2009年 3月   


3月1日  オーストラリア

 昨日土曜日、葛飾区亀有のArio内にある映画館フロア(MOVIX)で20世紀FOX映画の『オーストラリア』を観てきた。例によって、細君の提案。

 知らないで行ったのだが、上映公開初日の観賞だった。チケツト購入は上映開始10分前だったが、比較的座席チョイスは楽に出来た。客席数300余ほどの中規模館で、手頃な広さだから居心地そのものも良かった。

 MOVIXの中には、こういう上映館が10室あって色々な映画を上映しているから、兎に角映画を観よう、何を観るかは、そこに行ってから選べば良いや、で充分目的も満足も得られると思う。

 Ario施設そのものが設立三周年を本日迎えるという、総合商業施設。一階に在る書店の店内レイアウトは、いい雰囲気で本が捜せるし、特に自分が趣味とする鮎釣りや、カメラ関係の取り揃えも善い。或いは『類語大辞典』はここで買ったし、勿論幾度か足を運んで、目的に叶った本を選び出すことができて買って居る。

 そうだ。さて、映画は後味が良かった。ストーリーの中で感動的な展開が二箇所在る。中盤とラストの二回とも、ハラハラドキドキ・そしてワッ!と館内観衆の心に感激を湧かせ、最後のクライマックスシーンを観た後では、赤い大陸・オーストラリアを長く旅して離れていくような旅情を残してくれた。

 ハッピー・エンド・・・古き良き時代のハリウッド映画を懐かしく観たような気持に成った。

 自分はこの映画のキャッチフレーズを考えた・・・『オージー・ウェスタン』

 オーストラリアを舞台とした映画は自分が知る限りで、『渚にて』が在る。核戦争の恐怖を謳った映画だと言うが、残念!自分は観ていない。そして・・・

 かつて、ハリウッド映画で、『大いなる西部』があったが、この『オーストラリア』は、広大さの点では、その映画に勝るとも劣らないスケールだった。惜しむらくは、『大いなる西部』で流されたテーマミュージックのような主張のある音楽が聴かれなかったこと。この映画の中での音楽は、少年が唄う歌が、暗示と奇跡を起こすプロットとして流されるから仕方がなかったかもしれない。

 残念で終ってはオーストラリア政府に失礼だ。この映画に主演するヒーロー・ヒロインは共に、この地オーストラリア出身だと言う。水をえた魚と言う言葉が在るが、野生の台地を得たスター二人の共演が、映画を善いものにしていたと思う。


3月3日  たずねびと

 『たずねびと NHK』 を検索KEYにしてgoogle検索をすると、「映画『おくりびと』のロケ地に、たずねびと殺到」と言うタイトルがいっぱい並んだ。

 いや、自分の調べたかったのはこんな内容ではない。子供の頃、NHKラヂヲから流された肉親や友人・知人・恩師などの消息を問いかける放送の事だ。

 戦前、日本は他国領土を植民地化して、多くの邦人が新天地に渡って行った。

 ♪ ・・・
    俺も行くから 君も行け
    支那には四億の 民が待つ

 こんな歌があったほどで、日本人は陸続として、当時の軍部の侵略政策に乗って大陸に、渡っていった。

 其れがやがて、コテンパンに国土を焦土されて大日本帝国は壊滅し、世界史上未曾有の市井の国民が戦災で殺され、その上、ほうほうの体で外地から帰国した人や、逃れて生き延びた人が頼ったのが、このNHKラヂヲ「たずねびとの時間」だった。

 ラヂヲから流れるアナウンスは、しかし無機的な声で国民の声を次々と続けて流していたようだった。

 「何処そこで・何をしていたこの方を・誰それが捜しています」 もっと、適切的に言うとこんな感じだったかと思う。

 「昭和11年から終戦頃まで、満鉄に勤務していた吉尾義純さん、当時の部下の吉住義男さんが捜しております。連絡先は・・・」

 たずねびとを必死に求めていた頃の日本は、悪意を目的で事を起こすことがほとんどなかった。本当に日本人は正直で、実直で、人を信じ、生きていた。

 「おくりびと」の映画がふたたび上映されているようだ。どじょうをもう一度柳の下に置いたよう。いっそのこと語呂を狙って、「たずねびと」をタイトルとした終戦当時の日本人の心を表す映画を誰か、監督さん創ってみたら。

