1月1日(日ようび) 新しい年 2023年(令和5年)が明けた。 ![]() ![]()
1月2日(月ようび) 初詣 細君が所望したので昼過ぎ、バスで駅まで出て、そこから線路の向こう側にある神社に初詣をしてきた。風もほとんどなく、気温の割にはそれほど寒くはない。穏やかな陽気だ。この神社には2020年も行っている。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 1月3日(火ようび) 未来よ 正月恒例の箱根駅伝のテレビ放映を細君が気長にみている。私も、復路の第一走者の下り坂を観ていたが、有ろうことか青山学院の走者が、よもやの3位から確か7位くらいまで、陥落してしまっていた。走者の中で最下位の区間ラップだった。
1月4日(水ようび) 今年の目標 正月三が日が過ぎて、社会が日常に戻り、テレビも正月特番から目覚めていつものペースが帰ってきた。私の精神的生活もようやく落ち着いた感じに成った。とは言っても何が戻ったとか再開したということはないのだが、ではひとつ、今年の私の生活の中に何か心掛けて実行して行きたいことを考えてみよう。
1月5日(木ようび) 初夢 夢は世につれ世は夢につれ、って、本当は「夢」ではなく「歌」なんだけど、若いころ見る夢にはまず、自分が爺さんになって登場する事はないと思う。しかし、逆に歳とってから、昔の自分や、家族や友達が登場することはある。懐メロのドリーム版。
1月6日(金ようび) 読了 昨年10月ころからだったと思うが、藤沢周平氏の時代物小説の文庫本6冊を一気呵成で読み終えた。
1月7日(土ようび) 異次元 岸田総理の施策を発信するときに使う言葉(冠言葉或いは、形容詞)に、違和感を常に感じている。北朝鮮がミサイルを発射すると、『断固抗議する」とか、国民側が不利益を被る事や、曖昧にしてきた事に批判が集まったときに、「丁寧に説明する」とか、まだまだいっぱい、言葉を通して自分の考えを伝えるのに、こういう言い方をするのが一番説得力があるだろうと考えて、そのために言葉探しをしてから取って着けたように発言する。
1月8日(日ようび) 女子サッカー 高等学校スポーツの全国大会で、ラグビー・サッカー・バレーボールなどが、正月を挟んで勝ち進んで大詰めの決勝大会が行なわれている。涙を飲んだ学校、栄冠を得た学校のそれぞれの地元では、大いに盛り上がっていると思う。今年は私の郷里静岡の男子サッカーは、早々と敗退し、残るものとしては、女子サッカーの藤枝順心高校が勝ち進んでいて、唯一心待ちにしていた。
1月9日(月ようび) 老いの坂 今回の冬が始まったころから、雨が降ったという記憶がない。寒い、風が強い、等の日を含めて、晴れの日が多く穏やかに冬が定着していった感がある。勿論これは、私の住む関東地方太平洋側の話。東北地方日本海側や北陸地方は、降雪がひどく、生活上の不便も酷かったようだ。
1月18日(水ようび) 燃えよ闘魂 日産がフランスの自動車会社との不平等条約とも言える、相互に相手会社へ出資する比率の歪みを是正することに成功した。事業提携の時点では、日産のルノーに対する影響力が極端に低かったが、対等の関係に持ち込んだ。
1月19日(木ようび) 事故る夕べDiaryを書いて一旦上書き保存をした時点で、なぜか昨日18日分だけ残してそれ以前の内容が消えていたことは気が付かなかった。そしてそのままサーバーにアップロードしたために、昨日一日分の内容だけしか読めない状態になっていた。気付いたのが、今日夕方だった。何かの事情で、その期間の部分に「切り取り」か「削除」を対象とする網が掛ったまま上書してしまったのだと思う。不自然な作業ではあるが、何かの拍子で網が掛ったことは疑いようがない。 バックアップ用のファイルをその都度コピーしておくのだが、たまたま10日以降昨日の作業を含めてそれをさぱっていたために、結果、見ての通りの穴が空いてしまった。