2019年         


9月19日(木ようび)   お咎めなし

 毎日様々な事件・事故、外交問題など諸々の情報が入ってくる。テレビの報道番組とインターネット検索で雲霞(ウンカ)のごとく飛来してくる。その量の多さばかりか、多岐にわたってのしつこい程繰り返されて、一波、二波、三波・・

 ・幼児虐待
 ・振り込め詐欺
 ・あおり運転
 ・ゴミ屋敷
 ・嫌韓ネタ
 ・消費税増税対策
 ・千葉県内停電

 そして、本日ドカンと降ってきたのが東電旧経営陣の「業務上過失致死傷罪」で強制起訴された裁判第一審判決は無罪となった。組織の責任者は自分で直接手を下さなければ、どう判断違いをしても罪に問われることは無い、という又しても悪しき判定という事になった。

 大きな事件、事故が起きたことに対する責任的けじめとして、誰かが罪を負わなければ人災は無くならない。判り切ったことじゃないか。自然災害を蒙るたびに「天災」で片付けられては、被害を受けた人は、やられ損となる。事故を犯した側は被害者に謝罪をしなくてよいという事になる。事故被害者へのこれまで払った対価は、単なる見舞金的なものになってしまう。被害者は恨みを残したまま放り出されたことになる。

 日本航空旅客機の御巣鷹山墜落事故の時も、機体の欠陥も整備不備などの問題も曖昧さが残り、旅客機のメーカーも航空運航会社も責任者が罪を追わなかったと記憶している。だから、事故賠償金というより、見舞金のなどでどんどん値切られて終了したように記憶している。

 こういう類の事故はほとんどが政治的力学が働いて、割り切れない思いを人々に残して終結している。

 電気椅子相当の罪免れる  三 竿  vs  日本の夏は高温過失


足元の秋 (二枚)




   9月18日(水ようび)   災難二件の噺

 最近のテレビで取り上げられた話の中から二つ取り上げてみる。

  目黒の5歳女児の虐待衰弱死の事件の母親に判決が出た。懲役8年の刑は極めて異常な重さだと思う。何よりこの後の裁判長の判決理由に挙げた内容は、この裁判にかかわった民間裁判員を含めて裁く側が母親の精神状態を見誤っていたことを示している。そのうえ、被告人弁護士でさえ、懲役5年が妥当だ、と、被告人を見捨てている。本来なら、無罪を主張してもいいくらいの状況じゃないか。さらに判決では執行猶予も付かない。いきなり刑務所に送り込むのである。弁護士は控訴を勧めるだろうか?

 判決理由に挙げている一つ一つの内容は書かないが、全体を通して如何に父親の狂気的支配が母親にも及んでいたかの因果関係を理解できないでいたかという事。絶望という名の精神の決壊からはもはや正常な判断はできないという事を全く汲んであげていない。別の犯罪で、狂気的行動に出た時の犯人のその時の精神状態を、「心神耗弱」などと言っていくらかの正当性を認めているが、今回の、母親に対する判断にはこれは取り入れていない。

 なんでこんなことになったかを考えると幾つかの理由が考えられる。(裁判経過は知らないから、弁護士さんの力量とか真剣度がはどうだったかは、推し量れないが不満は感じている)

 この母親の裁判だけがなんでこんなに急いで結審してしまったのか? 父親のほうはまだ一度も審議に入っていない。彼のほうの犯罪性追求が先に行われることによって、母親の立場が明らかになるはずである。それをしないという事は、私のようなトーシローとしての答えは、父親の罪を軽くして済ませたいからである。

 誣(し)いては、日本社会における男性優位の構造を守るための手続きであったとしか思えない。さらに、虐待を受けている家庭、特に児童保護思想が機能しない理由 −−− 教育委員会と同じように、児童相談所幹部の座が一部の人間の功労的褒章となっているに過ぎないからで、この仕組みが壊れてしまっては困るのだ。特に春、秋の受勲対象者を輩出させることで成り立つための組織機構でもあるのだ。二つの行政部署は本質を離れてしまったから、機能しなくなって不祥事は減らないばかりか、事件性な事象は頻発し続けている。

 今回の裁判の審議は、第二次大戦後の日本人戦犯を裁いた極東裁判の際に採用された、「事情の如何にとらわれず、を基準にしてどういう罪を犯したか」で判決が決まったのと同じやり方だった。それと同時に肉親、特に父親に犯された性的被害の娘さんの訴えを退けた裁判の際、裁判官は、「結局は性行為を受け入れた」という、合意行為だったと言っている。これと同じ論法である。