 今度はアカデミー賞最優秀作品賞。


3月5日  続編

 『ALWAYS三丁目の夕日』は、二作目の『ALWAYS続・三丁目の夕日』を最後に終ってしまったと思う。出演した役者さんの容貌の変節が大きいから、同じキャストで構成できない。あの六チャンを演じた堀北真希ちゃんは、もうあの町の住み込み工員なんかには戻れないほどアカ抜けてしまったし、子供たち二人(一平くん・淳之介君)も可愛さは消えかかっているだろうし・・・残念。

 続編を続けていく事の難しさ。

 『男はつらいよ』シリーズは、サブタイトルを冠して長く続いた。それぞれの作品の中に、寅さんが訪れた地や、マドンナの登場がそのまま、話の継続として寅さんの個性をブレずに描き出して、一作ごとに独立した作品としての存在感も持っていた。

 『007』シリーズはチョット不思議。ジェームズ・ボンド役を演じる俳優はこれまで幾人居るのか、こっちは覚えても居られない。

 一方で、同じ原作作品が幾度も製作されていく事が在る。最大なる作品は、多分『忠臣蔵』だと思う。新作ごとに必ず観る、という人も居る。映画を離れて、最近ではTV製作に移っている感じで年末年始に観られているようだ。

 後は、『無法末の一生』・『伊豆の踊り子』・『私は貝になりたい』・・・『私は貝になりたい』は、TV作品にシフトした。

 『派遣の品格』の続編構想が潰れたと聞いた。最近の派遣切り世相に不向きなんだ。続編が断念される特異なケースだと思う。

 團伊玖磨さんの『パイプのけむり』は、月刊雑誌アサヒグラフに長い間連載された随筆で、やがて区切りごとに単行本で発売されていったが、ものすごい続編を続けていった、ギネス級の作品だった。途中からは、継続をあらわすあらゆる言葉を付けて継続されていった。

 「またまた・・・」、「重ねて・・・」・・・とてつもない続き物だった。初期の作品はよく読んでいた。1960年代の後半頃のことだった。

 今の世は、ちっとも落ち着いていない。良い作品でも、長く続いて残ると言うことが出来ない。人が落ち着かなくなって仕舞ったのか。


3月7日  鮨

 先週木曜日のロト6で四等の7900円を射中てた。金曜日の朝刊をみて、その朗報をすぐに細君に告げてこう言った。

 「当選金で土曜か日曜に鮨を食いに行こう。先日行った有楽町東芝ビルの地下にあった『福助』が手頃で旨い」

 ふたりは、「おい」「ハイッ」の仲だからそれで即決。そして先週の日曜日(3月1日)に出かけて食べてきた。実は二週続けて週末の銀座行だ。更にはその前々週にも行っている。居心地の良い街だぜ“ザギン”は。

 「もう、おのぼりさんとは言わせない」

 さて、細君は例によって、セットの『鮨とサラダのお楽しみランチ』・・2940円

 自分は、別に通ぶったわけではなく、せっかくのお鮨屋さんなんだから、日頃口に出来ないものを頼んでみよう、と思って居たので・・・まずは「つまみに貝を適当に1.5人前」

 半人前分が細君というわけではない。ぷっつり割れる数字は良くないと言うのでは後講釈、ふたりで食べる量、そして、自分が次に好みを選んで摘む鮨の事を考えて、ちょうど相応しい量だろうと言うわけ。

 熱燗二合で、この貝の刺身を食べる。差し出された貝の種類は、4種類あった。板前のお兄さんが、カウンターの向かい側からそれぞれの貝を指差して、「アワビ・青柳・ホタテ・???(きこえなかった)」

 見て、すぐ判る事は、下拵えがきちんとしていることだった。店に来るお客は、どんな人かわからない。手の掛け方とか素材の品質管理のありようが、口の肥えた客の口こみによって、店の品格の良し悪しそのものが、広く知れ渡ってしまう事だって在る。これは、細君の『銀座ブランド』に対する哲学みたいな信念である。そして、福助さんは、其れくらいに格を持つお店だと自分は思っている。

 板前さんは、連れのいる客の会話が弾んでいたり、俺たち夫婦の「おい・ハイッ」の雰囲気なども、仕事をしながらそれとなく察しをつけて、声を掛けてくるようだが、今回は、自分のほうから話しかけた。

 「此処には平成に入って初めてかな、いや?それとも二十代以来だったと思う」
 「では、30年ぶりくらいですか?」
 「40年以上だね」   (キザっぽいなあ)

 自分は、二十代の前半時代、この街界隈を仕事で毎日歩き回っている。『福助』さんは、その頃から店を構えている。“東芝ビル”の名は、当時のもので、今は変わっているらしい。“阪急ビル?”