ロシアがウクライナに飛ばしたミサイルがネットっを伝わって私のパソコンに入り込んで被害が出たわけではない。 本来バックアップは毎日やらなければ、今回のような事故は起きる。色々な作業にポカが出るようになったが、今回はそのポカでも大いに修復の敵わない悔やまれるポカである。 悔しい。早く忘れよう。二度と起きないよう(政治家の言い訳やチンタラした警察(外)の不祥事に倣わないよう)毎日、きっちりバックアップをしていこう。アドバル~ンを揚げる気力がない。むなしく消えた記事の、見出しだけでも残しておこう、墓標のごとくに。 1月20日(金ようび) 季節の行事朝のテレビで、番組名は忘れたが、Aさんが「今日は大寒です ・・・」と言ったあと、「次はバレンタインデーですね」と、暦上の行事を並べたら、Bさんが「その前に節分がありますね」と、ちょっとした会話があった。このやり取りは珍しい展開だと思った。節分を取り上げたBさんの発言は、スタヂオ現場では一種のチャチャを入れているように受け取られて、あまりいい印象を与えないように評価される。それと、秒単位で進行する番組の腰を折ることにもなる。 このやり取りはやはり横道にそれることなくそのまま進行したから、観ている人には、気にも留められなかっただろう。でも一部の人には印象に残ったかもしれない。現に私は心に残った。 Aさんの頭の中には、節分行事の印象が薄かったのは大いに有りえることで、テレビの情報番組で取り上げるテーマとしては、この先消えゆく運命になる可能性がある。コロナ感染のせいで、日本の各地で行われてきた多くの節分行事が2年ほど中止になっていたと思われるから、世相からも失われつつある。勿論盛り返しを図って、今年は復活するところも少なくはないだろう。 だからテレビで、空気を読むにしろ、うっかり取り上げなかったにしろ、これからの日本の文化に関わる季節の行事をテレビメディアがしっかり取り上げないと、商業主義の風潮によって失われていくことに成ることを私は心配する。
1月21日(土ようび) 低血糖年度が替わると、旧年冊のリストの書き加えが必要になる。最初によく構成を考えておかなかったので、結構な工数が掛ってきた。これを改善するためには開発ソフトのCSSを学んでよく理解してから取り掛からなければ先に進めない。久々に頭をフル回転させなければならない。 CSSは一度かじって、このホームページの一部に適応させたまま、中途半端に終わっている。去年の10月に新しいパソコン(Windows11)に買い替えた時に、フリーソフトの「Visual Studio Code」というエディターが使えなくなったがインストールしてなかったので、本日改めてインストールして使い始めたが、バージョンアップして仕様が大きく変わっていた。 まず言語を日本版に入れ替える手続きに手間取り、更にはわけのわからない説明が多くて、しばらくは使えるまで更なる手間がかかりそう。別のソフト「Atom」もインストールして、始めようとしたが、最初に、提供元が何とかフルスペックの有償版に誘導しようとややこしい手続きを掛けてきて、それをスルーしても巧くいかない。 結局こちらは諦めてさしあたり、手に負えるエディターでCSS学習を試みる事にした。ネットの紹介によると、すいすいと使い勝手のソフトだといっても、使う前の設定時で突っかかるのだから、恨めしい。 大した進捗もないくせに頭だけ疲れてあっぷあっぷした状態となってしまった。こういう時、最近時々低血糖症状に陥る。昨日も寝るときにそんな感じの症状を自覚して、計測したら“54”だった。運動しなくとも、大量に糖分を消費する。極甘のマロングラッセを齧ったりして低血糖を脱出している。 ![]() ![]()
