイタリア語や、フランス語で何と言うかわかりません。逆に言うと、その国の言葉そのままをカタカナにして邦題に通用するのは、英語くらいしかないという事です。英語は、日本が義務教育で取り入れている言葉であるから。このことが単純にまず浮かんだ、直訳のままで通用する“訳(わけ)”、であります。

 それから、声美人、声丈夫という事をチョット考えました。「リチャード・キンブル、職業医師。正しかるべき正義も・・・」、と矢島正明さんのナレーションで始まるアメリカのTV映画、『逃亡者』の原題は“The Fugitive”です。番組の冒頭でこの「ザ・フュージチヴ」と陰森な声が流れると、ブルブルっと体が締まって、身の回りの荷物を小脇に抱えてつい、中腰を浮かせてしまいます。もうひとつの番組は「カーンバット」。これは、“Combat”です。この声聞くと、茶の間でも匍匐前進したくなってしまいます。テーブルの上の空になったお銚子でも目に入れば、手榴弾に見えて、投擲したくなります。原題の響きがいい。

 この響きを活かさない手はない。こうして原題がそのまま邦題となった映画タイトルは可也在ると思います。今でも製作者はこれを意識して、おどろおどろしくオリジナルの中に音響としてのタイトル名を流しています。配給先各国に、「タイトルはそのまま。下手に母国語に訳すな」と言っているも同然になっているかも。


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 フランシス・フォード・コッポラが『ゴッドファーザー』を監督製作している時でした。第一作です。この映画は最高の厳戒態勢を引いて撮影されたそうです。1972年の公開を前にした撮影中の或る日、連日の緊張感から極度の疲労を感じた監督は、“Director’s chair”から苦渋に満ちた顔をして立ち上がる時、何言(なにごと)かつぶやいたそうです。そのときのスタジオは、スタッフも出演俳優も、監督以上に精神が固まってしまっていました。撮るシーン、悉くNGが続発して遅遅として進みません。外では右翼の街宣車が、声高く撮影中止を呼びかけています。遮音された部屋ですがそのことだけは充分つたわってくるのです。監督は何と言ったか、立ち上がるその時。・・・「こっぽらしょ」。このひと言がスジオ内の雰囲気をほぐし、以後の撮影は大変上出来に仕上がったのです。マーロン・ブランドがアカデミー主演男優賞を受賞したほか、作品賞と脚色賞も受賞した記念すべきハリウッド映画の製作秘話です。

 いいえ、私の作り話です。信じてくれた人が居たとしたら、この話を発明した私のこの上ない喜びです。人をかつぐのが好きなんです。今度は真面目に、図書館資料室で書き写したものを整理した上で自分なりの考えをまとめて行きます。『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』

 配給元は、各国に配給する映画の、相手国でのタイトルを指定できるか。“命題権”みたいなものがあるだろうかということを考えました。そこでインターネットからの検索をキーワードに“映画配給”と打って、googleで訊いて視ました。見ると、日本に於ける映画配給会社は多いです。テキトーピックアップでどんな作品の配給をしているか見ると、これが様々なメデイアを絡めた様々なソフトを営業品目にしているようです。或る会社においては、劇場公開と同時にDVD販売、と同時にゲームソフト販売等。今アメリカで、或る映画が生まれました。様々な興行インフラを使って日本に配給される運びになったとします。この経路がまず外野から見たら複雑怪奇。この中にいきなり入って行ったのでは、絶対にテーマを纏める方向は見出すことが出来ないと直感しました。もっと昔に遡って少しづつ手繰っていく必要があります。

 歴史的に見ると、亜米利加メジャー映画会社は1960年代に経営的な大編成が行なわれました。何年間かの流れで、様々な買収企業の支配下に入ります。50年代には成熟産業になっていたTVの前に、観客の出足を奪われ衰退していた事と、同軸で作品傾向を大作主義に移して行ったことが新しい資本投入を求めたのだと思います。映画への製作情熱が変ったはずです。商品開発力です。ジョージ・ルーカス監督や、スティーヴン・スピルバーグ監督などが映画製作で頭角を現す頃です。日本の映画評論家で荻昌弘さんが、1960年代後半から70年代にかけてアメリカ映画がニューシネマ時代になったことを捉えて「ハリウッド映画はこの時代に、王国から共和国になった」と述べているのはこの傾向を言っているのだと思います。