 つまみに貝をそろえる快感を板前さんに与えているかもしれない、或いは、「ムムッ、この客侮ってはいけない」みたいな前掛けのヒモをキリッ!と絞め直させるくらいな思いにさせてしまったかも知れない。

 先に書いておくが、このつまみに出された貝の刺身の値段だけで4000円弱、キャー!大満足。こんなに美味しい価値あるものを食べさせて頂いたのだ。さっきも書いたが、銀座では提供値段が、そのままの価値を持っていて、それなりの店では何処の馬の骨ともわからない食材はゼツタイに扱わない。其れがしっかり判らないような人は、自分が言ってしまう・・・「来るな」

 或いは、素直に学び、感謝して帰っていこうよ。

 そうだ、先年世界の食のご意見番みたいな某機関が、日本の外食店にランクを付けて出鱈目にして去って行ったのは、日本人の客と店との心の信頼まで理解していたとは思えない。女と付き合うのに、顔を尺度としているようなもの。アッ・・・綺麗な女性は、心も綺麗で居てねということだから。

 にぎり系は手でつまんで食べる。貝は箸で食べた。板さんは、「お塩を付けて食べると旨いですよ」といったから自分はその通りにした。食べてみて学んだのは、これらの貝の繊細な味は醤油では壊されてしまう事。

 にぎりに頼んだのは、地金目・かんぱち・干瓢巻き・・・干瓢巻きを頼む客も“要注意人物”だ。板さんも訊いて来た・・・「わさび付けて巻きますか?」

 どっちが正調かしらんが、干瓢がわさびに味を消されては敵わんのだ。「付けないで」

 そして、最後をどれにしよう。

 「アナゴにしようか、しま鯵にしようか迷うなあ」
 「すみません、今日は、しま鯵、入っていないんです」
 「あー良かった。迷わずアナゴ」

 干瓢巻きは一本、その他の握りは各一貫。大至福な食事だった。細君も「ご飯の量も丁度よかったし、ネタも善いものを使って居るのが判る、との事。細君のコースでは、先に出された鮨の他に「お好みに、何でも好きなものを二貫頼めるんですよ」

 あんきもの軍艦と、アナゴを喰らいついていた。お勘定は、9000円を少し超したくらいだった。

 鮨の字は、魚に旨いをくっ付けて出来ている。この字をスシに充てるのが一番好きだ。


3月8日  続・鮨

 3月1日に『福鮨』で食べた後、銀座周辺を歩いた際、『銀座百点−三月号−』と言う、地域雑誌を何処かの店先に置いてあったの持ち帰り週が始まって、通勤の電車に乗っている間に読んだ。

 巻頭に、座談が載っていてそのタイトルが、『一人でも食べに行く−女性はなぜおすしが好きか−』

 その座談のメンバーの肩書きが、文芸ジャーナリスト、ライター、ノンフィクション作家、食記者・編集者の四氏だが、その内の三人が女性だ。

 タイトルに合わせた各氏の知識や、思い入れや、知りえたピソード・秘話などを語りながら、結果、「すしを食べる事ッて素晴らしい」という話の結論に行く。

 自分が体験して来たばかりのことでもあって、楽しく読んだのだか、さて、その本文の中に【「昔の文献で、女性のひとりずしについての記述ってないんですか。・・・」】

 という、ある人の発言があって、一同が納得してやはり女性の独り外食をしている風景は、非常に珍しいことであったと話が続いて、その後の女性の独り外食の要素などについても話が弾んでいく。

 この辺で自分は、女性でありながら独り外食をした、という話を或る本で読んだ事を思い出した。それは、池波正太郎さん−−1923年(大正12年)1月25日 - 1990年(平成2年)5月3日−−の食随筆『『食卓の情景』(新潮文庫)だ。

