2018年12月         


12月1日(土ようび)  秋の景色

 近くの公園のイチョウの色付きは今が一番盛りになっているので、意を決してEMIRU(SONYα6000)を携えてその公園に出向いた。この陽気なら、家族連れで繕いで居る様子も撮れそうだ。

 という訳で樹木・花・人物などを拾い撮りして来た。


















 人も植物も気候に浮かれて、喜んで生きていますなあ。

 こんな日に深く物思いにふけるとしたら、ポエムのひとつも呟きたくなる。ポール・ヴェルレーヌの秋の歌(フランス語: Chanson d'automne(シャンソン・ドートンヌ))である。

 日本語訳は、外に金子光晴、窪田般彌の訳がある。次の三つのうち上田敏の調べが好い。

原文 上田敏 訳 堀口大學 訳
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon c?ur
D'une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et bleme, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure;
Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deca, dela,
Pareil a la
Feuille morte.
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
秋風の
ヴィオロンの
節(ふし)ながき啜泣(すすりなき)
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。
時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来(こ)し方に
涙は湧く。
落葉ならね
身をば遣(や)る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風(さかかぜ)よ。


 さあ、詩心が湧いて始まった12月をどう乗り切ろうか。

 詩心で詠っています五七五  三 竿  vs  あさり〜詩人ミやえ〜


12月2日(日ようび)  みかん

 私の母方の叔母の嫁ぎ先が藤枝市で、稼業が家具大工、みかんや野菜栽培、養鶏と遣っていて、私が家族を儲けてから、丁度みかんが実る頃、家族を紹介方々帰省して挨拶に伺った折もミカン山まで連れて行ってもらい、もぎたてのみかんを食べた。

 その後の、子供が小さい頃は、藤枝の先ほどの叔母の家と、もう一軒叔父の家から段ボール単位でみかんを送ってくれたのを一冬中、切らすことなく食べていた。気を付けていないと、下のみかんが押しつぶされて緩くなり、カビが生えたりした。そうならない内、会社に持って行って食べて貰ったが「美味しい」と喜んでくれた。

 実が締まっていて、見て呉れはいくらか良くなくとも濃厚な甘みがあって、美味しいみかんだった。

 みかんを食べると、郷愁が湧く。通った高校は藤枝東高校で、親友と授業を抜け出し、近くの里山のみかん畑の陽だまりで弁当を食べたり一つ二つ枝からもいで食ったりした。多分やんちゃな世間知らずだったから、皮などを撒き散らしたままだったと思う。反省猿よりも劣っていた事に成る。高校生時代、学校帰りに叔母の家にも幾度か遊びに行ったりした。

 小学生の頃は、どの家でも冬の暖房は、陶器製の火鉢か或いは長火鉢に炭を焚いていて、五徳の上に水を入れた薬缶でお湯を沸かしたり、切り餅を焼いて食べたが、私の親父がよくみかんの皮をむいて、中の実から白い筋(ほろ)をきれいに剥きとり、餅網に乗せて焼きミカンにして食べていた。渡されたみかんを食べた記憶はないが、やはりり一緒に食べていたかもしれない。


 今時は時々細君がスーパーで買って食べているので、私も食べることにしている。我が家は、間食系は特別の物でない限り、セルフサービスとなっている。

 芥川龍之介の作品に「蜜柑」という題の短編がある。列車に乗っていると、自分の前に少女が坐った。寒い季節だったが窓を開けて、外をみつめている。寒い風が入ってきて、不快感を抱いたのだが、やがてその娘が風呂敷か何かを開いて蜜柑を取り出すと、声を上げて窓の外へ投げ出した。

 線路際の田んぼのあぜ道に、小さい子たちが手を振ったりその蜜柑を拾っていた。何となくその娘と、子供たちの間柄や、状況が判ってほんのりとした気持ちになりました、という話だった。

 柿でなく蜜柑、どうしても蜜柑でなくてはいけない状況だったと思う。

  蜜柑食べても鐘は鳴るなり法隆寺  三 竿  vs  これではみかんともし難い

 流石に、12月になって日が沈んでからエアコン暖房を入れるようになった。


12月3日(月ようび)  もうええわ

 昨夜のテレビ「M−1グランプリ 2018〜漫才日本一決定戦」を細君が見ていたので一緒に観ていたが、途中で「リーガルV」に切り替え、それが終わると再び戻したところで、優勝グループが決まった後だった。

 なんだったんだ。是こそ漫才のネタになる逸話ではないか。

 どちらかというと、各出演者の芸は、思いっきりテンションばかり上げ、魅せよう見せようという気持ちが浮き上がって居る様で、聴いていて疲れる。

 賞金一千万円とは豪気やのう。その日のうちに、優勝した霜降り明星のマネージャーの携帯に、出演依頼の連絡が何十件も入ったという。御本人達もそのまま殆ど出ずっぱりのテレビ出演で、一夜開けたら日本中に顔を売りまくっていた。

 ところがですよ、私は大阪のグループの漫才は大阪弁丸出しでやって、只でさえ絶唱調で機関銃のようにお互いが言弾の打ちっぱなしで最後はこう締めくくって引き下がるのを不思議に思っている。

  「もうええわ」 ・・・ 一種の慣用句なんだろう。そこで、こんなフレーズも「はい、お終い」の慣用句ではないだろうかと、色々拾い出してみた。

 ・おあとが宜しいようで ・・・ 落語
 ・ご臨終です ・・・ 医師
 ・これにて一件落着 ・・・ お裁き
 ・逮捕 ・・・ 警察
 ・死刑 ・・・ 裁判
 ・クビだ ・・・ トランプ大統領
 ・御名御璽 ・・・ 天皇陛下
 ・ピカドン ・・・ 原爆
 ・エイエイ・オー ・・・ 勝ちどき
 ・ゲームセット ・・・ 野球(ソフト・ボール)
 ・ノーサイド ・・・ ラグビー
 ・マヂッすか ・・・ 後輩
 ・ゲボゴボ・グエーッ ・・・ 酔っぱらい
 ・もうええわ ・・・ 大坂漫才

 帰宅すれば妻置手紙もうええわ  三 竿  vs  私が困っているのにあの人グランプリ


12月4日(火ようび)  背景感

 少数意見とは何ぞ。

 少数意見は曲者である −−− 例えば、すこぶる環境の良い住宅地にペット葬儀場の建設予定が持ち上がると、、・強く反対する人、・どちらかと言えば反対、・どうとも思わない、とある程度意識が別けられる(・大賛成という人は気が狂っているかもしれない)。こういう問題は、人夫々の心理的動機に拠るものだったり環境クオリティーからの価値論で捉える意識の強い人が反対に回ると思う。

 平穏な暮らしの中で、多くの人はあまりラヂカルな意識で物を捉える事をしないから、利害にそれ程影響されないと思えば、あえて建設計画に突っかかって行こうとは思わないだろう。私はそう考えるから。反対派は少数意見である、と想定する。

 近所に保育園とか幼稚園が出来ると、子供の声を騒音並にとらえて、うるさいと思う人も居て、この場合も環境論争を以って闘う。大げさに心理的な健康被害を持ち出す人も出てくると思う。近頃、小中学校の運動会の日は、朝から花火を打ち上げて音で盛り上げるという事が無くなったけれど、此れも「うるさい」というクレームに主催者側が屈したからだと思う。理解を示した、というレベルの納得をしたわけでない。特に営業に関わる様な民間の施設の場合は、行き過ぎたクレーマーの後々の仕打ちを恐れて断念する事もありそうだ。

 ヤクザが営業妨害をするのと、質的に同じものだから大事を取る。

 行政府が遣る事はチョッと是とは違う観点で捕らえる必要がある。。手続き通り話し合ったとか説明会を開いたとか、相手の主張を聴くとかしても、それを計画に反映する振りはしても何か判ったようで解らない理由を付けて、計画を推進する。この場合、部分的修正が成されることは、反対者からの更なるなし崩し的な要求が出る余地を残すことになるからあまりやらない。

 行政府の計画案に反対する時の反対派は、時に、多数派意見である事もあって、特にその計画によって、直接的に迷惑、被害などを受ける立場の人だけでなく、理に叶っていないとか、計画によって利する人の存在が想定されて、それに不公平感を感ずる世間の良識も含まれている。或いは、其の構築物の用途や運営に内在する本質的な危険因子を恐れて反対する。こういう気持ちの事を、「背景感」と呼んでみると ・・・

 こういう時の行政府は、この背景感を一切考慮する事がない。実例としては、沖縄で今起ころうとしている辺野古の海岸の埋め立て問題である。或いはIR法案に含まれるカジノ施設である。多分外国企業の参入が見込まれるし、賭場を開いた後の社会的悪影響が多大であることを認めないで運営されていくはずだ。

 外国人労働者の導入なんか、その理由づけがペテンである。国力を自国国民で成り立たせるには様々な手を打つ必要があって、これこそ政治家が後世の子孫に遺産として渡せる国体を努力を課して造らなければならないのに、そういう責任を放棄して、目先だけの利害を追う少数派(経済界など)が利するだけの政治姿勢を執っている。

 こういうのを政治理念なき政治という。背景感を失った政治家による政治が行われている。

 水道事業民営化、漁業の大手資本参入、なども全て少数派が政治の力で少数で利益を分捕る経済構造にしている。最早たおやかで長閑な国民の生活は無くなっている。背景感という社会哲学を持つ人も消滅しつつあるか、強く意識していても無力感に陥っていると思う。