 1960年代後半です。東京銀座、昭和通りに面した一角にフィルムビルと言われる建物がありました。この中に亜米利加メジャー映画会社の日本支社が多く入っていました。各社製作映画作品を日本に於いて公開・販売する際、様々な権利を独占的に所有していた事で、劇場映画配給、TV放映権配給、出版物版権などを買いに日本の会社が三度を踏んだ建物であったと思います。当時の私は取引先としてこの中の映画会社に足を運ぶ事がありました。同様に、当時はヨーロッパ映画も、現代以上に日本公開されています。こちらの配給については、ここでは触れることが出来ません。当時と言えば、DVDは技術自体が存在していない。家庭用ビデオテープすら上空に薄明かりが指し始めた頃です。音テープがやっとオープンリールからカセットテープに移行していた頃ではなかったでしょうか。フィルムビルの中で、多くの日本人スタッフによる翻訳、契約約定、宣伝などが行なわれていたものと思われます。恐らく劇場用映画の邦題は、この日本支社の邦題制作スタッフが名付けたものではないかと確信しています。懐かしの映画のタイトルがここで誕生したに違いありません。

 次第にこのビル全体で、日本人スタッフの労働組合活動が盛んになって行きました。雇用確保を訴えるビラが通路やエレベーター内に大量に貼られていました。本国亜米利加で映画産業が当時激動期を迎えていたのを、この度この頃の歴史を知るに及んで当時の私は身近なところでこれを眺めていたのだと、改めて感じています。その後この場は大きな労働争議に到ったであろうと想像されます。邦題の命名も、営業権や興行権の在り方やノウハウが、この次に来る多様化の中でどのように変わっていくのか、私はもう少し学術的に(というか、ある程度信憑性ある推論が成り立つよう)かじらない事には先に進めなくなっています。聞けばいいじゃん、とは行きません。このルートで辿るのは何かレシピ通りに料理をするような気がします。醤油か塩か、煮るのか蒸すのか、強火なのか弱火なのか、プロセスを踏むうちに自分の考えの中に幾つも納得するものが出来ていって完成させたい。


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 『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』の究明への道は、中々見つからない。ロッククライミングに例えれば、立ちはだかる岩山を目の前にして、端から端まで巡る事さえ果たせず、きっかけの足場を何処にかけるかも判りません。目的の場所(解答)はそれ程高い所にあるとは思えない。広くて、登り易くて、楽しい登攀ルートを何とか開いていきたい。資料はありません、徒手空拳で行ってみようか。

 ヒントになる業界を考えて見ます。旅行業界はどうかな、と思いました。『香港4泊5日ツアー』とか『格安オアフ島・カウアイ島ツアー6泊8日』などと旅行企画を立てるのは基本的に大手旅行会社。これを商品として、巷に在る旅行代理店でパンフレットなどを置いて公開させ、市場で旅行者を募るという構図で成り立つビジネス。また、ややこしい話を持ち出して来ちゃったか?でも外観が似ていなくもないか?この企画の一つ一つのタイトルが日本で公開される外国映画(=アメリカ映画)の“原タイトル”に置き換えてみます。

 此れより先、話の展開をこうします。違うもの同士を持ってきて同じリングで比較させる。異種格闘技バトルのゴングがいよいよ打ち鳴らされます。映画業界と旅行業界によるバーチャル対戦となります。だから、このあと進めていく話は、「だろう」とか「思う」とかあいまいな表現をしません。反則もヘッタクレもないからすごい展開を御見せしちゃいます。『チーン!』・・・なんか頼りない音だなあ。