 狂ってる。

  颱風15号被災地の風景の中に、ビニールシートをかぶせた家屋の景色が広がっていた。立木が倒れた、傾いた、ゴルフ練習場のフェンスの鉄柱が屋根をつぶした、などという事もあって、台風が通過した東側地域の風の被害は確かにひどい。

 台風被害について国民の認識は、天災だから仕方が無い、という部分があるとしても、これって少し逃げていないか?そろそろ、政府は率先して認識を改めて対策を立てる必要がある。地震に対する建築物の耐震基準がある。しかし、気象に対して、有効な基準は無いようだ。これをほっといてはいけない。

 屋根の構造に対して、材料基準を含めて、瓦などの載せ方、固定の仕方をもっと強固にしなければならない。多くの家屋は、屋根(と一部ガラス窓)ばかりが損壊している様子なのだ。今回の場合の停電被害は二次被害だから、人的被害であって、天災ではない。あまりに広範囲であるという事は、特殊被害ではないという事だから、東電自体の災害を想定した強靭化策ができていないという事だから、法を定めて改めさせなければならないと思う。

 交通インフラは、独自に早々と運休して事あるのを先回りして避けることしかしていない。運転再開後の対応も問題があった。場当たり的でしかなかったようだ。ちらもメスを入れる必要がある。

  裁判の目線に結愛ちゃん見えてない  三 竿  vs  膝人災損傷


9月17日(火ようび)   『女帝・春日局』

 映画『女帝・春日局』のお噺。なんだか、このDiaryがすっかり名作映画劇場になってしまったようだ。主演は十朱幸代(1942年生まれ)で、私より二歳お姉さん、映画の公開が1990年だから御年48歳当時の顔立ちがこれ



 生まれたばかりの赤ん坊と他に4人ほど子供を育てていたが、関ケ原の戦いで活躍した夫が禄を失ってからは酒浸りになってしまい、駿府に隠居している家康に夫の士官の口を願い出る。

 しかし、チョッときれいで若い女を見ると種馬のように襲い掛かる家康の閨で三日三晩、彼女(お福)はお相手させられ、家に戻って後、つわりになって妊娠したことを知る。これを機会に夫の許を離れた。その後出産してすぐに江戸城で、当時二代将軍の正室が臨月で、乳母を選定している頃だったが死産、お世継ぎ誕生とはならなかった。しかし、お局の計らいで、お福の生まれて間もない男児とすり替えられ、乳母に採用される。

 お福はいったんお局に取り上げられていた我が子を取り戻した状態になったわけで、お世継ぎとして育て上げていくうちに野望を抱く。しかし、大奥の女の嫉妬から、お世継ぎが二代将軍の嫡子ではなく、大御所(家康)のお胤の子と嫌疑され、家康も身に覚えのある理ゆえ、駿府から急遽江戸に上り、居並ぶ家臣を前にしてお福に問い詰めていく。

 いかに天下人とはいえ、お世継ぎが自分の子だったかどうかは、当の母親がその真実を吐かない限り判らない。お福は頑として嘘を貫く ・・・ (二代)将軍様のお子と見届けております・・・ 最後に家康は「もしわしの子だったら、大変なお家騒動になる」と刃を突き付けるような言葉で迫ると、お福は、「夢でございます」と応えたきり押し黙り、涙を浮かべる。

 「我が子を必ず将軍にしてみせる」 上の写真は、その時のお福(十朱幸代)の覚悟の顔である。

 時代劇作品は、正実性を想定したような作品が多く、特に三代将軍・家光にまつわる様々な噺が創られた。

 後年江戸城大奥を牛耳った春日局は、歴史の記録に残ることになったのは事実である。







   家康からは出てこなかった赤い玉  三 竿  vs  女帝オングさん
    (赤い玉 = 「はい、胤ぎれで〜す」)


9月16日(月ようび)   大いなる西部

 “The big Country”は1958年制作のアメリカ映画で、超大作西部劇。私は劇場では見ていないが、幾度か日本でテレビ放映された。いつの放映の時に録画したかは覚えていないが、地上デジタル放送が開始される直前だった。本放送に入る前に幾度か、各テレビ局で試験放送を試みている頃だった。各家庭に飛ばす電波を東京タワーから東京スカイツリーに切り替えて、その映り具合を指定の電話からデータを収集していた。

 この映画の中に往年の大女優ジーン・シモンズが出演している。社会に出たばかりのころ、アパートの壁に映画雑誌か何かのポートレート写真を張り付けているくらい、私の好きな顔立ちをしている。