1月22日(日ようび) 余命温暖化が浸透しているとはいえ、今ごろはやはり、昔と変わらぬ寒い日が続いている。それを良いことに、大した影響が出ているわけではないとか、やはり自然の回復力は素晴らしい、などと考えるのは正しくないだろう。自然界に生きる動植物、特に海の中の生き物にはこれまで生息していた海域では済み辛く成ったとか、時には大量死したとかが起きている。地球の呼吸ともいえる偏西風の流れなども蛇行が大きくなったりするのは、やはり寒暖差の変化などによって起きると思う、良くは知らんけど。長期的計測で知る各地の平均気温の推移は確実に高くなっている。 私はこの頃自分の余命について想定することがあるが、長くてせいぜい後十年残しているくらいだろう。この間にやはり大きな自然災害に遭わないまま穏やかに過ごし続けたい。そういうことも幸福に生きたと言えると思う。 後は、自分の体の穏やかな収束というところだ。
1月23日(月ようび) 冬眠昨日のタイトルが「余命」で今日が「冬眠」、とはどういうつながりがあるのか。近頃の老人としての私のテーマなのだ。今日はことさらに寒い一日だった。ということで階段下りも夕方、一階の集合ポストから新聞を取って来ることもさぼった。こんな日は、急に冷気を浴びて心臓によくない、という理由。それならばただ部屋に籠っているだけよりも、一部の動物の冬の生理現象のように、冬眠できないものだろうか。 実際の動物 --- 人間の身体に近い構造の例えば熊などが該当するのなら、熊を実験台に使って研究することで、ある程度メカニズムが解り、その基礎データーから物理的環境を作るとか、薬を飲んで冬眠状態に誘導する。 人間にも冬眠が体験できれば、生理的にも精神的にもプラスになることが創り出せるのではないだろうか。神をも恐れぬ行為ということにはなるまい。冬眠によって、寿命を延ばすことが可能だという理論が既にあるのだから、宇宙旅行に採用できる。 亜米利加映画『2010年宇宙の旅』で実際に試みられていた。
1月24日(火ようび) 侵略国今の日本にすぐ対策を練らなければならない事案は何か?と考えてみたら、外国からの国土侵略で国家が存亡の危機に晒されている問題である。少子高齢化に伴う国力の衰退も大きな危機だし、更には、根を一つにした経済力や技術力が活力を失って、国民の生活が苦しくなっていくことも大いなる危機ではあるが、極端な形態としては、外国の植民地になることが、あらゆる現実が辛酸な状況に置かれていくことほど不幸なことはない。 現実に今の日本は、その過程を辿っているように見える。日本国憲法よりも上位に位置している日米安全保障条約の運営の実態で、国土のいくつかの場所に治外法権を亜米利加に与えていて、国家の政権が思うように必要な政策を行使できていない。 亜米利加は、第二次大戦後、どんな外交手法で手にしたかは知らないが、フィリピンや南ベトナムに傀儡政権を置き、ずいぶんと、極東アジアを軍事支配してきた。建国以来、アメリカは、ネイティヴアメリカン(インディアン)を滅ぼし、中南米で暴れまわり、イスラム諸国を分断させて、いくつかの国家を消滅させた。 こういう黒歴史は第二次対戦の敗戦国日本を、今まで経済的にパートナーとして扱ってきたが、こと軍事面では、これまでのセオリー通りに、日本の政治家の質の悪さに乗じてかつてないほど軍靴で踏みつけている。 これを今回の岸田首相の政策に潜ませて、あたかも日本の国内問題に矮小化させることにも成功して、日本の防衛費を使って、亜米利加の対中国外交戦略を計画通り進めている。 中国は、亜米利加を軍事的に叩いてまで世界秩序を壊すことをしようとしないと思う。単純に覇権を争う状況下ではないのだ。今の中国がもし軍事的侵略に邁進するとすれば、南シナ海の実効支配をもっと推し進め、沿岸諸国が日本より先に侵略されてもいい状況ではあるが、これは状況としては危機が深刻化している様子はない。亜米利加も以前のようにフィリピンやベトナムに基地をおいていない。追い出されているのだ。入り込む隙も無い。だから特にフィリピンや中国と隣接した国は、中国との外交関係も、平安を基調とした政策を執っているはずだ。亜米利加の力を借りるつもりは更々ない。 亜米利加は中国との外交関係をどのように考えているかは、私には理解不能であるが、少なくとも日本が盾の役目を担わされていることは、判る。やはり、日本は亜米利加に侵略されている。
