2019年         


9月1日(日ようび)   光陰

 早くも9月。何故にこうも時の流れを早く感じるのか? そんな事は無かった(長かった)、という頃があったろうか。あった。たぶん誰の人生にも子供のころを振り返ると、歳月はもっとゆっくりと巡っていた事を思い出すはずだ。すでに多くの体験は忘れてしまっているが、体の芯に年輪が重なっていく感覚が確かに記憶されていて、一年一輪は今の進みより緩やかだった。

 では、なぜそういう感覚なのかを考えると、色々理由が思い浮かぶ。

 子供のころの自分の五感で一番不思議に思うのは、生活圏の物理的広さ長さと体験的なそれとの差がある。家一軒分くらいの空き地があれば、そこでキャッチボールもできた。鬼ごっこもできた。目と鼻の先にある駄菓子屋へ行くのにもそこそこの距離を感じて駆けて行った。家同士の間の狭い小路を、いつぞや帰省の折通りかかって覗いてみると、猫一匹が通るのがやっとみたいな狭さしかない。ここを子供のころは、近道としていつも通っていた。

 テレビで『初めてのお遣い』を見ると、撮影スタッフが街の人に変装して子供の後先に接近していっても、子供たちの視界には単なる風景の一部であるかのように、無関心である。実際にそういう景色は、ほとんど記憶に仕舞われることがなく、自分の周りは、近所の知っているおばさん、おじさん、その他としてきれいに整理されて単純化される。こうなると、まさに自分の認識は、その時の関心事だけに集中され、初めから終わりまで時系列の中で時が流れていく。一晩寝て、本人のその日の記憶のほとんどがそうした体験の積み重ねで覆われ、脳の成長への養分となって消化される。

 つまり、ひとりひとりが濃密な成長プロセスを体験しながら時間は経過していく。物理的な時間や空間は伸び縮みしないが、感覚は違う。狭い場所がひろく見えたことも時間が長く感じたことも後で、大人になって認識することだ。

 見るともなしに見せられて見るテレビ、好んでもいない生活上必要となる対応を今我々は忙しくこなしながら日々を送っている。毎晩毎晩、脳はこれらの昼間の体験を吟味しなおすなんてしていられない。どんどん消去していく。朝になったら何だか賢くなっていた、なんて事もない。そういう事で歳月の去り方が早くなっていくという感じ方をしているのではないだろうか。

  かくれんぼした路地は今四車線  三 竿  vs  光陰暴食


9月2日(月ようび)   スキル

 我がホームページは月替わりになると、新しいページが増える。これらを起こす作業は、前月分ファイルをコピーしていらくなった部分を削り、新しい内容を書いて作る。それほど手間がかからないし、慣れた作業だから苦労することは無い。ところがとんでもない単純判断ミスによって、昨日初日を書き終えてアップロードする前のブラウザー確認(出来栄えをインターネットに載せる前に確認すること)で参照できない。昨日半日今日も半日悪戦苦闘して、最後にアプリ提供ソウトウェア会社のサポートセンターに助けを求めた。

 なんだ、簡単なことだった。インターネットに開示するファイルの拡張子は、“htm”と“HTML”がある。どう区別するか詳しいことは知らない。ファイル名は、一文字違いで完全に別ものだから、今回のトラブルはこの拡張子の違いを気が付かずにああでもない、こうでもないと空振りばかりの判断をしていたから、一向に解決できなかったのだ。電話でやり取りしながら丁寧に指導してもらって、原因もよく理解して問題が解決した。

 苦労はしたけど、じわりじわりと、階段を昇って成長していく感覚を味わった。嗚呼すっきりした。それにしてもITスキルに長けた女性は、声も奇麗。それに問題点のツボも良く抑えて的確に説明してくれるから、やり取りしている間も安心楽しい想いになった。

  判らないことの多くは勘違い  三 竿  vs  ファイルヒトラー


9月3日(火ようび)   幸福ホルモン

 書くことが相変わらず、という事になるのだが、7月下旬からWindows10搭載PCを使って以来、遣い勝手の点でさまざまなトラブルが続いていた。メールでつっかえシャットダウン処理でつっかえ、それぞれが解決した後もすぐにこれまで使ってきた、ホームページ作成ソフトの最新バージョンで作成してアップデートしても更新できないとか、わけのわからないアカウント登録指示が出ることでその是非について疑問を感じたり、、プレインストールされたウイルス対策ソフの試用期限が切れるから更新せよと、脅かすような警告が出てさすがのいくらか使い慣れていると自負する私も落ち着かない日々が続いていた。

 それまで穏やかに、暑いけれどいい風が入って心地よい夏、などとのほほんと過ごす日々を満喫していた日常が壊わされてしまってきた。読みかけの本もじっくり読む気にならなくなって遠ざかってしまった。

 昨日のやさしいお姉さまの指導の下、ホームページ制作上の不安もほぼ解消されたところで、心の風景も晴れ渡った印象になった。

 やれやれ

 そこで一休みする手もあったが、次なる要望として、写真加工系フリーソフトをネットで探してインストールする必要がある。多機能で使い勝手の良いもの幾種かを比較しながら調べた。ソフト名は後日書くことになるが、自分がこれまで購入して使っていたPhotoshop-Elementsの回復をあきらめた事で、操作性が似ていることもあり、おそらく新しくお付き合いができそうなソフトだと思う。

 もしかして、という思いで攻略本を調べた。あったあった、幾種類かの本がある。という事は評判がいいのだろう。これを通販サイトから購入手続きを取って取り寄せれば、鬼に金棒である。少したまっていたポイントを使って半値の約1000円で買えた。

 ここまでひと仕事して夕餉の時間となった。食事しながらテレビを見ていると、いつも見ているバラエティー番組がやけに期待わくわくした気持ちで観たくなっている。何だか嬉しくなっている。幸福ホルモンが脳内で潤っているようだ。

  幸せは歩いてこない湧いてくる  三 竿  vs  ホルモン教徒


9月4日(水ようび)   気象科学

 今日の最高気温予報が25℃に届くかどうかのところまで季節は移りつつある。梅雨明け以来ずっと夏日が続いてきたそうである。日本では自然は正直だと言う言葉があるが、近頃の異常気象下では自然は時々嘘をつくこともある。但し、これは人類の自然に対して不健全な文明の発達に原因があると言える。

 自然現象は気象変化のメカニズムによって現れる。それを人間が産業革命以降次第に激しくいじり出した結果(温暖化)の積み重ねで、異常気象が起きる。すでに、全地球規模で海水温度が上昇して、その結果で世界的規模の豪雨洪水、灼熱の気温現象として、災害が頻発するようになった。

 それにつけても、人類の知恵の向かうところがなんだか頓珍漢だ。気象の悪しき結果を直そうとする科学が生まれないのだ。日本では気象予報士がやたらと増えて、一種の気象解説者になってメディアで盛んに意見を述べているばかりである。

 ・今日は折りたたみ傘を持っていきましょう
 ・早めの避難で命を守りましょう
 ・・・

 なんじゃこりゃ。もっと実質的・直接的効果の上がる仕事をする人を育成しなければならないんじゃないか。 医学は人間の打ち立てた科学の中で特に役に立ってきた。そういうものが気象の世界でも生まれなければ、地球そのものが病んでいく。