 生まれは1929年で、私より15歳も年上である。こんな歳が離れているのだから、アイドルというより違った意識で好きだったと思う。

 自分がまだ高校生の時、『Elmer Gantry』という映画にも出演していたが、この映画はR指定されている。亜米利加の南部の片田舎の人たちは貧しく、そして信仰心も薄い民衆や黒人労働者に、女性伝道師として各地を布教していた彼女を、流れ者のエルマーガントリーが見初めて取り入っていく。次第に彼女の信頼を得て、ある晩とうとうこの敬虔なる聖教者に、性愛の悦楽を与えてしまう。

 その悪魔的行為を以って若者に観覧制限を付けたと思うが、やはり、彼女は美しかった。最後は、やっと自前の教会を建立し牧師として信者の前で説教をしている時、漏電火災を起こし、教会は全焼してしまう。と同時に彼女も死んでしまった。失意のうちに再び彼は、流浪の旅に出る。

  原作:Sinclair Lewis この小説はノーベル文学賞を受けたと記憶している。下の写真は、 “The big Country”の場面から拝借している。



  敷地内で迷子になった大西部  三 竿  vs  飛んでも発奮R指定10分


9月15日(日ようび)   剣客商売

 録画してあった『剣客商売・手裏剣お秀』を幾度も見直している。約100分の時代劇に何度見ても心の安らぎを感じる。(但し、やはりCMが後半になっていくに従って多くなって、早送りするのに煩わしかった)

 左側縦に三カットのナレーターのセリフは「剣術指南の話を断った理由に得心はいったものの、秀というひとかどの武芸者を、野にうもれさせてしまったような寂しさが小兵衛の胸に残った」は、文学的にも優れた言葉だと思う。

 時代劇で役者が言う言葉に、今では使われなくなった美しい日本語を聴くことで、昔の日本人の情緒を感じて懐かしくも感動する。右上の小兵衛の言葉「最近みまかられたとか?」という意味が物語の流れの中で出ても全く意味が解らなかった。

 「身罷る」に受身的尊敬の助詞(〜された)がついて、(どなたか亡くなられた?)という意味である。

 次のセリフは左端の岡っ引きが、事件の顛末について江戸弁で喋っている。「どうってことねえんじゃありゃせんか

 最後は桑名藩藩主が「私の短慮であった」と小兵衛に謝っている。そそっかしい八つぁんや熊さんがこんな言い方をしたらご隠居にどやされる。

   
   
   

 このテレビ番組は池波正太郎氏の「剣客商売」のシリーズの中で書かれたものだと思うが、作品を書く時、きちんと時代考証をしている様子が伺われる。かつての日本で先人たちが生きていた時代の文化を偲ぶ事ができる名作だと思う。和服を着ることによる歩く時のしぐさ、駆ける時の手の動き、くぐり戸を抜けて屋敷から通りに出る時の腰の畳めかた、正座のたたずまいなど、さらには料理屋で出す品に至るまで、エンディングロールで料理研究家の名前が入っている。

 当時の幕閣や大名の下々に使う言葉、そしてその逆の言葉など、社会構成の中できちんと定められた格式は確かに美しい。決して窮屈な社会ではなかったと思う。

  しかと心得よ  ははァ

  いにしえの昔の武士は侍だ  三 竿  vs  剣客万来


9月14日(土ようび)   花の写真

 酷暑が続いていた期間、カメラで撮ろうなどという気が全く起きなくて、いささか焦っていた。今日、いよいよ意を決してマクロ100mmが装着されているGoGo娘(SONYα55)を持って極々家の近所で花などを撮ってきた。









 今日は風もあまり吹いていなかったので、フリーハンドで何とかピントを合わせることができた。しかし、あまり寄せ過ぎて撮るとピントの合う範囲が狭くなって写り映えがよくない。長い距離を歩くとしんどい。だんだん無理がきかなくなってきたようだ。少しでもウォーキングは続けて習慣づけたいと思っている。意思が弱というか、気が変わりやすい質なのだ。

  花にとっては盗撮してる俺の趣味  三 竿  vs  ガウディーの病葉ファミリア


9月13日(金ようび)   涼しい

 今朝は7:30頃までぐっすりと寝込んでいた。高校の卒業式当日のドタバタ劇の夢を見ていた。寝坊していつものバスに乗れないから式には遅刻してしまう。どうしようこうしようと焦っているのに、時間はどんどん経っていく。このままでは卒業できない。

 そうだ、TAXYで駆け着ければ何とか少しの遅刻ぐらいで済む。そこで細君から1万円借りることにして、細君が財布をあけているアップのシーンで目が覚めた。

 涼しい。ステテコ型の薄地のズボンに半そでTシャツでしばらくいると、足が冷たい。ジャージのズボンにはき替えた。午後になって、近くのスーパーに夕餉に付け足す材料を買いに行くとき、半そででは寒い気温だったので、ジャージの長袖の上着を着て出かけた。