1月25日(水ようび) 風と共に去りぬ今朝は天気予報士の予想通り、今冬一番の寒さだった。朝7時半ごろごみ出しに出て、エレベーターから30メートルも歩かないうち外気に晒された手がみるみる冷えてかじかんできた。通勤に自転車を利用する人は絶対手袋を装着しないと辛い、と思った。家族二人をリクライニング・チェアに座ったまま送り出した後は夕方まで、ひとり気ままに過ごす毎日だが、今朝ほどの寒さにはさすがに、後ろ姿に手を合わせたくなった --- 合せたわけではないが。 ビビアン・リーとクラーク・ゲーブル共演の『風と共に去りぬ』の録画の前編を観た。この大作を幾度も観てきたが、やはり感動する。南軍側のアトランタが砲火に晒され、陥落寸前に脱出した主人公スカーレット・オハラの辛酸を舐めた前編のラストシーンを観ていたら、原作を書いたマーガレット・ミッチェルは、きっと南部の州の出生と直感したが、やはりアトランタ生まれだった。 というのは、アトランタが北軍に攻撃されたり、前線から逃れてきた敗残兵や戦傷者・戦死者の悲惨な姿を見て、気丈な主人公スカーレットにさえ涙を流させ北軍を罵る言葉を吐かせている。マーガレット・ミッチェルは1900年生まれ、南北戦争が1861~65年で、南部には戦争体験者・被災者はまだ多く生存していて、その時の敗北感と怨念を身体で浴びていたと思う。 物語は彼女の男性への複雑な愛の親交がテーマになっているが、南北戦争の敗北による心の傷口から土着の南部魂が醸成させていったのではないだろうか。そんな歴史観を抱いた。 いよいよ次は、故郷のタラに戻ったスカーレットの波乱に満ちた愛憎物語が展開する後編を明日以降、観る楽しみが待っている。 参: ・亜米利加では今でも(たぶんアトランタで)ミス・スカーレット選抜大会をやっているだろうか。 ・この作品の冒頭の文章をおぼろに覚えている 【 スカーレット・オハラは美人ではなかったが、その魅力に取りつかれてしまうとタールトン家の双子の兄弟がそうだったように、男たちはたいていスカーレットが美人でないことを忘れてしまった。 --- 】 ・ 20代の初めに、結核に罹り、サナトリウムで療養生活を送ったことがあった。患者組織で発行していた機関誌の編集を一人でやった折、読者に、東西の著名な小説の冒頭部分を綴って作品名を当てさせるクイズを載せた。確か、5問だして、3問正解で、施設の近くのウナギ屋さんの宣伝を兼ねて、うな丼を抽選で五名に配った。「風と共に去りぬ』の外に、芥川龍之介の『杜子春』、吉川英治の『宮本武蔵』、モーパッサンの『女の一生』 ・・・ あと一作は思い出せない。 ・ 私の心の中に映画でもう一作、ルイーザ・メイ・オルコット作「若草物語」がある(原作:Little Women)。四人姉妹の二女、ジョー(ジューン・アリスン)が作者のモデル役となっている。この映画の時代背景も南北戦争となっていて、姉妹たちの父親は北軍の将校として戦地に赴いている。私は、中学生のころ、ジューン・アリスンを素敵な女性として憧れていた。彼女の健気な生き方も現実のアメリカ社会で女性の地位を高めた偉人だったと思う。ほぼ同時代の津田梅子さんも日本の女性の地位向上で、頑張った一人だ。