 宇宙にロケットを打ち上げるのに、人類はロケット燃料を激しく燃焼させて推力を起こし自然界の重力に逆らって上昇させている。この非効率な科学を喝破したS・F作家がいる。イギリスのSF作家、アーサー・C・クラークが、長編小説『幼年期の終わり』のラストのところで書いているという。地球滅亡が近づいて、人類がロケットで脱出する光景を、文明の進んだ宇宙人が宇宙からあきれ、かつその健気さに感動しながら眺めている。彼らはすでに重力をコントロールする科学を持っている。

  救うには忍法ありという未来  三 竿  vs  クラークなるまで待って


9月5日(木ようび)   本日の色々

   Diaryを書いていて、頻繁にインターネット辞書の“Wikipedia”のお世話になっている。曖昧になっている記憶をこれで正しく直すことができて重宝である。昨日も、SF小説『幼年期の終わり』の作者名などを調べるのに使ったのだが、冒頭でお願い事をしてきた。運営資金に充てる寄付を募ってきた。

 「来た来た」

 この辞書の運営本体はよく判らない、と思っていたが、「ウィキペディア」を検索キーにして調べるとちゃんと出てくる。私はかねてからこの組織に寄付をしてもいいくらいに感謝の念を抱いていたから、さっそく一回きりの条件で1000円寄付した。毎月毎月とするなら300円から寄付ができるが、随意にかかわる方がよいと思っている。ロトセブンの末等賞金が大体1000円だから、当った際にこの団体に回してもいいと思う。億の単位で当たった時はもう少し奮発するつもりだ。

  2週間前に、東大病院で貰ってきた腸瘻挿入個所の皮膚保護クリームの試用効果を、午前中電話報告をした。経過はだいぶ良いから、看護師さんと話し合って、このまま次回診察日(11月頭)まで続けることになった。それについて当のクリームは、残り一週間分くらいになっていて、この先個人でネット通販などから購入することになるという事で、アマゾン、楽天等で調べたら、送料が高い。いつもの調剤薬局に手間をかけるのも気の毒だから(もともと不可かもしれない)、販売元からたどって、最寄りの薬剤問屋に問い合わせたら、送料手数料なしで、家まで届けてくれることになった。

 豆に手繰り寄せてみることで解決したから気分がいい。

  昨夜の“NEWS23”でアニメ映画監督・新海誠氏が出演して『天気の子』の制作裏話などを話していた。彼の第一回作品『君の名は』を、テレビでオン・エアした時、なんだか話がこんがらがっただけでよく理解できなかった。最近の新鋭のクリエーターの作品は、なかなかシンクロしづらいと思っている。芥川賞受賞作品を文藝春秋で読んでも、時々そういう感覚に捕らわれるが、昨夜のインタビューで彼の話した内容はよく理解できた。作品となると、厄介なのだ。

 封切りが7月19日。細君にスマホで調べてもらったら、まだ上映している。意外なロングラン。息子に問うたらちゃんと観ていた。週末行ってみっか。

  本日の心軽やか消えないで  三 竿  vs  新海戦術で創りました

  追:ベッドに入って、なぜか監督とバーチャル対談していて、あんなことこんな事自分が話している。


9月6日(金ようび)   スキルアップ

 昼近くになると、日射しが部屋の中まで入ってくるようになった。そういう状態になってからが我が家は油照りの暑さを受けるようになる。今日あたりは昼の最高気温は33℃くらいになったようで、真夏の一番気温の上がる頃と同じだが、部屋に日射しが入る事で、尚更暑い。だから日中は上半身裸になって過ごした。

 アマゾンに注文してあった画像処理解説本が昼頃届いた。夕方になって、肌に塗る撥水クリームを、ルートセールスマンの男性が届けてくれた。

 画像処理ソフトで頻度の多い利用法は、デジカメで撮った画像ファイルを、ウェブに載せるためのリサイズ加工である。この作業だけ本日のところは解説本を紐解きながらほぼ使えるようになった。本とPC上の展開が、所々誤差があって、手間がかかって仕舞った。「カンバスサイズ」や「解像度と画素の違い」など、言葉の意味をいくらか曖昧に覚えていた部分でやはり操作を間違えてしまう。

 ウェブデザイナーご用達のアプリケーションだから、使いこなすのも楽ではない。この先どれほどのツールを使いこなすことができるだろうか。



 先月、フィルム時代の秀作画像を幾枚か載せたことかあったが、まだリサイズしてない写真があった。今日さっそく覚えたてのツールで拵えたのがこの写真。場所は確か横浜の三渓園だったと思う。濃密な緑がむせかえるようだ。

  スキルつけて今更稼ぐわけじゃなし  三 竿  vs  日射しぶりだなお富さん 


9月7日(土ようび)   天気の子

 ラコール午前の部の点滴が終わったのが11:30頃で、細君と映画を観に行くことにした。

 新海誠監督作品『天気の子』。おおたかの森にあるショピングモールまで、dor to dor にTAXYとつくばEXで行って30分掛からない。

 開演まで時間があったので、別館施設の家電店でイヤホンラヂヲを買った。買って3か月くらいでチューナーの調子が悪くて買い替え。安物買いの銭失いの体だったので、SONY製2500円と、ちょっと弾んだ。

 チケット購入時はガラガラ状態だったが、始まる頃に観客が続々と入場してほぼ満員状態だった。この映画で不思議な体験をした。始まって30分ちょっとのところで眠気がやってきた。しばらく目を瞑り鼾をかいていたらしい。中途の展開を失っていることになったので、「よし、この後の展開は、筋を追っかけることをしないで、画面から伝わってくる映像、音楽、セリフを全てありのままに受け容れて観ることにしよう」ときめて、−−− なぜそうなるの? という意識を捨てて −−− 筋書きが判らなくても恐れないで唯々流れに乗って観ていたら、感動してしまった。

 ありのままに受け容れることは、創った人の意図をストレートに受け止めるという事だ、と気づいた。つまり私は普段外から入る刺激・情報に理屈をつけていたようだ。これまでテレビのインタビューに答える若い人の発言に、あまりも中身のない内容だと思ってきたこと、例えば、「かなしい」、「可哀そう」、「ウッソー」などの発言に何を言いたいんだかよく判らない、と憤慨することがあった。そういう事が自分の感性を曇らせていたのではないか、

 大いなる新感覚を味わった。

 異常気象によって、都会は来る日も来る日も雨が降る街になってしまった。その中で祈ることで青空を出現させる少女と主人公のヒューマニズムの物語。奇想天外な演出は、観客を温かい気持ちにさせていた。自分の観かたの変化がもたらした幸運がありがたかった。

  与太郎の目線で見れば真世界  三 竿  vs 見た目ムーチョ


9月8日(日ようび)   京浜急行事故

 木曜日にあった京浜急行のトラック衝突事故に二つの不思議を感じた。

 @ 衝突時の衝撃は、乗客の証言によると、かなり強いものだったという。という事は、電車の運転手がブレーキをかけたのは、かなり現場に近づいた時点だったことで、それほど減速していなかったという可能性がある。当鉄道の警報システムは正常に発動していたらしいから、その時点で運転手が赤信号を感知していれば、もう少しスピードが落ちていたはずだ。或いは、安全検証に十分な距離見積もりがなされていなかったかもしれない。トラックはその時かなりの荷物を積載していたのだから重い。それにもかかわらずかなりの距離を引きずられて、電車も先頭三両分が脱線している。

 まるまる走行時の慣性が掛ったままだったと思う。こんなことは、専門家がらみれば直ぐ解ること。テレビで解説している人に専門家がいたとは思うが、その点をはっきり指摘した人はいたのだろうか。トラック運転手にいくら過失がある事故だといっても、どうも一方的な責任で片付けられようとしていると思う。