 秋だ。仲秋の名月は雲に覆われて観れない。

  風に乗って秋の足音がカラコロ  乙三太  vs  ジャージ・ルーカス


9月12日(木ようび)   秋の気配

 朝の目覚め後の身体に体力の漲る(みなびる)気配があった。いつもだと、ベッドから降りてすぐ横のリクライニング・チェアに崩れるように深々と身体を預けて、目を閉じてテレビを聴く。もたもたしていると、30分くらいそうしている。

 今朝はすぐベッドを折りたたんでスペースを作り台所に行って、私個人の朝食の支度を始めた。血糖値を測り(一日おき朝・夕)、インスリンを注射し、冷蔵庫からわずかずつ食餌を取り出してラコールの準備をして部屋に持ち運び、私の朝食が始まる。口からと腸瘻から。

 6:30スタート。

 これを一気にやると、ドタッと疲れて動くのが嫌になるほどしんどい。身体が、というより精神的な脱力感が襲う。きょうはどうしたんだろう、と考えた。空気が軽いかららしい。湿度も50パーセントを下回っているかもしれない。北の高気圧が南下して、これまでのじめじめした空気を押しやっていよいよ秋の気候に−−今日は−−なった。

 県内房総半島の広い地域がまだ電気が回復していない。東電の広報が、予想以上の電柱・電線の損傷が大きかった、と釈明していたが、日ごろの怠りのせいなのだ。

 ネットに、安倍総理が内閣改造を盛んに自画自賛しているばかりで、この甚大災害への配慮を全く示していないことを批判していた。こういう事を記者会見などで指摘されたりすると、必ず「政府一丸となって全力で対応します」と答える。抜け抜けと言う。

  夏過ぎて秋の吐く息頬撫でる  三 竿  vs  甚大特急


9月11日(水ようび)   電力インフラ

 颱風15号の後遺症がひどい。千葉県の広域で、電力供給の復旧しない世帯が、今夕時点で(刻々と直っていくのだが)40万世帯に及んでいる。鉄塔が倒れた場合などは、数万世帯単位でやられてしまうだろうし、不思議なのは電柱に設置された変圧器に落雷するなんてことが何件も起こるのは、危機管理体制が出来上がっていない証左である。

 企業体質としてなっていないのだ。なんか金がかかることがあれば、利用者に負担をおっかぶせるやり方をするくらいだから、企業努力も責任感も欠如した組織である。おそらく国家がカバーしてくれているからという他力本願体質に浸りきっているのだろう。

 自然エネルギー利用の方策も持っていないようだし、どこかの企業が事業化しようとすると邪魔をする質の悪い企業である。電力供給に穴をあけたら賠償するくらいの法律を作る必要がある。それと、電線埋設化も遅々として進まない。景観の悪化もある、災害時の影響もあるのに、目標値も持っていないかもしれない。

  もう一つ。停電の影響で、道路の信号機の点かない交差点などの交通整理に、警察署はどれほど警察官を動員しているのか? 車同士が目視で確認しながら走っている様子が映されているが、庶民への安全対応がちゃんと為されているか、メディアもちゃんと検証しなければならない。私のようないらんところまで気に掛ける人だっているはずだ。

 「警察は何をしておる」なんて騒ぎたがる。

  手を挙げて犬猫猿が道渡る  三 竿  vs  停電贈与


9月10日(火ようび)   攻略

 なんで今頃になって、こんなに暑くなるのか。朝10時を過ぎたあたりから、今年初めて感じる暑さになった。すぐクーラーを入れて細君と二人で家にいた。私は最近インストールした画像加工ソフトの攻略に取り掛かっていた。意外と手ごわい。ベースになる画像にテキストを入れて、タイトルボードになるようなデザインを作るのだが、テキストの位置の移動とか、色の変換などが、解説本の通りにならない。

 前提となる設定が正しくないから、その影響かもしれないと思って色々メニュー画面を開いて一つ一つ取り扱っていくがダメだった。しつこくやっていたから、気づくと何時間も時間がたっていた。ソフトの初期画面に表示されていたツールボックスも隠れてしまい、それを戻す手間もかかってしまった。これが出てこないと、例えば文字フォントの指定とか、文字の大きさの指定もできないなど、あとの使い勝手も悪くなって来る。

 いくらか元の初期画面に近い表示に戻ったところで、予定の作業は途中状態であったが終わらせた。頭を使いすぎたような疲れが残った。戦国時代の城攻めに挑んで押し返されたみたいな状況である。