1月26日(木ようび) 地唄今日は、昨日の続きで『風と共に去りぬ』の後編を観た。主人公、スカーレット・オハラは生まれ故郷・タラへの強い郷愁を持っていて、周りの愛してくれた人や自分が愛した人にも去られて、悲嘆の底に至ったときも、自分の生きる希望はこのタラにしか無いと決意をする。そして物語はここで終わる。この映画に出てくる多くの個性あふれる人物たちの誰に最も共感を持ったかは、観る人によって違ってくると思うが、間違いないことは、スカーレットの波乱万丈の生き方の強さに圧倒される。そして、この役を演じたビビアンリーの勝気な意思がにじみ出た美貌が男の心を搔き乱す。 このあと膝いっぱい、部屋に差し込んだ陽に当たりながらティータイムで寛いだ。何気に、Eテレを観たら、『日本の芸能」が始まるところだった。今日は地唄の紹介だった。江戸時代に上方で発祥した庶民の芸能で、伴奏にはたぶん必ず三味線が入り、時にお琴や舞いも加わる場合がある。 美しい日本語を散りばめた、しっとりと間延びのした唄い方による恋の機微を味わうことが出来る。日本語の美しさをたっぷり味わえて至福を感じて観た。 日本の芸能は、お座敷や寄席、舞台、街頭に於いて色々な趣の物があって、落語、講談、義太夫、舞踊、歌舞伎、能、等多岐にわたって花開いた。夫々の芸能ごとに得意とするテーマがあって、落語では語りの中に洒脱なオチでしめくくったり世話物で泣かせたりもした。講談だったら武勇伝 ・・・ 百花繚乱の如く咲き誇った。 これにはまると大変、今では使われなくなって判らない言葉がいっぱい出てくる。しかし、これにひるまず深く入ると、得も言われぬ桃源郷に導かれて長閑な幸福感が味わえると思う。今日の地唄に「七の 落語にこんな噺がある。 田舎から江戸に遊びに来た男がふと、ある店に入ると、自分の姿が映るものがあった。これにびっくりして、国に戻って、友達にこのことを話したら、ぜひ自分も見たいという。翌年、再び行ってみたら、違ったものを置いてあって、かなえられなかった。外に出て看板をみたら、こう書いてあった 「ことしゃみせん」
1月27日(金ようび) 寝る寝る天気予報では雪が降る可能性があったが、21時現在持ちこたえている。明日の朝、起きた時がどうなっているか。最高気温は一桁台で、陽も射さなかったから、寒かった。歌でも唄ってみようかな♪ 春よ来い早く来い 歩き始めた爺さんが ・・・ 寝る際に、胃液の逆流を防ぐためベッドの上半身を少し高くして寝ているが、ほとんど寝がえりを打っていない様子だ。但し、足をバタバタさせている証拠として、掛け布団の薄い羽毛布団と毛布が乱れている。どちらかが半分ほど床に垂れている場合は、さすがに寒さで目が覚める。寝たままで重ね合わせているから、本格的に目を覚ますことに成る。ついでに膀胱がシグナルを出してくれれば、トイレも一度に片付くのに。 以前は胃液の逆流に月一くらい平均に襲われた。眠っている時になれば、自分の身を呪いたくなるような苦しさだった。ここ数年は、ほとんど無くなっている。身体が良いほうに慣れてきたということか。 ![]() ![]()
1月28日(土ようび) 床屋昨年12月中に一度くらい自転車に乗っていたと思うが、それ以来だったと思う。床屋に行くために久しぶりに乗った。西風が吹いていて、途中、逆風に向かうことがあった。こんな川柳がある。 なぜなんだ行きも帰りも向かい風 詠み人知らず そんなことにはならなかったが、風が冷たかったわりに陽射しか強かったから、寒いことはなかった。しかし、筋肉が弱ってきているから、ペタルをこぐのにしんどかった。 さて、久しぶりに訪れた1000円床屋は、定休日になっていた。前回来たときは、確か火曜日だったが定休日だったのにどうしたんだろう。土・日の稼ぎ時なのに。仕方がない、値段はちょっと張るが、別な店に行った。 カットのみ1650円。いつも幾人かの先客が順番待ちして回転する。20分くらい待たされて、さすがにこの手の簡単なタイプにしては丁寧に仕上げてもらった。 この程度の外出でも疲れる。