 ラウンド・ワン。 旅行を企画する旅行会社が、その企画旅行に利用する航空会社や外地の宿泊先ホテルを決めるのは、キャスティングということになります。この作業は旅行社が直接航空会社やホテルと交渉するか、現地の旅行業社に扱いを任せます。現地業社は旅行期間中に、ツアー客の旅のご案内などもしてくれる業者でもあり得ます。本元の企画会社が現地法人を置いて、上映中、もとい旅行中に陰に陽に現われて、何かとお客さんサービスをする事だってあります。そこで、いよいよ旅行企画の“タイトル”を発信するわけですが国内なら兎も角、現地で日本語のタイトルを使って行くことはヤバイ。宿泊日数の違いと、遊覧スケジュールの違いをタイトルの識別だけで管理しては効率的にも悪い。幸い、今はインターネットの手段と、作表ソフトの便利さは目を見開くばかりのものがあります。

 旅行企画の載ったリストの第一Keyは、最早“タイトル”ではありません。一つ一つの企画につけられたIDコードになりました。 チーン(第一ラウンド終了)。 インターバルの間に旅行代理店の店先から、海外旅行パンフレット取り寄せた資料が三件あり。その後熟本屋で、資料本を捜しました。淀川長治さんの『ぼくが天国でもみたいアメリカ映画100』です。書き下ろしでなく“語り下ろし”となっています。今後映画の話に限らず、この本からも何かと引用が有ると思います。チーン。

 ラウンド・ツー。 この本の中に、淀川長治さんが過去の年度別秀作ランキングを載せています。早速この熟本から、1993年の年間ベストテンを引用します。淀川長治さんは巻頭で、『キネマ旬報』に載せた時のランキングであると断っています。タイトルと製作国のみにします。採用年度を1993年にしました。
 1.マルメロの陽光 ☆西(=スペイン)
 2.ベイビー・オブ・マコン ☆英・独・仏
 3.クライング・ゲーム ☆英
 4.オルランド ☆英
 5.戯夢人生 ☆台
 6.赤い薔薇ソースの伝説 ☆メキシコ
 7.妹の恋人 ☆米
 8.リバー・ランズ・スルー・イット ☆米
 9.から騒ぎ ☆米
10・オリヴィエ オリヴィエ ☆仏

 このランキングは本のタイトルとは離れて、世界の映画を対象にしています。さて、この年度に限らず製作国が多彩です。私は洋画観賞はこの20年程、劇場に足を運んでいなかったと思います。そんなことで、どんな映画が日本公開されていたか全く知識がありません。昨今宣伝力でTVのCFに流れる他、どれほどの量の劇場映画が流通しているのでしょう。日本公開をかつてはビデオテープ、今ではDVDでのみ公開しているケースもあるでしょう。メジャーに成らない映画を含めた興行業界と配給の流通経路など現代のこの業界の動向を調べる必要が有ります。 チーン(第二ラウンド終了)。

   注:熟本屋とは私の造語です。世間で古本屋と言っているお店のこと。塾本は、古本の事です。


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 『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』の究明への方法は何があるか?・・・茨の道を進むか、ヘリコプター飛ばしてしまうか、今迷いながらも嶺を越え、峪を這うようにして辿り着いたそこは、外国映画配給ワールドだった、みたいに自分のハートに目いっぱいロマンチック街道敷いて進もうとしています。右の道行って沢にぶつかり、やり直して直進しながら耳を澄まし、目を凝らしながら前方見つめて歩んでいます。一日の踏破距離は微々たる事も有る。でも登攀意欲、登攀体力とも今だ消耗せず。それを支える器財(資料)調達に不便する事は無いと思う(たぶん)。本日天気晴朗。  チーン。

 ラウンド スリー。 再びインターバル間に書店に出向いて、資料となる本を探しました。最初に出向いた書店の売り場スペースは決して狭いものではなかったが、結局頬をかすめる敵から繰り出されたパンチが一発届いただけだった。就職対策本で映画産業編。内容的には映画監督への道とか、スターになるための養成所紹介などのほかに少々の製作映画会社の紹介があった程度だった。殊更の収穫は無かった。そして夜、インターネット検索キー:『映画配給』で見たサイトからヒントを頂いた。やっぱ世の中変わってきました。海外映画の配給会社のいくつかは、独自のルートで世界各国から諸般のライセンス取ってきて、日本に映画を紹介しているようです。この展開話は前章の『ラウンド ワン』に使った旅行業界の、逆バージョン(=海外で企画された日本観光)をイメージして見られなくもない。 チーン(第三ラウンド終了)。