  老兵は歯が立ちませんアプリかな  三 竿  vs  理屈と攻略はどこにでも付く


9月9日(月ようび)   台風15号

 台風15号の上陸地点が千葉市のあたり、というのは意外だった。昨日の日暮れころのテレビで見た時の想定では、伊豆半島をかすめて小田原あたりか?と思った。夜に入って、刻々と東に移っていったがそれでも、どう近寄っても横浜あたりだろう ・・・ ラジオ深夜便で2時ころまで聞いていた時点ではまだ東京湾で遊んでいるみたいな状態で、やばいやばいという気になって外の気配を窺ってもあまりうるさい様子ではない。それでも風呂場のドアがパタパタ音を出している。南からの風でなくむしろ反対方向から吹いている。

 結局午前5時前にやっと上陸したが、住まいから直線でいえば、南側5qもない距離だからほぼ直撃である。前予想でうるさい程危険性を吹聴していたのに、それほど風の強さが感じられなかった。22時過ぎから放映するフジテレビの『Mrサンデー』で宮根誠司が思いっきり怖さを強調する。最接近している地域で実況する女性アナも「飛ばされそうな風・・・」なんて言っている癖に、鎖骨あたりまで伸びた髪の毛がそよともなびいていない。

 ご覧ください、なんてカメラが写した木々も確かに右に揺れ左に揺れているが、チョッと風の強い日に見られる景色と変わらない。雨脚はさすがにすごい。鉄道インフラが早々計画運休をしたり、気象庁が「命を守ってください」とまで言った手前、テレビ局も演出で協力しているように感じた。

 朝6時、細君が起きた。この時点ではまだ暴風圏に入っているはずだが、雨上がりも近い、くらいの大人しい終焉な感じである。稀に見る強烈な颱風って全く当たらない −−− 確かに被害を拾ってみればないことは無いが。

  意図あって天災怖いと抑えつけ  三 竿  vs  ♪ 暴風の恋人東京へ行っちっち


9月8日(日ようび)   京浜急行事故

 木曜日にあった京浜急行のトラック衝突事故に二つの不思議を感じた。

 @ 衝突時の衝撃は、乗客の証言によると、かなり強いものだったという。という事は、電車の運転手がブレーキをかけたのは、かなり現場に近づいた時点だったことで、それほど減速していなかったという可能性がある。当鉄道の警報システムは正常に発動していたらしいから、その時点で運転手が赤信号を感知していれば、もう少しスピードが落ちていたはずだ。或いは、安全検証に十分な距離見積もりがなされていなかったかもしれない。トラックはその時かなりの荷物を積載していたのだから重い。それにもかかわらずかなりの距離を引きずられて、電車も先頭三両分が脱線している。

 まるまる走行時の慣性が掛ったままだったと思う。こんなことは、専門家がらみれば直ぐ解ること。テレビで解説している人に専門家がいたとは思うが、その点をはっきり指摘した人はいたのだろうか。トラック運転手にいくら過失がある事故だといっても、どうも一方的な責任で片付けられようとしていると思う。

 A そういう設定の下で多分進められたと思うのが、運送会社に捜査機関が査察が入り、何らかの会社の所有物を押収した様子である。今回の事故は単なる交通事故と成り立ちが同じことであって、まったく会社のあずかり知らずの出来事のはずなのに、ひとたび加害者として押さえておいて、関連筋への拡大捜査になっていることだ。

 過当な労働をさせたとか、運転手に対する管理責任に当たる微細な不適切指示があったかなどまで調べ挙げる名目を取って、でっち上げ責任を取らせる意図があると思う。京浜急行側の罪を隠す意図が十分にあるとしか思えない。こんなことをして、力のない市井の企業を犠牲にする日本の政治判断による捜査手法は許せない。政権政党という組織の個々の議員のいい加減な活動には手も付けずに弱いものばかりを小突くなんて何とも思わない。

 参:三か月前起きた池袋母子死亡を引き起こした暴走自動車事故では、警察は犯人の飯塚幸三を逮捕していないばかりか、正当な事情聴取も進めていない様子である。。本人も被害者宅への謝罪もしていない。罪も負わずにこのまま不起訴になる方向が濃厚のいきさつで、市井の人から重罪を求める署名活動が続いている。

 あからさまな不平等な扱いが、大手を振って世の中を跋扈している。近隣国の騒動に国民の関心を集める手法を使って、政権の巨悪の数々を隠している。メディアの幹部は、人質を取られて二進も三進も(にっちもさっちも)行かなずに権力に跪いているのか? そうではないだろう。

 今回10月からの消費税増税分の税金の使途は、アメリカから押し付けられた武器等の支払いローンにまわされるから、社会保障には回らないという。介護保障のためには一銭も回らないかもしれない。秘かに今、介護保険制度を改悪するプランが練られているという。