 私はもうじき死ぬ運命だから好いんだけどね。私は1964年の第18回東京オリンピックの年に社会に出た。だから再来年2020年の東京オリンピックを見納めにしてうだる暑さの中で冷たい霊安室に運ばれて行っても良いかも。なるべく、楽に死にたい。ピンピンころりは無理かもしれないが ・・・

  遺言を時の総理に宛てて書こ  三 竿  vs  ♪ ピンピンころりよおころりよ

 追:3時半ごろベランダに出たのだが、吹く南風に「おや、春一番?」みたいな気持ちになったのは私だけだろうか。もしそうなら、これぞ究極の少数意見だ。


12月5日(水ようび)  サバ缶

 夕餉は細君と二人で食べることが多い。息子は仕事先で1・2時間残業をしてくることが多く、定時で引けたときでも、どこかに寄り道する事が有る様で、少し遅れる。

 夕餉が済んでテレビを観て過ごす。大抵が気の張らないバラエティーなどの娯楽番組が細君の好みだ。チャンネル権は基本、細君が持つ。番組の中で健康番組を時々やるが、昨日の番組の中で、サバの缶詰が、栄養学的にすこぶる宜しいと紹介があった。

 則翌日の夕餉の惣菜に頂き、となる事があって、今宵の惣菜はそのサバ缶を使うことに成った。昼間、近くのスーパーに行って、幾種類の中からサバの味噌煮を使うことにした。

 缶から出して、深めの皿に移してチンで温め、トロミスープを掛ける。スープにはありあわせの野菜 −−− ニラ、九条ネギと干しシイタケ・キクラゲを入れる。キャベツとピーマン、ナスと、塩鮭のほぐし身を炒め、味噌汁はもやしとなめこ。うす味スープはあごの出汁と鶏ガラ顆粒で薄味に仕上げ、片栗粉でとろみ付けする。サバの味付けの味噌とうまく調和して旨かった。

 細君が仕事帰りに携帯ショップに寄り道して私の携帯を解約してきた。世の流れと逆の生き方をする事になった。外の世界とはPCのインターネツトで充分ついて行ける。さっぱりした。

  携帯と切手と狼煙無く生きる  三 竿  vs  ウィーダバ サバ


12月6日(木ようび)  ケチ

 ケチの憑き始めは矢張り昨年の日馬富士による暴行被害だった。今年のこれまでの貴乃花一門全体の凋落は目を覆うばかりだった。其れを、北九州場所で旧一門の力士・貴景勝の優勝で、綺麗に振り払ったかに思われ、その余韻もかすかに残っている今になって、本命の貴ノ岩が仕出かした暴行事件で、師走の寒い風の中に貧乏神の嘲笑を巻き上げてしまった感がある。

 ケチの憑きっぱなしである。こう言う状態を他になんて表現すればいいのだ ・・・ あるある。

 ・二度ある事は三度ある
 ・泣き面に蜂
 ・弱り目に祟り目
 ・一難去ってまた一難
  −−− ここから先はチョッと拡大解釈が含まれる
 ・貧困連鎖
 ・転進
 ・玉突き衝突事故
 ・ストーカー被害
 ・合併症
 ・抗生剤耐性菌
 ・ ♪ 十五・十六・十七と私の人生暗かった
 ・ ♪ きのうマー坊きょうトミー

 註1:「転進」は、第二次世界大戦時・南大平洋海戦の帝国海軍の敗けっぱなしの事
 註2:♪ きのうマー坊きょうトミー は、ほぼ時間差輪姦と同じ

 ケチを漢字で書くとどういう字になるか桜新社刊:「用字手帖」で調べると「吝嗇」とある。一方、ケチという言葉に、しみったれという意味が有って、いわゆる“りんしょく”とのことで、これを漢字変換すると「吝嗇」になる。今回のケチは、この意味と関連があるかどうか、インターネットの“コトバンク”で調べてみると、見事、出てきた。

 未来予測をしてしまうが、近未来我々は国体衰弱、国民生活の破綻を体験することになるだろう。全て今世紀初めころ、安倍晋三が総理になったのがケチの憑き始めだったと、後悔する。

  輝いた日本を沈めた安倍晋三  三 竿  vs  三ツ星レストランは吝嗇業に含められる

 テーマに毒されて、文章がキナ臭く成ったかも。


12月7日(金ようび)  通信障害

 携帯電話の通信障害の話題がテレビに流れた時、私はチョッとした偶然の妙を感じた。具体的に言うと、自分も長年利用していた携帯生活をつい数日前に終焉させた事がなんらかの影響 −−− もっと怪奇的に言うと、今まで感じて居たモバイル社会への疑念や、運営会社の傲慢さへの怨念が幾何(いくばく)か、システムをダウンさせる働きをした、みたいな痛快感を覚えたのだ。

 ひところは、利用料金を知らせるメールが入り、それを見に行くのに通信料がかかるなんていうことがあった。本来なら、郵便物を発送して通知していた利用者対供給者の約束事を壊し、「使わしてやる」みたいな上位意識をもろにぶつけてきた。

 最近では、バツテリー充電器がオプション料金になって居る様で、此れも本来なら、必須備品であるからこれは消費者に被せる傲慢さの現われだと思う。ライバル社との価格競争を勝ち抜くために、見せかけの低価格戦略だったのだ。ゲーム等にのめり込んで月の利用料が10万円を超える仕組みを理解できなかった利用者を泣かせたりし、これは多分行政指導を喰らって利用者の購入時に販売員の指導を徹底させ、起こりえない事になったと思う。

 取扱説明書なんかも無くして利用者への提供サービスを斬り削ぎ、どんどん利益率を上げていった。

 このたびのシステム障害の被害内容をいろいろ見せられて今度は、えっ、こんな事もスマホで出来るの?と驚いたのだが、側面から見れば、こう言う利用は利用者を縛ることに成る事でもある。普通にいえば便利機能で利用者を取り込む、という事だが、今回の様なシステム障害を起こした時の社会的不具合を起こす危険な文明利器という事に成る。各社の携帯機能は、何処かが特化したものを持っている、という事もなさそうで業界横並びに揃えているのもわざとらしい。

 今回の障害は一社で留まって居る様だが、これまでも小さな障害事例はあったかもしれない。現役時代、業界紙のコンピューター室室長をしていた時、東京電力が首都圏で瞬電事故を起こした。その時一瞬コンピューターが小さな異常音(ため息風)を出して、ソフトがダウンした。時間が悪かったら、その日の新聞紙面を編集できずに大きな事故になったところだが、東京電力はこの時、事故が起きた事を公報しなかったようだ。苞かむりしていたのだ。寡占的事業社は社会を欺くのだ。

 監督官庁がこれをコントロールすることが無い。今回のソフトバンクの事故に対する行政の対応は緩いだろう。

  すいません二度とむにゃむにゃハイお仕舞  三 竿  vs  軍歌「麦と携帯

 参: 文明の利器については、「必要は発明の母である」と言われた。今は逆に「発明は必要の母である」状態となっている。知らないでも善い事は人はあまり便利なものに飛びつかない方が良いのだ。本来の人間としての資質を失うはずだ。


12月8日(土ようび)  女に持てる法

 女に持てたいと願わない男は読まないで下さい、なんて逆説的な書き方はしたくないが、現に私は、もったいない生き方をしてきた。もっともっと意識して女性の気持ちを察した生き方が出来れば良かったのにと、若い時の生き方に悔しい思いをしている。

 75歳間近ともなると、、まして下咽頭癌、食道癌の手術もさせられた身ともなると、車で言えば廃車寸前、スマホ携帯で言えば、液晶画面ヒビだらけ、葉っぱに例えれば、青菜に塩状態、女で例えればしわくちゃ婆ァ −−− なにも外に例えなくとも、背は縮み、一物は垂れっぱなしの風に吹かれりゃ飛ばされんばかりの枯れ木状態、今更何をほざくか冬のコオロギ。

 でも、昨日のテレビ「ぴったしカン・カン」の安住紳一郎の、美女三人を取っかえひっかえ、あれだけの高感度で受け入れられている姿を見せられたら、あやかりたい想いであって、「何でそうなるの?」とそのコツを知りたくなる。

 註:渡辺えりの出るコーナーはここでは編集でカットした

 観ていて暫くして、気付いた事がある。横にいる女性が何か話している時、安住君は自分に向って話し掛けられていれば勿論きちんと目を合わせて聴いているが、誰という事無く不特定で語っている時には決して目を向けないで耳を向け、聴くの一点で振る舞っている。

 これだよ。

 いい女は、常に周りの男性に見つめられている事を意識していて、視界の端どころか、後ろからでも男どもの欲しがりそうに欲望をたぎらせた目線を意識している。こういうのは幾らすまし顔をしたイケメンでも特に彼女自身が狙いを定めていない限り、好かれることはないと思う。あくまでも女性の気持ちに合せた爽やかな心構えで包み込んで上げなければならない。

 こうしないと多分夜の酒場でとことん安心して付きあう気持にはなれないだろう。安住君は女性から選ばれた男友達で居られる。これがホントの持てる男なんだろう。

 私の独身時代は、もう少し来るもの(女)は拒まずという気持ちで柔軟にお付き合いが出来ていれば、両手に花の男女間のお付き合いが叶えられていたように思う。惜しむらくは、えり好みと言うか、こだわりが強かった。

 と、思っているのだが、どうだろうか。それは兎も角昨日のとことん付きあった共演者は吉田羊さんだった。彼女は普段はいくらか無機質的な女性像でCMに露出しているが、次第に安住アナの話術や、他に出演したゲスト女優とのトークや美味しい酒場料理に心がとろけていって、チョツトした眼配りりた瞬間、瞳の奥にメラメラと燃えるような媚態が滲み出てきた。