 A そういう設定の下で多分進められたと思うのが、運送会社に捜査機関が査察が入り、何らかの会社の所有物を押収した様子である。今回の事故は単なる交通事故と成り立ちが同じことであって、まったく会社のあずかり知らずの出来事のはずなのに、ひとたび加害者として押さえておいて、関連筋への拡大捜査になっていることだ。

 過当な労働をさせたとか、運転手に対する管理責任に当たる微細な不適切指示があったかなどまで調べ挙げる名目を取って、でっち上げ責任を取らせる意図があると思う。京浜急行側の罪を隠す意図が十分にあるとしか思えない。こんなことをして、力のない市井の企業を犠牲にする日本の政治判断による捜査手法は許せない。政権政党という組織の個々の議員のいい加減な活動には手も付けずに弱いものばかりを小突くなんて何とも思わない。

 参:三か月前起きた池袋母子死亡を引き起こした暴走自動車事故では、警察は犯人の飯塚幸三を逮捕していないばかりか、正当な事情聴取も進めていない様子である。。本人も被害者宅への謝罪もしていない。罪も負わずにこのまま不起訴になる方向が濃厚のいきさつで、市井の人から重罪を求める署名活動が続いている。

 あからさまな不平等な扱いが、大手を振って世の中を跋扈している。近隣国の騒動に国民の関心を集める手法を使って、政権の巨悪の数々を隠している。メディアの幹部は、人質を取られて二進も三進も(にっちもさっちも)行かなずに権力に跪いているのか? そうではないだろう。

 今回10月からの消費税増税分の税金の使途は、アメリカから押し付けられた武器等の支払いローンにまわされるから、社会保障には回らないという。介護保障のためには一銭も回らないかもしれない。秘かに今、介護保険制度を改悪するプランが練られているという。

  視力2でも煙幕越しは見渡せず  三 竿  vs  介護霊が見られます


9月9日(月ようび)   台風15号

 台風15号の上陸地点が千葉市のあたり、というのは意外だった。昨日の日暮れころのテレビで見た時の想定では、伊豆半島をかすめて小田原あたりか?と思った。夜に入って、刻々と東に移っていったがそれでも、どう近寄っても横浜あたりだろう ・・・ ラジオ深夜便で2時ころまで聞いていた時点ではまだ東京湾で遊んでいるみたいな状態で、やばいやばいという気になって外の気配を窺ってもあまりうるさい様子ではない。それでも風呂場のドアがパタパタ音を出している。南からの風でなくむしろ反対方向から吹いている。

 結局午前5時前にやっと上陸したが、住まいから直線でいえば、南側5qもない距離だからほぼ直撃である。前予想でうるさい程危険性を吹聴していたのに、それほど風の強さが感じられなかった。22時過ぎから放映するフジテレビの『Mrサンデー』で宮根誠司が思いっきり怖さを強調する。最接近している地域で実況する女性アナも「飛ばされそうな風・・・」なんて言っている癖に、鎖骨あたりまで伸びた髪の毛がそよともなびいていない。

 ご覧ください、なんてカメラが写した木々も確かに右に揺れ左に揺れているが、チョッと風の強い日に見られる景色と変わらない。雨脚はさすがにすごい。鉄道インフラが早々計画運休をしたり、気象庁が「命を守ってください」とまで言った手前、テレビ局も演出で協力しているように感じた。

 朝6時、細君が起きた。この時点ではまだ暴風圏に入っているはずだが、雨上がりも近い、くらいの大人しい終焉な感じである。稀に見る強烈な颱風って全く当たらない −−− 確かに被害を拾ってみればないことは無いが。

  意図あって天災怖いと抑えつけ  三 竿  vs  ♪ 暴風の恋人東京へ行っちっち


9月10日(火ようび)   攻略

 なんで今頃になって、こんなに暑くなるのか。朝10時を過ぎたあたりから、今年初めて感じる暑さになった。すぐクーラーを入れて細君と二人で家にいた。私は最近インストールした画像加工ソフトの攻略に取り掛かっていた。意外と手ごわい。ベースになる画像にテキストを入れて、タイトルボードになるようなデザインを作るのだが、テキストの位置の移動とか、色の変換などが、解説本の通りにならない。

 前提となる設定が正しくないから、その影響かもしれないと思って色々メニュー画面を開いて一つ一つ取り扱っていくがダメだった。しつこくやっていたから、気づくと何時間も時間がたっていた。ソフトの初期画面に表示されていたツールボックスも隠れてしまい、それを戻す手間もかかってしまった。これが出てこないと、例えば文字フォントの指定とか、文字の大きさの指定もできないなど、あとの使い勝手も悪くなって来る。

 いくらか元の初期画面に近い表示に戻ったところで、予定の作業は途中状態であったが終わらせた。頭を使いすぎたような疲れが残った。戦国時代の城攻めに挑んで押し返されたみたいな状況である。

  老兵は歯が立ちませんアプリかな  三 竿  vs  理屈と攻略はどこにでも付く


9月11日(水ようび)   電力インフラ

 颱風15号の後遺症がひどい。千葉県の広域で、電力供給の復旧しない世帯が、今夕時点で(刻々と直っていくのだが)40万世帯に及んでいる。鉄塔が倒れた場合などは、数万世帯単位でやられてしまうだろうし、不思議なのは電柱に設置された変圧器に落雷するなんてことが何件も起こるのは、危機管理体制が出来上がっていない証左である。

 企業体質としてなっていないのだ。なんか金がかかることがあれば、利用者に負担をおっかぶせるやり方をするくらいだから、企業努力も責任感も欠如した組織である。おそらく国家がカバーしてくれているからという他力本願体質に浸りきっているのだろう。

 自然エネルギー利用の方策も持っていないようだし、どこかの企業が事業化しようとすると邪魔をする質の悪い企業である。電力供給に穴をあけたら賠償するくらいの法律を作る必要がある。それと、電線埋設化も遅々として進まない。景観の悪化もある、災害時の影響もあるのに、目標値も持っていないかもしれない。

  もう一つ。停電の影響で、道路の信号機の点かない交差点などの交通整理に、警察署はどれほど警察官を動員しているのか? 車同士が目視で確認しながら走っている様子が映されているが、庶民への安全対応がちゃんと為されているか、メディアもちゃんと検証しなければならない。私のようないらんところまで気に掛ける人だっているはずだ。

 「警察は何をしておる」なんて騒ぎたがる。

  手を挙げて犬猫猿が道渡る  三 竿  vs  停電贈与


9月12日(木ようび)   秋の気配

 朝の目覚め後の身体に体力の漲る(みなびる)気配があった。いつもだと、ベッドから降りてすぐ横のリクライニング・チェアに崩れるように深々と身体を預けて、目を閉じてテレビを聴く。もたもたしていると、30分くらいそうしている。

 今朝はすぐベッドを折りたたんでスペースを作り台所に行って、私個人の朝食の支度を始めた。血糖値を測り(一日おき朝・夕)、インスリンを注射し、冷蔵庫からわずかずつ食餌を取り出してラコールの準備をして部屋に持ち運び、私の朝食が始まる。口からと腸瘻から。

 6:30スタート。

 これを一気にやると、ドタッと疲れて動くのが嫌になるほどしんどい。身体が、というより精神的な脱力感が襲う。きょうはどうしたんだろう、と考えた。空気が軽いかららしい。湿度も50パーセントを下回っているかもしれない。北の高気圧が南下して、これまでのじめじめした空気を押しやっていよいよ秋の気候に−−今日は−−なった。