 異種格闘技を捩って(もじって)いるから、チョットこじつけている。 チーン。

 ラウンド フォー。 昨今のブログサイトで、日記風に綿々と綴られた制作風景が見られます。ある会社は、競争相手の業者と、可也生々しい作品の版権取得争奪戦をしています。ある会社。大当たりした作品を大喜びして居る。サイトから祝勝パーティーの嬌声まで聞こえて来そうな感じ。役員社員合わせて10名前後という所もある。様々なルート使ったり、実際に現地に観賞視察に出向き海外のいい映画を見つけて来る。そして放映権取得し、日本に持って帰ってきて、字幕スーパー作ったり、勿論腕まくりし切って翻訳して。下請け先などにも渡りをつけて日本語版映画を製作していく。そして、シアターに配給する卸し営業までしている。苦労と疲労と、緊張と充実感持って仕事している様子が見えます。映画世界が好きでたまらない人たち。

 新作ばかりとは限らない。また、配給先を劇場向けばかりとも限らず、DVD化制作もある。この中で、ずばり『やっと邦題が決まった。それは***』と言っている部分がありました。やったァ、見つけたァ。山道に咲く一輪の『野のゆり』、ヤッパ映画の内容を見て其れに相応しい邦題をつけている現場のナマ声が聞こえてきた。日頃巨大メディアだけを浴びていてはこんな景色は見えてこない。その場所に描く私のイメージは、群生の花々が咲き乱れている小さな場所。  チーン(第四ラウンド終了)。

 淀川長治さんがキネマ旬報で紹介した映画の多彩な事、やっと意味が取れました。映画は娯楽であると同時に文化なんだから、ロードショーシアターばかりでない、巷のスモールシアターの存在を私達は、今知りました(←知らぬは己ばかりなりかな)。そして、規模の小さな映画配給会社の存在を知り、その中できちんと邦題をつけて見せてくれる各国映画も見て行きましょう。何かこういう手作りと徒歩営業的部分をメジャーと対比させて、マイナー志向とかマニアックなどと括りたがっている空気ってあると思います。さて、闘いは後半戦に入って行った模様。


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 『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』の究明ラウンドは、後半戦に入ってきました。前半で無駄なフットワーク、無駄な打ち込みなどがあって、今回の異種格闘技も本日あたり、ワザの切れも生彩を欠いてしまうかも知れない。  チーン。・・・『この擬音の意味をお忘れのご観戦のお客様にご案内申しあげます。この、“チーン”の音は、ラウンドの開始と、終了を表す当異種格闘技試合のゴングの音です。お間違えの無いようにお聞き別け下さい』

 ラウンド・ファイブ。 私達日本人が今、経済用語や社会現象などを盛んに外国語、特に英語の単語で発声している事が多くなっています。「ライフ・スタイルは、佐務衣(さむえ)着て、盆栽の手入れです」なんて言い方嫌ですね。寿司をナイフとフォークで手元の洋皿に運んで、ステーキを切るように二つに分けて、フォークで刺して、お手塩皿の醤油にチョンとつけて、お口に運んで、ワインで流し込む、みたいです。ヤッパこう言わなくっちゃ。『隠居したら、縁側に盆栽の一鉢・二鉢置いて、鋏でいじって居たいね』でしょう。ナニ、集合住宅のベランダだって、心は縁側です。