 男心がキュンとする品である。安住君もこれを見せつけられたに違いない。お仕事の場で無ければ、小林幸子の歌の歌詞に有るじゃないか ・・・ ♪ ふたりの行く先は〜 ・・・ ひとつ

 之くらいのクライマックス状態になるまで、理性を保たなくちゃいかんのだ。これを早々かなぐり捨てては、この後のプロセスをエレガントにエスコートできないでしょうが。もしかしてこの高齢化社会のどこかの老人ホームで品の良いご高齢者同士の男女交際がくり広げられているなら、願わくばお仲間に入れて頂けないでしょうか? そして昔執れなかった杵柄をよいしょっ、と担いで伺いたいのだが。

  お姉様杖をどうぞとエスコート  三 竿  &  辿り着いた手に紙おむつの感触  三 竿

 参:今日12月8日は言わずは気付かない大平洋戦争開戦日


12月9日(日ようび)  悪魔の辞典

 葉が沈み石が流れ、やがて太陽は西から昇り東に隠れる事を予感させる世相に成って来たと、私は危惧しはじめて居る。安倍晋三は、もしかして、習金平に唆(そそのか)されて、「太陽を西から昇り東に沈むようにして呉れ」と頼まれたら、きっとこう言うだろう。

 「それは簡単な事でありまして、今度の国会会期中に法案で通さなければならないのであります」

 習金平は、遣隋使の時代聖徳太子が小野妹子に託した親書の文面に肚を立てていると思われる。安請け合いをしてしまい、「方位改正法案」で決めてしまうだろう。何のことは無い。東西の言い方を逆にしてしまえばいいんだから。今の安倍晋三の頭の中は、こんな論理思考で政治を執り行う事ばかり考えているんだから。これくらいの脳味噌に成り切っていないと、とてもじゃないが先に進めない、と確信しているのだ。

 そう思ったら、無性に読みたくなった本を思い出した。書架の奥 −−− 家族でセッセと買ってきた本が増えて、我が家の書架は一段に二層の書籍が並ぶようになっていった −−− から取り出しましたのがA(アンブローブ)・ピアスが著した『悪魔の辞典』である。

 この本から、“民主主義”、とか“議会”とか“法案”などの言葉を、如何に表しているか、有るか無いか調べたかったのだがどちらも載っていない。この本に取り上げた言葉は案外いい加減なものだと、忌々しく思った。左れば、自分が勝手に加えてしまえ。ついでに思いついたものまで載っけて仕舞う。

 ・議会 ・・・ 古代ローマ時代から続く、世の中の仕組みを決める場として施設された決闘場
 ・法案 ・・・ 国家取扱説明書のこと
 ・民主主義 ・・・ 他のイデオロギーと同じ、やがて壊されていく積み木の家
 
 ついでに思いつく言葉があるが、精々三つに留めて加筆しておこう。そうしないと、原作者に呪われるだろう。

 ・第三者 ・・・ 当事者が秘かに親交を結んでいる悪友
 ・ポリス(POLICE) ・・・ (参:騒ぎを防いだり、騒ぎに加わったりする軍隊  A・ピアス)
              ・・・ 街道の恰好な場所に隠れて通行人を襲って金を奪い取ることもする
 ・防犯カメラ ・・・ グウタラな女房を持つポリスが仕事に使っている。

 案外面白い頭の体操に成る様で、続編をまた遣りたい。ところで、防犯カメラの設置をはばかる場所が幾つかあって、その一つがスポーツジ・ヂムのロッカールームがある。利用者のチョッとした隙に、金品を盗む者が多いらしい。近所の或るおばさんが最近被害に遭って気の毒に成る程落ち込んでいた。細君が可哀そうに思って、夕飯のおすそ分けしてあげたようだが、喉を通ったかどうか。

 そのヂムはむかし私も利用していて、部屋の壁に「???」と思う様な警告文を記した紙が貼られていた。

 「盗難を許すな」

 ラブホでは覗きカメラをまず捜せ  三 竿  vs  撃ち合いには防犯チョツキ

 追:聖徳太子が小野妹子に持たせた親書は【日出処天子至書日没処天子無恙云々】(日出処の天子、書を没する処の天子に致す。つつがなきや…)と記されている。時の皇帝は、心中穏やかならざる感情になったが、小野妹子を迎え入れた、と私は記憶している。


12月10日(月ようび)  寒い朝

 寒い朝だった。午前5時ころトイレに起きてエアコンを点けて再びベッドに入り、次に目が醒めたのが6時30分、家族二人は朝食中だった。すぐに起きたいのだが、着替えの支度がしてなかったので、モタモタしていた。エアコンが消えていたので細君に訊いたが消してないという。

 自然に停ったのか?

 それ程ぶるぶるする程寒いわけではなかったので、すぐ経腸栄養剤の点滴を始める。その前に今日は、血糖値測定(一日おき)もあってその後インスリンニ本(各5単位 これは毎日)打つ。病人は何かと遣らなければならない事が多いのだ。自分の場合は真面目に習慣づけて実行している。

 なに、女性の朝のお化粧の手間を考えれば、大したことは無い、こういう比較するものを意識すれば不満も湧かない。

 今朝の寒さがあって、これまで掛け布団は薄いダウンの布団しか掛けてなかったが、今夜からは毛布を一枚加える事にして、昼間ベランダに乾したが、薄曇りだったのであまり効果がないかもしれない。それでも風を通しただけでもやった甲斐は有るだろう。

 衣食住だけで生きてる老後かな  三 竿 vs ♪ 血糖仮面のオジさんは 正義の見方よ良い人よ


12月11日(火ようび)  冬物語

 なんだよ、昼ごろまでは晴れているはずじゃなかったの? 朝方は確かに晴れていたのでソレ、とこたつ布団をベランダに乾したが、すぐに雲が広がって陽を覆ってしまった。そのままどんどん曇って来て寒い一日になって仕舞った。

 今日は細君も在宅で、二人で寒い寒いと言いながらエアコンを入れて別々の部屋でマイペースに過ごした。別に顔を見るのも嫌、という訳でもなのになぜくっ付いていないんだろうね、自然とそういう精神状態(生理状態?)に成るのだろうか。他所のご夫婦の事は推し量れないけど ・・・

 つまんね〜 何して遊ぼう。しり取りでもしようか。

  すずめ → メジロ → ロシア → 天邪鬼 → クロポトキン → 金玉 → マラジャッポ
   → ぼんやり → 陸軍の → 乃木さんが → 凱旋す → すずめ → メジロ ・・・ 終んない。

 子供の頃、エッチな数え唄も遣った

 一で芋屋の姉ちゃんが 二で二階に飛び込んで 三で猿股引っこ抜いて 四でしっかり抱きついて
 五でゴロゴロ寝ころんで 六っつムクムク遣りだして 七つ中々良い気持ち 八つやっぱりいい気持ち
 九つ小僧に見つかって 十でとうとうバレちゃった

 他愛も無く子供同士で大声あげて唄っていた。眉をしかめておばさんたちは通り過ぎて行っただろう。

 出所不明のこんなフレーズの言葉も頭の片隅に記憶されていた。

 かーきんかーきんなりゃて、とうしゅうせんまいにいやポコペンのたーたーで

 ポコペンは、戦後すぐのころ、在留支那人が口にした言葉だから、中国語なんだろうか?

 日本全国の女性器の隠語を集めたサイトなんかもあって、寧ろ方言と言う方が正しいと思うが、私が昔ヘラブナ釣りをしていた頃、月刊誌の『へら鮒』を購読していて、その中の釣行随筆にこんな挿話があった。

 ある青年が秘湯に旅して幾日か過ごした。宿の仲居が何かと世話をして呉れてお互いに惹かれあっていき最後の夜、とうとう二人は結ばれた。寝物語に青年はこんな事を訊いてきた。

 「ねえ、愛してるってこの辺ではなんて言うの」
 仲居はチョッといたずらっ気があって、こんな言葉を返した。
 「じゃんぺって言うだァ」

 翌朝青年を駅のホームまで見送ってくれた仲居さんに、彼は感極まって「じゃんぺ」と言った。仲居さんは、顔を赤くした。やがて列車はゆっくりと走りだし、二人の手と手が離れた瞬間、青年は「じゃんぺー、忘れないよじゃんぺーッ」 ・・・ ホームに残された仲居さんは周りにいた人達の視線を浴びて、居たたまれない程恥ずかしい思いをしたが、列車の青年は、目をつぶって旅の余韻に浸っていた ・・・ とさ

 サイトでは東北地方で「ダンペ」という言葉で女性器を言うようだが、私の記憶違いか、随筆を書いた人がこの逸話に書き間違いをしたのか訊き間違いしたのか判らないが、語感として「じゃんぺ」説を私はとりたい。相応しいと思うから。

 参:私の郷里静岡県では当たり前に使う場所で、当たり前に言って恥を掻く事になる。「姐さん、おちょこ頂戴」  これが逆にこちらで「姐さん、さかずきをもう一つ」 ← 「あいよ、おちょこネ」 こっちが恥ずかしくなる、今でも。

  寒いのにくっ着けないのがチト悔し  三 竿  vs  方言の駅よさようなら


12月12日(水ようび)  革命前夜

 河野外務大臣が記者会見で、質問されて取った態度はどういう状況か考えなければならない。

 やったことは、記者の質問に即刻「次の質問どうぞ」と言い放ち、続けて質問が出ても同じ言葉を繰り返す。これを3度か4度続けたところで、流石にその点を非難されても「次の質問どうぞ」と言い切った。その直後も記者が更に追及してやっと、「適切に対応する」みたいな、全く内容の無い話をして、記者席で最後に「万事休窮す」みたいに言った事で大臣はその場を去った。