 県内房総半島の広い地域がまだ電気が回復していない。東電の広報が、予想以上の電柱・電線の損傷が大きかった、と釈明していたが、日ごろの怠りのせいなのだ。

 ネットに、安倍総理が内閣改造を盛んに自画自賛しているばかりで、この甚大災害への配慮を全く示していないことを批判していた。こういう事を記者会見などで指摘されたりすると、必ず「政府一丸となって全力で対応します」と答える。抜け抜けと言う。

  夏過ぎて秋の吐く息頬撫でる  三 竿  vs  甚大特急


9月13日(金ようび)   涼しい

 今朝は7:30頃までぐっすりと寝込んでいた。高校の卒業式当日のドタバタ劇の夢を見ていた。寝坊していつものバスに乗れないから式には遅刻してしまう。どうしようこうしようと焦っているのに、時間はどんどん経っていく。このままでは卒業できない。

 そうだ、TAXYで駆け着ければ何とか少しの遅刻ぐらいで済む。そこで細君から1万円借りることにして、細君が財布をあけているアップのシーンで目が覚めた。

 涼しい。ステテコ型の薄地のズボンに半そでTシャツでしばらくいると、足が冷たい。ジャージのズボンにはき替えた。午後になって、近くのスーパーに夕餉に付け足す材料を買いに行くとき、半そででは寒い気温だったので、ジャージの長袖の上着を着て出かけた。

 秋だ。仲秋の名月は雲に覆われて観れない。

  風に乗って秋の足音がカラコロ  乙三太  vs  ジャージ・ルーカス


9月14日(土ようび)   花の写真

 酷暑が続いていた期間、カメラで撮ろうなどという気が全く起きなくて、いささか焦っていた。今日、いよいよ意を決してマクロ100mmが装着されているGoGo娘(SONYα55)を持って極々家の近所で花などを撮ってきた。









 今日は風もあまり吹いていなかったので、フリーハンドで何とかピントを合わせることができた。しかし、あまり寄せ過ぎて撮るとピントの合う範囲が狭くなって写り映えがよくない。長い距離を歩くとしんどい。だんだん無理がきかなくなってきたようだ。少しでもウォーキングは続けて習慣づけたいと思っている。意思が弱というか、気が変わりやすい質なのだ。

  花にとっては盗撮してる俺の趣味  三 竿  vs  ガウディーの病葉ファミリア


9月15日(日ようび)   剣客商売

 録画してあった『剣客商売・手裏剣お秀』を幾度も見直している。約100分の時代劇に何度見ても心の安らぎを感じる。(但し、やはりCMが後半になっていくに従って多くなって、早送りするのに煩わしかった)

 左側縦に三カットのナレーターのセリフは「剣術指南の話を断った理由に得心はいったものの、秀というひとかどの武芸者を、野にうもれさせてしまったような寂しさが小兵衛の胸に残った」は、文学的にも優れた言葉だと思う。

 時代劇で役者が言う言葉に、今では使われなくなった美しい日本語を聴くことで、昔の日本人の情緒を感じて懐かしくも感動する。右上の小兵衛の言葉「最近みまかられたとか?」という意味が物語の流れの中で出ても全く意味が解らなかった。

 「身罷る」に受身的尊敬の助詞(〜された)がついて、(どなたか亡くなられた?)という意味である。

 次のセリフは左端の岡っ引きが、事件の顛末について江戸弁で喋っている。「どうってことねえんじゃありゃせんか

 最後は桑名藩藩主が「私の短慮であった」と小兵衛に謝っている。そそっかしい八つぁんや熊さんがこんな言い方をしたらご隠居にどやされる。

   
   
   

 このテレビ番組は池波正太郎氏の「剣客商売」のシリーズの中で書かれたものだと思うが、作品を書く時、きちんと時代考証をしている様子が伺われる。かつての日本で先人たちが生きていた時代の文化を偲ぶ事ができる名作だと思う。和服を着ることによる歩く時のしぐさ、駆ける時の手の動き、くぐり戸を抜けて屋敷から通りに出る時の腰の畳めかた、正座のたたずまいなど、さらには料理屋で出す品に至るまで、エンディングロールで料理研究家の名前が入っている。

 当時の幕閣や大名の下々に使う言葉、そしてその逆の言葉など、社会構成の中できちんと定められた格式は確かに美しい。決して窮屈な社会ではなかったと思う。

  しかと心得よ  ははァ

  いにしえの昔の武士は侍だ  三 竿  vs  剣客万来


9月16日(月ようび)   大いなる西部

 “The big Country”は1958年制作のアメリカ映画で、超大作西部劇。私は劇場では見ていないが、幾度か日本でテレビ放映された。いつの放映の時に録画したかは覚えていないが、地上デジタル放送が開始される直前だった。本放送に入る前に幾度か、各テレビ局で試験放送を試みている頃だった。各家庭に飛ばす電波を東京タワーから東京スカイツリーに切り替えて、その映り具合を指定の電話からデータを収集していた。

 この映画の中に往年の大女優ジーン・シモンズが出演している。社会に出たばかりのころ、アパートの壁に映画雑誌か何かのポートレート写真を張り付けているくらい、私の好きな顔立ちをしている。

 生まれは1929年で、私より15歳も年上である。こんな歳が離れているのだから、アイドルというより違った意識で好きだったと思う。

 自分がまだ高校生の時、『Elmer Gantry』という映画にも出演していたが、この映画はR指定されている。亜米利加の南部の片田舎の人たちは貧しく、そして信仰心も薄い民衆や黒人労働者に、女性伝道師として各地を布教していた彼女を、流れ者のエルマーガントリーが見初めて取り入っていく。次第に彼女の信頼を得て、ある晩とうとうこの敬虔なる聖教者に、性愛の悦楽を与えてしまう。

 その悪魔的行為を以って若者に観覧制限を付けたと思うが、やはり、彼女は美しかった。最後は、やっと自前の教会を建立し牧師として信者の前で説教をしている時、漏電火災を起こし、教会は全焼してしまう。と同時に彼女も死んでしまった。失意のうちに再び彼は、流浪の旅に出る。

  原作:Sinclair Lewis この小説はノーベル文学賞を受けたと記憶している。下の写真は、 “The big Country”の場面から拝借している。


  敷地内で迷子になった大西部  三 竿  vs  飛んでも発奮R指定10分


9月17日(火ようび)   『女帝・春日局』

 映画『女帝・春日局』のお噺。なんだか、このDiaryがすっかり名作映画劇場になってしまったようだ。主演は十朱幸代(1942年生まれ)で、私より二歳お姉さん、映画の公開が1990年だから御年48歳当時の顔立ちがこれ



 生まれたばかりの赤ん坊と他に4人ほど子供を育てていたが、関ケ原の戦いで活躍した夫が禄を失ってからは酒浸りになってしまい、駿府に隠居している家康に夫の士官の口を願い出る。

 しかし、チョッときれいで若い女を見ると種馬のように襲い掛かる家康の閨で三日三晩、彼女(お福)はお相手させられ、家に戻って後、つわりになって妊娠したことを知る。これを機会に夫の許を離れた。その後出産してすぐに江戸城で、当時二代将軍の正室が臨月で、乳母を選定している頃だったが死産、お世継ぎ誕生とはならなかった。しかし、お局の計らいで、お福の生まれて間もない男児とすり替えられ、乳母に採用される。