  「母の好物」という章の中にこう書いてある。池波正太郎さんがまだ少年だった頃の、女手ひとつで二人の息子を死に物狂いで養育していた、彼の母親についての懐述・・・

 【 ・・・母がこんなことを言った。

 「あの頃、私はつとめが終ると、御徒町の蛇の目寿司へ、よく行ったもんだよ」
 「ひとりで?」 
 「そりゃ、ひとりでさ」
 「おれは一度もつれて行ってもらわなかった」
 「だれもつれてなんか行かない。それだけの金がなかったからね。
   私ひとりで好きなものを食べていたんだ」
 「ひどいじゃないか」
 「女ひとりで一家を背負っていたんだ。たまに、好きなおすしでも食べなくちゃあ、
   はたらけるもんじゃないよ。そのころの私は、蛇の目でおすしをつまむのが、
   ただひとつのたのしみだったんだからね」
 】

 その母親は、結婚に二度失敗している。それぞれ、頼りにならない愚図な亭主に自分から見切りを着けて、実家に戻って、片親(母)とそれぞれの亭主の胤で出来た息子二人を抱えた三十四・五歳頃の女の姿である。

 立ち向かってくる正面からの風の悉く(ことごとく)を振り払いながら生きている女の好物が『すし』だったということが、なぜか自分にはすごい結びつきが強い事に感じられて、感動した。

 すしには食べて様になる人間と、そうでない人間がある。そう捉えて『すし』には、対峙して食べる気構えを持ちたい。

 実は、母親はすし屋で食べ終えて勘定をする時にこうも言っていた。

 「おいしゅうございました。お値段も高うございました」

 こちらの話は、引用した本の他の章をざっとめくって探したが出てこなかったが、確かに自分が彼の外の随筆の本を含めた話の中で、間違いなく読んだ記憶があるから間違いないことである。


3月14日  男はつらいよ

 毎朝、細君が朝食を終えてから続けて為す事は、後片付けの食器洗いと、それからお化粧作業。但し食器洗いは、自分が務めることも多々在る。

 細君の顔面塗装(お化粧)は、毎日有る事。

 今朝、細君がその作業中に電話があって、長い間立ったまま相手と話をしていたが、勿論、邪魔をしないように自分は、奥の部屋でTVを観ながらインターネツトサイトの、いつも見ているブログなどを読んでいた。

 弱1時間、電話を終えて細君が俺の傍に訪れて、「おッどろいた。〇〇さんの旦那さんが亡くなったんだって!」という。

 話の内容に驚嘆するよりも、塗装途中の顔が目の前に現われたから、その形相に自分は驚いてしまった。

 途中状況って、お化粧に限らず、男にも女にもほかには服装を整える時などがある。俺だって、勤めに出かける支度をするに、パンツ一丁姿から次に何を身に着けるかパターンを決めているわけではないから靴下が二番目になったり、肌着が二番目になったりする。靴下を履いた跡で、パンツを脱いで新しいものに取り替えることだって在る。

 そういう途中状態の滑稽さを曳きづった顔、というものが有る事を初めて知った。

 さっきまで電話で話していた相手は、学生時代から交際を続けている友達からだった。

 「朝、『行って来ます』と言って家を出たご主人が、道端で倒れてしまって、近くの人が救急車を呼んで運ばれていく途中で、その救急車の職員から電話が入って、搬送された病院に自分が駆けつけた時には、もう事切れていたんだって」

 死因は心筋梗塞。まだ、勤めに出ているのだから、五十歳代だろう。

 女同士で旅行に行ったり、休日にどこかで集まって食事をしたりする、幾つかのグループを持っている家庭の主婦って、世の中には結構多いことも細君の話から聞いている。

 今電話で話していた友達とは、長い付き合いだからそんな集まりを幾度か重ねて、それぞれの家庭事情について、あれこれ聞いて居る。自分は直接逢った事もないわけだから、改めてそのご家庭の事情を復習しながら、この度の不幸の経過を聞いた。