 国際外交の場は、何を考えているか解らないから信用できない近寄ってはいけない人物としてしか見ない。とんでもない外務大臣である。

 今回の対応となった事態は突然に起こったとは言えない。雪の塊をゴロゴロ転がして行ってどんどん大きくなる事と同じ現象に思える。つまり、メデイアvs政権の攻防及び政権と野党の攻防を繰り返して、歪んだ進み方が振幅(歪み具合)を大きくしてきた結果なのだと思う。

 安倍晋三、菅官房長官の答弁が全て発端であって、是が権力が強大に成り過ぎたためにあらゆる事態に対し強烈に破壊する事になったのだ。“禁断の対応”の常習化になって仕舞ったのだ。

 最早、先週閉幕した臨時国会で幾つかの法案が、国民に対して強姦的強権で押しきり成立させた時の担当大臣のスタンスと、この度の河野外務大臣のスタンスが全く同じだと言える。つまり、夫々の本人の政治姿勢で持ち出した物でなく、只のガキの使いで、或いは魂を抜き取られた人がハンコを押す行為と同じなのだ。

 沖縄県知事と安倍晋三が(さっきから、呼び捨てにしているが、肩書に値しないから)辺野古の海岸埋め立てを県民がはっきり拒否している事でキチンと話を着ける意志表示をしたのに、終わってみれば即刻会談を無意味にしている事も、相手を侮辱したことになる。門前払いの態度より悪質である。

 野党もしっかり頭を回転させて状況を判断しなければいけない。なぜ街に出て野次らないのか)権力が潰しに掛かって来たら、今度は通行人の眼の前で掴み合いの喧嘩若しくは、権力の暴走を見せつけるべきだ。沖縄で展開されている暴力を再現させてしまうのだ。

 今の状況は、革命前夜に置かれている。民主主義が壊される様子を国の内外に知らしめるのだ。自分たちも政権もダメージを受ける。そうしないと今の状況は変わらない。どうなるかは、国民も今度はいくらか参加する道が敷かれるかもしれない。安保法案採決の混乱時、国会周辺に展開したシュプレヒコール行動で、可成の盛り上がりを国民は見せている。野党はこれを無視したに等しい無作為しか出来なかった。国民が我々野党と同じ考えで居る、と自己満足しただけだった。当然其処に世論との間に溝が出来たという事に気付かなかった。

 共謀罪の典型的な実験世相を起こすべきなのだ。

 政権の方も、傀儡化された閣僚、そして宰相と成り果てている。このために日本の国体はいま破壊されていく姿である。

 何故逆らえないのか? 政権与党の各議員・閣僚は、集団的に党内野党を起こす事を、真面目には考えても居ないのだろうが、それでも政治家のひとりとして党内の議論の場で、強く正論を示さなければこのままでは将来に禍根を残すくらいの思いを持ってもらいたい。

 彼等にはこれが無いから言いう。無駄なでしかない事でも言う。全てが生煮え状態なのだ。戦前の軍部の横暴が始まったのもこんな与党・野党政治家一人ひとりの腰の引けたなまくら精神から始まったのだと思う。戦後の亜米利加の横暴も、この日本の政治家の根性が今も昔も、チットも変わっていないのを知り尽くして遣っているのだ。

 今回の河野大臣は、三代目のボンボンであっても是ほど劣化してしまった政治家に成ったという自意識はきっとある。殆ど外交のイニシアティヴを安倍晋三に握られ、小僧扱いされている事に忸怩たる思いで務めていると思う。もうこうなると状況の捉え方というより己の生き方の問題なんだろう、情けない。件の記者会見の場で、余程喉が渇いたと見えて、コップの水をしきりに舐めていた。この行為に正常な心理は読み取れない。

 嗚呼、グダグダとまた書いてしまった。

  情けない徒党がバッヂで胸を張る  三 竿  vs  佳人革命


12月13日(木ようび)  寒い

 12月に入ってから日照時間がかなり短くなっているという。その上に、高温傾向がパタッとや止み、寒くなった。平年並みになったと言っても、さんざ体の方は常夏気分みたいにナマクラっていたから、対応できない。外に出るのが辛いから、階段降りの日課が果たせない。玄関出て、一直線でエレベーターの箱に飛び乗って一階に降り、集合ポストから郵便物や投函チラシなどを取りだし、そそくさとエレペーターに戻ってガタガタ体を振るわせながら家に飛び込む。

 歩数僅か50歩ほどしか歩いていない。仕方がないから家でおいちっに、おいっちにと立ち歩きなどをして運動終りッ。

 天気予報ではチャンと陽が出てくれると成っているし、今日は息子の布団を乾したが、二時間も持たずに曇りだした。中に取り込むかどうかの判断が難しい。これまで何度も失敗していて、仕舞った傍から太陽が雲間を割って顔を見せる。「にいっ」と嘲笑っているみたいにふざけて照っている。今日もそれをやられたから、もう一度乾したが、間もなくして再び雲が覆ってしまった。一気に布団は冷えてしまう。

 人にからかわれるよりも悔しい。お手上げ状態の気持ちの吐きどころがない。

  お月様太陽の奴懲らしめて  三 竿  vs  白戸三平『サムイ伝』


12月14日(金ようび)  懲役18年

 例の東名高速道路で、あおり運転を仕掛けられた車の家族が死傷した事件の判決が下された。法廷で主文から入って、後にその理由が述べられたというが、この事件に関しては犯行を犯した男の典型的粗暴性癖を剥き出しにした面構えと態度そして喋る内容に、カチン、カチンカチンと来ていた私は、強い関心を持って判決直後のテレビ報道を眼(まなこ)と耳を釘付けにして視聴していた。

 常識的判決だったと思う。その後はいつものように私の深読みタイムと成る。明日の朝刊に前文乗るだろうか?意を決して読んでみよう。

 今回の事件に最も関心が行った事は、「危険運転致死傷罪」が適応されるか、その上で禁固年数(懲役)何年で折り合いをつけるか、の二点であったと思う。この二点はどちらも今の日本の刑事事件の慣習となっている刑の軽量化にどれだけ歯止めがかかるか、という問題への一つの答えを見ることが出来るのである。

 更に、この裁判も市井の良識が判定に加わり、その上でプロの判事が量刑を決めたという事で、賛否が分かれる部分に一定のお裁きが下されたという意味でも意義がある。硬っ苦しい法解釈ばかりしないで被害者意識にも配慮しなければ、明治以降定めた、私怨による仇討ち禁止の意味がないのだ。

 あの時の一連の行動と、これまで犯人が繰り返してきたあおり運転で現わした彼の犯罪性は、立派な危険運転そのものだったのだ。適応の法律の中に在る文言の“運転中”という言葉に中らない、とする類推判定の禁止に触れるかどうか(犯人側弁護士の主張)を、テレビで盛んに心配していたが、チャンとクリアしている。父母を一瞬にして失った娘さんたちのうち、長女が判決内容に感謝を述べている。

 人類の歴史は、犯罪の歴史でもある。国家間の戦争とそれに付随する無辜の市民への虐殺は今でもまかり通って居るし、権力側の犯罪行為そのものである住民検挙もある(籠池さんなど)。安倍晋三の嘘つき、隠蔽、法律違反もまかり通っている。その上司法までも牛耳る振る舞いがお天道様の下で堂々と繰り広げられている。それが最早お裁きが下されない世に成っている。

 誰か、安倍晋三の乗った車を隙を見て「あおったろか」と名乗り出る人は居ないか、捕まって裁判で被告人陳述で切々と心境・主張を語ったら、判決によっては暴動が起きるほど国民は激怒する。あおり運転に善い悪いの議論は無いが、心情を含む正論が入る行動という意味では、有意義な行為である。

 全てに杓子定規で捉えてはいけないと思う。そうでなければ、せっかく仇討を禁止した歴史が哭く。

 (議論が逸れた、という事でなく、昨今の犯罪被害者がワリを食う傾向を正すためにも、裁判の判決は、法の精神だけでなく、情の精神も考慮する必要があると思う)

   許せない客にわさびで泣かせます  三 竿 vs 本庶さんあおり袴の正装でノーベル賞受賞


12月15日(土ようび)  年賀状

 そろそろ年賀状製作週間になったようだ。細君はまだ年賀状を買っていないと思う。あまり細かい事は言わないので、私も特に火急の用でもないので聞いていない。しかし、図柄の準備は始めるに越したことはない。

 ここ数年は、イラスト画像は、以前に買ったDVD付き図柄集の中から選んで、それをいろいろ配置したりして創ってきた。今年もほぼ同じ作業に成ると思う。

 我が家は、一度たりとも子供の写真などを使ったことはない。可愛い事は可愛いかったが、お披露目すること自体さらさら思わなかったので、人様から来るのを「よう遣るわ」と眺めていた。送る側ともらう側には思惑が違っていると思う。

 「まあ、可愛い」なんてあまり人に寄り添う気にもなれなかった。しかし相手が好きでやっているんだから、敢えて力んで捉えなくともいいだろう。相手は、自分たちの生活を人様におすそ分けしたいほど幸せな気持ちで日々を送って居るんだろうからね。中には仮面夫婦を装って居る事もあるかもしれない。

 そういう意味では、兎に角センスの良いものを創りたい、と言う思いは強い。

  お付き合いは喪中を汐にそれっきり  三 竿  vs  カルロス・ゴーンの報酬賀正申告


12月16日(日ようび)  年賀状2

 喉に痰がからまり、咳払いを度々して喝痰(かったん)している。簡単な事ではないです。

 詰まらんこと言ってるから罰が当るかも、慎みましょう。さて相変わらず寒い。昼間はエアコンは点けないから、寒いのを我慢している。電気代がもったいないというより、耐寒抵抗力が弱るという思惑が働いてしまう。