 お福はいったんお局に取り上げられていた我が子を取り戻した状態になったわけで、お世継ぎとして育て上げていくうちに野望を抱く。しかし、大奥の女の嫉妬から、お世継ぎが二代将軍の嫡子ではなく、大御所(家康)のお胤の子と嫌疑され、家康も身に覚えのある理ゆえ、駿府から急遽江戸に上り、居並ぶ家臣を前にしてお福に問い詰めていく。

 いかに天下人とはいえ、お世継ぎが自分の子だったかどうかは、当の母親がその真実を吐かない限り判らない。お福は頑として嘘を貫く ・・・ (二代)将軍様のお子と見届けております・・・ 最後に家康は「もしわしの子だったら、大変なお家騒動になる」と刃を突き付けるような言葉で迫ると、お福は、「夢でございます」と応えたきり押し黙り、涙を浮かべる。

 「我が子を必ず将軍にしてみせる」 上の写真は、その時のお福(十朱幸代)の覚悟の顔である。

 時代劇作品は、正実性を想定したような作品が多く、特に三代将軍・家光にまつわる様々な噺が創られた。

 後年江戸城大奥を牛耳った春日局は、歴史の記録に残ることになったのは事実である。







   家康からは出てこなかった赤い玉  三 竿  vs  女帝オングさん
    (赤い玉 = 「はい、胤ぎれで〜す」)


   9月18日(水ようび)   災難二件の噺

 最近のテレビで取り上げられた話の中から二つ取り上げてみる。

  目黒の5歳女児の虐待衰弱死の事件の母親に判決が出た。懲役8年の刑は極めて異常な重さだと思う。何よりこの後の裁判長の判決理由に挙げた内容は、この裁判にかかわった民間裁判員を含めて裁く側が母親の精神状態を見誤っていたことを示している。そのうえ、被告人弁護士でさえ、懲役5年が妥当だ、と、被告人を見捨てている。本来なら、無罪を主張してもいいくらいの状況じゃないか。さらに判決では執行猶予も付かない。いきなり刑務所に送り込むのである。弁護士は控訴を勧めるだろうか?

 判決理由に挙げている一つ一つの内容は書かないが、全体を通して如何に父親の狂気的支配が母親にも及んでいたかの因果関係を理解できないでいたかという事。絶望という名の精神の決壊からはもはや正常な判断はできないという事を全く汲んであげていない。別の犯罪で、狂気的行動に出た時の犯人のその時の精神状態を、「心神耗弱」などと言っていくらかの正当性を認めているが、今回の、母親に対する判断にはこれは取り入れていない。

 なんでこんなことになったかを考えると幾つかの理由が考えられる。(裁判経過は知らないから、弁護士さんの力量とか真剣度がはどうだったかは、推し量れないが不満は感じている)

 この母親の裁判だけがなんでこんなに急いで結審してしまったのか? 父親のほうはまだ一度も審議に入っていない。彼のほうの犯罪性追求が先に行われることによって、母親の立場が明らかになるはずである。それをしないという事は、私のようなトーシローとしての答えは、父親の罪を軽くして済ませたいからである。

 誣(し)いては、日本社会における男性優位の構造を守るための手続きであったとしか思えない。さらに、虐待を受けている家庭、特に児童保護思想が機能しない理由 −−− 教育委員会と同じように、児童相談所幹部の座が一部の人間の功労的褒章となっているに過ぎないからで、この仕組みが壊れてしまっては困るのだ。特に春、秋の受勲対象者を輩出させることで成り立つための組織機構でもあるのだ。二つの行政部署は本質を離れてしまったから、機能しなくなって不祥事は減らないばかりか、事件性な事象は頻発し続けている。

 今回の裁判の審議は、第二次大戦後の日本人戦犯を裁いた極東裁判の際に採用された、「事情の如何にとらわれず、を基準にしてどういう罪を犯したか」で判決が決まったのと同じやり方だった。それと同時に肉親、特に父親に犯された性的被害の娘さんの訴えを退けた裁判の際、裁判官は、「結局は性行為を受け入れた」という、合意行為だったと言っている。これと同じ論法である。

 狂ってる。

  颱風15号被災地の風景の中に、ビニールシートをかぶせた家屋の景色が広がっていた。立木が倒れた、傾いた、ゴルフ練習場のフェンスの鉄柱が屋根をつぶした、などという事もあって、台風が通過した東側地域の風の被害は確かにひどい。

 台風被害について国民の認識は、天災だから仕方が無い、という部分があるとしても、これって少し逃げていないか?そろそろ、政府は率先して認識を改めて対策を立てる必要がある。地震に対する建築物の耐震基準がある。しかし、気象に対して、有効な基準は無いようだ。これをほっといてはいけない。

 屋根の構造に対して、材料基準を含めて、瓦などの載せ方、固定の仕方をもっと強固にしなければならない。多くの家屋は、屋根(と一部ガラス窓)ばかりが損壊している様子なのだ。今回の場合の停電被害は二次被害だから、人的被害であって、天災ではない。あまりに広範囲であるという事は、特殊被害ではないという事だから、東電自体の災害を想定した強靭化策ができていないという事だから、法を定めて改めさせなければならないと思う。

 交通インフラは、独自に早々と運休して事あるのを先回りして避けることしかしていない。運転再開後の対応も問題があった。場当たり的でしかなかったようだ。ちらもメスを入れる必要がある。

  裁判の目線に結愛ちゃん見えてない  三 竿  vs  膝人災損傷


9月19日(木ようび)   お咎めなし

 毎日様々な事件・事故、外交問題など諸々の情報が入ってくる。テレビの報道番組とインターネット検索で雲霞(ウンカ)のごとく飛来してくる。その量の多さばかりか、多岐にわたってのしつこい程繰り返されて、一波、二波、三波・・

 ・幼児虐待
 ・振り込め詐欺
 ・あおり運転
 ・ゴミ屋敷
 ・嫌韓ネタ
 ・消費税増税対策
 ・千葉県内停電

 そして、本日ドカンと降ってきたのが東電旧経営陣の「業務上過失致死傷罪」で強制起訴された裁判第一審判決は無罪となった。組織の責任者は自分で直接手を下さなければ、どう判断違いをしても罪に問われることは無い、という又しても悪しき判定という事になった。

 大きな事件、事故が起きたことに対する責任的けじめとして、誰かが罪を負わなければ人災は無くならない。判り切ったことじゃないか。自然災害を蒙るたびに「天災」で片付けられては、被害を受けた人は、やられ損となる。事故を犯した側は被害者に謝罪をしなくてよいという事になる。事故被害者へのこれまで払った対価は、単なる見舞金的なものになってしまう。被害者は恨みを残したまま放り出されたことになる。

 日本航空旅客機の御巣鷹山墜落事故の時も、機体の欠陥も整備不備などの問題も曖昧さが残り、旅客機のメーカーも航空運航会社も責任者が罪を追わなかったと記憶している。だから、事故賠償金というより、見舞金のなどでどんどん値切られて終了したように記憶している。