1月29日(日ようび) 冷蔵庫去年の暮れ、新しい冷蔵庫にしてから、これまで通常の冷蔵室がラッシュアワーの満員車両のような詰め込み状態だったのが、かなりすっきり整理されている。ドアに小物系を詰めて整頓しやすいような棚が色々ついているから、ドアを開けると、正面から奥が見通せて探し出しやすくなった。細君にとって、この中を見た目に整頓されていることが能率とか便利とか以上に気持ちよい居心地を感じるのだろう。 逆に私はなんとなく、例えば使い切ってインスリン(太めの万年筆状の)を新たに持ち出す時に人の家を訊ねたような緊張がして、お邪魔しているような気になる。だから、どこに何があるなどが頭に入っていないので、用があって開ける時にいつも捜すのに手間がかかる。 今まで以上にチルド室の利用範囲が広いようで、開けてみるまで何が入っているか判らない。 如何にも主婦の玉手箱のよう、あるいは、リカちゃん人形のお部屋みたいな遊び心を持てているかもしれない。男で言えば、机の引き出しの中。しかし、時々整理しなおすのだが、いつの間にかぐちゃぐちゃになる。 ![]() 1月30日(月ようび) 卓球と野球昨日まで闘われていた卓球の試合は迫力があった。これまで三大タイトルの二つの勝者が決まり、女子個人戦と男子個人戦の夫々決勝戦が行われて、優勝者が決まった。私が中学に入学して部活に選んだのが卓球部だった。来る日も来る日もランニングで走らされた。へとへとになって、一学期中に音を上げて辞めてしまった。大体新人紹介で卓球部に割り当てられた教室で、先輩同輩のいる前で一人一人が抱負を聞かれて、普通なら「頑張ります」と挨拶するのに、「自信有りません」と噴飯ものの挨拶をしている。 言葉通りになったのが面白い。 色々なスポーツがマイナーからメジャーになっていった。バスケットボールと双璧で当時から卓球は長いこと日陰のスポーツだった印象がある。郷里静岡では、部活と言えばサッカーがメジャーになっていた。野球部もある程度盛んだったが、むしろ学童が放課後の校庭に行って、上級生のバッティングの球拾いに駆り出されていた。時々、別のグループがいれば、選手の貸し借りの融通をして、対戦したこともあった。三角ベースで遊んだことが多かったように思う。 どちらのスポーツも私はそこそこの技術を培われた。最近の若い人は、まともなキャッボールもできない人も居るようだ。 ![]() 1月31日(火ようび) 学びなおし部屋の中に籠って生活していても、テレビの報道番組やインターネットで世相や政治、更には国際情勢が入ってくる。こういう状態を意識して、整頓したり取捨選択したり、善悪判断することが大切になってくる。真贋の判定力も必要になってくる。そんなことを避けて、あえて見ざる聞かざるで通して生きることが善いとは思えないから、関わってしまう。 古の西行法師ですら、世捨て人を決め込んで武士の身分を捨て、隠遁生活に入ったはずが、ちょくちょく都にほっついてかつての親交のあった人から何かと情報を得て蠢いていた様子だったという。私も彼に倣ったわけではないが、世情などをDiaryに書いてきている。 情報の洪水の中に生きているから、必然的にそうなっているのだと思う。川柳を作ったり駄洒落を想いついたりすることをゲーム感覚でやっている。外の出来事は題材になる。批判を書いていてもそれほど信念でやっているわけではない。 近頃岸田総理を筆頭に、問題人物が多くなってきていて、整頓が利かないほど煩雑になった。しっかり絞り切りながら考えないと気持ちが落ち着かない。では一つだけ今日の批判。 出産して育児休暇を採っている女性に、「育休中の学びなおし」を進める発言に色んな --- 常識がない、思いやりがない、育ちが悪い、考え方が軽すぎる --- 等の感想が私の心に湧いたこと。 そして彼に人間性について学びなおしをさせてくれ
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |