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中八・下六の川柳を捜してみる

 それがし、姓は『中八』 名は『座六』。してその実体は『川柳愚作』と申す者。制作責任者は、私を産み落として後、不憫な我が子をあちらの句会、こちらの句会へと「どうぞ、良い子ですから」と引き合わせて回り、時に選者から反面教師呼ばわりされ、晒し者にされて、之までに親子共々暗き遠き夜道を帰る折、涙したこと幾たびか。

 ある日、母と父が私を嘆き悲しむ深夜の会話を聞き及んだ。

父「止むを得ぬ。愚作の指を1本切り取ることにしよう」
母「それはなりませぬ。あの子はあの指があってこそ落ち着きのある素直な子。その事をきっと認めてくれるお方も居りましょう、その日がくるまで頑張りましょう」

 はらはらと、私は枕を濡らすばかりであった。


 ・・・夢を見ていました。

 家族が寝静まって後、起き出してキッチンの小灯下。夕食後の発想句は中八。改めて推敲を試みているうちの不覚、腕に涙ならず涎がしとどに濡れていた次第でした。

 もうこれ以上無いという言葉を置いて、5・8・5、あるいは5・7・6となった句をあまりいじりたくない。しかし、不利。先人・先輩・同輩がこの『中八』・『下六』をどう扱ってきたか。手元にある幾冊かの川柳掲載本の中から探し出してみました。

  自由席座ってしまえば指定席       縫  忠義

  五十歩と百歩の差を知る病み上がり    仲林 一夜

  初体験最後に死ぬのがあったっけ     橋村 貴子

  いい噂七十五日は短すぎ         古田 憲造


   太っても他人に迷惑かけません      中村 和子

  姑にあなたが悪いと言えた妻       大熊 義和

  遺言は焼香順だけ書いてある       大畑 敬作

  亡き父に電話で聞きたい事が出来     吉田 豊子

  留守番を頼めば豆煮るおばあさん     青井 徹郎

  貧乏と知らず赤ん坊あくびする      田代 三枝


  本年もよろしゅうと来る貧乏神      永広 鴨平

  サンダルの裏に証拠のパチンコ玉     大熊 義和

  妻の座を捨てて酒場のナンバーワン    川嶋鬼彫面

  夫書き妻が判押す借用証         青木 呑竜

  居るくせに変事をしない貧乏神      野原 久義

  一人より二人が怖いエレベーター     伊東 伸介

  少女趣味といわれようとも紙人形     北山ふじゑ
   

  近江砂人氏著『川柳の作り方』(明治書院刊)より抜粋。

 ・・・五・七・五−十七字、これはちょうど右に箸、左に茶碗、チャンと正座して飯を食うことと同じである。この日本人の食事は別に法律で定めたわけではないが、そうなっているのである。それをもしある人があって、「おれはそんな窮屈なことはいやだ」といって足を投げ出し、足の指で飯を食ったらどうだろう。

 別に法律で定めたわけではたいから罪にはならぬ。しかしその人は、親兄弟、先輩たちの信用を失い、世間から葬り去られ、やがて自分で自分が嫌厭になってしまうであろう。法律でないから、やるのは勝手だが、だれも相手にしたいであろう。いくらりっばな名刺をたくさん持っていたとて無人島へ上陸したのでは用をなさない。(川上三太郎著『川柳の作句と鑑賞』参照)

 ・・・川柳は十七字でなければならぬと答えます。もっとも私の答えは理論的でなく、実際的経験からこう答えるのでありまして、絶対的かと念を押されれば絶対的ですと答えます。国に法律があっても、平凡人である私にはあることが不自由でないばかりでなく、もしなかったらと思うとあるほうがよい、むしろ必要なのであると考えます。

 十七字は川柳の絶対的条件であるという定規を置くことが、川柳に必要ではないかと思います。(椙元紋太著『わだち』参照)(『番傘』昭和二七年七月)

   
 とにかく定説・定理を確認するには至りませんでした。


 こうなれば意地と度胸でひとつ創ってしまえ


  
句会へと今のわたしは蛍雪時代  三 竿

    お断り: 最後に載せた私の作品は、最早4年ほど昔のものであります。