 こういう類の事故はほとんどが政治的力学が働いて、割り切れない思いを人々に残して終結している。

 電気椅子相当の罪免れる  三 竿  vs  日本の夏は高温過失


9月20日(金ようび)   GIMP



 画像加工ソフトは、これまでPhotoshop Elementsを使っていたが、新しいパソコンへの移植しなおしが叶わなかったので、先月フリーソフトの“GIMP”をインストールして使い始めた。攻略本を通販で取り寄せ、まずは写真のリサイズを覚え、次に画像に文字を加える事を試みた。新しいサイトを起こした時の看板を用意する際に必要になる。一応ある程度の作り方はわかったが、完全ではない。後日実際に看板が必要になった時改めて勉強するつもり。

 そして今日、合成写真の作成に挑んだ。出来上がったのが上の写真。初回としてこれを起こしたのには訳がある。今週はじめ、夕方のTBSの報道番組「Nスタ」の中で、天気予報担当の森田さんと国山ハセンアナ(三コマパネルでニュース解説している)がたまたまツーショットで並んで映った。ずんぐり森田さんとすらりとした長躯のハセンアナのツーショットが妙に対照的で面白かったので

 「スカイツリーと絵画館が並んでいるようだ」

 細君が一緒に見ていたのだが、イメージが同じように沸いたようでウケた。ではこれを“GIMP”でやってみようとなって、これまで、この建造物を撮り収めてある中から取り出して作った。

 スカイツリーは、確か食道癌で東大病院に入院していた際、8階の食堂からガラス窓越しに撮った時のもので、完成して間もなくの頃だ。絵画館は、代々木の国立競技場近くにあって、季節はいかにも秋真っただ中だったと思う。スカイツリーの要所要所にポイントを付しながら輪郭を書いていって切り取って絵画館の写真に張り付ける。

 いくらか大雑把なのだが、それとなく収まった。“GIMP” −− このソフトは読み方はなんていうんだろう。亜米利加で創られたソフトでなかなか奥行きが深い。こういうソフトで色々スキルをつけていくことは好きである。

  パソコンで子供返りの日々送る  三 竿  vs  食欲合成


9月21日(土ようび)   掛け布団

 さすがに就床の際はタオルケットだけでは寒くなった。昨日の秋晴れは日差しも強く湿度も下がっていて、薄手のダウンの掛布団は良く乾いて、丁度良い保温力で気持ちの良い寝心地だった。この掛布団は軽いから気を付けないとベッドから落っこちてしまう。ベッドの胸部分から上部分を少し持ち上げて寝ているから、眠ったままで寝返りを打つことがないのでその心配はあまりない。本当は寝返りを自由にしたいのだが・・・

 自分が子供の頃、夜、長兄の友達が家にマージャンをしに集まっていて、一人二人そのまま泊まっていく人がいて、その人の寝る時の様相に驚いた。昔の布団は今のような化繊の軽い素材ではなく、正真正銘の綿だからそこそこ重量がある。しかし、これでも心もとないという事で、さらにちゃぶ台を上に載せないと寝られない、という凄い人だった。

 体に圧迫がかかって健康に良くないと、今から思うのだが、どうだったのだろう。さすがに今のダウンの布団は軽いのに保温力が良いから、寝ていて身体の自由がきいて良い。

 今日は予報では雨が降るとのことだったが一日曇り空で終わった。颱風17号が沖縄方面に接近しているが今回はこちらへの影響はあまりなさそう。それでも気象予報士が風の心配を訴えている。

 窓閉めず枕は高くよく眠り  三 竿  vs  月日はちゃぶ台の過客にして行きかふ年も又年なり


9月22日(日ようび)   居ても犬


 いつも通うスーパーよりも少し遠くの、品数の多い店に細君とチャリンコで行った帰り、途中、武蔵野線高架をくぐる所で後れを取る。先に帰ってもらって、交通量の多い通りから一本、裏の道を漕いでいるところで、私の歳より少し若いおとーさんが犬と散歩していた。その犬は、とぼとぼと歩いているから、高齢犬だと思っていたのだが、私と目が合うと、急にトロット(軽足歩)に切り替えて歩き出した。離れ際にはまたこちらのほうに顔を向けたような気がした。

 ・よぼよぼ歩きを見られて、見栄を張って元気なところを見せようとした
 ・早く私から離れたかった

 そのどちらかの思惑が働いたように思えた。おとーさんが犬に声をかけてはいなかったと思う。これまでの私であれば、自転車に乗りながらも、必ず振り向いてそのあとの犬の歩き方を確かめるのだが、最近では、そんなことをするとふらつくので見ず仕舞いだった。いくらかなりとも判定できるかもしれないというチャンスを得られなかった。残念。

 後ろ髪を引かれる思いも湧く間もなくまた一匹、今度はもう少し小型の犬だったが、こちらに来るとき、ピョンと跳ねてU字溝に被せてある鉄の格子をまたいでいたのを見た。犬は足の肉球が格子に乗ると、滑って指を捻挫したり、傷つけることがあるようだ。飼い主の中でそのことを知らない人もたまにいる。

 だいぶ昔、格子の手前で小型犬が腰を落とし、前足を踏ん張ってたじろいでいても、小学生くらいの兄妹がリードを引っ張っていた。急いて私は、わけを教えてやって、犬を抱いて渡るか、平らな位置まで迂回するように教えてあげた事があった。

 その犬は、私に助けられたことが理解できたろうか? 少なくともその兄妹が犬の足にはそのような場所は障害物になる、という理屈がわかってくれれば十分なのだ。

  夏の道難行苦行の散歩犬  三 竿  vs  給料は肉球月給です


9月23日(月ようび)   スポーツの秋

 9月も下旬になり、彼岸も迎え、いよいよ秋本番の季節になった。とはいうが、深情けの女の未練から逃れられず夏日が抜けない地域もある。

 は兎も角、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋と色々なテーマがある。異色なところでは、金欠の秋・失恋の秋・災難事故の秋など喜ばしくない秋に引き込まれた人も居るだろう。私の場合は、と言えば食欲の秋には有りつけない。読書の秋は、すでに始まっている。佐藤愛子さんの高齢に差し掛かったころから書き綴ったエッセイ集の『楽天道』

 あまたの随筆から、本人ではなく、編集者が選抜した随筆集。なかなか腑に落ちるところがあって面白い。読んで気が晴れる内容だ。

 あとはスポーツの秋である。自分の身体が運動機能が著しく落ちたから、自分が楽しむのではなく、いま日本で開催されている様々な大会などを観戦している。昨日終えた大相撲は今回はほとんど見なかった。素直に、がんばれがんばれ、と力を入れてみる気が起きなかった。白鵬がまたずる休みしてしまって、相撲協会がなんで彼のわがままを許しているんだという憤りまで湧いてしまっているのだ。やっぱり貴乃花の反乱のの動機は正しかったのだ。

 プロ野球も最終盤を迎えてファンは盛り上がっているが、私は夜のスポーツニュースを観る程度で、21世紀に入った頃から中継放送すら見なくなった。リーグ優勝が決まった後に、よりよよって、“クライマックス・シリーズ”などと言って、興行収益を増やだけでしかなく、リーグ優勝の栄誉を色あせている。こういう興行姿勢は嫌気をもたらす。

 ラグビーに熱烈に血沸き肉踊らせるおじさんがいる。本人に若き日の思い出を蘇らせる人も居ると思う。やたら男気を掻き立てる展開がある。

 女子バレーボールの大会も開催されているが、今のところ敗け試合のほうが多い。ガンバレと言いたいのだが、中田監督の頼りなさが観ていてひどく気勢を削がされる。試合を見守る際のあの暗い顔ばかりか、およそ監督らしからぬテンションの低さ、特にタイムアウトの際、まるで監督の役目をはたしていないような、時に円陣を離れて手持無沙汰なぶらぶらした態度は、何してんだよと思う。