 東証に上場している立派な企業に長い間勤めて居たのだが、下請企業にとばされ、給料は減らされ、ノルマは厳しく与えられ・・・其れが殆ど自己の才能に適うセクションでなかったために、かなり人格や風采も変わってしまっていて、其れをみているのが嫌で、その友達は、ご主人に強い口を毎日吐いていたことを、今になって、毎日泣いて後悔しているんだそうだ。

 まだ、初七日も迎えていない最近の出来事。相手の男の人が可哀相だ。人生の黄昏を前にして、下り坂を転げていく、世の男の哀れさは見るも聞くも辛い。こういう話は、自分も人の口からいっぱい聞かされている。正社員から落とされて契約社員になり、そして時給社員→ワークシェアリングによる勤務時間の縮小にあってしまった人、或いは希望退職募集に乗らずに居残って後、苛酷な追い出しを受けて結局、不利な退職扱いで放り出された人・・・「自分は、何を目ざして、これまで生きてきたんだ」

 組織の或る地位にまで昇っていけなかったサラリーマンは今、ものすごい組織内疎外感を抱きながら今日も展望のない職場に向かって家を出る。そして、数歩後に襲う急病死はもはや確率の高い遭遇事態といえるのだ。

 日本は、本当に駄目になってしまった。決して飛躍していることでも、悲観過ぎる言葉でもない。ジャパニーズ・ドリームなんて無いのだ。今の世が競争社会であっても、企業を牛耳っている少数の人間の都合だけが肥大化した、あまりに倫理の欠けた社会が日本国。日本に於ける成功者にはその足許に累々たる屍骸が横たわっているのだ。

 世の中は天と地ほどの差があれど 苦しむ人を救う者なし

 自分が小学校卒業時の記念文集に載せた上の短歌は、もう半世紀余を来している。




3月15日  春は近いか?

 細君と、昼飯を一緒に外で食うことにした。電車に乗って松戸駅まで出て、駅ビルの中にあるトンカツ料理の店と決めてあった。細君の要望に沿った。

 昨日の雨から受って変わって、すごいいい天気。但し風が少しあって、冷たい。駅に集合を11時15分として、自分だけDEIKA(愛用カメラ)を首から提げて早く家を出て、ブラリ散歩の道のりがてら、時間までスナップやら、人の家の庭に咲く花などを撮ってから、駅で細君と合流した。

 飼い主が、言い聞かせているのに嫌がっている様子な犬が居た。




 小学校の校庭で、ドッヂボールの練習をしている子供たちが居た。指導しているのは、俺くらいの年齢のオジさんが数名。この歳で子供たちを指導しようとする精神力があるなんてアリ?




 今日は、自分の気持ちの中には、食事を楽しむと言うことより、写真を撮ることのほうに気を入れていた。従って、食事のことは書く気がない。

   ・・・ 食後に、戸定館(戸定邸)公園に被写体を求めて向った。ここにある屋敷は徳川幕府最後の将軍徳川慶喜の異母弟、徳川昭武(あきたけ)が、明治期に別邸として建てたもので、2006年になって国の重要無形文化財として指定されて居る。

 これまでに幾度かこの公園に行っている。矢張り、梅の咲く季節が多かったと思う。園内は、それほど広くはないのだが、其処は矢張り個人の敷地であったところだから、主(あるじ)の趣味と言うものがあるわけで、梅や竹林や屋敷に続く西洋式芝生の庭などが配置されている。主が毎日ウォーキングするには狭すぎるが、散策で歩くにはそこそこに満足できる広さ、当然季節ごとに目を楽しませる植木とか、訪れる小鳥たちの鳴き声を充分に楽しむ事ができたと思う。

 何だ、このカメラマンの集団は



 何やらを待って居る、そのうちの一人の人に近づいて、

 「鶯か何かが来るのを待っているんですか?」 
 
 すると、「おじろきびたきです」という。なんだか知らないが、すごい写真を撮ろうと、その「おじろきびたき」という鳥が飛来するのをジッと待っている。こりゃあ参加するに価値あり。細君は、ベンチに腰掛けて、自分が戻るまで、姫(?)にでも成った気分で辺りの景色を眺めている。