 『三つ数えろ』なんてタイトルの映画もあった。『ゲンナマに手を出すな』なんて映画もあった。柔らかい表現では、『草原の輝き』、『素晴らしきヒコーキ野郎』、『奇跡の人』、『暗くなるまで待って』・・・など。見る人の心理を揺さぶるに充分な響きを持つ邦題が付けられた洋画です。こういう映画の邦題だと、劇場に足を運びたくなります。では『サイコ』とか『ゴッド・ファーザー』・『シェーン』・『マイ・フェア・レディ』などなどはどうでしょう。映画の中にタイトルがナレーションで流れているわけでもない。でも良いタイトル。コロンブスの卵でなく、絶対的にいい。その理由を考えました。この言葉そのものが、映画のシーンの随所で主人公になって活躍しています。観終わって「ああ、ゴッド・ファーザーってこういう男かァ」なんてタイトルを通して男の美学に心打たれる。『ゴット・ネエちゃん』なんて愛称を振られる迫力女性歌手まで生まれます。或いは、『サイコ』、原題は“PSYCHO”です。Psychopath(変質者)の省略されたつづりで、異常な人間精神の恐怖を扱ったドラマ。吟味された上で付けられた原題のままの邦題タイトルなら、この私に偏見があったって何だって、正当化したい。 チーン(第五ラウンド終了)。

 ・・・・ チーン。

 ラウンド・シックス。 老いも若きも、「待てー、ドロボー!」と言われて全速で走って逃げるスピードがその人の最速スピードとします。人類最速は切りよく、10秒/100メ−トルとして、時速36Kmとなります。交通事故は何故起きるかの理由を考えた人が居て、「その人の最速を越えたスピードは、コントロールできないスピードの領域となる」と言っています。なる程、ハイハイする赤ちゃんは兎も角、杖のお世話で歩くようになっていく高齢者のスピード狂は怖いですね。草原の狩人チーターにF1出場を許したら、ブッチギリの勝者です。ヘアピン・カーブだって、ブレーキ使わないほどのコーナリング巧者ですから。さて、この引用から本題に突入します。ここは異種格闘技のリングの上だって事忘れないで欲しいな。映画配給の世界もこの、“個人のコントロール領域外”に突入していく事になりました。正確に言うと、製作サイドと配給サイド、一般的な会社で言うと、製造と販売の二面に向けて、チョット考えた事があります。

 まず製作サイド。直近の映画は、様々な専門家が関わる事については昔の比では無いほどに膨れ上がっている。助監督が、如雨露(じょうろ)使って雨降らせている、なんて製作秘話はもはや無い(雨は、後でいくらでも降らせる事が出来ます)。これが大作と言う物です。膨大な資金も注ぎ込まれて、一大プロジェクトが構築されていきます。現在のハリウッド映画は、一作一作が、事業の規模となっている。その中で、装置部門、衣装部門、特撮部門などと分かれて、分業作業が行なわれ、あたかもユニット制作的な形態であります。その時、統括的管理として作品タイトル、またはその仮題が有っても夫々の製作現場で通用するのは、その膨大な全スクリプトの一部分であります。その中で使われるのがID化されたその専門部門のコードであり、作品のシーンに付けられた体系コードであったりしていきます。このほうが効率的直接的に作業が進みます。カチンコなんか使わないでドンドン出来上がっていく。或る俳優がスタジオでTシャツ着て走っていた映像がパソコンの中で、マントを羽織った男の空中疾走シーンに加工されて行く。この映画はいったい何と言うタイトル?なんて意識は製作の大部分の瞬間で、必要でなくなっている。まして登場人物の性格とか、組織背景、或いはこのシーンがどう入ってきて、どう出て行くのかなんて意識することもない。そうなっていく。そして更に、最近のハリウッド映画の原題は最早ひとりの監督、ひとりのディレクターのひらめきや、思い入れでポイと生まれてくるもので在り得なくなっている。映画のタイトルと言うよりも、企画のタイトルとなっている。但し、小説等の原作の映画化は、ちょっと全体展開は違っているかな。  チーン(第六ラウンド終了)。

 このラウンドは、だいぶトリッキーな展開でした。選手と解説の二役やっているんで疲れています。心地よい疲労、と言っておきます。


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 『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』の究明ラウンドは佳境に入ってきたけど、気分は斜陽です。逃げたい。