 観ている自分に何か勘違いを起こしているのかな、という頼りない気持ちにもなって、妙に違和感を感じて試合を観ている。ネット上で病気説もささやかれているが、私には見た目から湧いた気持ちを揺らがす気はない。

  天高き雲こそ秋と眺む日々  三 竿  vs  酒飲むと気持ち悪くなって、白鵬

9月24日(火ようび)   デザインソフト


 画像加工ソフト“GINP”で通常利用する処理は、マニュアルを見なくても出来るようになったので−−−と言ってもリサイズと、画像の上に文字を書き加えるの二つだけだが−−−今日はもう一つの、イラストが創れるソフトのほうを少しかじってみようという気になって、開いてみた。インストールは、済んでいる。

 開いた最初の画面からして、色々なツールアイコンや作業メニューが並んで手ごわそうだ。このソフト(inkscape)は、Adobe社のIllustratorと同類の用途としてプロのイラストレーターやデザイナーが使っている。本日は、攻略本を探したが、実際の利用者の丁寧な評価が出ているのだが、スラスラ頭に入った、という人も居て、チンプンカンプンの人も寄せていて、決めるのに戸惑いがある。

 さしあたり、使い方を解説している人のサイトで、参考に使えることができそうな物をお気に入りに登録してしばらく試作してみよう。フランスの国旗を作るサンプルでやってみてまずはできたので、俄然やる気が起きた。しかし、一作業ごとに使うツールがあって、自分としては、これまで簡単な本立てを作るときに、のこぎり、金槌、カンナがそれぞれ一丁で間に合っていたのが、いきなり膨大な工具の並んでいる木工工芸の匠の作業場に入った様なめまいに似た思いをしてしまった。


 午前中から午後もかなり集中していて、夕餉時にやっと終わらせたのだが、食欲が落ちてすっかりへばってしまった。根を入れ過ぎたようだ、少しずつ進めていかないと心身共に調子が狂いそうだ。兎に角出来あがったものをディスクに書き込むことにも苦労するありさまだった(フランス国旗は記録できなかった)

  パソコンの中ではためく旭日旗  三 竿  vs  サイン・デザイン・タンジェント


9月25日(水ようび)   寓話


 こんな寓話を考えた。

 賑わいのある通りを扇子が歩いてくる。或る街の商店街くらいの車両通行禁止道路を想定すれば適当か。扇子は末広がりに開いている。だから、反対方向から歩いてくる人はぶつかってしまうから、端によけてやり過ごすことになるが、扇子のほうは少しでも端を細く畳む気もない。そして、扇子は遠慮することなく進み続ける。

 これがうちわとなると、印象が違ってくるかもしれない。なんだよ、邪魔じゃないか、わきまえなさいよ。うちわでも扇子でも邪魔をしているのは同じだが、モノに対する群衆の感じ方が違うようだ。扇子には高貴なところがあって、周りがその振る舞いに少しひるむ気持ちが起きてきて、道をよける。大名行列に道を開けるみたいな。うちわのほうは、ごろつきの数人が与太って近づいてくるから、食って掛かってやろう。

 そんな状況の違いってあるように思う。そして、それと同じょうな現象が今、日本に起きている。「消費税増税街道」のことだ。

 最初からしばらくは、世論も、経済学者を核にした識者からも、増税反対の声は大きかった。そのために、政府は、時期を延期してきた。しかし撤回することはしないで、景気動向を見極めることにして時期を窺ってきた。しかし、経過は変わらず、これ以上先延ばしの事態を容認し続けるわけに居ずにこのたびの決行を決め、そのデメリット回避策をいろいろ打ち出した。

 ・軽減税率設定
 ・ポイント還元

 などのショック緩和策を企てた。そして、それが誠に複雑怪奇、意味不鮮明な代物だったので、テレビメディアを駆り立ててその仕組みの詳しい解説と、メリットの周知に懸命である。これが扇子の効果である。うちわを使って突き進むのでは反発が大きいので、扇子を使う、幸い、扇子は広げ方が調節できて、妥協するべきところはちゃんと折りたたんで通りをよくする。

 こういうことをしてくると、もはや通行人は文句をつけにくい、というばかりでなく、その存在(増税)が、既成の状況として、その仕組みを学習する気で受け止める心理になってしまったのだ。こうなると、消費税増税分が、社会福祉の財源に使われるという約束があったことへの意識が希薄になり、政府がそれに絡めた、年金制度の改正や、介護福祉の制度後退の検討をスタートさせることを囁いてきても、「今は、いかに消費税増税を乗り切るのに必死」という意識になって国民はそういう企みには動きにくくなっている。

 すごい高等心理戦術である。さらには、歴史を遡って観て、或る既視感感覚で思いだすことがあった。

 先の大戦の敗戦間際、制海権・制空権をなくして、連日の空爆に襲われて、国民の生命・財産に甚大な被害が及ぶ様になってもまだ、降伏しない ・・・ その時の政府(大本営)は、本土決戦に臨むことを国民に発表して、国防婦人軍を組織化し、竹やりによる反撃訓練を課している。

 マヂにこれで戦えると思った人は少なかったと思うが、それでも活路をこの作戦に託せざるを得なかった。そして、一所懸命に意識を集中させた。のではなかったか。向かってくるのは、もはや扇子どころの代物ではないのに。

 このたびの消費税増税に対する庶民の防衛策が、竹やりで「「や〜ッ」と叫んでいた姿とダブって見える。

   本土決戦 敵にギブ・ミーチョコレート  三 竿  vs  竹やり商品に付き50%off


9月26日(木ようび)   国旗

  

 イラスト作成ソフト“Inkscape”を利用して仏蘭西国旗と日章旗を創った。作り方は極めてかんたんな作業ですむが、画面を開くと、色々なツール・アイコンやダイアログがあって、どれが何でどんな働きがあるのか(リファレンス)、或いはこんな事をしたいときはどのツールを使うのか(チュートリアル)をまず理解しないことには手も足も出ない。

 ドクターが患者の手術をする際に開腹するにはどんなメスを使うか、止血をするにはどんな薬を点滴するか、血圧が下がったら、どんな蘇生処置をかけるか、全部わかっていないと、患者がヤバいと同じように(あまりいい例えではなかった?)パソコン相手に悪戦苦闘して作った。

 そのためにインターネットの中に、例題として作り方をビデオにして教えてくれるサイトがあって、上の国旗を創る際そのガイドに従って創ってもこの始末だったのだ。理由は、ガイドに記されている画面が、自分のそれと、ビミョーに違うのだ。一つの理由がバージョンの違いである。ビデオの作者のバージョンは少し古いものだった。

 このビデオは、有償で提供されているうちのサンプルなのだが、作者がわざわざ、同じ画面で見たいなら、インストールするバージョンも合わせてほしい、と断っているのだ。兎も角何とか第一ステップはほぼクリアできた。ひと山超えた。この先いくつもの山を踏破しながら進めていくことになる。

 山梨県、道志川で行方不明になった7歳の女の子がまだ見つかっていない。以前も捜索隊の人海戦術が空振りに終わろうとしている時に、ひょんな見つかり方で救出できた二件の例がある。つまり、適切な戦術ではなかったのではなかったか?今の段階で捜索に参加している人に言うべきではないのだが、指揮を執る人の指示が悪いのか、探し方に問題はないのか?