 年賀状図柄製作の追加製作をやった。Photoshop(簡易バージョン)の画像加工ツールを駆使して、幾らか高尚な技で創ったが、人がその出来に美観は働いても技感は湧かないかもしれない。そんな事、苦労話として言う事でもなく、精々が自己満足に過ぎない。でもその製作工程が楽しいとも言える。

 関東地方木曜6チャンネルのプレパトで、消しゴム版画の披露があって、昔流行ったプリントごっこの出来映えに似て居る様で、我が家では使わなかったが、届く賀状に苦心のほどが窺がえるものが在って懐かしかった。

  喉に来て頭に来たら腹が立つ   三 竿  vs  トロッコが喝痰コットン走ってる


12月17日(月ようび)  低血糖症

 昨日の夕方あった話である。

 経腸栄養剤を腸瘻から点滴注入しているが、その前にインスリンを4単位注射する。ラコールには、カロリーを高めるために糖質成分が含まれているので、始めてしばらくすると血糖値が150を超えるくらいに上昇して宜しくないので、この処置は必須。

 インスリンを注射した後はすぐにラコールの点滴を始めるのだか、何かの用事に気を取られて、そのままリクライニング・チェアで横たわっているうちにウトウトしてきた。

 笑点が始まったが、しかし何故か朦朧としていて内容が判らない。何か頭がヘンになったかなとうっすら意識して、「もしかして認知症か?」と変な心配が沸いた。その時細君が私の姿を見てラコールを入れていない事に気が付いたところで、自分が低血糖になっている事に気付いた。急いで細君に「ラコールっ」と叫んだが、チャンと言えたか心もとなかった。

 インスリンの量は少量の内だと思うから、ほっといても大きなダメージにはならないと思うのだが、危ない事は危ない。私のポカで起こした事なので、今後の心配もある。その時の食事には、うずら豆の佃煮があって、無性に欲しくなっていっぱい口に入れた。その後も蜜柑を貪るように食べた。これらは脳の欲求に由るものだと思うと、体と脳の連携ってよくできていると思った。

 低血糖症の経験はこれまで4・5回あった。東大病院入院中にもあった。余りに血糖値が高かったのでインスリンを連続して投与されて、今回よりもっと強い作用が出て、看護婦さんが頬ずりするくらいに顔を寄せて何か喋っているのをボンヤリ意識した。

  いつの日かグッドバイする時ゃインスリン  三 竿  vs  ♪ 血糖仮面の小父さんは

 参:昔、東武電鉄の終点浅草駅で通勤客が降りた後に若い女性が最後にフラフラと降りようとしてドア傍の手すりにしがみついていたが、足が動かなくて、電車からホームにどうと倒れ込んで動かなくなった。5メートルくらい離れて様子を見ていたが、すぐに駅員が駈けつけて背におんぶされて運ばれて行った。過度のダイエットで糖分不足の低血糖に堕ちた事が推測された。危ない症状なのだ。


12月18日(火ようび)  師走の一日

 喉に痰がからまり咳をしたり咳払いをしたりして喝痰しようとするのだが、なかなかうまく出てくれない。昼夜を問わずである。頻度はそれほどひどくないし、通常状態ではあまり痛いとか苦しい事もない。息子もいま喉と風邪の症状があって、ライヴ活動で歌を唄ったりしているので、神経質なほど耳鼻科通いして薬も貰ってきている。

 薬を仕分けしているのを見たりすると、チョッと飲み過ぎかな?と思うほどである。

 私はうがい薬を垂らしたぬるま湯でうがいをする程度。なんせ、外にはほとんど身体を晒していないのだ。今日も日中は晴れ渡って、穏やかな冬の晴天だった。毎日、時にうとうとし、週刊現代を読んだり ・・・ そしてPCで外の世界の情報を眺め、Diaryを書いて過ごす。

 テレビでは、相変わらず、なぜそこまで詳しくくどく遣るの、とあきれるほどに、(正直なところ)対岸の火事だ事件だと思う様なものばかり過剰に露出している。日本は今メディアが、権力にコントロールされている。誰もが浴びせられている、どうでも良い情報によって、思考を止められた状態に置かれて、特に社会からリタイアしている多数の無為な日常を送る高齢者を権力がボケの世界に送り込んでいるように思える。

 まあ、自分の今の生活環境状態と同じ同輩こそ、一番多い層だと勝手に括っている気も在るのだが。

15時過ぎのベランダからの景色





  細君とティーフォーツーの炬燵かな  乙三太  vs  命日平成30年享年92 うがいきんさん


12月19日(水ようび)  文明考

 『IFの世界』というタイトルの文庫本があって、“IF = もし”をテーマに取り上げている、主にSF小説の簡単なあらすじを紹介している。例えば、地球上の人口が極限まで膨張した陸地がギシギシに込み合ってしまった世界を描いた小説だったり・・・書架の隅に埋もれたらしくて捜し出せない。

 其の中に、英吉利のSF作家アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』を取り上げて、物語の最後の段で、人類の築いてきた文明が如何に全宇宙の中で幼稚であるかを知らしめる下りがある。地球上で核戦争による終末戦争が勃発して、我先に脱出しようとする人を乗せてロケットが次々と打ち上げられて大空に飛び立つ。遠くでその様子を眺めていた宇宙人が、重力もコントロールできずに生きてきた人類の、必死に燃料燃焼による推力だけで、宇宙に飛び立つ姿を感動的に見守るシーンが出てくる。

 宇宙人がはるか遠くから亜高速のスピードで飛来し、そのうえ、重力や磁力等の自然界のエネルギー法則をことごとくコントロールした文明を持っていたら、地球の人類の科学などは、赤ん坊の智恵の着き始めくらいに見えているだろう。

 宇宙人に嗤われなくとも、私も少しマヂになって今の文明の拙さを考えて、お目に留まってUFO搭乗の恩恵に浴すような文明評論をしてみようと思う。日常生活で使ってみて幾つか感ずる不便、疑問などそんなところから見つけ出してみたい。但し、トランプ亜米利加大統領とか安倍晋三総理の頭から生み出された政治的政策の様なものは含まない。あくまでも科学全般の中から。

 天気予報の精度が相変わらず低いと思っている。猫の仕草で天気予測できるというが、時には猫に劣る場合がある。何故か日本では、天気と地震の研究を気象庁が併せて行っていて、地震の予知に関してはひと頃、真剣に没頭した学者一派も居たが、今ではほぼ頓挫してしまったようだ。地下構造の分析研究が遅れている。

  動力エネルギー生成の効率が悪い。原子力エネルギーでさえ、電力エネルギーに変換させた上で安全に使うしかない。或いは、原子力燃料で航行する空母や潜水艦なんかは、湯沸し燃料に落ちぶれている。ストレートに取り出して、広島長崎で人をたくさん殺して、相変わらず核兵器を大量に製造して、軍事戦略上、にっちもさっちもいかなくなってしまった。この核融合現象を安全に取り出してコントロールしてストレートに平和的利用する技術が生まれない。

 弁証法という、哲学の一種と言われる方法論の中に「回り道」とか、「質量転化」・「否定の否定」などの研究分野があって、新しい技術を生む際の基礎的手段となっている。マイクに話した声が震動という波形になって遠隔地まで電波で飛ばされて、再び音に再生すればラヂヲに成る。回り道をするのだ。 ・・・ こりゃ便利だわい、となって、以来その精度を上げる技術を高めて良い音を実現させているが、元の方法論から変わっていない。

 今でも先端技術で進化している道具の多くは、弁証法的志向で進められたが為に実は、異質な領域に進化する事が出来ず、より効率的な物として実現して居ない物は多いと思う。自分は理工系頭脳は並の人かそれ以下だと思っているから、とても新理論として提示できるものはないのが残念だ。

 最新のロケット技術も所詮、重力対推力の葛藤をどう解決着けるか、悩んでいるわけで、UFOの様な自由飛行の技術には手が付けられないのだ。

 最近、スマホが人の生活に重要な情報収集発信機器として広まっているが、何であんなにバッテリ―切れで不便しているのだろう? 提供側に営業戦略上の都合でもあるのだろうか。使いながら神経がバッテリー切れを心配するなんて、オカシイ。中継基地のサーバーか何かの不具合で利用制限された事が最近あったが、こう言うおまけなんかは、−−− 三遊亭小遊三師匠じゃないが雑誌に付いた袋とじみたいな仇花の様だ。

 人類の長い歴史の中で、今の世界の発達した文明と言われるものは、精々300年前を起点とした急激な進歩の過程の途上の状態であって、既に地球環境に様々な悪影響を及ぼす負も蓄積されつつある。是正すべき事は早急の要求なのだが、今後どういう方法を執って改善できるのだろうか?