 「しゃようなら」。自分でタオル投げたくなった。なんたって、目いっぱい嘘っぱち書いて、恥を晒してるような気分だから。それと検証資料が無いから、頭ン中でも格闘して捻り出している。余禄で、鼻から耳から1万円札が捻り出てくれるんなら兎も角、ため息しか出て来やしない。 チーン(開始ゴングです)。

 ラウンド・セブン。 私は今年(2005年)に入ってから、劇場に足を運んで見た映画が三本あります。『ハウルの動く城』と『オペラ座の怪人』・『Shall We Dance』です。ブランクが15年程あります。面白い変化に気付きました。上映回ごとの総入れ替えって何時からなったのだろう、善い事は知らないところで進んでいた。俺、後れてる。『オペラ座の怪人』の感想を一つ。ヒロイン(クリスティーヌ)の顔が誰に似ているかってこと。ドリカムの歌姫・美和さん プラス うつみ宮土理さん。ヒロインは映画の中で吹き替えなしで唄っているのよ、と同席者(私の細君)が教えてくれた。←何かと女房がお供って、ウザくありません。いつも一緒ですから(独りでは映画館に出向く気がしないです)。 チーン(第七ラウンド終了)。

 先ほどののろけ(?)に対し、リングに客席から物が投げ込まれた模様。それで早めにこのラウンドを終らせました。では気を入れ直して、鼻かんで、 チーン。

 ラウンド・エイト。 劇場で映画を見ていると、本編に先立って20分ほど、幾作品かの予告編が流される。この中で早々半年先上映なんてのも出てきます。記憶力抜群者用です。こういうのは、現在もスタジオで、或いはコンピュータの中でガンガン製作真っ最中で進行しているのです。或いは、本国上映に後れる事、半年なんてのも事によっては有る。搬送するのになかなか飛行機飛ばないから、船で運んだ、なんてことは無い。配給交渉で時間が掛かったりしている。或いは、製作会社が、ファンに対して、「こっちに見に来い」、なんて同時上映させない横柄なのもある。←半ウソ。特にハリウッド映画においては、投資対回収の論理が大に展開します。だから、クランク・アップに先行してドンドン興行交渉が進みます。映画内容の紹介を作品の試写でなくて、印刷媒体で行なわれる事もある。映像は触り部分だけ。先方も、『ヒット、マチガイ ア〜リマセン!」、“Good picture”なんて言って売り込んでくる。『不見点(みずてん)』のケースだってあるんだから。契約に様々な条項がある。売り手有利、あるいは買い手有利など色んな要素が綱引きしながら興行の形ができて行きます。日本の配給権・上映権、更にはDVDメディア版権までが一社独占とならず、複数社にわたるるということだって営業方針等で発生する。その中で、どうしても映画の邦題をどうするかの煩悶がでる。私の見た『オペラ座の怪人』は原作をガストンルルー氏が小説に書いていて邦題のついた翻訳本がある。だから、映画制作の企画段階から、日本で旧知の邦題が付けられる。何の煩悶も無い。

 日本語版製作工程は、ハリウッド各社の日本支社が従来からの踏襲で受け持ったとしても、先立って営業を開始する時点では、作品を邦題でしっかり設定させ得る状態ではない。翻訳して字幕スーパー付ける作業だって、最終的には作品になってからでないと完成できない。無理して、邦題を付けるわけにはいかない。製作サイド直結の配給部門でさえこの状態です。まして、配給権・放映権を得た興行会社だって先行宣伝の時点で邦題タイトルには手をつけられないのです。ついに必殺技が出ました。「邦題については、元タイトルのままで行く」。これが結論であります。『何故多くの洋画は、タイトルを邦訳しないで公開されるようになって行ったか』は、ハリウッド大作主義がもたらしたものであった。 チンチンチンチン、チーン。

 勝負が着きました。第八ラウンドで終了しました。ガッツ・石松さんの感想です。『いやー、はらはらして見ていました。いい試合だった。OK牧場』 このバーチャル異種格闘技は以上で終了です。それでは「さいなら・さいなら・さいなら」

           (完) −−2007年7月8日 稿了−−(2010年10月26日改訂書き込み)

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