  視力2でも煙幕越しは見渡せず  三 竿  vs  介護霊が見られます


9月7日(土ようび)   天気の子

 ラコール午前の部の点滴が終わったのが11:30頃で、細君と映画を観に行くことにした。

 新海誠監督作品『天気の子』。おおたかの森にあるショピングモールまで、dor to dor にTAXYとつくばEXで行って30分掛からない。

 開演まで時間があったので、別館施設の家電店でイヤホンラヂヲを買った。買って3か月くらいでチューナーの調子が悪くて買い替え。安物買いの銭失いの体だったので、SONY製2500円と、ちょっと弾んだ。

 チケット購入時はガラガラ状態だったが、始まる頃に観客が続々と入場してほぼ満員状態だった。この映画で不思議な体験をした。始まって30分ちょっとのところで眠気がやってきた。しばらく目を瞑り鼾をかいていたらしい。中途の展開を失っていることになったので、「よし、この後の展開は、筋を追っかけることをしないで、画面から伝わってくる映像、音楽、セリフを全てありのままに受け容れて観ることにしよう」ときめて、−−− なぜそうなるの? という意識を捨てて −−− 筋書きが判らなくても恐れないで唯々流れに乗って観ていたら、感動してしまった。

 ありのままに受け容れることは、創った人の意図をストレートに受け止めるという事だ、と気づいた。つまり私は普段外から入る刺激・情報に理屈をつけていたようだ。これまでテレビのインタビューに答える若い人の発言に、あまりも中身のない内容だと思ってきたこと、例えば、「かなしい」、「可哀そう」、「ウッソー」などの発言に何を言いたいんだかよく判らない、と憤慨することがあった。そういう事が自分の感性を曇らせていたのではないか、

 大いなる新感覚を味わった。

 異常気象によって、都会は来る日も来る日も雨が降る街になってしまった。その中で祈ることで青空を出現させる少女と主人公のヒューマニズムの物語。奇想天外な演出は、観客を温かい気持ちにさせていた。自分の観かたの変化がもたらした幸運がありがたかった。

  与太郎の目線で見れば真世界  三 竿  vs 見た目ムーチョ


9月6日(金ようび)   スキルアップ

 昼近くになると、日射しが部屋の中まで入ってくるようになった。そういう状態になってからが我が家は油照りの暑さを受けるようになる。今日あたりは昼の最高気温は33℃くらいになったようで、真夏の一番気温の上がる頃と同じだが、部屋に日射しが入る事で、尚更暑い。だから日中は上半身裸になって過ごした。

 アマゾンに注文してあった画像処理解説本が昼頃届いた。夕方になって、肌に塗る撥水クリームを、ルートセールスマンの男性が届けてくれた。

 画像処理ソフトで頻度の多い利用法は、デジカメで撮った画像ファイルを、ウェブに載せるためのリサイズ加工である。この作業だけ本日のところは解説本を紐解きながらほぼ使えるようになった。本とPC上の展開が、所々誤差があって、手間がかかって仕舞った。「カンバスサイズ」や「解像度と画素の違い」など、言葉の意味をいくらか曖昧に覚えていた部分でやはり操作を間違えてしまう。

 ウェブデザイナーご用達のアプリケーションだから、使いこなすのも楽ではない。この先どれほどのツールを使いこなすことができるだろうか。



 先月、フィルム時代の秀作画像を幾枚か載せたことかあったが、まだリサイズしてない写真があった。今日さっそく覚えたてのツールで拵えたのがこの写真。場所は確か横浜の三渓園だったと思う。濃密な緑がむせかえるようだ。

  スキルつけて今更稼ぐわけじゃなし  三 竿  vs  日射しぶりだなお富さん 


9月5日(木ようび)   本日の色々

  Diaryを書いていて、頻繁にインターネット辞書の“Wikipedia”のお世話になっている。曖昧になっている記憶をこれで正しく直すことができて重宝である。昨日も、SF小説『幼年期の終わり』の作者名などを調べるのに使ったのだが、冒頭でお願い事をしてきた。運営資金に充てる寄付を募ってきた。

 「来た来た」

 この辞書の運営本体はよく判らない、と思っていたが、「ウィキペディア」を検索キーにして調べるとちゃんと出てくる。私はかねてからこの組織に寄付をしてもいいくらいに感謝の念を抱いていたから、さっそく一回きりの条件で1000円寄付した。毎月毎月とするなら300円から寄付ができるが、随意にかかわる方がよいと思っている。ロトセブンの末等賞金が大体1000円だから、当った際にこの団体に回してもいいと思う。億の単位で当たった時はもう少し奮発するつもりだ。