 それにしてもすごい機材を持ち込んでいる。見るからに超望遠レンズを着けている。それぞれ、最低で200ミリ、人によっては500ミリ以上のレンズで、10メートルくらいの距離の先を狙っての待機状態で居る。自分はやっと、35〜105ミリズームをつけての徒手空拳状態で、彼らの中に加わった。そしてかすかなサイズに納まったその被写体の写真がこれ。周辺をカツトして、これで目いっぱいの解像度。



 勿論自分もいつかは天からお金の100万円でも降ってきたら、、35mmフルサイズの『SONYα900』と、開放値F2.8の明るいズームレンズ2本に注ぎこんで自分のカメラ撮影人生を充実させたいと思って居る。

 ウム、其れにつけても可憐な容姿をしている、この「おじろきびたき」と言う鳥は。


3月18日  異国の丘

 You Tube で、ちあきなおみ→細川たかし→・・・と流して歌を聴いていったところで、『異国の丘』にたどり着いた。

 この歌を聴くたびに、日本人は、第二次大戦とはなんだったのか? あの敗戦で何を学んだのか?・・・歴史を振り返り、今の日本の社会を真剣に反省しなければならないと思ってしまう。

 敗戦の負の遺産とは何なのか? その後の国土復興から今日(こんにち)の社会への道のりは、是でよかったのか? −−−

 こういう事を凄く強く考える。

 異国の丘−@
 異国の丘−A

 追加記入:

 最初書いたことは、同じ事を二度も述べていた。改めて描きたいことは、国家の品格は朽ちつつあり、同胞同士の結束力が弱まって行く姿が視てとれるのだ、−−−そういう思いが強くなっている−−という事。


3月20日  或る公告

 気が離れずに居る公告がある。近頃に見かけた二つの公告に限定にして書いてみる。

 @:電車に乗っていてナニゲに目に入った吊り公告だった、其れは。こう書いてあった。ちゃんと紙に書いてきた。

 【お掃除の時間ってもったいないし、
  報われないと思っている方に。
  自動掃除機『ルンバ』。
  あなた自身の目で確かめてください。
  3/31までキャンペーン実施中!!】

 この公告の文面で自分が引っかかった事を率直に書いてみる。たとえ、一部の人間が共感を得るとしても(文面ではっきり断わってはいる)、日常生活をする上で人が掃除する事を免れようとしたり、大切でない作業である事を謳うことは、誘導的効果として一般的に波及することになる。そのための宣伝文言のはず。だから、こういう考えに現代人が多くなってしまうことを危惧するのだ。

 じゃあどう書くべきであるか、とか、この製品の出来ることと出来ない事がどういうことなのかはしらない。其れを言いたかったら、キャンペーンの現場に足を運ぶのだが其処まで首は突っ込まない。兎に角こういう公告は『くすぐり』と言うものなのだと思っている。自分をくすぐりに来る人を避けたい、という感情に近いものが湧いてきた。不快感でなく、「怖い」

 A:今度はデカデカと、新聞の一面に載せた『イオンの反省』と題する告知文である。

 反省の内容(意味とするところ)を書いてみる。三つある。

 ◎価格が、他店と比べると決して安くはなかった。
 ◎お客の欲しいと思うような商品が並んでいなかった。
 ◎お客へのサービス改善を怠っていた。

 少し先回りして感想を述べると、商売道の原点に戻って出直す。と言いたいらしい。たぶん、そんな狙いを以って訴えたのだと思う。

 しかし、そうであったところで「エライッ!」なんて誉めてあげたいとは思わない。イオングループは、様々な企業の統合された集団で、その中に、かつての〈マイカル〉〈ジャスコ〉〈マルエツ〉等の、個別にある規模にまで知名度を上げて営業していた生活品スーパーマーケットが含まれる。果たして、それらが合併したのか、呑み込まれたのか、詳しい事は知らないから企業そのものに対する批評はしないのだが、流通・小売業として、素人でも烏合の衆団でもないのだから、先に挙げた反省の内容なんて、何を今更こんな事を言う、という気持のほうが先に湧いてしまうのだ。

 告知を評価すると、自作自演、或いは、マッチポンプ的な謳いだ、つまり胡散臭いのだ。本音が視れそうで見れない−−−「もう、タカビーでは居られない」なのか? そして、販売商品のかなりの品数を値下げしているとTVの取材報道があったから、多分これが本音の核心?なんだろうか。