 捜索の仕方を、なんとなく落人狩りでもしているように思ったのは私だけだろうか?

 お母さんの声を録音して、要所に固定してラジカセや拡声器で流し、幾人か人が控えているとか女の子を誘導する事なんかもやったほうが良いのではないか。遭難した子は、多分歩き回っていたのだから。テレビでは紹介していないから、考えられてはいない様子だ。それと、多くの人が利用するキャンプ場だから、トラブルもいろいろあると思う。迷子などを想定した案内表示とか、注意喚起の標識は設備されていたのだろうか?

  トランプが赤信号で通さない  三 竿  vs  国旗振りホイホイ

 参:昔のこと。次兄が仕事関係の鮎釣りをする人から「奥道志川の主と鮎釣りをご一緒しないか」と誘われ、私も同行した。釣りが終わって、地元の釣り宿の電話を借りて、細君の実家に電話をしたら、義母が「男の子が生まれたわよ」と声を弾ませていた。出産のために細君は娘を連れて里帰りをしていたのだ。私たちが釣りをしている時、地元の小・中学生が下流からヤマメを獲りながら遡って行った。

 嗚呼!


9月27日(金ようび)   漬物

 昨日のテレビ番組「プレバト」の俳句の査定が終わった後で、漬物査定があった。今回が二度目、みたいなことを言っていたが自分は初めて観た。鑑定したのが、どこか地方の江戸時代創業の旅館の大女将という事で、貫禄たっぷりの賞味の仕方で「才能あり」なんて言っていたが、生徒さんの中に、山口もえさんが一位を取った。

 彼女はぬか床の中に塩こうじを入れている、と言っていたので、さっそく私が使っている糠床に入れた。丁度塩こうじの新しいのができたばかりで、好都合だった。他の人もマイ糠床に工夫を凝らしていて、その中で、ひね生姜を入れている人がいた。これも頂きとした。

 自分は、初めの試みは春から始めてひと夏越せずに失敗した。2年ほど休んで再び一昨年から始めて、今度は、夏場は、何も漬けてなくても日に朝夕二度かき回して手をかけてきたおかげで、今でも週に幾度か糠漬けを作っている。家族も好んで食べている。あまり力んで作るわけでもないから、大抵は、きゅうりとなすが定番になっている。

 昨晩、塩こうじとひねしょうがを入れた後、オクラが冷蔵庫にあったから、これを漬けて今日取り出して種を抜いて提供した。初めての食材にしては美味くできた。

 いつぞや、ホームセンターに買い物に行った際、店員さんに商品の説明を受けている若夫婦のそばで順番を待っていたら、奥さんがダックスフントを抱いていたので口のそばに手を近づけたら私の手のひらをペロペロ舐め始めた。かなり長いこと一生懸命舐めるのでなぜだろう?と考えたら、そうだ、とピンときた。

  「さっき糠床をこっちの手でかき回してきたんですよ。糠味噌の発酵菌が体にいいから舐めているみたい」と言ったら、奥さんは驚いたような顔をしていた。

 註:私の手を舐めていたのは、もちろんダックスフントのほう。

  ワンちゃんの舌に仕込んでいかず後家  三 竿  vs  漬物だぁ、出合え出会え!



9月28日(土ようび)   試作品

 イラスト作成ソフト“Inkscape”を駆使してバナーアイコンを創ってみた。



  しかし、このサイズだったらむしろサイトのタイトルボードになってしまう。サイズ変更で簡単に縮小することはできるが、まずはこのままで完成品とした。今回の作品は、ネット・サイトの教習用動画を見ながらつくったのだが、時間が大分かかった。肝心なのは、ストライプ模様入りの背景作成のほうで、ストライプ模様の傾斜や間隔の揃え、そして、余分な部分の切り取りなどを進めるのに、どのツールを使い、そのあとで各部分の合体など、まるで自動車の製造工程を進めるような気分である。

 あくまで試作品で、作品をうまく創るという事より、このソフトの使い方を覚えるため。出来のいいインターネット−サイトの出来のいい作品を参考にすることも有効だが、こうして実際に作っていきながらでもイメージが膨らんでいく。“GINP”とこの“inkscace”を比べると、利用者には“inkscace”のほうが操作性は良さそうだ。もちろん、用意されている各ツールの使い方を習熟してのはなし。

 この作品で製作時間が2時間有余 ・・・ 商売にはならない。

   この先に陶芸作品出来るかも  三 竿  vs  バナー手本忠臣蔵


9月29日(日ようび)   腹が痛い


 一時期治まっていた腸瘻の差込口が、消化液に滲みてここ2・3日痛みがぶり返してきた。

 チューブの差込個所は小腸の先頭部分からいくらか奥のあたりだと思うから、このあたりに分泌している消化液は胆汁や膵液の混じったもののはずで、PHはアルカリ性だと思うので、酢を薄めてガーゼに染みらせて、中和させてみたら効果があってしばらくしているうちに漏れそのものも収まって安定していたのに。

 今回は以前ほど治まりがよくない。どうしたのだろう?胃液は酸性で、それがもし漏れて刺激しているなら、酢を塗ったのでは、類は友を呼ぶで、中和されない。ちょっと理由はわからない。当てているガーゼに消化液の黄色が広く染みている。

 痛みは気分を辛くする。気を鎮めると、いくらか鎮静効果は出るようでそのためにじっとして大人しくしている。

 今日は相変わらずGIMPやInkscapeのインターネット動画を見ながら、勉強していた。今日は特に作品を創らないで、見るだけにした。色々こんなこともできる、という作品例を観て行って、実際のデザインメイメージを積み上げている。今考えているのが、このホームページの中のサイトマップの全面リニューアル。さまざまに洒落たロゴを用意して、見栄えを良くしたい。

  70の手習いという脳苦行  三 竿  vs  ロゴ観察中の身


9月30日(月ようび)   政治が悪くなった


 国のトップに立つ人の心がけがその国の国体を良くもする悪くもする。太平洋戦争に敗けて、曲りなりに民主主義国家に生まれ変わった日本が、次第にゆがめられようとしている。国会で議論されて決められることは、ジワリジワリと国家が国民を統制していく国にさせていく。

 安倍晋三が首相になって特にその傾向になっているように思える。そして、自身の身内側近を国政の要職に着けて、−−− いくら一強の政権とは言え、国会の場では無く、官邸内でどんどん進む方向を決めていくようになり、さまざまに起こる災難や外交に対応することが議論することもなく恣意的に対応して済ませてる。その結果がトランプ亜米利加大統領の僕(しもべ)となり、国益をどんどん吸い取られていく、プーチンとの外交もすっかりコケにされっぱなしであるにもかかわらず、対等な親友面を国民に見せているだけのまやかし外交、北朝鮮の拉致被害に関しては、もはや相手にされずままで成果の道は遠のいている。

 これで夜中に寝ていてうなされもせずぐっすり寝て居られるとしたら、信じられない。

 最近の出来事で、表現の自由が侵されたことが問題になっている。新たに文部大臣になった萩生田光一氏は、加計学園の不正に加担し、それが政権の功労として評価されたばかりか、国の文化事業に対する検閲の強権を振るうようになった。これは、一部の人間による独裁政権の生の姿を改めて見せることとなった事件である。戦後世界のナチスにおけるゲッペルスの再生である。

 嗚呼、時々こんな 事を書いてしまう。得てして腹具合の良くない時(痛みと不快感)なのだ。

  政治批判腹の虫まで怒ってる  三 竿  vs  無病独裁