  2週間前に、東大病院で貰ってきた腸瘻挿入個所の皮膚保護クリームの試用効果を、午前中電話報告をした。経過はだいぶ良いから、看護師さんと話し合って、このまま次回診察日(11月頭)まで続けることになった。それについて当のクリームは、残り一週間分くらいになっていて、この先個人でネット通販などから購入することになるという事で、アマゾン、楽天等で調べたら、送料が高い。いつもの調剤薬局に手間をかけるのも気の毒だから(もともと不可かもしれない)、販売元からたどって、最寄りの薬剤問屋に問い合わせたら、送料手数料なしで、家まで届けてくれることになった。

 豆に手繰り寄せてみることで解決したから気分がいい。

  昨夜の“NEWS23”でアニメ映画監督・新海誠氏が出演して『天気の子』の制作裏話などを話していた。彼の第一回作品『君の名は』を、テレビでオン・エアした時、なんだか話がこんがらがっただけでよく理解できなかった。最近の新鋭のクリエーターの作品は、なかなかシンクロしづらいと思っている。芥川賞受賞作品を文藝春秋で読んでも、時々そういう感覚に捕らわれるが、昨夜のインタビューで彼の話した内容はよく理解できた。作品となると、厄介なのだ。

 封切りが7月19日。細君にスマホで調べてもらったら、まだ上映している。意外なロングラン。息子に問うたらちゃんと観ていた。週末行ってみっか。

  本日の心軽やか消えないで  三 竿  vs  新海戦術で創りました

  追:ベッドに入って、なぜか監督とバーチャル対談していて、あんなことこんな事自分が話している。


9月4日(水ようび)   気象科学

 今日の最高気温予報が25℃に届くかどうかのところまで季節は移りつつある。梅雨明け以来ずっと夏日が続いてきたそうである。日本では自然は正直だと言う言葉があるが、近頃の異常気象下では自然は時々嘘をつくこともある。但し、これは人類の自然に対して不健全な文明の発達に原因があると言える。

 自然現象は気象変化のメカニズムによって現れる。それを人間が産業革命以降次第に激しくいじり出した結果(温暖化)の積み重ねで、異常気象が起きる。すでに、全地球規模で海水温度が上昇して、その結果で世界的規模の豪雨洪水、灼熱の気温現象として、災害が頻発するようになった。

 それにつけても、人類の知恵の向かうところがなんだか頓珍漢だ。気象の悪しき結果を直そうとする科学が生まれないのだ。日本では気象予報士がやたらと増えて、一種の気象解説者になってメディアで盛んに意見を述べているばかりである。

 ・今日は折りたたみ傘を持っていきましょう
 ・早めの避難で命を守りましょう
 ・・・

 なんじゃこりゃ。もっと実質的・直接的効果の上がる仕事をする人を育成しなければならないんじゃないか。 医学は人間の打ち立てた科学の中で特に役に立ってきた。そういうものが気象の世界でも生まれなければ、地球そのものが病んでいく。

 宇宙にロケットを打ち上げるのに、人類はロケット燃料を激しく燃焼させて推力を起こし自然界の重力に逆らって上昇させている。この非効率な科学を喝破したS・F作家がいる。イギリスのSF作家、アーサー・C・クラークが、長編小説『幼年期の終わり』のラストのところで書いているという。地球滅亡が近づいて、人類がロケットで脱出する光景を、文明の進んだ宇宙人が宇宙からあきれ、かつその健気さに感動しながら眺めている。彼らはすでに重力をコントロールする科学を持っている。

  救うには忍法ありという未来  三 竿  vs  クラークなるまで待って


9月3日(火ようび)   幸福ホルモン

 書くことが相変わらず、という事になるのだが、7月下旬からWindows10搭載PCを使って以来、遣い勝手の点でさまざまなトラブルが続いていた。メールでつっかえシャットダウン処理でつっかえ、それぞれが解決した後もすぐにこれまで使ってきた、ホームページ作成ソフトの最新バージョンで作成してアップデートしても更新できないとか、わけのわからないアカウント登録指示が出ることでその是非について疑問を感じたり、、プレインストールされたウイルス対策ソフの試用期限が切れるから更新せよと、脅かすような警告が出てさすがのいくらか使い慣れていると自負する私も落ち着かない日々が続いていた。

 それまで穏やかに、暑いけれどいい風が入って心地よい夏、などとのほほんと過ごす日々を満喫していた日常が壊わされてしまってきた。読みかけの本もじっくり読む気にならなくなって遠ざかってしまった。

 昨日のやさしいお姉さまの指導の下、ホームページ制作上の不安もほぼ解消されたところで、心の風景も晴れ渡った印象になった。

 やれやれ

 そこで一休みする手もあったが、次なる要望として、写真加工系フリーソフトをネットで探してインストールする必要がある。多機能で使い勝手の良いもの幾種かを比較しながら調べた。ソフト名は後日書くことになるが、自分がこれまで購入して使っていたPhotoshop-Elementsの回復をあきらめた事で、操作性が似ていることもあり、おそらく新しくお付き合いができそうなソフトだと思う。