 ・・・では一段踏み込んでいっそのこと、資金潤沢な規模の大きな企業になったと思う。政府や多くの自治体の実行が遅れている『定額給付金』を支給立替えするくらいなら善いのに、と自分は思ってしまう。すぐ最寄のお店に飛んで行きます。のろまな行政を焦らせ、更には、とっても投資対回収の効果が大きい企画だと思う。へっへっへッ。

 昔、或る、流行らない中華料理屋を蘇らそうと、TV局が企画した番組にこんな実例が有った。近所に行列の出来るほどのラーメン屋さんが新規開店したため、益々、窮地に立たされた、その店は、トウチャン・カアチャンのしょぼくれたお店然としていた。プロジェクトチームが結成され、満を持した開店でその全貌が明らかになった。お店の内装や、ウケるラーメン作りの手ほどきはもとより、父ちゃんと母ちゃんが、二人とも顔が赤らんでしまいそうな、派手な厨房衣装を着て、更に看板に謳うコピーがTVに映された。その文言の素晴らしさは、今でも忘れられない。

 “とつぜん
    バカうま!”

 記憶に曖昧があることで、若干の文字使いのチガイがあるかもしれない。これは、メモとして書き止めておく事を忘れたから仕方がない。このコピーの創案者は、糸井重里さんだったと記憶している。旨いわ〜、もとい巧いわァ〜。

 公告には、真実味と誠実心が伝わってくるのが肝腎かと思うのだ。


3月21日  春だぁ

 昔の人は良い事言っているなあ。 「暑さ寒さも彼岸まで」と。

 細君は二日続けて外出した。昨日は昔勤めていた会社の人と、上野の森・国立西洋美術館で開催されている『ルーブル美術館展』の観賞をメインにした邂逅だそうで、楽しそうに出かけて行った。

 本日は実家のお母さんのところにご機嫌伺い。実は昨日、出かける前の細君から2日分の昼食代として、二千円を頂戴しておいたのだが、この分をほぼ遣って食材を買い、持たせる手料理を昨晩と今日に分けて調理した。

 根菜を中心とした煮物と、お好み焼きを作った。どちらも、お年寄りには身体に良く消化にも問題なく、美味しいと喜ばれるものだ。特に自分の作るお好み焼きは、絶品の味である。自信が有る。ベースは、小麦粉をだし汁で溶き、卵・擂った山芋を混入する。下味がしっかりついている。旨くないわけがない。煮物も一晩寝かせてあるからこれも昔ながらの煮物の味が出ていて旨かった。

 気分良く細君にこれらの手料理を持たせて、自分も愛機“DEIKA”を首から提げて近所をゆったりとした気分で歩きながらスナップ、花、景色を撮ってきた。

 のどかを絵に描いたような日中だった。



















3月22日  政党色

 自分の住む千葉県は、只今知事選挙で立候補した5人による選挙戦真っ只中である。来る3月29日が開票日なんだけど、情況としては、盛り上がっていない感じだ。

 誰に入れるべきか、いまのところ全く判らない。一番いやらしいのは、一部の候補者を除いて、誰が一体どの政党色なのかが判らない事。

 支持政党・推薦政党のバックボーンすら見えにくい。これが今の中央政局の姿そのものの反映なのだと思う。

 東京地検の民主党つぶしの動きと多分連動して、候補者が今、自民党だ、民主党だというスタンスを押し出せないままに曖昧な立場で個人アピールを打ち出していることなのだと思う。

 今、政権を担って居る自民党・公明党は、もうお終いにして日本はやり直さなければいけないと思う。こういう気持で居る国民・県民は多いと思う。官僚も今から必死に、来るべき政権政党交代を視野に入れて、様々な画策を立てていると思うが、千葉県知事選挙ひとつに対してもきちんと布石をしているはずだ。官僚の仕事は最早官僚自身の王国を維持するための仕事が最大命題としていると思っていて、自分は今度の選挙に向わなければいけない。

 もう少し情報を流してくれない事には、自分が投票する人物を絞ることが出来ない。頼りにしていたマスコミが今当てにならない。彼らの言っている反対を打てば良いのかもしれない。