 危機意識を発する人やグループの声はあまり響いてこない。こういう時に力を発揮するのは、矢張り世界中の政治指導者でなければいけないがこれもまた、この星のこれまでの政治指導者は、自己及び自国のエゴを満たす事に頭を使ってきた。駄目じゃん。

  人だけが服を脱いだり着たりする  三 竿  

 註:今日の川柳はチョッと正しくないかもしれない。蓑虫などは防寒衣を纏っているように思える。お蚕さんはあれはねぐらに籠る、という処だろうかビミョー。という事で蓑虫さんは例外として、人間だけが衣食住で、他の生き物は食住が生活に必須であると言える。


12月20日(木ようび)  尾を引く

 花田家の崩壊が止らない。初代貴ノ花が離婚し、続いて二代目若乃花も離婚し、以後しばらく穏やかに過ごしてきて昨年暮れから続いた貴ノ岩の暴力被害から尾を引いて、年を越してこの一年が酷かった。貴乃花親方に振りかかった協会との軋轢から親方引退まで続く崩壊の荒波がうねり続けたが、九州場所で貴景勝がどすこい、と優勝して持ち直したと思った矢先に今度は貴乃花夫妻の離婚があって、「嗚呼無情」のこれが最後の嘆きかと思われたら、今度は貴乃花の長男・花田優一君まで離婚したという。

 スポーツ芸能記者も背中がぞくぞくするのは寒さだけではないかも、なんて不吉な想いで取材に走っているかも。これまでの不幸の連鎖で話題に上がった事例に何があったか、憶い出してみても此処まで続いた例はチト出てこないのではないか。負の連鎖とか貧困連鎖は、象徴概念の言葉としてはある。

 「尾を引く」というが、どうしても何らかの得体のしれない超常的要因が働いて居る様な気がする。しかし、専門家はこれを否定する。人間同士の心理的力学とか、個人の性格的な物が行動に現れて事態を悪くしたりする、等を原因にしている。

 成る程ね、その伝でいくなら私にも思い当たることがある。2020年のオリンピックが東京で開催する事が決まって、初期の段階で重ねて問題が起きた。国立競技場を造り直すにあたって設計変更があった。余りにも費用が掛かるという事で、設計者との契約が破棄され、公にされたかどうか知らないがかなりのペナルティーを払っただろう。設計者のザハ・ハディドは、暫くして旅先で客死している。心臓発作に因る急死だった ・・・ コワ〜。

 改めて採用した設計図も、聖火台が含まれていない事が判明したが、これをどう凌いだか、私は知らないのだが、組織委員会が説明しないまま、ごまかしでもする事で、最後に取り繕う様な発表に成るかもしれない。そこで問題に成るかもしれない。そして、シンボルと成るロゴマークが、デザイナーの盗作であることが発覚した、そして大会ボランティア・ユニホームが余りにダサくて、小池都知事のツルの一声で一旦決めた物が没になった。

 之くらい続いた(尾を引きずっている)のだから、まだ出てくるぞと私はワクワクして待ち受けているのだが、組織委員長の森翁が出してくれてホッとした。

 「サマータイムを暫定的で導入したらどうか」と安倍総理に持ちかけた。その時総理はどうも生返事だったようだ。国会答弁と同じ。これも没になった様子。

 この後、2020年開催日まで、どんなトラブル、不適切事態が起きるのか。このワクワク感は今の私の懐でごろ〜り・ゴロ〜リ休みつつ沙汰待ちをしている処である。余りにも金が掛かり過ぎて、様々な無理がやがて告発や発覚で騒がれると想像している。これを楽しみにして生きてこ〜。

  五輪後の火葬場に煙引きも切らず  三 竿  vs  疲れた時に栄養五輪

 今日のダジャレは字たらずになっていて出来は良くない。


12月21日(金ようび)  無感動

 歳の瀬迫っても一向にその自覚は無い。感動とか苛立ちとか望みとか、何かと心に波立つ事が無くなった。風邪をひかないように極力気を付けている事が行動を押さえている。その状態にすら強い意識が働く事もない。

 年賀状イラストを創ったが、パーツ材料に手頃な物が見つからず、あまり進展しなかった。きょうのDiaryはそこそこ書いてお終いにする。

  日々過ごす感動の無い寝起きかな  三 竿

12月22日(土ようび)  カーペット

 本日これまでダイニングには夏色のカーペットが敷いてあったが、細君が先日ニトリで買ってあった冬色系のカーペットに替えた。それに先立ち昨日、好都合にドピーカンの日の出から日没まで、遮る雲に気を煩わせるような事も無くそのカーペットの裏表をこんがり乾した。

 大量生産品は、問屋 → 販売店舗へと移される毎にしばらくは倉庫に保管されて来ているはずで、昨今は品質管理には十分な防臭防虫処理等、消費者の健康に害が及ぼさない配慮がされてはいるだろうが、私にはどうしてもそれだけでは安心しないで日光消毒をせずにはいられない気持ちが有る。

 まして、中国など外国で製品化してある物には、現地でどれだけ環境管理が成されているか判らない。輸出先からコンテナに押し込められて貨物船の船倉で過ごしている。幾ら基準としての管理マニュアルがあるとはいえ、そこは効率化というどんな手抜きが行われるか判ったものではない。安心できる日本の製品と言えども昨今は品質管理に問題を起こした事例が幾つかある。

 二・三年前、埠頭に積まれたコンテナとか、周辺からアカカミアリが見つかったことがある。いつもそうだが、一度パッと広まった不祥事でも、やがてさっぱり報道されなくとも沙汰が治まったとは必ずしも言えないはずだ。

 そんな事があるから私は自分の信念で、物によってしっかりと危険回避を図る。今の世の中、こういう時例えばダニの駆除に効き目のある掃除機とか噴霧ガスボンベに詰めた消臭抗菌剤が売られているから、それらに頼ってばかりで、すっかり自分で行う危機管理を考えない時世である。

 良くないなあ

 つい最近もアパマンショップで、貸室に新規のお客が決まり、住む前に有料でこういう(お店では匂いの処理だけと言っていたが)処理をする様だが、これをサボっていたケースが発覚しとどのつまり炎上してしまった。商人は人をだましてナンボの哲学があるのだ。

 しっかりダニと埃を駆除したカーペットを本日、あいにくの曇天下だったが、細君と敷き直した。その際経腸栄養剤の「ラコール」を積めたダンボールやらテーブル・椅子、諸々、床を占めて居た物を一時移動するのに、私は青年の様な働きをして細君を援けた。結構力が要ったが、くたばる事も無く果たせた ・・・ これを家事場の馬鹿力と言う、へっへっへッ

  ヘソクリは出ず錠剤が二つみつ  三 竿  vs  床に痰は吐かないで下さい、カーペット


12月23日(日ようび)  江戸の夏

 池波正太郎の時代小説『手裏剣お秀』のテレビ映像化した作品を、先日フジテレビで放映した。それを録画して置いて、昨日と今日と続けざまに二回観賞した。観賞後の爽やかさが飛びぬけて好かった。

 ふとした行きがかりで徳川家旗本のドラ息子三名が、大江戸朱引外地の更に離れた片田舎で剣術道場を見つけ、其処に女剣士が近在の農民の子供に剣術を指南して居る場に入り、立ち合いを強引に申し込むが、円形に作られた手裏剣によって手傷を負って退散するところから物語が始まる。噺は変わり紀州桑名藩で町道場師範同士の意地の張り合いから起きた決闘をきっかけに、脱藩した剣客父娘と、一方で決闘に敗れた剣士の子息は以来8年、仇討を果たすために江戸に潜んで落ちぶれて荒れた生き様の内に生きていた。

 更に江戸市中で経営していた町道場を畳んで隠居した老剣客が若い妻女と安穏に暮らしていて、老中田沼意次のお屋敷に度々ご機嫌伺いなどしている折に、桑名藩主が江戸表勤務をしている期で、たまたま居合わせ二人は引き合わされる。その際に老剣士は、決闘から脱藩までの藩内で起きた刃傷沙汰を藩主から聞かされる。こうして、初めの二つの噺が一本の細い糸でつながる。

 やがて、旗本の息子たちの復讐が町のごろつきを加勢に雇い、剣呑な状況へと話が進む。危うし女剣士に老剣士、その息子、縁あって協力する事に成る町廻り同心が次第に活躍の場に乗り出し、機は盛り上がって行く。

 是だけの出来事を決着させて行く中で、原作者・池波正太郎は、ウルトラCの離れ業で、作品中の全ての人物に人間味たっぷりの心がけを働かせている。老中の心遣い、藩主の事件のその後の推移に腐心する気真面目さ、そして、老剣士と周りを取り巻く仲間たちの活躍が痛快で痛快で、楽しいと言うより心弾み目頭が熱くなってくる。

 旗本のドラ息子には勧進懲悪の沙汰、仇討謀反(むほん)を起こした息子と門弟の投獄で、事件にけりを着け、返す筆で一件落着した後の老剣士たちに清々しい夏の涼風が吹く。

 この作品の全編が夏の出来事で仕上がっている。老剣士の住まいが柳の枝なびく池のほとりに在り、街道に青葉濃く茂り、若い妻の差し出す心太を女剣士と老剣士が涼しそうに一本の青竹箸で掬い取って食べる光景、そして何より、女剣劇に出てくるような女丈夫の麗人風情を魅せてくれる。

 江戸市中の夏の暑気が、劇中の展開の中に人々の間を涼風となって漂う様が何とも言えなく醸し出されて秀逸な空気感を与えてくれた。私の心の中に、市中の物売りの声、神社やお寺の境内の杜の木陰、行水・打ち水等の光景が浮かんで、何とも過ごすに味わいのある夏中の涼感が湧くのだ。

 池波正太郎の筆を以って、ここまで当時の人の世の平和を描き出す技に、「ぬぬ、お主出来る」

  来世では女剣士に恋したい  三 竿   vs  国民剣豪保険


12月24日(月ようび)  X’masイヴ

 昼ごろ買い物に出た。空は雲も無く遠くまで視界が開いて、如何にも冬枯れの天気だった。風が北・西・北東と切替わりながら吹きつける。被った運動帽も飛ばされそうだ。

 1000円床屋で、2カ月ぶりくらいに髪を切ってもらってさっぱりできた。その同じビルにあるダイソーで100円のカレンダーと、ついでにマグカップ、味噌漉しなどを買い、一階に降りて、食材を買った。細君が実家に出向いて、母親と妹弟で水入らずのクリスマス・ランチを楽しんでいる。

 妹と弟が喧嘩ばかりするので、なかなか一緒に過ごすことが出来なかったが、細君が姉の権威で一時休戦させて楽しんでいるだろうか。我が家の夕餉は、私が作ることになっていて、骨付き鶏もも肉ローストチキンと、トマトソースを使った鱈のソテーに挑戦する。

 レシピさえ判れば大体合格点の味でできる。鶏もも肉は二本で600グラム余りある。チョッと大きいかもしれない。人参・玉ねぎの薄切りと、レタスの葉と白ワインで下味をつけ、二日ほど冷蔵庫で寝かせるとある。間に合わない。一計を案じて人参・玉ねぎをスライサーですりおろし状態くらいに刻み、レタスの葉もみじん切りにし、ワインで伸ばして肉に浸す。何とか味も染みてくれるのではないか?