 もしかして、という思いで攻略本を調べた。あったあった、幾種類かの本がある。という事は評判がいいのだろう。これを通販サイトから購入手続きを取って取り寄せれば、鬼に金棒である。少したまっていたポイントを使って半値の約1000円で買えた。

 ここまでひと仕事して夕餉の時間となった。食事しながらテレビを見ていると、いつも見ているバラエティー番組がやけに期待わくわくした気持ちで観たくなっている。何だか嬉しくなっている。幸福ホルモンが脳内で潤っているようだ。

  幸せは歩いてこない湧いてくる  三 竿  vs  ホルモン教徒


9月2日(月ようび)   スキル

 我がホームページは月替わりになると、新しいページが増える。これらを起こす作業は、前月分ファイルをコピーしていらくなった部分を削り、新しい内容を書いて作る。それほど手間がかからないし、慣れた作業だから苦労することは無い。ところがとんでもない単純判断ミスによって、昨日初日を書き終えてアップロードする前のブラウザー確認(出来栄えをインターネットに載せる前に確認すること)で参照できない。昨日半日今日も半日悪戦苦闘して、最後にアプリ提供ソウトウェア会社のサポートセンターに助けを求めた。

 なんだ、簡単なことだった。インターネットに開示するファイルの拡張子は、“htm”と“HTML”がある。どう区別するか詳しいことは知らない。ファイル名は、一文字違いで完全に別ものだから、今回のトラブルはこの拡張子の違いを気が付かずにああでもない、こうでもないと空振りばかりの判断をしていたから、一向に解決できなかったのだ。電話でやり取りしながら丁寧に指導してもらって、原因もよく理解して問題が解決した。

 苦労はしたけど、じわりじわりと、階段を昇って成長していく感覚を味わった。嗚呼すっきりした。それにしてもITスキルに長けた女性は、声も奇麗。それに問題点のツボも良く抑えて的確に説明してくれるから、やり取りしている間も安心楽しい想いになった。

  判らないことの多くは勘違い  三 竿  vs  ファイルヒトラー


9月1日(日ようび)   光陰

 早くも9月。何故にこうも時の流れを早く感じるのか? そんな事は無かった(長かった)、という頃があったろうか。あった。たぶん誰の人生にも子供のころを振り返ると、歳月はもっとゆっくりと巡っていた事を思い出すはずだ。すでに多くの体験は忘れてしまっているが、体の芯に年輪が重なっていく感覚が確かに記憶されていて、一年一輪は今の進みより緩やかだった。

 では、なぜそういう感覚なのかを考えると、色々理由が思い浮かぶ。

 子供のころの自分の五感で一番不思議に思うのは、生活圏の物理的広さ長さと体験的なそれとの差がある。家一軒分くらいの空き地があれば、そこでキャッチボールもできた。鬼ごっこもできた。目と鼻の先にある駄菓子屋へ行くのにもそこそこの距離を感じて駆けて行った。家同士の間の狭い小路を、いつぞや帰省の折通りかかって覗いてみると、猫一匹が通るのがやっとみたいな狭さしかない。ここを子供のころは、近道としていつも通っていた。

 テレビで『初めてのお遣い』を見ると、撮影スタッフが街の人に変装して子供の後先に接近していっても、子供たちの視界には単なる風景の一部であるかのように、無関心である。実際にそういう景色は、ほとんど記憶に仕舞われることがなく、自分の周りは、近所の知っているおばさん、おじさん、その他としてきれいに整理されて単純化される。こうなると、まさに自分の認識は、その時の関心事だけに集中され、初めから終わりまで時系列の中で時が流れていく。一晩寝て、本人のその日の記憶のほとんどがそうした体験の積み重ねで覆われ、脳の成長への養分となって消化される。

 つまり、ひとりひとりが濃密な成長プロセスを体験しながら時間は経過していく。物理的な時間や空間は伸び縮みしないが、感覚は違う。狭い場所がひろく見えたことも時間が長く感じたことも後で、大人になって認識することだ。

 見るともなしに見せられて見るテレビ、好んでもいない生活上必要となる対応を今我々は忙しくこなしながら日々を送っている。毎晩毎晩、脳はこれらの昼間の体験を吟味しなおすなんてしていられない。どんどん消去していく。朝になったら何だか賢くなっていた、なんて事もない。そういう事で歳月の去り方が早くなっていくという感じ方をしているのではないだろうか。

  かくれんぼした路地は今四車線  三 竿  vs  光陰暴食