3月23日  組織は膾を吹く

 先にタイトルを書き直すと、『組織はなますを吹く』となる。しっかり書くと、『熱つものに懲りて膾を吹く』と言う言葉だ。膾は酢の物で冷めている料理。

 痛い目(口にやけど)に遭ったから、チョットの事でもビクビクして注意しすぎて居るさまを表す言葉。

 これが普通に、庶民が用心にこしたことはないとして慎重に日々を過ごし、つつがなく生活をする心掛けとしているのなら良いが、このことを逆手にとって、組織がこれを実践すると大迷惑な事になる。

 確かに、今朝の関東地方は強風に見舞われたのだから、風の影響を恐れて通勤電車を安全に走らせる必要はある。しかし、首都圏JR線の態度は頂けない。余りにも過敏すぎる対応を執っていた。

 千葉県松戸から都内に入るとき、江戸川を渡るのだが、この辺りで風が強くて電車が走っている時に脱線転覆の危険があると言う事で、JR本部が運行を見合わせて、電車をストップさせてしまった。この時自分は通勤の途中で松戸駅で、電車に乗ったまま、1時間待機させられた。

 江戸川鉄橋辺りに風速計などを持ち込んで、きちんと、保線係が計測しながら時々刻々と情報を流して運行指示を与えている事など絶対にありえない。有り得ることとは、単に気象庁の発表する気象警報を基にして、本部が各現場へ出した指示である。つまりマニュアルのよるパターン化された通達で状況は決る。

 案の定、走り始めてしばらくして当の江戸川を渡る際、川面は凪いで居たのだ。それでも電車はそろりそろりと、低速で走っている。これまでも、この路線が渡る江戸川・中川・荒川が白波立てて荒巻く中を電車がビュンビュン走っていたことは幾度もあったのだ。

 気象庁発表のお粗末・アバウトな情報で電車の中の通勤客は苛酷にして被害多大な迷惑を受けている。これは罪悪なのだ。気象庁もJRも迷惑犯の犯罪者になっていて不思議はないのだ。

 もう、10年を遠に超える昔のことだ。

 その当時、自分の通勤経路は、都心から営団地下鉄(当時の呼称)東西線で西船橋駅で降りてJR武蔵野線に乗り換えて新松戸方面に帰っていたが冬だった、天気はどんよりとして寒かったのだが、駅のアナウンスがこう言っていた。

 『大雪警報が出ているため、本日、西船橋始発の電車は運休します』

 今、雪が降っているわけではない。これから、予報通りに降るかどうかは判らない。しかし、この情報だけで、JR運行本部の担当者は、決断を下す事をする。その日それから首都圏は雪のゆの字も降らなかった。

 餘部(あまるべ)のトラウマという悲愴的なものなんて有るわけがない。単なる責任逃れのぶっ膨れて腐った気持ちが其処に在るだけのこと。

 俺は怒る。怒るに足る問題だと思っている。


3月27日  SFからの警告

 SF作家・神林長平氏の作品に、『太陽の汗』がある。

 近未来の或る時代、人間が他者とのコミュニケーション手段を、翻訳機械によってコントロールされている世界を描いている。

 「敵は右に居る」 とか、「相手は男だ」と聴こえてくる−−或いは自分の発する意思表示も翻訳機械を通して相互に伝わる。その結果、装着したヘルメットのレシーバーから流されている情報が一人一人がお互いへの伝達手段となって人は判断し、行動する。

 今の世にこれに酷似した現象がある。民主党つぶしのために今、この機能が動いている。冷静に事の推移を視ていると、間違いのない状況である。この状況があると言う事は、他にもある。今、自分が疑っているのは、宝くじ売り場で発売される『ロト6』と『ミニロト』の収益と分配が、果たして正しく行われているのだろうか、と言う事。

 このシステムは、賞金額が固定されていないことから言える。我々のうかがい知れないブラックボックスであって、見えないのだから証明されていない。だから、無いとは言い切れない、従って、完璧に信じるに足るものではないと、考えが到るわけである。

 民主党つぶしのための虚偽的な世論調査結果とか、偏向的かつ恣意的な検察の調査行動や情報発信を考えてみると、今の日本を支配する勢力(主に官憲)は、もはや大手を振って国民に『翻訳機能着きヘルメット』を被せる行為をしていると思うしかない。国家が公正でない事を行うことの怖さ。

 恐るべし、SF作家の洞察力、そして警告。