 この辺の機転の利かせ方は、プロに肉薄した裏ワザだと思う。下味に使った野菜は綺麗に拭い(ぬぐい)取る。案の定、まろやかにミックスされた味が肉に付いていた。

 「メリー・クリスマス」 ・・・ 本日は美味しい、旨い、という代わりに「メリー・クリスマス」と言いましょう。実際に発したのは私だけだった。家長の権威何処?

  キリストのあと神に逢う歳の暮  乙三太


12月25日(火ようび)  年賀デザイン

 今の時間は23:15で、これから短めの文章を書いて、校正し本日中にアップロードしなければならない。

 細君の年賀状デザインを、本人を横に座らせて日中かなりの時間を掛けて指示を貰いながら製作していた。途中、間を開けて(夕食の支度)細君が場を離れたりして、最終的に終わったのがこんな時間になった。

 まあ兎に角色々希望が出る物だから、根気強く不愉快になんてならないで付きあった。こういう時でないと、細君に頼りがいの有る処を見せられないから、私も一生懸命だった。明日は自分の分に取りかかる。殆ど出来あがっているのだが。

 おわり

  一仕事終えて今では下戸の無為   三 竿

 註:下戸と言っても、意志として飲めない状態で居るのだが


12月26日(水ようび)  おでん

 年越しの準備で残された事のうち、私の課題としては矢張り年賀状製作に成ると思う。この一件は本日でほぼ片付いた。この作業は特に一気呵成に片付けないと落ち着かないのだ。うっかり同じ人に二枚作って仕舞うとか、反対に出し忘れに成ったりする。

 やれやれ。

 細君が少しづつ部屋の、日頃手が届きにくい場所の掃除をやっていたが、まだ少しは残っているかもしれない。私が参加すると遣りにくいらしく、態度がそれとなく窺がえる。だから済まないがお任せ状態で横でのんびりしている事が多い。特に不愉快な顔をしている様子も無いから想定は外れていない。重い物の移動には極力参加する。

 細君との間には矢張り長年のお付き合いから、阿吽の呼吸と言うか、察し合う状態で巧く行っていると私は思っている。気を利かすというより、穏やかで気を使わない中和した接点 −−− リトマス試験紙の一方にアルカリ、もう一方を酸にそれぞれ浸して、丁度中央まで赤と青が近ずいて中和される辺りが二人の意識を感じ合う場所となる。

 世の中の夫婦が時々喧嘩するのは(無論我が家でも)、心の色合いが接点で葛藤する時ということだろう。いっときの喧嘩もお互いが引っ込みあえば、元の真っ白な使用前の紙に戻る。夫婦論を言っているが、細君はどう認識しているんだか。

 夕餉はおでんを作った。先日アメ横で買った干しあごと、厚削り節と昆布の出汁で煮たが、汁が料亭の味と同じような、優しい甘い味になった。市販の「おでんの素」も含んでいる。

  独り者おでんで彼女が部屋に来る   三 竿  vs
          ♪ あぁあぁ東京の 夜の名残りの おでん三時よ〜


12月27日(木ようび)  鯨肉

 日本は国際間での立ち回りが下手だ。安倍総理が外務省の外交のプロフェッショナルを差し置いて、世界中飛び回って、援助だお世辞だニタ笑いだして日本の印象を良くして居てくれていると思っていたら、この度IWO(国際捕鯨委員会)から、つまはじきにされたように非難されて−−− 一部の声のデカい過激派集団に罵倒されて、IWCの理念(秩序ある監理)を主張した事も退けられたから、正味泣きながらの退場である。

 ひとつの国際外交の敗北である。理念理念と言いながら、実態は鯨肉確保の為の捕鯨になっている事を見透かされていたと思う。

 日本の外交は天敵に弱い、こすっからくいちゃもんをつける相手に弱い、面従背反の相手にはコロッと騙される。そして、いつの間にか不利な立場に立たされる。

 安倍晋三の外交とは、国家を背負っているという姿勢でなく、時には海外脱走、時には袖の下を渡す、そして特に亜米利加からの恫喝で言い分を受け入れるためだけの話し合いをしてくるに過ぎないようなところが有る。

 北方領土交渉だって実績を得ていない。北朝鮮の拉致問題だって、拉致被害者家族から突っ込まれた時だけ、「最重要課題」とオウムの一つ覚えで答弁してスルーしてしまう。

 国民にいつも隠し事をしたり嘘をついて、情報を正確に伝えない上にチャンとやっていない事が、外からの眼に安倍晋三自身が信頼できない権威の無い宰相に見られるのだ。外交交渉の丁々発止の場でも正論なのか詭弁だかわからないような事で相手を戸惑わせていないだろうか。

 これら、永年にわたる信頼関係を築けない外交をして来た事に起因してIWCの会議で敗れたのだ。以前、柔道の国際組織に日本から一人の役員も加われなかった事もあった。勝手にルールを変えられたり、発祥の地の優位も発揮できずに政治力で敗けてきた。

 韓国では、竹島は既に実質乗っ取られ、老獪な文在寅大統領の対日本外交で、先の戦時下の韓国国民に与えた苦難が未だに尾を引いている。慰安婦問題が終わらぬうちに追加盛りまでされている。そして、日本海上空で刃を突き付けられたと同じ事をされた。

 ロシアとの外交だって、北方領土はもとより、シベリア抑留と強制労働の国際的人権侵害で多くの自国民が苦しめられ、(実質、殺された)歴史をこっち側で何でもない事、と相手に思わせるような不問で握手して居る始末。核兵器廃絶に関するスタンスも好い加減。

 外交カードという貴重なテクニックが使えない。何で?

 鯨の噺がどこかに飛んでしまった。

 日本が商業捕鯨を禁止されたのは、1980年代の中ごろだったと記憶している。当時勤めていたアパレル会社にパートで働いている小母さんのご主人が確か、日冷(ニチレイ)に勤めていて、反対署名簿を持ってきたので協力してやったら、鯨肉の刺身を御礼に頂いた。その時が初体験の味だったが、海育ちだから魚の刺身の美味しさを知っていたのがそれを上回る極上の味がした。

 禁止反対。心がその様に固まっていった。折から、常磐線金町駅南口近くに在りながら、場末風情にポツンと赤ちょうちんがぶら下がった呑み屋があった。店の名前は『伊勢彦』である。此処は、のんびりとした中年の雇われマスターが少し汚れかかった白衣で客あしらいをしていた。

 ボール一丁、ベーコン一丁と、隅の調理場に声を掛け、自分で焼酎ハイボールをサーバーからコップに注いで出し、調理場からもすぐベーコンが出る。醤油が少し掛かっている。これがチャンと何処よりも旨いのだ。チューハイが旨い、ベーコンが旨い。このベーコンが鯨ベーコンのことだった。

 あのマスターの如何にも春風駘蕩の長閑な台詞回しがBGMの様に流れている中で呑んでいると、仕事の疲れも吹っ飛んだ。懐かしの酒場は、ほどなく無くなった。

 どうやら、日本はIWCから脱退するらしい。目くじら立てていきり立って暴れたところで、更なる非難が振りかかって来るのに。下手だなあ遣り方が。感情が先に立って身(実)が入っていないんだと思う。

  卓袱台をひっくり返す泣きながら  三 竿


12月28日(金ようび)  あと四日

 今進行中の読書は、チョツト前までギリシャ神話の本二冊を平行して読んでいたのを中断して、『日本の同時代小説』 岩波新書・斎藤美奈子著である。週刊現代(12/29)の書評が背中を押した。その際の解説が面白くて、大文豪でも彼女の頭の中では出来の悪い青二才で扱かったりして、それをズバズバと論破していると言う。

 明治以降の近代文学について順次並べて様々なカテゴリー(私小説とか時代小説とか)の中に整理整頓して平行させながら評論している。初期の文語調文章から口語調への移行から始まって戦後の、団塊世代作家の活躍辺りまで読み進んだ。

 謳いの彼女の筆の運びは確かに週刊現代の書評に在った如くその切れ味である。一言で言えば、かの土井たか子的な押しの強い表現を使って小気味よい判定をくだす。「ダメなものは駄目」 「ここで山が動いた」 こんな調子が随所に出てくる。例えば ・・・

  【 この頃(1970年代後半)から80年代にかけて、芥川賞の「取りこぼし」が目立つようになったことです。とりわけ、後に世界的人気作家としてノーベル賞候補とさえ言われる村上春樹に芥川賞を出し損ねたことは、芥川賞の「汚点」として語り継がれることになります。 】

 参:この頃の思い出噺があって、1990年代初め頃、株式の新聞社の電算室室長時代、編集室の老校正者からこんな問題を出された。それが「岩波の『広辞苑』が改訂されるタイミングって知ってる?」と訊かれ、私はしばらく考えて、「わかった、芥川賞とか直木賞の該当作が無かった時」と答えた。確かに、そういう時代が有った。老校正者は、それを聞いて「プッ」と噴き出しただけで答えは判らなかった。

 本日を含めて、あと今年も四日の命運。これまで74年間過ごした人生で稀なる凪人生だったような印象である。本日最後のロト7が波乱の大当たりで締めくくられたらなあ ・・・
 
 初夢の前に見たいな大当たり  三 竿  vs  おこころ大当たりな方はお申し出ください


12月29日(土ようび)  ジャニーズ事務所

 昨日の関東地方6チャンネル(TBS)が「中井正広のキンスマ」の中で、テレサ・テン、ジャイアント馬場、ジャニーズ事務所の滝沢秀明等の「伝説的真実」なる再現ドラマを拵えた番組を流していた。簡単に其々の私の受けた印象を書いて行く。

 テレサ・テンの死因が喘息発作とは嘘くさい。それと、その際身近にいたフランス人の献身的愛も怪しい。多分、一部に言われていたヒモ男状態と言えるのではないか。確信がある訳ではないが、番組の中で、余りに綺麗ごとに収めているので、眉唾的に感じたのだ。死因については、当時の芸能ネタで紹介されたのが、クスリの使用による中毒死が正しいだろう。

 女に憑りついた男は、兎に角コントロールしやすいグッズとして、セックス時に快感が昂る薬(麻薬)を利用する。当時の彼女の立場、精神状態を鑑みての想定である。

 ジャイアント馬場の奥さん・馬場元子さんの人柄についても美談で紹介された。この噺(エピソード)にも私は直情的に疑問に感じた。兎に角、男の世界にかなり強引に食い込んで、やがて女帝と揶揄されたのだ、喧嘩腰・パワハラ的攻撃性で立ち回ったはずだから、例え真の心は優しくて愛を降り注ぐような人間関係を打ち立てて来たかの様に説明されても信じませぬ。

 夫を愛し、大事に思って居る一途な気持ちが故に、周りに対して強権的態度を執っていたなら、その人は矢張りそれでは善行になって居ないのだ。身勝手な振る舞いと成っているのだ。テレビは往々にして、世間から批判されている人や話題に様々な装飾を施して、美しく仕立てあげる習性があると思う。視聴者に良い印象を与えて目出度し目出度しで締めくくる。そういう製作上のコンセプトがあるのだろう。

 死者に鞭打つことはしない。“おくりびと”の心がけなんだ。

 次の瀧沢秀明(タッキー)に関しては、これまでのジャニーズを始めとする芸能プロダクションに抱いていた自分の概念がかなり変わった。

 プロダクションに所属する歌手・タレントなどは、こき使われて大変な状態で生きている。労働条件、所得などで対等な契約交渉が出来ない。勢い、独立を企てて殆どが潰されている。そういうマフィア組織的な過酷な縛りがある世界だと思って居た。

 ジャニーズ事務所にどれ程のタレント、及び予備兵がいるか知らないが、大きな組織だから、調べてみたら今のテレビの芸能番組、CM露出でメジャーに活躍している人間はこれでもか、この人もかと驚くほど多い。という事は、人を育てるという意味で可成成功している組織ではなかろうか。勿論その裏に、夥しい落ちこぼれも居るわけで、こういう事は、ピラミッド型業界 −−− スポーツでも芸事の世界でも同じだから、矢張り才能が有り、チャンスに強い人間はその組織の中に自分が納得して所属して生きていると思う。

 まさか優良企業とまで言えるかどうかは判らないが、生き馬の目を抜くような、ライバル社との戦い、テレビ局への食い込みなどではその環境への対応技術が優れているのだろう。ジャニーズ事務所が外タレを扱うことに対して、どんな考えで居るか判らないが、時の政権に接近し、働き方法案や改正移民法などに頼らないでキチンと所属メンバーの発掘・育成と供給・企画、そして管理は出来ていると思う。おとこ宝塚なのだ。

 昨日のタッキーが中井正広君との遣り取りで見せた態度で人と形を見た直感では、しっかりと自己のタレント性を確立した人間であると見受けた。但し、社長のジャニ―喜多川氏との個人的関係では彼のミドルティーンの頃の可愛いさからみて、殿さまとお小姓的な関係であったのだろうと想像する。

 偉大な作詞家・作曲家は、かつて自宅に歌手志望の若者を下宿させ、箸の上げ下ろしから何から、厳しく教育して育てた、という慣習があって、覚え宜しく扱われたり嫌われたりして選別された事も有ったと思う。そういう慣習の歴史の中から、タッキーも目が出たと思う。これは仕方がない。人の世は情の世界だから。

 そして、この世界を泳ぐ術を身につけた者が栄光を掴む。タッキーも多分自分が成長するごとにその力を社長にぶつけてこのたび演出担当になる事の了解を勝ち取ったようだ。恐らく足を引っ張られずに、伸びていく道は敷かれたと思う。ガンバレ。

  一発屋連発銃に改造中   三 竿  vs  あんた、オラにジャニーズるだ

 参:駄洒落に方言、特に東北弁を用いる事はよく遣る手である。


12月30日(日ようび)  金太君

 キャーッと驚く事でもないが、玄関開けて北に冬晴れの景色を見る。正面に名峰筑波山の山塊が青く見晴らせる。日本神話の世界に想像を馳せても明日は富士山に入れ替わっていた、なんて事はありえない。何回見ても筑波山塊である。



 筑波山にまつわる噺はがまの油と、あのねのねが唄う「つくばねの唄」がある。歌の方はふざけた歌だが場末の貧乏下宿で売れない芸人が3・4人、安酒で気焔を上げているうちに、即興に作って唄っていく内に意外と楽し気になって行くような、不思議な歌である。

 同じ類で「金太の大冒険」も存在する。

 昔、友人の父親が亡くなって通夜の弔問に行った帰りは何人か友だちと、精進落しを銀座の高級クラブで催した事が有る。誘ったのは某中小企業の社長をやっている男で、その時確か私を含めて4人ほどで繰り出したのだが、このような場所では、客の服装を見れば察しが付くわけで、結構楽しめた。その時、一人がマイクを握って金太の歌を唄ったが、その少し前に亜米利加のテレビ映画「ザ・ルーツ」のシリーズが流された時の主人公の名前iに由来した戯れ歌で、歌詞も節回しもネット動画とは少し違っていた。

 彼の創作としたものだったと思う。兎に角職業が警察官で、彼らの世界は、詰らない男はいじめに遭うか、要領の良い男は上司の憶え宜しく出世するようなところが有るから(かもね)、宴会の余興にと編み出した一芸だったと思う。アフリカの西海岸で捕らえられ、奴隷船で亜米利加に売り飛ばされたクンタ・キンテを始祖とする黒人作家アレックス・ヘイリーの一家の歴史物語の主人公をもじって、その歌は語りから入る。

 ♪ 昔ある処に金太君という若者が居ました ・・・

 これを銀座の高級クラブのステージで唄い出したのには驚いた。私のほうはと言うと、丁度隣に座った女性が「涼子です。よろしくね」などと愛想のいい挨拶をするので言い返してあげた。

 涼子ちゃん、感じやすいでしょう
 どうして(そう思うの)?
 感度良好

 座に少し受けた。この女性にとって初めてではないジョークだったかもしれない。しかし、相も変わらず私は駄洒落を振りまいていた。

 足元のGSの洗車場に車が行列を作っていた。車を持っている人にとっては愛車の大掃除。


  金太君日本も奴隷使ってるよ  三 竿


12月31日(月ようび)  お節料理

 正月を迎える準備は、私には風邪をひかず体調整えて待つくらいしかない。後はすべて細君が自分のペースでやってくれている。ありがたやありがたや。こういう時には細君を生き観音様みたいな心持で眺めてしまう。

 御節料理の支度は大したものは用意しない。家族3人のお節なら特に気張る必要もない。スーパーで買って大体が揃った。但し、ごまめ(田づくり)だけは私が午前中拵えた。昔は料亭の板前が目を見張るほどいっぱい作ったことを思えば、隔世の感がある。但し、細君は煮物などは毎年作っている。

 自分のホームページ『料理』の中を見てみると、2008年の祝い膳にこれだけの品を手掛けている。

  ・五色なます
  ・ごまめ
  ・栗きんとん
  ・鶏手羽大根(煮物)
  ・れんこんの小倉煮
  ・身欠きにしんの煮付け
  ・豚の角煮
  ・伊達巻

 自分の記憶違いで、この中の幾品かは細君の作もあるはずだ。


 当時は夏の茨城県・久慈川で釣った天然アユをワタを出し一旦冷凍保存して暮の或る日に解凍して根気よく2〜3時間くらい時間を掛けて木炭の遠赤外線でカリッと焼きあげてから、残りの数日寒風干しした後、甘露煮にして正月の祝い膳に載せたことも有る。甘露煮づくりの方も二日がかりだった。あの頃の情熱も体力も今は無い。遠い昔の意欲旺盛だった頃と比べて今の体(てい)は見るも聞くも憐れを誘う。そして、嚥下機能障害の後遺症になってからは、もはや口を通る料理の量も極端に少なくなってしまった ・・・ 嗚呼 

  たおやかにきっぱり聴くや除夜の鐘  乙三太  va  どこのろばたか存じませぬが